学院1年セリナ編 第六十五章 イーストレイク学院入学⑤ 新しい学院生活
職員室は、教室とは違う静けさに包まれていた。紙の擦れる音と、ペンを置く乾いた響きだけが、一定の間隔で耳に入ってくる。
アーネスト・マルチネスは、ルーメンを促して椅子に座らせると、いくつかの書類に目を通しながら、落ち着いた声で切り出した。
「では確認します。ルーメン君」
名前を呼ばれるたびに、ここが“評価の場”であることを強く意識させられる。
「癒し属性は神位。闇属性は上位。他の属性――火、水、風、土、光は聖位。ここまでの認識で、間違いはありませんね?」
淡々と並べられた言葉だったが、その一つ一つが、普通ではない内容であることは、ルーメン自身が一番よく分かっていた。
「はい。間違いありません」
そう答えながらも、どこか現実味が薄い。自分の力を説明されているはずなのに、まるで他人の話を聞いているような感覚だった。
アーネストは軽く頷き、視線を上げる。
「学院としては、この階位構成を正式に記録します。これは“優秀”という枠ではありません。明確に、規格外です」
言葉は厳密で、感情を挟まない。だからこそ、逃げ場がなかった。
「一般の生徒と同じ進度、同じ指導では、あなたの能力は埋もれるか、あるいは制御が追いつかなくなる可能性が高い。学院として、それは避けたい」
ルーメンは黙って聞いていた。
否定も驚きも、今は表に出す必要がないと直感的に分かっていたからだ。
(……こうして“数字”や“階位”として並べられると)
自分が、もう完全に同じ土俵に立っていないことを、改めて突きつけられる。
「分かりました」
短く、しかしはっきりと答えた。
評価されることよりも、学ぶことの方が大切だ。
ここで問われているのは、誇れるかどうかではなく、どう扱うか、どう進むか、なのだから。
アーネストはその返答を聞き、わずかに表情を和らげた。
「ええ。その姿勢があれば、問題ありません」
そう言って、次の書類に手を伸ばす。
話は、さらに具体的な“特別生としての扱い”へと進んでいく。
アーネストは書類を揃えると、改めてルーメンに視線を向けた。その目には、教師としての冷静さと、学院を代表する者としての責任がはっきりと宿っている。
「一般教養の授業については、他の生徒と同じ教室で問題ありません」
まずは、線を引くようにそう告げた。
「読み書き、歴史、算術、社会規範。そういった基礎は、特別生であっても共有すべきものです。学院は、多様な職業判定を受けた生徒が集う場ですからね」
魔術師だけの場所ではない。剣を取る者、商を学ぶ者、技を磨く者……その全てが、同じ基礎の上に立つ。その前提を、はっきりと示す言葉だった。
「ただし」
一拍置いてから、声の調子が変わる。
「魔術に関する授業は、別枠になります」
ルーメンは小さく息を吸った。想定していたとはいえ、実際に言葉にされると重みが違う。
「あなたの場合、聖位以上の属性を複数扱える。癒しに至っては神位です。通常の進度では、あなた自身が物足りなさを感じるでしょうし、周囲に合わせることで成長が鈍る恐れもあります」
合理的な判断だ。特別扱いというより、適正配置に近い。
「そのため、魔術の授業については、専任の魔術師による個別、または少人数制の特別授業を用意します」
専任……その言葉に、学院の本気を感じる。
「目的は一つです。可能な限り多くの属性を、神位に近づけること」
それは期待であり、同時に責務でもあった。
ルーメンは、迷わず頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
できることを、できる限りやる。それが、自分がここに来た理由だ。
アーネストはその返答を確認すると、静かに続けた。
「無理はさせません。しかし、甘やかしもしない。それが特別生への対応です」
その言葉は、宣告というより約束に近かった。
アーネストは一度書類に視線を落とし、それから思い出したように言葉を添えた。
「特別生向けの授業は、魔術だけではありません」
ルーメンは顔を上げる。
「結界術という科目があります。これは魔術師専用というより、学院全体として“危険を管理する技術”を学ぶためのものです」
その説明は、先ほどまでの高度な魔術談義とは少し趣が違っていた。
「イーストレイク学院には、剣術を学ぶ者、実戦訓練を受ける者、商や交渉を志す者、様々な生徒がいます。衝突や事故を完全に防ぐことはできません。だからこそ、空間を区切り、被害を限定する技術が必要なのです」
結界とは、防御魔術というより、秩序を保つための仕組み。そういう位置づけだった。
「結界術では、魔力の流れだけでなく、構造、配置、発動条件、解除手順などを体系的に学びます。暴走や事故を前提にしないための学問、と考えてください」
ルーメンは、以前リリィから借りた本の内容を思い出していた。理論として知ってはいるが、実地で学べる機会は貴重だ。
「受講します」
すぐに答えた。
アーネストは小さく頷き、続ける。
「もう一つ。授業とは別に、特別生には研究用の環境が提供されます」
研究室、資料庫、演習用の区画。名前を挙げるだけでも、学院が用意している幅は広い。
「使用は自由です。ただし、結果について学院が責任を負うことはありません。テーマ設定、進行、成果……すべて自己管理です」
裁量が与えられる代わりに、管理も任される。それは、生徒というより研究者に近い扱いだった。
「今は理解できなくても構いません。必要になったときに、思い出してください」
ルーメンは、その言葉を胸に刻むように頷いた。
学ぶ場所ではあるが、守られる場所ではない。
ここから先は、自分で選び、進む段階に入る。
そう静かに実感しながら、彼は次の説明を待った。
職員室を出ると、廊下の空気がわずかに変わったように感じられた。さっきまでと同じ建物、同じ床、同じ天井のはずなのに、足元が少しだけ遠くなった気がする。
特別生としての扱いを受けたという事実が、目に見えない線を引いたのだと、ルーメンは理解していた。
教室へ戻ると、すでに生徒たちはそれぞれの席に着き始めていた。エアリスは窓側の隣の席からこちらを見て、小さく手を振る。ルーメンも視線で応え、そのまま自分の席に腰を下ろした。
学院の授業は、思っていた以上に淡々と進んでいく。規則、施設の使い方、学年ごとの区分、評価方法。どれもが整然としていて、感情の入る余地がない。だがその無機質さこそが、ここが「学問の場」である証でもあった。
ここでは、誰がどこの出身かよりも、何を学び、どう積み上げるかが問われる。家柄も噂も、最初のうちは意味を持たない。持ち続けられるのは、結果だけだ。
ルーメンは静かに背筋を伸ばした。
魔術を学ぶ場所ではある。だが、それ以上に……自分という存在を、制度の中でどう扱い、どう位置づけるかを学ぶ場所なのだと、今なら分かる。
家族のいる家でもなく、村でもなく、研究室でもない。イーストレイク学院という環境が、彼の前に広がっている。
長い時間をかけて向き合う場所。逃げ場のない場所。そして、確かに成長できる場所。
ルーメンは、配られた資料を机に整えながら、胸の内で小さく息を吐いた。
……ここからが、本当の始まりだ。
学院生活の第一歩は、音もなく、だが確実に踏み出されていた。




