エアリス編 第三章 魔術の特訓 ~無詠唱魔術の開花~④ 父の言葉
リリィ先生のあまりの興奮ぶりに、僕は少しだけ気圧されてしまった。
(……そんなにすごいことだったのか。前世の知識で『慣れれば省略できる』なんて勝手に思っていたけど、この世界の理はもっと厳格だったんだな)
僕はリリィ先生の熱い視線を受け止めながら、冷静に答えた。
「……先生、ありがとうございます。でも、まずは父さんと母さんに相談させてください」
「えっ、あ……」
リリィ先生が、我に返ったように少しだけ肩の力を抜いた。
「僕はまだ、初位の魔法しか使えません。年齢もようやく五歳になったばかりです。……親が許してくれるかどうか、僕一人では決められません」
「……あ、……そう、そうよね……。ごめんなさい、ルーメン君。私、つい興奮して先走ってしまったわ」
リリィ先生は恥ずかしそうに頬を染め、僕の肩から手を離した。
「あなたはまだまだ、これからの成長が楽しみな子供だものね。……でも、私の本気は変わりません。今日、必ずご両親に聞いてみてください。私からも、お父様であるランダルさんにはお話しする機会を作りますから」
「はい、分かりました。リリィ先生、ありがとうございます」
僕は一礼して席に戻った。
横では、セリナ姉が口をあんぐりと開けて固まっている。
「ルーメン……、あんた、とんでもないことしちゃったみたいね……」
「そうみたいだね、セリナ姉」
窓の外、ルゼリアの丘を照らす夕陽は、昨日と同じように穏やかだった。
けれど、僕の周囲を取り巻く運命の歯車は、この日を境に、明らかにその速度を速めようとしていた。
リリィ先生から「無詠唱魔術」という驚愕の事実を突きつけられ、研究室への勧誘を受けたその日の夜。
プラム・ブロッサム邸の居間は、暖炉の火が爆ぜる音だけが静かに響く、緊張感に満ちた空間となっていた。夕食を終え、幼い妹エレナが母リオラの腕の中で寝息を立て始めたのを見計らい、僕は意を決して口を開いた。今日、学校の魔術の授業で起きたこと、リリィ先生の驚愕、そして彼女から提示された「研究室での特訓」という破格の提案について。
「……無詠唱、ですって?」
母リオラが、手に持っていた茶器を危うく落としそうになりながら声を上げた。彼女の穏やかな瞳が、かつてないほどの驚愕で見開かれる。
「ルーメン、本当なの? 私も長く生きているけれど、無詠唱魔術を実際に扱える人なんて、伝説の英雄譚以外では聞いたこともないわ! ……ねぇ、父さん。ルーメンを、この子の望む通り魔術の道に行かせましょう。リリィ先生のところで特訓を受ければ、この子はきっと、誰も見たことがないような偉大な魔術師になるわ!」
母さんの興奮した声が響く中、父ランダルは一人、腕を組んだまま深く沈黙していた。
その厳格な表情は、いつもの剣の師匠としてのそれよりもさらに険しく、息子への誇りと、それ以上に深い「親としての懸念」が渦巻いているように見えた。
「……父さん?」
僕が恐る恐る声をかけると、父はゆっくりと顔を上げ、僕を真っ直ぐに見据えた。
「ルーメン。お前に魔術の才があること、そしてリリィ先生がそれを見抜いたことは喜ばしい。だがな……」
父の声は、重厚な鐘の音のように居間に響いた。
「お前はまだ五歳だ。魔術という強大な力に魅了され、それだけに溺れてしまうにはあまりにも早すぎる。読み書きも算術も、そしてこの世界を生き抜くための『武』も、まだ学びの途上なのだ」
父は椅子を鳴らして立ち上がると、僕の肩に大きな掌を置いた。
「リリィ先生には俺から直接話しておく。だが、お前が彼女の研究室に完全に入り浸るような真似は許さん。お前が十二歳になるまでは、これまで通り学校へ通い、読み書き、算術、そして俺の教える剣術を最優先にしろ。男として、俺の息子として、あらゆる困難に対応できる土台を作れ。……それができなければ、魔術の特訓も許すわけにはいかない。すまんが、分かってくれるか、ルーメン」
父の言葉にある、不器用なまでの深い愛。ただ才能を伸ばすことだけが幸せではない。人として、このルシアークの世界で生きていくための「万全の基礎」を、この五歳の今から十二歳になるまでじっくりと築けという父の願いは、僕の心に強く響いた。
「……分かりました、父さん。十二歳になるまで、僕は学校で剣も座学も、魔術と同じくらい全力で取り組みます」
僕の答えを聞き、父ランダルは初めて安堵したように目元を緩めた。母さんも、父の想いの深さを察したのか、静かに頷き、僕たちを見守ってくれた。
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