第4話 別れと出会い
◆◆◆
「……サーディン。レイナス王子がこのような指摘をしているわ。親衛隊として反論の弁はあるかしら? 貴方はサラリア離宮からの書類を確認していたの?」
重苦しい空気の中で気怠げな声が拡がる。主たるマリアベルが親衛隊の中でも古参である忠臣の一人に問う。
問われた臣。老齢の男サーディンは、露呈してしまった親衛隊の落ち度に対して、主の中で怒りの火が猛っているのをはっきりと理解しているが故に、まるで刑の執行を待つかのような心持ちで応じる。応じないわけにはいかない。
「サ、サラリア離宮から連絡があったことは確認しておりました。しかしながら、定期報告の類と誤認して内容を見過ごし、通常通りの手配にて済ませていたようです。こ、今回の一件については、妃殿下の公務を取り仕切る私の失態でございます」
主に頭を垂れ、サーディンは自らの非を認めて謝罪する。この場ではそれ以外の選択肢などない。自己保身の弁明などできようものか。
「つまり、普段の執務の延長として、思い込みによってサラリア離宮からの書類を見逃したというわけね」
「……面目次第もございません」
「そう」
マリアベルとしては当然に面白くない。自身の落ち度もだが、信頼していた親衛隊があまりにも稚拙で初歩的なミスをしていた事実に、怒りよりも羞恥を覚える程だった。
ただ、この度の親衛隊の失態を彼女はまだ軽く考えていた。
『ミスをしてしまったのは仕方がない。これからは引き締めなければ』……と。
マリアベル第一王妃殿下の怒りは猛っているが、忠臣である親衛隊の面々をその怒りの火で焼き尽くそうとまでは思わない。身内への甘さ。強く叱責はしても、厳罰に処す気はなかった。
次があることを疑いもしない。謀略に食い荒らされるがままになる、この先のデイル王国を象徴しているとも言える。
「マリアベル第一王妃殿下。散々悪しざまに貶した俺が言うのも何ですが、親衛隊への叱責なり罰なりについては、主従だけの場で行う方が良いでしょう。この会談に意味がないと理解して頂けたようなので、部外者の俺はこれにて失礼したいのですが……」
「え? え、えぇ。確かに今ここでレイナスと語り合い、どのような言質を取ったところで……もはやアリア嬢との婚約解消は決定事項なのね? 私の印が押された書類は王室庁へ回され、陛下が御裁可されたのでしょう?」
「はい。少なくとも俺はそう聞いています」
母と子。王妃と王子のこの度の会談は終幕。この先はマリアベルと親衛隊の問題であり、ここらが切り上げ時だとレイナスは判断した。
と、マリアベルと親衛隊は思っている。
特に親衛隊の面々などは、この会談を終えること自体に何を思うわけでもないが、一連のやり取りで、齢八つの王子に手玉に取られていた事実に懊悩するばかり。
「分かったわ。場を辞することを認めます。……この度の一連の差配について、第一王妃にあるまじき醜態を晒したことを詫びましょう。ただ……レイナス。改めて貴方が、王室に籍を置く者としての自覚と聡明さを持つと知れたのは幸いでした」
「過分な評価ですが、ここは素直に受け取っておきます。マリアベル第一王妃殿下……いえ、母上。ありがとうございます」
ソファから立ち上がり、ぴしりと頭を下げるレイナス。それは最大限の感謝の意を表明する儀礼として。
今なお頭を垂れたままで動くことのできないサーディンとは、似た姿勢ながら対照的だ。
「(苦言を呈し、親衛隊の面子を潰しただけになってしまったが……それでも、母上と話ができたのは良かった……)」
レイナスの思いはマリアベルとは違う。
彼の胸に去来するのは万感にして惜別たる思い。それはこの場を辞することだけに非ず。
かつての世界では、レイナスの愚かさとマリアベルの頑迷さにより、王宮内に派閥と確執を生んでしまった。
王子は大罪人となり、王妃はデイルを襲う災禍の中、心労が祟って倒れ、そのまま帰らぬ人となる。
永遠に失われてしまった、かつての親子関係を〝この世界〟でやり直すこともできる。できなくもない。
「(……あぁ、母上。俺はかつての世界に続きこの世界でも、貴女にとっての良い息子、良い王子に成れない親不孝者です。今さら許して欲しいとは言いません。どうか……どうかその日を迎えるまでお元気で……さようなら母上)」
だが、レイナスは拒む。なにも知らぬ振りをして、この世界で平穏に生きる道を捨てた。
