学院1年セリナ編 第六十九章 ルーメン対カルディ③ サランディーノ邸宅突入
講堂を離れ、校舎の外へ向かう途中で、校長が並んで歩きながら口を開いた。
「カルディ君の件だが……居場所は分かっている」
その言葉に、俺は一度だけ頷く。
「サランディーノ公爵家の邸宅ですね」
校長は頷いた。肯定だ。
「公爵家次男という立場上、学院の敷地内に留まる義務はない。大会後、そのまま自宅へ戻ったようだ」
それは、ある意味で最悪の条件だった。
学院の外。教師の目も、結界も、規則も及ばない場所。
(影響がどこまで広がっているか……)
邸宅にいる人間すべてが、すでに魅了の影響下にある可能性がある。
使用人、私兵、場合によっては……公爵本人すら。
校長は足を止め、俺の方を見た。
「街への進言が必要だろう。公爵家相手となると、学院だけで踏み込むのは危険だ」
その判断は、正しい。そして、重い。
貴族、それも公爵家。
たとえ次男であっても、無断で踏み込めば政治問題に発展しかねない。
「……お願いします」
俺は、はっきりと言った。
「これは、個人の問題ではありません。すでに生徒の命が危険にさらされています。今止めなければ、次が出ます」
校長は、しばらく俺を見つめてから、静かに頷いた。
「分かった。街の衛兵に連絡を入れよう。正式な形で、家宅捜索を要請する」
その場で、校長は早馬を走らせ、簡潔に要件を伝えた。
言葉は慎重だが、隠すことはない。
数分もしないうちに、返答が来る。
「……衛兵隊が動く。準備に少し時間はかかるが、隊列を組んで向かうそうだ」
俺は胸の奥で、わずかに安堵する。一人で踏み込むより、ずっといい。
(それでも……油断はできない)
魅了は、人数や武装に関係なく作用する。
視線を遮る準備は、絶対条件だ。
「僕も同行します」
校長は止めなかった。
「君が鍵を握っている。……無事に戻ってきなさい」
その言葉に、責任の重さが改めてのしかかる。だが、覚悟はすでに決まっていた。
学院の外へ出ると、ちょうど衛兵たちが集まり始めていた。
統率の取れた動き。鎧と槍が並ぶ音が、静かな緊張を生む。
俺はその列の前に立ち、深く息を吸った。
次に向かう場所は、魅了の核。カルディ・ハクエ・サランディーノのいる場所だ。
ここから先は、引き返せない。
衛兵たちが集結するまでの時間は、決して長くはなかった。
校長の指示で早馬が走り、街を経由して正式な要請が伝えられた結果だ。公爵家という相手を考えれば、異例とも言える速さだった。
「隊長は私が引き受ける」
そう名乗り出た衛兵隊長は、年嵩で、無駄な言葉を使わない男だった。鎧の隙間から覗く目は鋭く、状況の重さを正確に理解している。
「家宅捜索の名目は、宝物庫の件と生徒の転落事故。魅了の話は、こちらからは伏せる。混乱を広げないためだ」
「助かります」
余計な情報は、判断を鈍らせる。
特に、魅了のような“理解しづらい異常”はなおさらだ。
隊列が整い、街路を進み始める。
サランディーノ公爵邸は、街の外れに位置していた。広大な敷地、高い塀、格式を誇示する門構え。これまで何度も目にしてきたはずの景色が、今日は別物に見える。
(中に、何人いる……)
使用人、警備の兵士、そして……カルディ。
すでに魅了の影響を受けている者がいる前提で動かなければならない。
俺は歩きながら、風魔術と水魔術と光魔術を両目の前に重ねていく。
薄く、だが確実に視線を歪める層を、自分と衛兵隊長の前に展開する。派手さは不要だ。見えないこと、届かないこと、それだけでいい。
「……今のは?」
衛兵隊長が、わずかに視線をずらしたまま尋ねる。
「視線対策です。中で誰かと向き合うことがあっても、直接は見えません」
隊長は一瞬だけ眉を動かし、それ以上は聞かなかった。
門の前で、隊列が止まる。
重厚な扉の向こうに、人の気配がある。
こちらを警戒している様子はない……それが、かえって不自然だった。
「我々が先に入る」
隊長が短く告げ、衛兵たちが武器を構える。
「僕は後ろから、解除を優先します。抵抗があっても、できるだけ傷つけないでください」
「承知した」
合図とともに、門が開かれる。
邸宅の中へ、一歩足を踏み入れた瞬間。
空気が、学院とはまるで違う質感を帯びているのを感じた。
静かすぎる。人がいるはずなのに、生活の音がない。
(……中心は、やはりここだ)
俺は、視線を伏せたまま、深く息を吸った。
邸宅の中は、外観から受ける威圧感とは裏腹に、妙なほど整然としていた。
床に乱れはなく、調度品も元の位置のまま。争った形跡はない。だが、それがかえって異様だった。
最初に姿を現したのは使用人だった。
数名が廊下の脇に並び、こちらを見ようともせず、ただ静かに立っている。
「動くな。抵抗する必要はない」
衛兵隊長の声が響く。
返事はない。使用人たちは、命令を理解していないのではなく、そもそも“判断”という行為から切り離されているように見えた。
(……いる)
俺は一人ずつに近づき、触れるだけでブライトヒーリングを流し込む。
光が淡く揺れ、最初の使用人がはっと息を吸った。
「……あ、あれ?」
次の瞬間、肩が震え、周囲を見回す。
理解が追いつかない表情だが、意思は戻っている。
「大丈夫です。少し休んでいてください」
同じことを繰り返す。
一人、また一人。解除されるたびに、邸宅の空気がわずかに軽くなっていくのが分かった。
奥へ進むと、今度は武装した兵士たちが現れた。
剣を持ち、整列している。警戒している様子はない。こちらを敵とも味方とも認識していない、空白の状態。
「……これは」
衛兵隊長が低く唸る。
「魅了にかかっています。ですが、命令を待っているだけです」
俺は短く答え、同じように解除を施していく。
兵士たちは、正気に戻ると同時に膝をつき、困惑と恐怖を露わにした。
「何が……起きている?」
「説明は後で。今は、ここを離れてください」
解除を終えた者から後方へ下がらせる。
抵抗はない。むしろ、助けを求めるような視線が、こちらに向けられる。
そして……最奥。
大広間へ続く扉の前で、足が止まった。
中から、はっきりとした“存在感”が伝わってくる。
(……ここだ)
俺は視線を伏せたまま、もう一度、膜の状態を確認する。
風、水、光魔術。歪みはない。十分だ。
そして衛兵隊長の両目の前にも同じ、風、水、光魔術を展開する。
衛兵隊長が、無言で頷く。剣を構え、扉を押し開ける合図。
次の瞬間、広間の空気が、はっきりと変わった。




