第1話 それぞれの思い
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「なにやらルーク王子の立太子について協議に入ったと聞いた」
「レイナス王子とアリア・ローゼイン侯爵令嬢との婚約内定の解消を王室庁が承認したようだ」
「アリア嬢の処遇について、ローゼイン家と王家との間でなにやら約定が交わされたらしい」
「おそらく、アリア嬢はそのままルーク王子の婚約者として内定したのではないか」
デイルの貴族社会にて噂が巡る。思いの外に早く、広く伝播することになった。
それは噂の広まりを望んでいる者がいるからこそ。噂が広まることで利益を得られる者がいるからこそ。
しかしながら、その噂を快く思わない者も当然にいる。
「……母上。一体どういうことですか? 兄上を差し置いて、僕が王太子となるなんて……それに婚約者についてもです。アリア・ローゼイン嬢は、兄上との婚約が内定していたはずでは?」
そう口にするのはデイルの第二王子。ルーク・アーク=デイル。
まだ離宮を与えられていない彼は、母であるバーバラとその直属の使用人らと共に、王宮の奥の間で過ごしていた。
つまり、ある意味では籠の鳥。
当人がいくら願っても、能動的に〝外〟の情報を得難いという立場と環境だ。
彼が諸々の情報を知った時には、すでに流れができあがったあとのこと。
「ルーク。あなたは申し子として目覚めた。デイル王室に身を置く者として、その事実を受け入れるのです」
雛鳥からの問いに応じるのは母であるバーバラだったが、そこにあるのは親鳥の顔に非ず。
デイル王室に身を置き、子の安寧よりも国の未来を想う妃殿下としての顔。
「……理屈の上では、申し子たる僕が王太子となるのは分かります。しかし、現実の状況として、陛下はまだまだご健在であり、腹心にして王弟たるジョシュア閣下もおられます。なんなら、王室庁入りとなった王兄方も、厳密には王位継承権を有したままのはず。七歳の未熟な僕が、申し子というだけで立太子するのは急ぎ過ぎでは?」
雛鳥も弁えている。ここは息子ではなく、あくまでも王子として妃殿下へと問いを放つ。
また、まだ申し子として目覚めて間がないながらも、ルークはその膨大なエーテル量を急速に制御しつつある。
年相応に幼さを有していた以前と比べると、ルークはその聡明さに磨きがかかり、周囲の者らが驚くほどに理性的な振る舞いを見せるようになっていた。
『この子はエーテルの巡りがいい』
デイル王国において、年齢以上に聡い子を褒める際の定型となる表現だ。
魔導の才を持ち、多量のエーテルを内包する子供が、時に大人顔負けの知性と理性を有することはデイルでは広く知られている。
生まれながらに高度な教育を受ける貴族子弟にあっても、魔導の才の有無による差が顕著に見られるほど。
だからこそ、申し子として膨大なエーテルを誇るルークの変化は、周囲からも自然と受け入れられたのだが……母であるバーバラだけは少し違った。
もちろん、エーテルによる影響で変容する我が子については受け入れているが、同時に彼女は一つの疑念を抱く。
聡い我が子を見て思ってしまうのだ。
『まるで《《あの時》》のレイナス王子のようだ』……と。
突発的な事故により数日意識を失いながらも、目覚めて僅かな間で、申し子となったルークと王国の情勢を踏まえ、先の絵図を描いていただろうレイナス王子。
『もしかすると……ルークが申し子として覚醒したように、例の事故でレイナス王子も申し子として目覚めていたのではないか?』
そんな疑念。
また、正室であるマリアベル妃殿下の気性についても、側室であるバーバラは当然に知っている。
あの御方が、今の段階でレイナス王子とアリア嬢の婚約解消に同意するはずがない。にもかかわらず、王室庁が協議することをマリアベル妃が承認したのだという。
