学院1年セリナ編 第六十六章 セリナとの再会④ エアリスの問いかけ
「でもさ、ルーメンから見たら、やっぱり“お姉さん”なんだよね?」
その問いかけは、確認というよりも、理解をすり合わせるためのものに近かった。
「うん……まあ、そうだね」
ルーメンは素直に答えた。
「昔からずっと一緒にいたし、家でも外でも、セリナ姉はセリナ姉だから。強いし、頼れるし、すごい人だとは思ってるけど……恋愛とか、そういう目で見たことは一度もないかな、兄弟だし」
言葉にしてみて、自分でもはっきりと分かる。
それは距離が近すぎたからこそ生まれた感覚だった。
「そっか」
エアリスは、納得したようにうなずく。
「ルーメンにとっては、ずっと“家族”なんだね」
「うん」
血の繋がりだけではない。
一緒に育ち、喧嘩をして、守られて、守ってきた時間が、そういう枠を自然と作っていた。
「でもね、外から見ると、そういうのって分からないんだよ。剣術が強くて、美人で、ちゃんと自分の道を歩いてる女性って……それだけで、特別に見える」
「……なるほど」
ルーメンは、そこで初めて、昨日の昼食会の光景を思い返す。
カルディと並ぶセリナの姿は、確かに“姉”という枠を越えていた。
「ルーメンに姉としての一面しかみせてなかった、ってことは」
エアリスは、静かに言葉を続けた。
「それだけ、セリナさんが自分の世界をちゃんと持ってる、ってことでもあるんだと思うよ」
その言葉は、評価であり、少しの距離の確認でもあった。
ルーメンは、ゆっくりとうなずいた。
昼休みのざわめきが少しずつ遠ざかり、学院の中庭へ向かう回廊には、午後の柔らかな光が差し込んでいた。昼食を終えた後のこの時間帯は、生徒たちが思い思いに過ごすせいか、どこか気の抜けた空気が漂っている。ルーメンとエアリスも並んで歩きながら、さっきまでの食堂での出来事を自然と振り返っていた。
「ほんと、セリナ姉はすごいよね」
ルーメンがぽつりと言うと、エアリスは小さくうなずいた。
「うん。ああいう人が、ちゃんと想われて、選ばれてるっていうのも分かる気がするよ」
少し間を置いてから、エアリスは続けた。
同性だからこそ分かる、と言外に含ませるような口調だった。
「美人で、剣術も強くて、ちゃんと努力してて、それでいて優しい。正直、かなり理想的だと思う」
「……そうなんだ」
ルーメンは曖昧に返した。
彼にとってセリナは、どれだけ成長しても“姉”であり、それ以上でも以下でもなかった。だからこそ、周囲が語る評価と、自分の中の感覚との間に、どこかズレがあることを感じていた。
「ルーメンから見たら、ただのお姉さんかもしれないけどね」
エアリスはそう言って、少しだけ視線を逸らした。
その横顔には、さっきまでとは違う緊張が浮かんでいる。
しばらく沈黙が落ちた後、エアリスは不意に立ち止まった。
そして、覚悟を決めたように、ルーメンの方を向く。
「……じゃあさ」
声は、わずかに震えていた。
「ルーメン。私は、どう見えてるの?」
唐突な問いだった。
けれど、その一言には、軽い興味や冗談では済まされない重みがあった。
何気ない会話の延長を装いながら、実はずっと胸の奥に溜めていた疑問……その核心を、エアリスは今、差し出していた。
ルーメンは一瞬、言葉を失った。
(どう見えてる、って……)
頭の中で、いくつもの答えが浮かんでは消える。
幼馴染。一緒に育ってきた存在。信頼できる仲間。
けれど、それだけでは足りない気がして、逆に、どこまで言っていいのか分からなくなった。
彼女の目は真剣だった。
逃げ道を探すような視線ではなく、ただ、正直な答えを待っている目だった。
突然投げかけられた問いに、ルーメンは一瞬だけ視線を落とした。
