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ソアラ編 第五十章 謝罪とエアリス② ソアラとエアリス

いつもの川辺だった。

水の流れも、風の匂いも、空の色も、何一つ変わっていないはずなのに、

ルーメンには、その景色が少しだけ違って見えた。

(……もう、戻らない)

同じ日を繰り返す世界ではない。

ここは、確かに“次の日”だ。

川辺の奥に、人影が見える。


ソアラだった。

二人が近づくのに気づくと、彼女は一瞬だけ息を呑み、それから、まっすぐこちらを見た。

逃げない。視線を逸らさない。

その姿を見た瞬間、ルーメンの胸に、微かな緊張が走る。

(……覚悟、決めてきたんだな)


ソアラは、一歩前に出る。

そして、深く、深く、頭を下げた。

「ルーメン君と、エアリスちゃんに……きちんと、謝らせてください」

声は震えていない。だが、落ち着きすぎているほどだった。

(……逃げ道を、自分で塞いでる)

ルーメンはそう感じる。

隣で、エアリスが小さく息を吸った。

感情を抑え込もうとしているのが、はっきり分かる。


ソアラは顔を上げず、そのまま続けた。

「ルーメン君、エアリスちゃん、本当にごめんなさい」

川の音だけが、間を埋める。

(……謝ってる)

当たり前の事実なのに、それだけで、胸の奥が少しだけ軋んだ。

「特にルーメン君には……命が危ない状態にさせてしまったわ」

その言葉が出た瞬間、エアリスの拳が、ぎゅっと握り締められる。

(……それを、今さら……)

怒りと恐怖が、混ざったまま滲み出る。

ルーメンの脳裏にも、意識が遠のいたあの感覚が、微かに蘇った。

(……確かに、危なかった)

否定できない事実だった。



「そして、エアリスちゃんには、とても不愉快な思いをさせてしまった」

ソアラの声は、ここで少し掠れた。

エアリスは唇を噛みしめる。

(……不愉快、なんて言葉じゃ済まない)

一歩間違えば、ルーメンを失っていたかもしれない。


「こんな、みすぼらしい私に……家庭環境を変えてくれて、魔術も教えてくれて……」

その言葉を聞きながら、ルーメンは胸の奥で、わずかな痛みを覚える。

(……また、自分を下に置いてる)

助けたかっただけだ。見捨てられなかっただけだ。

それを“恩人”と呼ばれるほどのことをした覚えはない。


「その恩人に、私は……とても酷いことをしてしまいました」

深く、息を吸う気配。

その背中が、ほんの少しだけ震えた。


「許して、なんて言えません」

その一言は、誰に向けた言葉なのか分からなかった。

ルーメンたちか。それとも、自分自身か。


「でも……謝罪だけは、受け取ってください」

そして、もう一度。

「……ごめんなさい」

頭を下げたままのソアラの背中は、先ほどよりも、さらに小さく見えた。

(……やっと、ここまで来たんだ)


ルーメンの胸に浮かんだのは、怒りでも、拒絶でもなかった。

長い時間、孤独と責任と恐怖を抱え続けてきた人間の重さ。

それを、ようやく言葉にできた、そんな感覚だった。

だが、隣に立つエアリスの空気は、はっきりと冷たい。

怒りは、まだ消えていない。

(……私は、簡単には許せない)

その感情が、はっきり伝わってくる。

この謝罪が、すぐに受け入れられるものではないことを、ルーメンも痛いほど理解していた。

それでも。ここが“始まり”であることだけは、誰の目にも明らかだった。

川辺の空気は、張り詰めたまま。



沈黙は、ほんの一瞬だった。

張り詰めた空気を、真っ先に破ったのは、エアリスだった。


「……ふざけないで」

低く、抑えた声。

けれど、その一言に込められた怒りは、川の流れよりもはっきりと重かった。


「ソアラは、ルーメンに……恩人のルーメンに、あんな酷いことをしたんだよ!」

その瞬間、ソアラの肩が、びくりと跳ねた。

頭を下げたまま、逃げ場のない位置で、その言葉を受け止める。


「自分のしたこと、分かってる!?」

エアリスの声は、震えている。怒りだけじゃない。恐怖と後悔が、ない交ぜになっている。


「ルーメンの命も、危険な状態だったんだからね!」

その言葉が放たれた瞬間、ルーメンの胸が、ぎゅっと締め付けられた。

(……エアリス)

あの時、彼女がどれほど必死だったのかを、ルーメンは知っている。

ソアラは、何も言わない。否定もしない。弁解もしない。

ただ、真正面から、エアリスの怒りを受け続けていた。

(……逃げない)

それだけで、ソアラがこの場に立っている意味が伝わってくる。

だが、エアリスの怒りは止まらない。



「謝ったどうこうの問題じゃないんだよ!」

エアリスは一歩踏み出す。


「それに……ルーメンもルーメンだよ!」

その矛先が、今度はルーメンに向いた。


「水に流して忘れようなんて、私には……私には、できない!」

その言葉に、ルーメンは、何も言い返せなかった。

(……正しい)

怒りとしては、あまりにも正しい。

もし立場が逆だったら。

自分がエアリスの側だったら、同じことを言っていたかもしれない。


ソアラは、ようやく顔を上げた。

その瞳には、涙はない。

だが、確かに、揺れていた。

(……私は、責められて当然)

逃げたい気持ちはない。

この怒りを受け切らなければ、前には進めない。

それが、彼女自身にも分かっていた。

ソアラは口を開こうとして、けれど、言葉を飲み込んだ。

ここで何を言っても、言い訳にしかならない。

ルーメンは、二人の間に立つ形になり、静かに息を吸う。

(……今、止めないと)

このままでは、怒りが怒りを呼び、誰も救われない。

エアリスの怒りも、ソアラの後悔も、どちらも本物だ。

だからこそ、ここで必要なのは、断罪ではない。理解だ。


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