ソアラ編 第四十九章 夢と救い③ エアリスvsソアラ
違和感は、最初から“音”ではなかった。
エアリスは、川辺へ向かう途中で、ふと足を止めた。
(……変)
風属性の魔術師として、空気の流れには人一倍敏感だ。
けれど今、感じ取ったのは風ではない。
魔力。それも、一点へ向かって流れ込む、不自然な流れ。
(……ルーメン?)
胸の奥が、嫌な予感で締めつけられる。
急ぐ。理由は分からないが、身体が先に動いていた。
川辺に着くと、そこには、見慣れた光景があった。
ソアラが座り、その膝に、ルーメンが頭を預けている。
眠っているように見える。呼吸も、穏やかだ。
「……ルーメン?」
声をかけても、反応がない。
その瞬間、エアリスは、はっきりと“異常”を感じ取った。
(……魔力が、ない)
正確には、“ほとんど感じられない”。
あれほど濃く、安定していたルーメンの魔力が、抜け殻のように薄い。
代わりに、ソアラから、膨大な魔力の気配。
それは、彼女自身の量を明らかに超えていた。
流れを、見る。
視界の奥で、魔力の筋が、一本に収束している。
方向はソアラ。
「……何をしたの?」
エアリスの声は、低かった。
ソアラは、穏やかな表情のまま振り返る。
「何って……疲れて眠ってるだけよ?」
自然な答え。嘘をついているようには見えない。
けれど、……誤魔化してる?
魔力の流れは、嘘をつかない。
「魔力の流れを見れば分かる」
エアリスは、一歩踏み出す。
「ルーメンから、あなたに、あり得ない量が、流れてる」
ソアラの表情が、一瞬だけ、揺れた。
ほんの一瞬。だが、エアリスは見逃さない。
「知らないわ」
すぐに、視線を逸らす。
「そんなこと、してない」
(……危険だ)
直感が、叫ぶ。
これは、説明を待つ状況じゃない。
「ルーメンに、癒し魔術をかける」
エアリスがそう告げると、ソアラの空気が、変わった。
「……だめ」
低く、強い拒絶。
「必要ないわ」
その言葉と同時に、魔力の流れが、さらに強まる。
(……拒否、じゃない)
(……独占)
エアリスの中で、怒りが、はっきりと形を持った。
「……離れて」
一歩、距離を取る。
「……ウインドカッター」
鋭い風の刃が、一直線に放たれる。
次の瞬間。ソアラの目が、大きく見開かれた。
「……っ!」
咄嗟に放たれる、同じ魔術。
二つの風刃が、空中で激突し、霧散する。
(……反撃してきた)
エアリスは、確信する。
これは事故じゃない。無自覚であっても。
(……やってる)
再び、風が唸る。
この先は、退けない。
次は本気の攻防 だった。
風が、唸りを上げた。
エアリスが放った二撃目のウインドカッターは、先ほどとは明らかに質が違っていた。
速さではない。鋭さでもない。……意志だ。
「……やめて!」
ソアラの声が、初めて強く響く。
その声には、怯えと、焦りと、そして、奪われることへの恐怖が混じっていた。
だが、エアリスは止まらない。
(離させる)
(今すぐ、引き剥がす)
その一点だけを胸に、風を重ねる。
「……ウインドカッター」
三度。空気が裂け、草がなぎ倒される。
ソアラは慌てて詠唱を始める。
「……ウインドカッター!」
刃と刃がぶつかり、空中で弾けた。
だが、相殺にはならない。
エアリスの風は、“守る”ための魔術だった。
対して、
ソアラの風はルーメンを失わないために、必死に振るわれた力。
その差は、決定的だった。
四撃目。エアリスの風が、ソアラの防御を突き破る。
「っ……!」
衝撃で、ソアラの身体が大きくよろめく。
その瞬間。魔力の流れが、乱れた。
一点に集中していたはずの流れが、わずかに、揺らぐ。
エアリスは、その隙を逃さない。
「……今だ」
ルーメンの傍へ駆け寄り、膝をつく。
「ルーメン……!」
触れた瞬間、はっきりと分かる。
(……空っぽ)
魔力が、ほとんど残っていない。
このままでは、精神が戻らない。
エアリスは、躊躇なく手を重ねた。
「……私の、使って」
魔力を、そのまま流し込む。
風の属性を持つ、澄んだ、温かな魔力。
(戻って……)
(帰ってきて……)
必死な願いが、そのまま流れになる。
背後で、ソアラが息を呑む気配がした。
魔力の供給が断たれたことを、本能で察したのだろう。
「……いや……」
震える声。
「返して……」
だが、エアリスは振り向かない。
(返さない)
(この人は、あなたのものじゃない)
最後に、強く魔力を送り込む。
その瞬間、世界が、ひとつ、軋んだ。
夢の中。
穏やかな家が、軋み始める。
壁に、亀裂が走る。
テーブルが揺れ、カップが音を立てて倒れる。
吹くはずのない風が、部屋を貫いた。
カーテンが裂け、光が、異物のように差し込む。
「……ルーメン……?」
ソアラの声が、遠くなる。
そして、世界が、崩れた。
ルーメンの指が、ぴくりと動いた。
まぶたが、ゆっくりと、開いていく。
「……あれ……」
霞む視界の中で、最初に映ったのは、必死な顔の、エアリスだった。
「……エアリス……?」
その声を聞いた瞬間、エアリスは、深く息を吐いた。
「……やっと……」
涙が、ぽろりと落ちる。
ソアラの姿は、もう、そこにはなかった。
風は、止んでいた。
そして、ルーメンの中で、何かが、はっきりと形を持ち始めていた。
(……今のは……)
(……吸われてた……?)




