学院1年セリナ編 第六十七章 セリナたちの馴れ初め② 告白と条件
一年目の終わりが近づいた頃、カルディは決断した。
友人として過ごす時間は十分すぎるほど重ねてきた。これ以上、曖昧な立場に甘えることは、自分の矜持が許さなかった。
場所は、人目の少ない中庭だった。
夕暮れに差しかかる時間帯で、剣術の訓練を終えた生徒たちの気配も、少しずつ遠のいていく。
「セリナ、少し話がある」
その声は、いつもより硬かった。
セリナはすぐに察したように、軽く息を整え、真正面から彼を見る。
カルディは、逃げ道を作らなかった。
公爵家の次男としての立場も、将来も、全部脇に置いた。ただ一人の男として、言葉を選ばずに告げる。
「君が好きだ。……友達としてじゃない。交際してほしい」
セリナは驚いた様子も見せず、しかしすぐには答えなかった。視線を外し、剣の柄に軽く指を添える。
「……ごめんなさい」
その声は静かだったが、はっきりしていた。
「今は、剣術に集中したいの。誰かと付き合うこと、考えていないわ」
理由は、曖昧にされなかった。
逃げでも、言い訳でもない。彼女にとっての優先順位が、明確に示された瞬間だった。
「今の私には、剣しかないの。中途半端な気持ちで誰かと向き合うのは、失礼だから」
カルディは、胸の奥が締め付けられるのを感じながらも、顔には出さなかった。
その言葉が、嘘ではないことが分かっていたからだ。
(……やっぱりだ)
この人は、そういう人だ。
だから惹かれたのだし、だからこそ、簡単には振り向かない。
「分かった」
短く、そう答える。
引き留める言葉も、条件を出すこともしなかった。
「でも……俺は諦めない」
その一言だけは、譲らなかった。
セリナは、ほんの一瞬だけ困ったような表情を浮かべ、すぐにいつもの凛とした顔に戻る。
「それは、あなたの自由よ」
冷たい拒絶ではなかった。
だが、期待も持たせない。剣に生きる者としての、誠実な線引きだった。
カルディは、その背中を見送りながら、深く息を吐いた。
告白は失敗に終わった。だが、不思議と後悔はなかった。
(だったら……)
剣で示すしかない。
彼女が大切にしているもの、その世界で並び立てる存在にならなければ、始まらない。
そうして、カルディは剣を握る理由を、ひとつ増やした。
恋は終わらなかった。ただ、より険しい形で、始まっただけだった。
告白を断られた夜、カルディは一人、学院の訓練場に立っていた。
夜気に冷やされた石畳の感触が、足裏からじわりと伝わってくる。手にした剣の重みは、昼間よりもはっきりと感じられた。
(……諦めない)
その言葉は、意地でも、虚勢でもなかった。むしろ、ようやく自分の中で形を得た覚悟だった。
カルディ・ハクエ・サランディーノ。
公爵家の次男という立場に生まれ、欲しいものは大抵、努力か立場で手に入れてきた。周囲もそれを当然のように受け止めていたし、彼自身もそれに疑問を持ったことはなかった。
だが、セリナは違った。
地位も、贈り物も、言葉巧みな説得も、何ひとつ通じない。
彼女が見ているのは、ただひとつ。
剣に向かう姿勢と、そこに賭ける覚悟だけだった。
(だからこそ……だ)
力で奪うことはできない。立場でねじ伏せることもできない。
それでも、諦める理由にはならなかった。
むしろ、カルディの中で、奇妙なほどに気持ちは澄んでいく。
セリナが剣にすべてを懸けているのなら、自分も同じ場所まで登るしかない。追い付くのではなく、並び立つために。
「……欲しいものは、何があっても手に入れる」
それはサランディーノ家で育った者としての価値観だった。
だが、今のそれは、幼い執着とは違う。
彼女の世界を壊すのではなく、理解し、その上で選ばれたい。
そのために必要なのは、剣しかない。
カルディは静かに構え、夜の訓練を始めた。
振り下ろすたびに、今日のセリナの言葉が脳裏をよぎる。
――今は、剣術に集中したい。
その「今」を変えられるのは、時間でも言葉でもない。
結果だけだ。
翌日から、カルディの剣は明らかに変わった。
量も、質も、これまでとは比べものにならないほど研ぎ澄まされていく。
周囲は、彼の執念に気づき始めていた。
だが本人だけは、静かだった。
剣を握る理由が、ようやく一つに定まったからだ。
(逃げない。折れない。負けない)
セリナに振り向いてもらうためではない。
まずは、自分自身が、彼女の隣に立てる剣士になるために。
そうしてカルディは、誰よりも剣と向き合う日々へと踏み出していった。
二年生になってからのカルディは、以前にも増して目立つ存在になっていた。
