学院1年セリナ編 第六十四章 職業判定② エアリスの職業判定
馬車が本格的に速度を上げると、車輪の音が一定のリズムで響き始めた。窓の外では、見慣れた街並みが少しずつ遠ざかっていく。その景色を眺めていたエアリスが、ふいに視線を落とし、小さく息を吸った。
「ねえ、ルーメン……」
呼ばれて横を見ると、エアリスは膝の上で両手をきゅっと組んでいた。指先に力が入りすぎて、少し白くなっている。
「私……大丈夫かな」
それは、とても弱い声だった。
普段、魔術の話になると自信に満ちている彼女とは、まるで別人のように。
「ルーメンはさ、何が何でも魔術の道に進むでしょ。それは、誰が見ても分かるし……」
一度言葉を切り、エアリスはゆっくりと続ける。
「でも、もし私に魔術以外の職業が出ちゃったら……どうしようって、ずっと考えちゃって」
視線は床に落ちたままだ。
「才能が足りないから、別の道に行きなさい、とか言われたら……その、いろいろ困るし……」
困る、という言葉の裏に、本当の意味が隠れているのが分かった。
それは生活の話でも、将来設計の話でもない。
「私は……これからも、ルーメンと一緒に、魔術の道に行きたいのに」
ようやく上げられた顔には、不安がはっきりと浮かんでいた。強がりも、冗談もない。
ただ、置いていかれるかもしれないという恐怖だけが、正直にそこにあった。
俺は一瞬、どう言葉を選ぶべきか迷った。
軽く励ますだけでは足りないし、無責任な断言もできない。
それでも……エアリスが今、欲しているのは、完璧な答えじゃない。
隣にいる俺が、どう思っているか。
それを伝えることだと、はっきり分かった。
馬車の揺れの中で、俺はゆっくりと口を開いた。
エアリスの不安が、そのまま空気に滲んでいた。馬車の揺れに合わせて、彼女の肩がわずかに上下する。強がろうとして、でも隠しきれなかった感情が、今ははっきりと伝わってくる。
俺は、言葉を選びながら、正直に話すことにした。
「……エアリスも、きっと魔術だよ」
そう言うと、彼女の視線が少しだけ揺れた。
「だって、俺が今まで見てきたエアリスは、ちゃんと魔術師だ。風も水も、しかも上位まで使える。才能がないなんて、そんなことあるわけない」
励ますための言葉じゃない。
本当に、そう思っているから口にした。
「それにさ……」
俺は一度、息を整えてから続けた。
「実は、俺だって、別の道が示される可能性はあるんだ。魔術って出るとは思ってるけど、それでも、何が出るかなんて分からない」
エアリスが、はっとしたようにこちらを見る。
「もしさ、俺に違う道が示されたとしても……それでも俺は、魔術の道に進むつもりだよ」
迷いはなかった。
「だから、もし何かあってもさ。二人で魔術の道に行こう。一人だと怖いけど……」
そこで、俺は少しだけ笑った。
「俺が一緒なら、少しは安心だろ?」
そのあと、エアリスの表情が、ゆっくりとほどけていくのが分かった。
「……うん」
小さく、でも確かな声だった。
「ルーメンが一緒なら……どんな道だって、乗り越えられる気がするよ」
不安が完全に消えたわけじゃない。
それでも、彼女の中に、さっきまでなかった“希望”が生まれたのは、はっきりと分かった。
馬車は、変わらずイーストレイクの学院へと向かって進んでいく。
その揺れの中で、俺たちはただ並んで座り、同じ未来を見つめていた。
馬車が減速し、やがて静かに止まった。
扉が開いた瞬間、目の前に広がった光景に、思わず息をのむ。
そこがイーストレイクの学院だった。
高い石造りの門。整えられた広場。その中央にそびえる、ひときわ大きな建物。
魔力を帯びた空気が、ここが「学びの中心」であることを否応なく主張していた。
周囲を見渡すと、すでに多くの子どもたちが集まっている。
年齢は俺たちと同じ十二歳前後。服装も出身もばらばらで、辺境の村から来た子もいれば、都市部の学校から来たのだろうと思われる子もいる。
その人数の多さに、胸の奥が少しざわついた。
(……こんなに、同い年がいるんだ)
今までの学校では、同い年はほんの数人だった。