当然のように、バーバラは親衛隊を使って調べさせた。
するとどうだ。
あの一件については、レイナス王子がマリアベル妃が誤認するような形で事を進めた――そんな情報が、わざわざ王室庁から漏れて来たではないか。
つまるところ、婚約解消の件については、あくまで妃殿下ではなくレイナス王子自身が望んだという非公式な通達だ。
王室庁からすれば、今回の件について、マリアベル妃殿下の策謀などはないという安心材料としての情報だったようだが……バーバラはますます警戒を強める。
なぜにレイナス王子はルークに立太子を勧めるのか。その舞台を整えるために動いているのか。
しかしながら、いかに警戒を強めようとも、すでに流れができてしまった。
第一王子レイナスが、事実上王位継承を放棄し、第二王子であり申し子たるルークが台頭するという流れ。陛下や王室庁もその流れを是としている。
「……確かに、私自身も今のルークには早過ぎると思ってはいます。ですが、すでにレイナス王子は王位継承という舞台から降りました。申し子という一点は、それほどに強い意味を持つとも言えます」
「ッ!? あ、兄上が? もしかして……僕の立太子やアリア嬢との婚約解消は兄上も承知の上なのですか……?」
「ええ。むしろ、レイナス王子は積極的にルークの立太子を推している形です。アリア嬢との婚約解消も、レイナス王子からの具申だったと聞いています」
大人顔負けの明瞭な思考を身に付けつつあるルークではあるが、異母兄レイナスへの信頼は変わらない。有能で心優しい兄への敬愛はそのまま。
「兄上が……でも、どうして僕なんかを……?」
だからこそ、諸々の疑問はあれども、ルークの立太子やアリア嬢との婚約をレイナスが望んでいるとなれば、この性急な状況の変化への不安や反発が若干萎む。
「……」
そんな、レイナスに全幅の信頼を寄せる息子の様子を見ながら……バーバラの胸中には言いようのない不安が募る。
申し子となった異母弟に、第二王子に表舞台を譲る。
次代の王を支える人材として、自らの婚約者を推奨して身を引く。
反対するだろう母を抑え込むため、あえて正規の手続きを踏み、その中で母とその親衛隊を翻弄した。
国のために私心を捨てるのは、上位者としては確かに正しい。だが、正しいからこそ恐ろしい。
「(本当にこのまま、この流れに乗っていいのだろうか? レイナス王子は、ある意味ではあまりにも正し過ぎる……幼さ故の潔癖さなどとも、あきらかに違う……)」
◆◆◆
実しやかに噂は巡る。しかしながら、その噂のもとになった情報を知る者たちもいる。
他でもない、その噂話の当事者たちだ。
さる邸宅の執務室。魔導灯の揺らめく灯りが、薄暗い室内をほのかに照らしている。
室内には三つの人影。まず、ローテーブルを挟み、応接用のソファに対面で腰掛ける大と小の人影が二つ。もう一つは、書類を手に立ったまま。
「……以上が、王家からの打診となります。内々のものではなく、すでに陛下と王室庁の裁可を得た正式なものです」
ぴしりと直立したままに、すらりとした青年が手元の書類に目を落としながら語る。
その内容は王家からの懇願。珍しくも、この度については、王家の意向を真っ向から拒否することを可能とするものだった。
「ふん。陛下や王室庁にも、流石に多少の気まずさがあるようだな」
報告を聞き、ソファにどっしりと沈み込んだ大柄な人影が、若干の棘を含んだ言葉を吐く。
彼の名はゼンガー・ローゼイン。ローゼイン侯爵家の現当主だ。
実年齢は三十路頃ではあるが、大柄な上に筋骨隆々であり、髭をたくわえていることもあってか、見た目の印象は貴族家当主というよりも叩き上げの将兵のよう。身に纏う装束が違えば、どこぞの蛮族のようにも見えるほど。
「しかし、だからと言って、こちらから意気揚々と突っぱねるのもどうかとは思います。もちろん、当人たるアリアの意思が第一となるでしょうが……」