彼はデイルを蝕む輩を道連れにして逝く。
◆◆◆
マリアベルの私室を御暇し、王族の私的な居住空間である奥の間の出口へと歩を進めながらレイナスは考えていた。
母のことを。
「(母上やその親衛隊の実務能力が低いのはあっちでも知られていたが、問題は放置されていた。第一王妃という立場の相手に対して、誰も彼もが及び腰となり、真っ向から問題の解決に取り組まなかった。もっとも、陛下ですら面倒を避けて強く指摘しなかった以上、他の者たちを責めるのもおかしな話だが……)」
かつての世界において、第一王妃マリアベルの執務の評価は芳しくなかったのだが、元よりデイル王国においては〝王妃〟に執務能力の高さなどはあまり求められていない。
血統と資質の継承。
つまり、より良い魔導の才を発現する子を産むことこそが、王と王妃に求められる最優先の〝公務〟だ。
それ以外の執務については、王妃自身が学びと経験を重ねてどうこうするというよりも、配下の者にやらせれば良いとされている。
王妃という立場で取り扱う公務は数こそ多いが、そのほとんどが定例のものだからこそ。
もちろん、重要度が高い事務処理などもあるにはあるが、そのような案件はそもそも王妃単体ではなく、同時にデイル王や王室庁の裁可が求められ、十重二十重に確認される。
そのような背景もあり、当初はマリアベルにも執務代行のために能力が高い官吏たちが宛がわれていたのだが、口煩く生真面目な官吏を嫌い、マリアベルは王室庁から回されて来た者たちを遠ざけた。
古参の者や実家に縁のある者たちばかりを親衛隊として登用し、周りを固めていく。
第一王妃は王子を産み、王妃としての最重要の公務は果たした。
彼女の選り好みの影響が強い親衛隊にしても、定例の執務は大過なく行えている。
マリアベルの執務について、陛下や王室庁から公的な叱責があるわけでもない。
「(皆が母上や親衛隊を甘やかしてしまった。その結果がルークの立太子への反発であり、第一王妃派と第二王妃派という王宮内での対立構造だ。その上、事務処理の拙さに付け入られ、ダリジャン一派やマウクト神聖国の息の掛かった者どもの策謀と見抜けず、安易に許認可を出して利用される有様。今回の件にしても、まさかこんなに簡単に引っ掛かるなんてな)」
レイナスはシャーニを言いくるめ、あくまでも通常通り、定期報告の様式でマリアベル陣営へ問い掛けるように手配した。試した。
だが、ここまで綺麗に引っ掛かるとは思っていなかったのも事実。
少しは期待していたのだ。
流石に再度の打診で気付くだろうと踏んでいたのだが、すんなりと婚約解消の具申は通ってしまう。
結果は彼の望むところではあるが、その過程は悪い意味での想定外だった。
かつての記憶がにわかに蘇る。
ルークの立太子を拒んでいたマリアベルとレイナス。
徒党を組んで派閥を気取ってはいたが、実のところ、周囲からは生暖かく哀れみを掛けられていたに過ぎなかっただけ。周りの者たちが、しつこく駄々を捏ねる幼児に根負けしたようなもの。
目を逸らし、皆がまともに相手をしなかったためか、マリアベルは王宮内で更に更にと孤立を深めていく。そうした中、甘言を囁いてすり寄って来た売国奴や侵略を企む敵たちに利用されてしまった。
「(特権的な立場にある者は、相応の能力と責任が求められる。個人の感情……快不快で無軌道に特権を振りかざしていいはずがない。俺はそんな当たり前すら知らなかった。知ろうとしなかった。今さらあっちでの母上を擁護などできない。当然、この世界で身勝手な振る舞いをさせるわけにもいかない。親衛隊諸共、母上には表舞台から退いてもらう)」
表舞台を自由に動ける内にレイナスは動く。実母であるマリアベル第一王妃の力を削ぐために。そして、行動する中で概ねの目途も付いた。自身よりも強い特権と能力を有する者たちの存在に気付いた。
今現在、レイナスはマリアベルの私室を出て、王宮の中でもごく限られた者しか立入れない奥の間の区域にいる。御側付きであるミリルすら立ち入れない場所を一人で歩いている。
かつては気付かなかった。この異常さに。
今なら分かる。
デイル王宮の奥の間。
ここで過ごす王族が不快感を覚えないようにと配慮はされているが、当然のように監視の目はある。目立たぬように護衛たちが配置され、侵入者を感知する魔導具が所狭しと敷設されている。
