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リリィ編 閑話

リリィ編

閑話


俺は、十一歳の誕生日を迎えた。例年と同じように家族は集まり、母さんの料理が食卓に並び、父さんがいつもの少し照れくさい声で「おめでとう」と言ってくれる。けれど、その日の誕生日は、これまでとは決定的に違っていた。セリナ姉の椅子が、空いたままだった。


視線を向けるたびに、そこに“いない”ことがはっきりと分かる。いつもなら、俺の隣に少し背筋を伸ばして座り、家族の様子を気にかけながら微笑んでいるはずの姉。その席が空白になっているだけで、部屋の中の空気が少し虚しく、同時に少し冷たく感じられた。学院へ進学したと分かっている。元気にやっているはずだと、頭では理解している。それでも、心は素直に納得してくれなかった。


エレナも、その空気を感じ取っているのだろう。食卓についたとき、少しだけ視線が泳いでいた。けれど、母さんが料理を並べ、父さんが「今日はルーメンの誕生日だぞ」と声を張ると、エレナはすぐにいつもの笑顔を取り戻した。無理をしているわけではない。ただ、幼いなりに、家族の空気を守ろうとしているのが分かる。その姿を見て、胸の奥が少しだけ締め付けられた。


エレナはあれからも、変わらずエレナだ。よく笑い、よく話し、時々甘えてくる。もうすぐ六歳になるというと、時間の流れの早さに驚かされる。ついこの間まで、俺の後ろをちょこちょこと歩いていた気がするのに、今では自分の足でしっかり立ち、家の中を走り回っている。セリナ姉がいなくなった穴を、エレナが埋めているわけではない。ただ、家族はそれぞれの役割を少しずつ変えながら、前へ進んでいるのだと感じた。


セリナ姉からは、時々手紙が届く。学院の生活、新しくできた友達のこと、村を出て初めて知った世界の広さ。文字から伝わってくるのは、忙しさと充実感だった。強い人がたくさんいて張り合いがある、と書かれていた行を読んだとき、俺は思わず笑ってしまった。姉らしい。剣を握ると、どこまでも真っ直ぐで、負けず嫌いで、でも楽しそうで。そんな姿が目に浮かんだ。


そういえば、と父さんが嬉しそうに話し出したのは、学院の剣術大会のことだった。一学年の部で、セリナ姉が優勝したらしい。父さんは「当然だ」と言いながらも、その表情は隠しきれない誇らしさに満ちていた。厳流型の踏み込み、陣越型の構え、背散型の間合いの取り方、父さんなりに分析を始め、まるで自分が戦ったかのように語る。その姿を見て、俺は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。イーストレイクの街の同い年の中で、姉は一番強い。その事実が、誇らしくもあり、少しだけ遠く感じられた。


俺は、あと一年ほどで学校を卒業する。誕生日を迎えたということは、それだけ時間が確実に前へ進んでいるということだ。最近、魔術の特訓は伸び悩んでいる。基礎は固まり、5属性のうち、癒しが聖位、他4属性と光属性は上位まで到達した。それでも、その先、聖位への道は、思っていたよりも遠く、険しい。エアリスやミリィと楽しく練習する時間は確かに大切だ。けれど、今の自分には、もう一段階、意識を引き上げる必要がある。


自然と頭に浮かんだのは、リリィ先生の顔だった。優しく、厳しく、そして誰よりも魔術の深さを知っている人。リリィ師匠と呼ぶにふさわしい存在だ。学院へ進学するまでの時間は限られている。だからこそ、伸ばせるところは、今のうちに徹底的に伸ばしたい。誕生日の夜、静かに天井を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。空いた椅子の向こうにある未来へ、歩き出す準備を、少しずつ整えながら。


食卓が片づけられ、家の中がゆっくりと静かになっていく。エレナは母さんに促されて先に寝室へ向かい、父さんは暖炉の前で剣の手入れを始めた。金属を磨く規則的な音が、家の奥で小さく響いている。その音を聞きながら、俺は自分の部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。


誕生日だという実感は、どこか薄かった。嬉しくないわけではない。ただ、喜びよりも先に、考えることが多すぎた。セリナ姉は、もう学院で結果を出している。剣術大会での優勝。その事実は誇らしいと同時に、俺自身の立ち位置を強く意識させた。俺は、まだここにいる。あと一年、この街で学び、準備を重ねてから、ようやく学院へ向かう立場だ。


最近の魔術の特訓を思い返す。癒しが聖位、4属性と光属性が上位に到達したときは、確かな手応えがあった。けれど、それ以降は、同じことを繰り返している感覚が拭えない。詠唱の精度、魔力の流し方、維持の安定性。どれも致命的に欠けているわけではないのに、あと一歩がどうしても越えられない。自分の中に、見えない壁が立ちはだかっているようだった。


エアリスやミリィと一緒に練習する時間は、今でも楽しい。互いに声を掛け合い、時には笑い合いながら魔術を組み立てていく。その時間が無駄だとは思わない。むしろ、心を支えてくれている大切な時間だ。ただ、それだけでは足りないという感覚が、日に日に強くなってきていた。学院へ行けば、今以上に高いレベルが当たり前になる。そこで立ち止まらないためには、今のうちに、自分を一段引き上げておかなければならない。


自然と、思考は一人の人物に辿り着く。リリィ先生。俺にとって、最初に“魔術の奥行き”を教えてくれた人だ。優しい声で励ましながら、決して妥協はしない。できない理由ではなく、できるための道筋を示してくれる。その姿勢は、子ども扱いをしない、真の指導者のそれだった。いつの間にか、先生という呼び方では足りなくなり、心の中では“師匠”と呼ぶようになっていた。


聖位の魔術は、知識だけでは辿り着けない。魔力の量や適性以上に、心の持ち方、魔力との向き合い方が問われる領域だ。だからこそ、独学で踏み込むのは危険でもある。ならば、頼るべき相手は一人しかいない。リリィ師匠のもとで、基礎から、そしてその先まで、徹底的に鍛え直す。その決意が、胸の奥で静かに形を成していった。


ベッドに仰向けになり、天井を見上げる。今日は誕生日だ。節目の日だからこそ、覚悟を決めるにはちょうどいい。セリナ姉の背中を、ただ追いかけるだけではなく、自分自身の道として魔術を極める。そのために、今できることを、すべてやる。そう心に決めた瞬間、不思議と胸の中が静かになった。


明日から、動き出そう。リリィ師匠に会いに行き、今の自分を正直に見せ、足りないものを教えてもらう。怖さがないわけではない。だが、それ以上に、前へ進みたいという気持ちが強かった。誕生日の夜は、そんな決意とともに、ゆっくりと更けていった。


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