青年が――ゼンガーの腹心にして、弟たるシルトス・ローゼインが注釈を入れる。
王家はこの度、ローゼイン家に拒否する自由を与えはしたが、実際に王家の意向を拒否すれば、当然のように王家から反感を買う。
この先、細々とした不利益がローゼイン家に降り掛かる未来しか見えない。
「叔父様。ローゼイン家に有利に働くのであれば、婚約相手が入れ替わろうとも特に気にしません。最終的にはお父様の命に従います」
ゼンガーの対面に座る小さな人影。幼いながらも、まるで精巧な人形のように整った顔立ちの少女――アリア・ローゼイン侯爵令嬢が、その麗しき口元から、少女には似つかわしくない固い決意をごくごく自然に紡ぎだす。
ここで語られているのは、他でもないアリア・ローゼイン嬢の婚約について。
まず、第一王子であるレイナス・アーク=デイルとアリアの婚約が、昨年に内定したばかり。
将来のデイル王の正妃候補として選ばれていた。
もちろん、当初でレイナスが七歳、アリアが八歳という年齢のため、将来的にどうなるかは未知数の状態でだ。
縁起でもないが、年齢に関係なく、流行り病や事故によってどちらかが亡くなる可能性もあるため、本格的な当人同士の交流などははじまってもいなかった。何度かの顔合わせ程度だ。
ただ、そうは言いながらも、やはりこのまま話が進むと考えていた者の方が多い。他でもないアリア自身も。王家やローゼイン家をはじめ、デイルの貴族社会の者らも、流石に今の状況は読めなかった。
まさか、第二王子のルークが後天的に申し子と覚醒するなど……まさに未来を知る者にしか分かり得なかっただろう。
「ふぅ、アリアよ。お前のその心意気は買うが……これは婚約が入れ替わる〝だけ〟で済ませられる話でもないのだ。一応、レイナス殿下との婚約は内定だけだったが……申し子となったルーク王子と改めて婚約を交わすとなれば、難癖を付けて来る連中も多いだろう」
「? 難癖……ですか?」
無骨な見た目ではあるものの、ゼンガーは間違いなくデイル王国の貴族家当主だ。他の貴族どもを十分以上に知っている。
「アリア。昨年のレイナス王子との婚約の内定にしても、他の貴族家との熾烈な争いがあったのですよ。実のところ我がローゼイン家は、レイナス王子との婚約内定を勝ち取るために、かなり強引に他家を黙らせてきたので……婚約相手をルーク王子に切り替えるにしても、当初黙らされた貴族家は反発してくることでしょう」
王家への輿入れを望む貴族家は少なくない。たとえ当初の相手が直接王にならずとも、子を生せば外戚となれる可能性が残る。
デイル王国において、君主の母方親族の扱いは法的にも定められているが……いざとなれば、その法そのものを捻じ曲げることさえ現実味を帯びる。
ローゼイン侯爵家もまた、そのために動いている。デイル王国において、王家の権勢を借用するために。改革を断行するために。
「……ですが、お父様や叔父様が願う改革のためには、ローゼイン家の者が、この私が王家へと嫁ぎ――王家の子を産む必要があるのでしょう?」
「……アリア」
深い翡翠色をした双眸が真っ直ぐにローゼイン侯爵らを貫く。この時のアリアはまだ九歳。しかしながら、すでに彼女は自らの役割を飲み込んでいる。
デイル王国の未来を憂う、大貴族ローゼイン侯爵家の者として。
「……ふっ。どうしようもなく情けない話だ。栄えあるローゼイン侯爵家の当主が、十に満たない娘に願いを託すなど……愛娘を権勢のための道具とせねばならぬとは……」
魔導灯によってゼンガーの影が揺れ、大柄なはずの背中が萎んで見える。まるで彼の苦悩が形になったかのように。
「アリアに頼るのを情けないと嘆くなら、兄上自身が、元老院の評議員入りを目指してはどうです? 邪魔立てはあるでしょうが、今ならまだ賛同者の方が多いでしょう」