それがここでは、何十人、いや、百人近くいるように見える。
職員の指示で、子どもたちは学校ごとに分けられて座ることになった。俺とエアリスは、自然と並んで腰を下ろす。
正面に視線を向けると、否応なく目に入ってくるものがあった。
――大水晶。
講堂の最前部、特別に設けられた台座の上に、透明で巨大な水晶が鎮座している。
陽光を受けて、内部で淡く光が揺れているように見えた。
ただそこにあるだけなのに、圧がある。
近づいていないはずなのに、魔力が肌を撫でるような感覚がした。
(あれが……職業判定の水晶)
あの水晶に触れ、祈り、未来を委ねる。それが今日の目的だ。
周囲の子どもたちも、同じように水晶を見つめている。
緊張した表情、落ち着かない仕草、無理に笑っている者。
俺は、エアリスの横顔を盗み見る。
さっきまでの不安は、完全には消えていない。
それでも、彼女は前を向いていた。
(大丈夫だ)
誰に言うでもなく、心の中でそう呟く。
ここから先は、逃げられない。
でも……逃げるつもりもなかった。
職業判定という儀式が、静かに、確実に始まろうとしていた。
やがて、講堂の前方に立っていた職員の一人が、一歩前に出た。
年配の男性で、落ち着いた声音が広場全体に行き渡る。
「これより、職業判定を行います。名前を呼ばれた者は前に出て、大水晶に両手を当ててください」
ざわついていた空気が、一斉に静まった。
「水晶に触れたら、深く息を吸い、自分が“なりたい職業”を強く思い描きなさい。祈るように、願うように。水晶は、その思いと資質を読み取り、職業を示します」
簡潔な説明だったが、その言葉の一つ一つが重く感じられる。
(なりたい職業……)
頭の中に浮かぶのは、ただ一つだった。
魔術師。
それも、半端なものじゃない。
リリィ先生の研究室で、魔術を究める未来。
それ以外の選択肢は、最初から存在していない。
視線を巡らせると、周囲の子どもたちは皆、緊張した面持ちで自分の番を待っている。
小さく手を組んで祈る者、目を閉じて集中する者、落ち着かずに足を揺らす者。
名前が呼ばれるたびに、一人、また一人と前へ進んでいく。
大水晶に触れ、淡く光り、表示が浮かび上がる。
剣士、商人、騎士見習い、魔術師……。
結果が告げられるたびに、小さな安堵や落胆の息が漏れる。
この場に流れる空気は、張り詰めていた。
未来が、一瞬で決まる場所。
俺は、無意識のうちに拳を握っていた。
(落ち着け)
自分に言い聞かせる。
結果がどう出ようと、進む道は決めている。
それでも……大水晶の前に立つ自分の姿を想像すると、胸の奥がわずかにざわついた。
そして、その時が、確実に近づいてきていた。
やがて、職員の口から呼ばれた名前に、エアリスの肩が小さく跳ねた。
「――エアリス・ゼフィラ」
一瞬だけ、こちらを振り返る。
その表情は強張っていたが、すぐに小さく息を整え、前を向いた。
背中越しでも分かる。緊張している。
エアリスは職員の指示に従い、大水晶の前に立った。
両手をそっと、水晶の冷たい表面に当てる。
目を閉じ、祈るように、願うように。
きっと彼女の頭の中には、俺と同じ未来が浮かんでいる。
(大丈夫だ……)
心の中で、そう呟く。
風と水。上位に届くほどの才能。
それを、俺は誰よりも近くで見てきた。
しばらくの沈黙のあと、大水晶が淡く輝いた。
光は穏やかで、しかし確かな強さを持っている。
そして、表示が浮かび上がる。
『魔術・魔術教師』
その文字を見た瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
エアリスは、しばらく水晶を見つめてから、ゆっくりと手を離す。
振り返ったその顔には、はっきりと安堵の色が浮かんでいた。
視線が合う。
俺は、何も言わずに、小さくうなずいた。
エアリスも、ほんのわずかに、でも確かに笑った。
未来が、繋がった。
そんな感覚が、静かに胸に広がっていく。
そして、間を置かずに、次の名前が呼ばれる。
「――ルーメン・プラム・ブロッサム」
今度は、俺の番だった。




