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リリィ編 第五十四章 リリィ先生を求めてイーストレイクへ⑨ リリィ先生の告白

リリィ先生は、しばらく右腕を見つめてから、静かに息を吐いた。その仕草だけで、これから語られる内容が軽いものではないと分かった。


「……ルーメンに、話しておかなければいけないことがあります」

そう前置きしてから、彼女は包帯に覆われた右腕を、わずかにこちらへ向けた。


「この右腕は、ただの怪我ではありません」

声は落ち着いているが、どこか硬い。


「魔力が“石”に変わっていく病……石化病、というものです」

初めて聞く名だった。だが、その言葉が持つ重さは、説明を待つまでもなく伝わってくる。


「魔素液をこぼした、という話は……半分は本当です。私、ドジなので。それで、すぐに拭き取ったんですけど、本来はこんなことになるような魔素ではないんです。でも、不思議なことにこうなってしまいました。神官もそれが原因だろうって……」


彼女は、言葉を選ぶように一拍置いた。

「石になります」

胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。

「教会にも通っています。でも……」

そこで、リリィ先生は小さく首を振った。


「今の教会の力でも、治すことはできません。できるのは、進行を遅らせることだけです。完全に止めることも、元に戻すことも……できないそうです」

“治らない”。その事実を、彼女は淡々と口にした。


「ごめんなさい」

謝罪が、先に来た。


「わざわざ来てもらって……研究室に来てください、なんて呼んでおいて……こんな話をすることになってしまって」

俺は思わず一歩近づいたが、言葉が見つからなかった。何を言えばいいのか、どうすればいいのか、全く分からない。


「……大丈夫です」

リリィ先生は、そう言って微笑もうとした。しかし、その笑みは、どこか無理に作られたものだった。


「まだ、右腕だけですから」

そう言い切ろうとした瞬間、彼女の顔色が、目に見えて悪くなった。

言葉より先に、異変が身体に表れていた。

“まだ”という言葉が、ひどく不安定に響いた。



その違和感に、最初に気づいたのは視線だった。リリィ先生の顔色が、さっきよりも明らかに青白い。無理に整えようとしていた呼吸が、浅く、速くなっている。俺は反射的に椅子の背に回り込み、肩越しに首元を見た。


そこに、あってはならない色があった。

首筋の一部が、淡い灰色に変わっていた。血色ではない。影でもない。肌そのものが、質感を失い、冷たい鉱物のように沈んだ色へと変わり始めている。光を受けても反射せず、まるで“生命の色”を拒んでいるようだった。


「……先生、これ……」

言いかけた俺の声に、リリィ先生は気づいたのだろう。ゆっくりと手を伸ばし、自分の首元に触れようとして、途中で止めた。


「……見えて、しまいましたか」

その一言が、重かった。

「本当は……右腕だけだと思っていたんです。少なくとも、昨日までは」

昨日、という言葉が胸に刺さる。進行が早すぎる。病というには、あまりにも急だ。


「石化病は、本来……こんな速度では進みません」

研究者としての声だった。冷静に、事実を並べようとする口調。しかし、その理性の奥で、確実に不安が膨らんでいるのが分かった。


「通常は、数年単位で、ゆっくりと……」

そこまで言って、言葉が途切れた。説明しようとするほど、異常さが際立ってしまう。


首筋の灰色は、まだ小さい。だが、それは“始まってしまった”証拠だった。右腕だけで止まるはずだった石化が、確実に内側へ、中心へと向かっている。


俺は、はっきりと感じていた。

これは、ただの病じゃない。

石化そのものよりも、その奥に潜む何か……不自然な力が、リリィ先生の体を内側から侵食している。その感覚は、魔力を通して、はっきりと伝わってきていた。


胸の奥が、嫌な音を立てて軋む。

“間に合わないかもしれない”。

そんな考えが、初めて現実味を帯びて浮かび上がった。



首筋の灰色を見た瞬間から、空気が変わった。いや、正確には、俺の感覚が、それを拒絶できなくなった。リリィ先生の体から、微かに、だが確実に“何か”が漏れ出している。魔力だ。ただし、普段彼女が操る澄んだそれとは、決定的に質が違っていた。


重い。濁っている。触れたくない感触。

「……これは……」

言葉にした途端、胸の奥がざわついた。空気中に漂う魔力が、皮膚の内側にまとわりつく。冷たく、嫌な感覚だ。俺は無意識に一歩前へ出て、魔力の流れを“視る”ことに集中した。


……噴き出している。

制御されていない魔力が、脈打つように、断続的に外へ溢れている。量は多くない。だが、質が異常だった。まるで、別の何かと混ざり合っているような、歪んだ波長。


「……すみません……」

リリィ先生が、小さく息を吐いた。その声に、研究者としての理性よりも、疲労と恐怖が滲んでいた。


「最近……魔力の制御が、上手くいかなくて……。集中すれば抑えられると思っていたんですが……」

違う。これは、集中の問題じゃない。


俺は、はっきりと理解した。これは“溢れている”のではなく、“押し出されている”。体の内側から、本人の意思とは無関係に、魔力が外へ追い出されている。その中心にあるのは、石化病そのものではない。


……“悪い魔力”。

イーストレイクへ向かう道中で感じた、あの不快な気配と、同じ質だ。街全体を覆っていた、原因不明の異常。その一端が、ここにある。


「先生……これ、ただの病じゃありません」

声が、少しだけ震えた。だが、誤魔化さなかった。


「石化病を引き金にして、何か別のものが……体の中で、増幅しています」

リリィ先生は、目を伏せたまま、しばらく何も言わなかった。その沈黙が、肯定の代わりだった。


「……だから、ルーメン君に……」

言いかけて、言葉を飲み込む。その仕草が、限界を示していた。


俺は、この瞬間、確信していた。

これは、放っておけば街を巻き込む。いや、もう巻き込み始めている。リリィ先生一人の問題ではない。時間がない。教会でどうにかできるかも分からない。それでも、今、取れる選択肢は一つしかなかった。

この場で、立ち止まってはいけない。


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