学院1年セリナ編 第六十五章 イーストレイク学院入学④ 担任
生徒たちが全員着席すると、教室の前方に一人の教師が立った。
落ち着いた佇まいの中年男性で、きっちりと整えられた身なりと、学院教師らしい節度がにじんでいる。
「改めて、入学おめでとう」
そう前置きしてから、教師は名を名乗った。
「私は、このクラスの担任を務める、アーネスト・マルチネスだ」
その名を聞いた瞬間、ルーメンはわずかに背筋を正した。
職業判定の後、学院側から断片的に聞いていた名前だったからだ。
アーネスト・マルチネス。
本来は特別生を専門に担当する教師。
学院でも限られた立場にある人物だと、リリィから聞いたことがある。
にもかかわらず、今はこうして一般生と特別生が混在するこの教室に立っている。
(……やっぱり、無理をさせているのかもしれないな)
ルーメンは、そう感じた。
アーネストは淡々と、学院生活の基本的な流れや、このクラスの方針を説明していく。
言葉選びは丁寧で、声も穏やかだが、時折、慎重さがにじむ。
特別生がいること。
しかし、それを特別扱いしすぎないこと。
同時に、能力差による問題が起きないよう配慮すること。
その一つ一つが、学院側の苦慮を物語っていた。
「このクラスには、特別生が在籍している」
アーネストはそう言って、一瞬だけ視線を後方に向ける。
ルーメンとエアリスの席のあたりだ。
だが、名指しはしない。
あくまで制度として、事実として伝えるだけ。
「だからといって、皆さんに余計な負担がかかることはない。必要な調整は、すべて学院側で行う」
その言葉に、教室の空気がわずかに緩んだ。
ルーメンは、その様子を静かに見つめながら思う。
自分の存在が、すでに制度を動かしている。
望んだわけではないが、それが現実だった。
(……ちゃんと、応えないとな)
この教室で学ぶ以上、特別生である前に、一人の生徒として。
そして、期待を背負う存在として。
アーネスト・マルチネスという担任のもとで、学院での本当の学びが、今まさに始まろうとしていた。
アーネストは、教卓の上に積まれた資料に手を置き、淡々と説明を始めた。
「イーストレイク学院は、様々な職業判定を受けた生徒を受け入れている」
その言葉に、教室の空気がわずかに引き締まる。
魔術師だけではない。剣術士、商人、学者、職人……この場には、進む道の異なる者たちが集められている。
「そのため、学院では“共通の行動規範”を重視している」
配布された資料には、授業中や実習時の注意、施設利用の制限、危険行為の禁止事項などが細かく記されていた。
内容は多岐にわたるが、どれも一貫している。
――無理をしないこと。
――独断で判断しないこと。
――異常や危険を感じた場合は、必ず教員に報告すること。
「剣術であれ、魔術であれ、商業実習であれ、判断を誤れば事故につながる」
アーネストの声は、特定の分野を指すものではなかった。
「学院は、才能を伸ばす場所であると同時に、事故を起こさないための場所でもある」
それは長年、多様な生徒を受け入れてきた学院だからこその言葉だった。
ルーメンは資料に目を落としながら、静かに理解する。
ここでは、突出した力よりも、まず“守るべき線”が示される。
イーストレイク学院は、特別な者だけの場所ではない。
異なる道を選んだ者たちが、同じ空間で学ぶための制度なのだ。
説明が一通り終わると、教室には落ち着いた空気が戻った。
華やかさはないが、確かな秩序を感じさせる始まりだった。
学院生活についての説明が一通り終わり、教室にざわめきが戻り始めた頃だった。
「――ルーメン・プラム・ブロッサム君」
担任であるアーネスト・マルチネスが、名簿に目を落としたまま名を呼ぶ。その声は淡々としていたが、教室の空気はわずかに揺れた。
「授業終了後、職員室まで来てください」
短い一言だった。理由の説明も、補足もない。ただそれだけで、周囲の視線が一斉にこちらへ向けられるのを感じる。
ルーメンは軽く頷き、「はい」と答えた。声は落ち着いていたが、胸の奥では小さな波紋が広がっていた。
(……やっぱり、か)
特別生として扱われることは、職業判定の時点で分かっていた。それでも、こうして改めて呼び出されると、自分が「同じ列」に立っていないという現実を突きつけられる。
エアリスが、隣の席からちらりとこちらを見る。
不安そうというよりも、「大丈夫?」と問いかけるような視線だった。
ルーメンは小さく頷き返す。それだけで十分だった。
やがて終礼の合図がかかり、生徒たちが一斉に立ち上がる。教室を出ていく流れの中で、ルーメンだけが足を止めた。
人の流れが去り、教室が静かになる。
その静けさが、これから始まる“別の扱い”をはっきりと告げているようだった。
ルーメンは鞄を持ち直し、深く息を一つ吐いてから、教室を後にした。
職員室へ向かう廊下は、まだ見慣れない学院の中でも、ひときわ長く感じられた。
――ここから先は、一般生としての時間ではない。
そんな予感だけを胸に抱きながら、ルーメンは歩を進めていった。