考える時間が欲しかった、というより……考えずに答えてしまうのが怖かった。
(どう見えてる、か……)
言葉を選びすぎれば嘘になる。
軽く流せば、きっと後悔する。
だから彼は、飾らず、できるだけそのままの気持ちを言葉にしようと決めた。
「えっと……」
短く息を吐き、顔を上げる。
「エアリスは……もちろん、美人だと思うし、優しいし」
そこまで言ったところで、少しだけ照れたように視線を逸らした。
面と向かって言うには、あまりに率直すぎたからだ。
「それに、頼りがいがあって……僕のことを、すごくよく分かってくれてる人だと思う」
言葉を重ねるほど、胸の奥が落ち着いていくのを感じる。
これは、考えて作った答えじゃない。
ずっと前から、当たり前のようにそこにあった感覚だった。
「そうだね……」
ルーメンは少し考えるように間を置き、最後に、はっきりと告げた。
「エアリスは、とても大切な人だよ」
それ以上でも、それ以下でもない。
今の自分が出せる、正直な答えだった。
エアリスは、その言葉を聞いた瞬間、目を見開いたまま固まった。
次の瞬間、頬がじわりと赤く染まり、慌てたように視線を逸らす。
「うっ……そ、そうかな……」
声が、少し裏返っていた。
「……なんで、こんなこと聞いちゃったんだろ……」
自分で言い出したことなのに、急に恥ずかしさが込み上げてきたようだった。
それでも、エアリスは小さく息を吸い、ルーメンの方を見て、微笑む。
「でも……ありがとう、ルーメン」
その笑顔は、少し不器用で、けれど確かに嬉しそうだった。
「私にとっても……ルーメンは、とても大切な人だよ」
その一言に、言葉以上の感情が滲んでいた。
友達という枠だけでは収まりきらない、けれど今はまだ名前をつけない想い。
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
けれどそれは、気まずさではなく、互いの気持ちを確かめ合った後の、静かな余韻だった。
エアリスの言葉が、胸の奥に静かに残ったまま、二人はしばらく並んで歩いていた。
どちらからともなく話題を変えることはなく、沈黙が続く。けれど、それは気まずさではなかった。
(大切な人、か……)
ルーメンは、心の中でその言葉を反芻する。
エアリスは幼馴染で、同じ時間を重ねてきて、何度も助け合ってきた存在だ。
その関係性が変わったわけではない。
ただ、言葉にしたことで、輪郭が少しだけはっきりした……それだけのことなのに、不思議と胸が温かかった。
エアリスの方も、歩きながら何度か深呼吸をしていた。
顔の熱はまだ完全には引いていない。
自分から聞いた問いなのに、答えを真正面から受け止めてしまったことに、少し戸惑っている自分がいた。
(……でも)
聞いてよかった、とも思う。
少なくとも、自分が一方的に想っているわけではないと分かったから。
学院の廊下を行き交う生徒たちの声が、少しずつ現実を引き戻してくる。
剣術科の生徒、魔術科の生徒、商学や工学を志す者たち……それぞれが、それぞれの道を歩き始めている。
セリナは自立し、剣士として恋人を得た。
ルーメンは特別生として、新しい立場を与えられた。
エアリスもまた、学院という場所で、自分の居場所を探し始めている。
それでも……今はまだ、同じ速度で、同じ場所を歩いている。
その事実が、二人にとっては何より大きかった。
「……行こうか」
ルーメンがそう言うと、エアリスは小さくうなずいた。
「うん」
短い返事だったが、そこには迷いはなかった。
姉との再会。
恋人という新しい関係性の提示。
そして、自分たちの距離を確かめ合った、ささやかな会話。
それらすべてを胸に抱えながら、二人はそれぞれの教室へと向かっていった。
学院生活は、まだ始まったばかりだ。




