第2話 人員整理
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サラリア離宮。
それは昨年、七歳を迎えたレイナス・アーク=デイルに与えられた離宮。
名目上、離宮の運営についての最高責任者はレイナス王子という形ではあるが、当然に、レイナス自身がすべてを差配することなどできない。
幼い王子や王女を支えるために、離宮長という役職の者が配され、実務上はこの離宮長が取り仕切ることになる。
レイナスのサラリア離宮においては、老齢のシャーニ女史が離宮長を務めていた。これまでにも、他の王子王女の離宮で勤めていた経験も長くあり、王室庁からの信任も篤い人物だ。
自身にも他者にも厳しく、時に離宮に勤める者らからは煙たがられることもあるが、それは彼女が職務としての公平さと忠誠を有しているからこそ。また、離宮を管理する王室庁からもそれを求められているからこそ。
かつてのレイナスは、例の事故を期にいっそあからさまに、多くの者の期待がルークへと向かう様をまざまざと見せつけられ、歪んだ嫉妬と周囲への嫌悪を内包するようになるのだが……それでも、レイナスへの態度を一切変えなかったシャーニ離宮長のことは、数多くの叱責と苦言を受けながらも慕っていたものだ。
だからこそ、かつてのレイナスにとっては驚天動地のできごとだった。
「配置換え?」
「はい。正直なところを申し上げますと、正規の配置換えではなく、この私めの引退にございます」
普段のやり取りとは違い、この度は離宮長の執務室ではなく、シャーニがレイナスの私室に赴く形だった。
あくまで今は、私的な報告であるという線引きをし、自身の進退をレイナス王子に願うという体裁。
もちろん、すでに王室庁からの裁可を得ており、シャーニ離宮長がその職務を辞することは決定事項なのだが。
「……そうか。あー……これについては、俺がなにを言っても変わらない?」
「申し訳ございません。僭越ながら、私自身としても、殿下の成長をこの離宮にて見届けたい所存でありましたが……どうにも、この老いた体が言うことを聞いてくれない場面が増えました。このままでは、私は遠からず離宮長としての職務を十全に執り行うことができなくなるでしょう。そうなる前に……私は自らの意思で退きたいのです」
かつての記憶を持つ今のレイナスは当然に知っていた。離宮長たるシャーニ女史が職を辞し、サラリア離宮を去ること自体は。
なにも知らなかったかつてのように、泣き喚いて癇癪を起こし、離宮の者やシャーニ当人を困らせるような真似まではしないが……レイナスは離宮長の引退を惜しみ、引き留めたいと願う素振りを見せる。
「ふぅ……できるならば、俺も一人前になるまで導いて欲しかった。シャーニにこそ、傍で見守ってもらいたかったよ」
レイナスはそんな風に言ってのける。誰よりも、そんな未来がないのを知った上で。
「殿下のそのお言葉こそが……私にとっては、なによりの名誉にございます」
そう語りながら礼法に則り頭を下げるシャーニ女史。老いを口にしながらも、まるで周囲の空気すらもぴしりと音を立てるかのように、その姿勢や礼法は整っている。
「ふぅ。ま、実際にシャーニがサラリア離宮を去るのは、それでもまだ先ではあるんだろう?」
「はい。――そうですね、おそらくは年があけてからになるかと……」
礼法については教本のようなシャーニではあったが、その言葉には少々歯切れの悪さが乗る。
今のレイナスにはその心当たりもある。
かつては知らされていなかったが……状況の推移を考えれば、十分にあり得る可能性。
「年があけてからか……つまり、ルークが離宮を与えられた際に、そちらの離宮長の補佐役なりをしばらく務めるのか? まさか、シャーニほどの人材が、引退して〝はいお終い〟という扱いじゃないだろ?」
「それは……」
「あぁ、別に俺は気にしないよ。むしろ、ルークをよりよく導いてやって欲しい。あいつこそが……このデイルを背負って立つ未来の王なのだから」
かつてとは違い、この世界においては、すでにルークの立太子についても動き始めている。流石に今すぐにというわけではないが、ルークに離宮が与えられた時点で、その教育などについては王太子に準じる形になるとレイナスも聞いていた。
王宮の中で長年務めてきたシャーニは、王子や王女だけではなく、王太子の教育にも関わってきた経験がある。
老いや体力を理由に引退というのは表向きであり、その実態はレイナスからルーク付きへの異動。