使用人たちも厳選されている。部屋を整備する者、給仕に携わる者、調理人や毒味の検分役など、奥の間専用の者たちがいる。
もちろん、奥の間で働く選ばれた者の中にも私利私欲を優先し、金で情報を売るような輩もいる。全員が清廉潔白で忠義に篤いわけではない。
また、マリアベルの親衛隊のように、いかに忠義に篤かろうが日々の執務に手を抜くこともある。
だが、それでも王宮の奥の間という場所は、レイナスの離宮に比べれば付け入る隙は少ない。働く者たちの能力も総じて上。少なくとも、ミリルのような未熟な間者が紛れ込む余地はないと言ってもいい。
中庭のような形式の小さめの庭園が視界に映ったレイナスは、その美しい庭園へと降りる階段の前まで足を進める。いかにも、今から庭園を散策しようかという体で。
「――申し訳ございませんが、この度はマリアベル妃殿下の私室への訪問と聞き及んでおります。たとえ奥の間で暮らされていた殿下であっても、今は来訪者という立場にあられる以上、許可された場所以外への立ち入りはご遠慮頂きたく……」
気配を消して風景の一部と化していた初老の男が、いつの間にかレイナス背後にいる。彼を諫めるように声を掛ける。幼い王子の狙いを分かった上で。
一方のレイナスからすれば、声を掛けられるまで男の気配を捕らえることができなかった。その存在をはっきりと知覚していたのにだ。見えるが触れられない。触れられるが見えない。初老の男はそんな存在。
男の技は間違いなく一流ではあるのだが、それは表舞台で華々しく活躍するというよりは、舞台裏でこそ十全に発揮されるという仄暗い香りを纏う技だ。
「ふっ。俺はなにも知らなかったよ。貴方のような者が俺たちを陰日向に守ってくれていたんだな。そして、貴方のような者たちがいても、デイル王国の綻びはどうにもならなかったのか……これは相手の力量なり策動を称えるべきなのか、それともデイルの不甲斐なさを嘆くべきなのか。その辺りはどうなのだろう?」
初老の男に背を向けたまま、淡々と独白のようにレイナスは問う。
「殿下がなにを仰っているのか、私ごときには分かりかねまする」
紳士もまた、丁寧でありながらも淡々と応じる。
「そうか。ところで、今の俺はそれなりに魔術を扱えるんだが、実戦的な経験がまるで足りない。その辺りについて協力を願えないだろうか?」
「残念ながら、私ごときには荷が重い話でございまする」
「なるほど。第二王子であるルークが申し子となった以上、第一王子である俺の存在は争いの種火となりかねない。特にデイルを食い物にしようとする連中からすれば、俺の立場はさぞや美味しそうに見えるだろう。そういう連中が本格的に手を伸ばして来る前に、俺は表舞台から消えることを望んでいるのだが……どうしたら良いだろうか?」
「申し訳ございません。私ごときにはなんとも答え難き話にございまする」
「分かった。ルークの立太子についての時期などは気にしないが、俺はアリア嬢こそが正妃として最善だと考えている。今の時点で彼女以外に候補者がいるなら教えてくれないだろうか?」
「もし仮に存じ上げていたとしても、私ごときが口にして良い話ではございませぬ」
まるで噛み合わない問答。
レイナスが一方的に伝えているだけ。初老の紳士は『応じることはできない』と応じるのみ。
だが、それでも目の前の第一王子が、齢八歳のレイナスが、デイル王国の現状を憂いていることは相手に伝わる。デイル王室御用達の隠密衆に。
「さて……有用な助言がもらえないなら、こちらで思うようにするさ。――近い内に、サラリア離宮は失火による火災で焼け落ちるだろう。幸いなことに、デイル王室に忠誠を誓う者らへの被害は軽微だが……何匹かのネズミと共に、主であるレイナス王子は焼死してしまうのだという」
まるで天気の話をするかのように、レイナスは一つの未来を提示する。自らの計画を明かす。
「……」
ここではじめて、初老の紳士は言葉ではなく無言で応じる。
レイナスは密かに考えていた。
ルークの立太子を促し、自らの婚約を解消し、王位継承について母からの圧力を逸らす。ここまではいいとして、この次にどうするか。これからをどうするか。
ただ〝愚かな第一王子〟へ至る道筋を消すだけではなく、デイル王国に仇なす者らを積極的に、効率的に狩るために、都合のよい環境はないか。動き易い立場はないだろうかと。
答えは目の前にあった。
王子であるレイナスは死ぬ。
そして――。
◆◆◆




