学院1年セリナ編 第六十九章 ルーメン対カルディ④ カルディとの対峙
扉が開いた瞬間、空気が重く沈んだ。
広間は広く、天井は高い。壁際には装飾的な武具が並び、床には赤い絨毯が敷かれている。だが、その豪奢さは今、威圧へと変わっていた。
中央に、武装した兵士たちが立っている。
動かない。構えもしない。ただ、そこに“置かれている”ような在り方だった。
そして……そのさらに奥。
一段高くなった場所に、カルディ・ハクエ・サランディーノが立っていた。
剣を手にしている。
姿勢は崩れていない。呼吸も乱れていない。剣術大会のときと変わらぬ、洗練された立ち姿だ。だが、違う。何かが、決定的に違っている。
(……近づくな)
胸の奥で、本能が警鐘を鳴らす。
魔力の流れが、肌を刺すように感じられた。量が多いのではない。荒れているわけでもない。……歪んでいる。
衛兵隊長が一歩前に出る。
「カルディ・ハクエ・サランディーノ。武器を捨て、抵抗をやめろ」
命令口調だったが、声は抑えられている。挑発にならないよう、細心の注意が払われていた。
カルディは、ゆっくりとこちらを向いた。
表情は平静だった。
怒りも、恐怖も、焦りも見えない。ただ、確信だけがある。
「……なぜ、ここに来た」
低い声。落ち着きすぎているほどだ。
俺は一歩、隊長の斜め後ろに位置取り、視線を伏せたまま答える。
「学院で起きている異変を止めに来ました。あなたが関係している可能性が高い」
カルディは、短く息を吐いた。
「異変? ……皆、望んで動いていただけだ」
その言葉に、背後の兵士たちが微かに揺れる。
反応しかけている。まだ、完全には戻っていない。
(……時間がない)
俺は、衛兵隊長にだけ分かるよう、指先で合図を送る。
挟撃。正面から押さえ、俺は横から入る。
次の瞬間、カルディの足が踏み出された。
迷いはない。剣先が一直線に、隊長へ向かう。
「気をつけろ」
鋼がぶつかる音が、広間に響いた。
ここからは、交渉ではない。……衝突だ。
大広間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
壁際に控えていた武装兵たちが、一斉に動く。
剣が抜かれ、槍が構えられる。
迷いのない動きだった。命令を待つ必要すらない……最初から、侵入者を排除するためだけに立っていたかのようだ。
「来るぞ!」
衛兵隊長が一歩前に出る。
次の瞬間、最前列の兵が斬りかかってきた。
隊長はそれを真正面から受け止め、力任せに押し返すのではなく、刃を流すように受け、体勢を崩した相手を一撃で打ち倒す。
続けざまに二人、三人。
剣術の型に無駄がない。致命傷は与えないが、確実に戦闘不能にしていく。
床に倒れ込む兵士が増えていく中で、残った者たちの動きが鈍る。
それでも、退こうとはしない。ただ立ち尽くし、次の命令を待っている。
……その奥に、カルディがいた。
剣がぶつかり合う音が、重く反響した。今度は、相手が違う。
衛兵隊長は正面から受け止めているが、押されている。純粋な剣技の差ではない。踏み込みの鋭さ、間合いの詰め方、そのすべてが“迷いを持たない動き”だった。
(……速い)
剣術大会で見た動きよりも、どこか無機質だ。
勝とうとしているのではない。退けようとしているだけ。排除……それに近い。
カルディの剣が、わずかに角度を変える。
その一瞬で、衛兵隊長の体勢が崩れた。
「っ……!」
致命的ではない。だが、このまま押し切られる。
俺は、床を滑るように位置を変えた。
視線は伏せたまま、気配だけで距離を測る。正面に立たない。横から入る。リリィ先生の言葉が、冷静さを保たせる。
(見ない。絶対に、見ない)
カルディは、こちらを意識したのが分かった。
空気が、わずかに揺れる。
「……まだいるのか」
その声は、苛立ちではない。“当然の確認”に近かった。
衛兵隊長が、歯を食いしばって声を絞り出す。
「ルーメン君、今だ……!」
俺は、迷わなかった。
踏み込み、魔力を一気に集中させる。対象はカルディではない。足元……動線だ。
床に走る微かな震動。
アースクエイクを僅かに発動し、バランスを崩すためだけの干渉が広がる。
カルディの踏み込みが、ほんの一拍遅れた。
その隙を、隊長が逃さない。剣を絡め、押し返す。
だが……カルディは倒れない。
体勢を崩しながらも、即座に立て直す。
「……無駄だ」
淡々とした声。そこには、焦りも苛立ちもなかった。
俺の背筋を、冷たいものが走る。
(……この人、止める気がない)
勝つでも、逃げるでもない。ただ、“従わせる”ために立っている。
次の一手を考える暇はない。距離は、もう限界まで詰まっている。
……ここからは、真正面から叩き落とすしかない。
距離が詰まった瞬間、空気の質が変わった。
言葉も、殺気もない。ただ、圧が来る。
カルディが一歩踏み出しただけで、周囲の兵士たちがわずかに身じろぎする。倒れていたはずの兵士が、意識を取り戻しかけたように指先を動かしたのが視界の端に映った。
(……まずい)
直接何かをされたわけじゃない。
だが、ここに「立っている」だけで、場が揺さぶられている。
俺は視線を伏せたまま、風と水と光の膜を微調整する。
完全に遮断するのではない。屈折させ、焦点をずらす。
こちらが相手を見ることも、相手がこちらを正確に捉えることも、成立しない距離を作る。
カルディの動きが、一瞬だけ止まった。
「……邪魔だな」
低い声。感情は乗っていない。ただ事実を述べただけのような口調だった。
次の瞬間、衛兵隊長が弾き飛ばされる。
剣を受けた反動ではない。踏み込みの圧そのものが違う。
「ぐっ……!」
隊長は膝をつきながらも、即座に体勢を立て直す。それでも、息が荒い。
(……近づけさせるわけにはいかない)
ここで隊長が倒れれば、次は俺だ。
そして、その瞬間に何が起きるか……想像したくもない。
カルディが、こちらへ向かって歩いてくる。
一歩ごとに、周囲の空気が歪む。
兵士たちの視線が、無意識のうちに彼へと引き寄せられていくのが分かる。
俺は、歯を食いしばった。
(……見せない。合わせない。関わらせない)
魔力を一点に集中させ、膜をさらに厚くする。
視線を“遮る”のではなく、“意味を持たせない”。
カルディが、苛立ったように舌打ちした。
「……面倒だ」
その言葉と同時に、剣が振るわれる。
狙いは俺ではない。……膜の内側、隊長だ。
衛兵隊長が、歯を食いしばって踏みとどまる。
「ルーメン君……!」
声は、かすれていた。
もう猶予はない。このままでは、防ぐだけで押し切られる。
(……次で、決める)
俺は一歩、前に出た。
視線は落としたまま、魔力だけを解き放つ。
ここから先は、回避じゃない……制圧だ。




