表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

215/246

ソアラ編 第五十一章 セリナの旅立ち① セリナの剣術

第五十一章 セリナの旅立ち


職業判定が終わってからというもの、セリナの日常は、ほとんど剣の時間に塗り替えられていた。

朝。空気がまだ冷たさを残す時間帯から、庭に立つ。

剣を握る手の感触は、もう何年も前から身体に馴染んでいるはずなのに、その日はどこか違っていた。


向かいに立つのは、父・ランダル。

剣術師範としての厳しさと、父親としての静かな眼差しを併せ持つ存在。

「来い」

短い言葉。それだけで、空気が引き締まる。

セリナは、深く息を吸い、踏み込んだ。

鋭い踏み込み。無駄のない剣筋。

だが、ランダルは、それを正面から受け止め、弾き返す。

「甘い」

一合。二合。三合。

何度、打ち合っただろう。


セリナは倒される。地面に膝をつき、息を乱す。

それでも。「……まだです」立ち上がる。

汗が頬を伝い、腕は重く、足は鉛のように感じる。

それでも、視線だけは、決して父から逸らさなかった。


(負けられない)

理由は、もう言葉にする必要もない。

学院に行く。家を離れる。守られる側でいる時間は、終わる。

ならば、今の自分にできるすべてを、ここに置いていく。

再び踏み込む。倒される。また、立ち上がる。何度も、何度も。

ランダルは、口数少なく、それを見ていた。

剣を振るうたびに、娘の中の何かが、確実に変わっていくのを感じていたからだ。

技の鋭さだけではない。速度でも、力でもない。気迫。


「……今日は、違うな」

ふと漏れた、ランダルの低い声。

セリナは答えない。答える余裕など、ない。

ただ、剣を握り直し、再び構えた。


(倒されてもいい)

(立てなくなるまで、やる)

その覚悟は、剣筋に、はっきりと現れていた。

父だけは、確かに感じていた。

(……いよいよだな)

娘が、「剣士として、一段階上へ行く瞬間」がすぐそこまで来ていることを。



それは、ある日の稽古の終盤だった。

何度目かも分からない打ち合いのあと、セリナは息を整えながら、静かに剣を構えた。

肩の上下は、もう大きい。腕の感覚も、限界に近い。

それでも、視線だけは、冴えきっていた。


(ここだ)

理由は分からない。けれど、身体の奥で、何かが「今だ」と告げていた。

踏み込みは、これまでより半歩だけ深く。剣を振り上げる角度は、僅かに低い。

厳流型。

これまで何百、何千と振るってきた型。


だが、その一太刀は、これまでとは明らかに違っていた。

空気が、割れる。

剣筋が、一直線に走り、無駄な力が、一切ない。

ランダルの剣が、それを受け止めるはずだった。

だが、わずかに、遅れた。

防いだ。確かに防いだ。

それでも、衝撃が、腕の奥まで突き抜ける。

ランダルは一歩、下がった。

それだけで、この一太刀が、どれほど完成度の高いものだったかは、十分すぎるほど伝わっていた。

静寂が落ちる。

セリナは、肩で息をしながら、剣を下ろす。

(……届いた?)

不安と、期待が、入り混じる。

ランダルは、ゆっくりと剣を収めた。そして、短く告げる。


「厳流型……聖位だ」

その言葉は、飾り気がない。

だが、重みだけは、揺るがなかった。

セリナは、一瞬、言葉を失った。

聖位。

剣術において、努力だけでは届かない場所。

技・気迫・理解、すべてが揃って、初めて認められる段階。

「……本当、ですか」

かすれた声で、そう問う。

ランダルは、頷いた。


「間違いない」

そして、少しだけ表情を和らげる。

「陣越型と背散型は、まだ上位だが……」

言葉を区切り、続けた。

「もう少しだ。どちらも、聖位に届く」

その一言で、セリナの胸に、熱いものが込み上げた。

(……やっと)

誇りでも、慢心でもない。

積み重ねてきた時間が、ようやく形になったという実感。

剣を握る手に、自然と力が戻ってくる。

「ありがとうございます、父さん」

深く、頭を下げる。

ランダルは、何も言わず、ただ頷いた。

だが、その背中は、どこか誇らしげだった。

(ここまでは、来た)

でも、学院で待つ世界は、まだ、この先にある。

セリナは、剣を見つめながら、静かに思う。

(ここからが、本当の始まり)

剣士として。そして、家を離れ、一人で歩く者として。



家の中の空気が、少しずつ変わっていったのは、セリナの剣が確かな到達点に辿り着いた頃からだった。

母は、落ち着かない様子で家の中を行き来していた。

布を広げては畳み、また別の布を取り出しては、長さを確かめる。


「それ、もう三回目よ」

エレナが不思議そうに言っても、母は「そうだったかしら」と曖昧に笑うだけだった。

学院寮への進学。引っ越し。娘が、家を出る。

分かっていたはずの出来事なのに、実際に日が近づくと、気持ちは追いつかない。

それでも、母は止まらなかった。

必要な物を一つずつ揃え、足りないものがあれば書き出し、夜遅くまで準備を続ける。

その背中を見ながら、セリナは、胸の奥が少しだけ締めつけられるのを感じていた。

(……心配、してるんだよね)

それは分かっている。だからこそ、言葉にするのが、少し難しい。


そして、引っ越し前夜。

食卓には、いつもよりずっと多くの料理が並んでいた。

肉料理。煮込み。焼きたてのパン。香草の香りが立ちのぼるスープ。

まるで、誕生日の夜のようだった。

「そんなに作らなくてもいいのに」

セリナがそう言うと、母は少しだけ目を伏せてから、笑った。

「いいの。今日は特別なんだから」


特別。その言葉に、家族全員が黙り込む。

父は静かに席に着き、ルーメンはどこか緊張した面持ちで背筋を伸ばし、エレナも、どこか緊張した様子で、料理を見回していた。

食事が始まると、最初は他愛ない話ばかりだった。

剣術の稽古の話。学院の噂。エレナの最近の魔術の調子。

けれど、笑い声の合間に、何度も、言葉が途切れる。

誰もが分かっていた。今日は、ただの夕食じゃない。

食事の終わりが近づくにつれ、セリナの胸の奥で、ある決意が、静かに形を持ちはじめる。

(ちゃんと、言わなきゃ)

言葉にしなければ、伝わらない想いがある。

この家で過ごした時間。支えられてきた日々。

そして、明日から始まる、新しい道。

セリナは、食事をやめ、ゆっくりと顔を上げた。

家族全員の視線が、自然と集まる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