当主たるゼンガーの苦悩を、身内故の遠慮のなさで切り捨てて見せるシルトス。
「……ふん。分かっていてそれを口にするか。相変わらず嫌なやつだな、お前は。今さら俺が元老院入りしたとてなにができる? その他大勢の一人に成り下がり、腐敗臭のする議会で飼い殺しにされるだけだ。すでに貴族院(※下院議会のようなもの)では、爵位を金で買った不埒者らの台頭を許してしまっている。元老院(※上院議会のようなもの)も遠からずだろう」
「だからこそ、アリアを王家へ嫁がせ、ゆくゆくは外戚として政治に口を挟み、改革を断行するという……か細くも迂遠な方法に賭けたのでしょう? 後悔を口にするにはまだ早過ぎるのでは?」
「……くそ、本当に嫌なやつだな」
ローゼイン侯爵家は、デイル王国の行く末を憂う。
もちろん、これまでも手をこまねいて見ていただけではないが……すでにデイルは侵略を受けている。
気付いている者も多いが、どうにも〝敵〟の動きは巧妙で素早い。あまりにも腐敗の広がりが早い。いや、今の状況を形作るために長い時間を掛け、密かにデイル国内に病巣を植え付けて醸成していたというべきか。
そして、ついに謀略の種たちは芽吹きはじめた。
密やかな侵略に気付けなかったのは、もはやデイル側の落ち度でしかない。また、薄々気付いていながら、知らぬ顔で〝敵〟の動きに乗り掛かった者らもいる。
そんな敗北が濃厚な状況下において、ローゼイン侯爵家は抗っている。
「お父様、叔父様。私などにはまだまだ分からないことも多いですし、不安がないと言えば嘘になります。ですが、デイル王国の安寧のためには……戦わねばならないのでしょう? そして、私の戦場は王宮にある」
「「……」」
王家への輿入れ。王子と婚姻し、ゆくゆくは王家の子を産む。わずか九歳のアリアは、その意味を、その意義を、幼いながらにも理解していた。それこそ幼さに由来する潔癖さ故にか、これが自身の役目なのだと、ローゼイン侯爵家に連なる者の使命なのだと彼女は信じていた。
ただし、膝の上で握りしめたその小さな小さな拳は震えている。不安や恐怖がないはずもない。
そして、そんな彼女の姿を見て、なにも思わないゼンガーとシルトスでもない。
「――愛しきアリアよ。ローゼイン侯爵家の当主としては、幼いお前に戦場へ征けと命じもするし、それを許せとは口が裂けても言えん。ただ……こんなにも不甲斐ない〝父〟のことは、心底から恨んでくれ……本当にすまない」
父親としてのゼンガーは、アリアを王家へ嫁がせたくない。それどころか、昨今のデイル情勢を考えれば、娘を国外へ出すことすら選択肢として浮かぶほどだ。
しかし、それは許されない。ローゼイン侯爵家の当主としては。
「兄上。どの道、我々に女神の救済などはないでしょう。死すれば冥府に堕ち、煉獄にて焼かれるのみ。しかし、アリアは違う。この子は我々の願いを託されただけ」
まるで女神の御前で罪を告白するかのようなゼンガーに対して、淡々と言葉を投げるシルトス。
「……なにが言いたい?」
「今さら愛しいアリアに、上辺だけで赦しを乞うような真似はお止めなさい。そもそも赦されるとでも? 兄上が〝父〟としてすべきことは、アリアがどのような状況にあっても壊れぬようにするという一点のみ。そして、私はローゼイン家の臣として、兄上の命でいかようにも死にましょう」
「……」
娘を生かせ。壊すな。そのために必要なら弟を死なせろ。
シルトスもまた、ローゼイン侯爵家の者としての覚悟と後悔がある。
「叔父様……」
アリアは震える拳をさらに強く握る。誰もが戦っているのだと知る。
だが、それでもまだ知らない。知る由もない。
彼女が自らの戦場と定めた王宮が、思い描くよりも遥かに早く燃え上がることを。
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