剣術の腕前は確実に伸び、訓練場での立ち振る舞いには無駄がない。周囲の評価も自然と高まり、貴族の子弟たちの間では「やはりサランディーノ家の次男だ」という声が囁かれるようになっていた。
そんな中で、カルディは行動を起こす。
彼なりの、誠意の示し方だった。
最初は小さなものだった。
上質な革で仕立てられた手袋。
剣の手入れに適した希少な油。
遠征の際に役立つ護符。
どれも、剣術に打ち込むセリナの生活を思って選んだものだった。
だが……。
「受け取れないわ」
セリナは、いつも同じ言葉でそれを断った。
声音は柔らかく、態度も丁寧だが、そこに迷いはなかった。
「こんな高価なもの、必要ないもの。剣は、自分で鍛えるし、自分で整えるわ」
贈り物を差し出すたび、カルディはわずかに胸を締め付けられる。
拒絶されているのは、物だけではないと分かっていたからだ。
金でも、家柄でもない。
セリナが求めているものは、もっと単純で、そして厳しい。
それでもカルディは、引かなかった。
「君の邪魔をしたいわけじゃない。ただ……応援したいだけだ」
そう言って差し出した言葉すら、セリナは首を横に振る。
「応援なら、剣でして。私、弱い人に同情されるの、好きじゃないの」
その言葉は、厳しかった。
だが同時に、セリナが剣士として、どれほど真剣に自分を律しているかを物語っていた。
(……やっぱりだ)
カルディは、その拒絶に打ちのめされるどころか、逆に確信を深めていく。
この人は、簡単には揺らがない。
だからこそ、惹かれてしまったのだ。
それからも、カルディは何度か贈り物を試みた。
しかし、そのたびにセリナは同じように断り続ける。
ついにある日、セリナはため息交じりに言った。
「ねえ、カルディ。
そういうことを続けられると、正直、困るわ」
責める口調ではなかった。
むしろ、少しだけ疲れた声音だった。
「私は、剣術に集中したいの。それ以外のもので、私の気持ちを動かそうとしないで」
その言葉に、カルディは何も返せなかった。
否定できる余地がなかったからだ。
だが……それでも。
(……諦められない)
贈り物は断られても、気持ちまで否定されたわけではない。
そう自分に言い聞かせながら、カルディは剣を握り続けた。
セリナが求めている答えは、もうはっきりしている。
剣術大会という、逃げ場のない舞台で示すしかない。
贈り物を断り続ける日々の中で、セリナの態度は一貫していた。
拒絶はしても、突き放すことはしない。
距離は保ちながらも、剣士として、同じ学院で剣を振るう者として、カルディを正面から見ていた。
だからこそ、ある日の訓練後。
人気のない訓練場の片隅で、セリナは足を止めた。
「……カルディ」
名を呼ばれただけで、彼は背筋を伸ばす。
その声には、いつもの軽さがなかった。
「正直に言うわね」
セリナは木剣を肩に担いだまま、真っ直ぐに彼を見た。
「今のあなたの気持ちは、分かった。でも、私は剣術を最優先にしたい。中途半端な覚悟で、誰かと付き合うつもりはないの」
それは、はっきりとした線引きだった。
カルディの胸に、わずかな痛みが走る。
「でも」
セリナは一瞬だけ視線を逸らし、そして、決意を込めて続けた。
「条件がある」
その言葉に、カルディの表情が変わる。
拒絶ではない。だが、簡単な受諾でもない。
「次の剣術大会で、私に勝てたら……
その時は、付き合ってもいい」
静まり返った空気の中で、その言葉は重く落ちた。
剣術大会。
学院における、最も公平で、最も残酷な舞台。
「……本気で言ってるのか?」
カルディの問いに、セリナは迷いなく頷く。
「本気よ。剣で負ける程度の相手なら、私は尊敬できない。尊敬できない人と、私は付き合えない」
その言葉は、剣士としての矜持そのものだった。
期限は、三か月後。
次の大会まで、残された時間は多くない。
セリナにも、逃げ道はなかった。
自分で口にした条件だ。
もし負ければ、それは自分の剣が及ばなかったというだけの話になる。
(……負けられない)
セリナは、心の中でそう繰り返す。
剣術にすべてを賭けてきた自分が、剣で条件を出した以上、引くことは許されない。
一方、カルディもまた、剣を強く握り締めていた。
(追いつくだけじゃ、足りない。超えなきゃいけない)
これは取引ではない。
二人の誇りを賭けた、真正面からの勝負だった。
こうして、剣を通してしか結ばれない、危うくも純粋な約束が交わされた。
この瞬間から、二人の時間は、同じ一点へと収束していく。
剣術大会という、逃げ場のない未来へ向かって。