「……ルーク殿下が王太子への道を歩んでいるのは確かですが……このデイルの未来を背負って立つのはレイナス殿下、貴方も同じなのですよ? 私としては、むしろレイナス殿下こそが――」
「おっと。それ以上は駄目だよシャーニ。たとえこの場限りであっても、その話題は危ない」
毅然とした態度を崩さないシャーニ女史も人の子か。少々感傷的になり、迂闊な発言を口にするところだった。
「――申し訳ございません。どうやら私は、自分で思う以上にレイナス殿下に傾いているようです。離宮長に求められる公平と忠誠を違えるところでした」
再びぴしりと頭を下げるシャーニ。
離宮長という職位にある者は、どうしても担当する王子王女に肩入れしてしまうのが常だ。
庇護欲や好意を抱くのは当たり前ではあるが……受け持った王子や王女を、決して〝他〟と比較してはならない。
それはすなわち、陛下や王室庁の定める王位継承順位に口を挟む行為になりえるからだ。
「はは。そこまで畏まっての謝罪はいらないよ」
そうは言われても、シャーニは真摯に謝罪をするしかない。なにしろ、この場には、レイナスの側付きの使用人もいるのだ。
「(あれ? シャーニ様がこんなに分かり易い失言を? ……なにかがおかしい?)」
ミリル。ダリジャン一派によって離宮に放たれた密偵ながらも、他でもない離宮の主に看破され、二重間者へと堕ちた者。生き延びるための最適解を求めてもがく使用人もどき。
シャーニとの面談の間も、彼女はレイナスの側付きとして控えていた。まさに影のように。
「さて、シャーニ。まだしばらく間があるとはいえ、これから離宮長の引継ぎなどで、このサラリア離宮内でも色々と調整が必要になるんだろう?」
生真面目な離宮長の謝罪を流し、レイナスは話題を移す。彼からすれば、ここからが本題だ。
「え、ええ。そうなります。ですが、もちろんレイナス殿下にご不便を掛けないように差配いたしますゆえに……」
「ああ、違う違う。文句を付けたいわけじゃなくて……これもいっそいい機会だから、このサラリア離宮に仕える人員も一緒に整理して欲しいんだ。王室庁の裁可次第にはなるが――こちらの数を減らし、ルークの方を手厚くという風にね」
まさに身辺整理。レイナスは舞台から降りるために動く。着々と仕掛ける。
「し、しかし、そのようなことは……」
ただし、当然のようにシャーニの立場からすれば『はい分かりました』とはならない。
「いや、俺にはそうする必要があるんだ。立太子が確実視されているルークの異母兄たる第一王子としてはね」
段取りを仕込むレイナスは、当然に周囲の者を納得させる理由を用意している。
他でもない、自分自身が辿ったかつての道を振り返れば……今の段階でもそれらしくあり、周囲に必然として受け入れられる理由を見つけるのは容易かった。
ただし、その〝気付き〟については、とても今の年齢相応ではないが……。
なにかしらを言いたげなシャーニを抑え、ついでに全霊で聞き耳を立てるミリルを意識しつつ、レイナスは口を開く。
「なにより、先ほどのシャーニの失言がすべてを現している」
「ッ!」
「(……レイナス殿下はなにを?)」
すぐに察したシャーニと察せられないミリル。
「ルークが王太子となる以上、俺は『ルークに対抗する意思はない』と、表明し続けなければならない。それこそ生涯を通じてだ。……もっとも、仮にそれを徹底したところで、必ず現れるだろうけどね」
「(現れる?)」
レイナスの後ろに控えるミリルは内心で疑問に思う。彼女はまだ思い当たらない。これは密偵としての未熟さよりも、ミリルがもともとは平民であったことが理由かも知れない。
「ルーク殿下ではなく、あえてレイナス殿下を擁立しようとする者たち――ですね?」
シャーニが言葉を引き継ぐ。デイルの貴族社会をそれなり以上に知っているからこそ。
「あぁ。ルーク側に取り入れなかった者たち。出遅れた分を取り戻すために逆張りに賭ける連中。どちらにもいい顔をしようとする輩。あるいはデイル王室の分断を目論む不埒者ども――もちろん、中には利害や悪意ではなく、純然たる善意で俺を担ごうとする者も出てくるかも知れないが……どうであれ、俺に群がる連中が出てくれば、それ自体がデイルにとってはよろしくない」
国である以上、利害と思惑が絡み合い、誰もが事態を複雑に考えたがる。
だが、これを単純に〝獣の群れ〟だと置き換えれば分かり易い。
群れのボスが決まれば、ボスの座を脅かすようなやつは群れから追い出されるのが摂理だ。
ルークが王太子となるならば、レイナスは王位継承や宮中政治という〝舞台〟から退場する。
それは当たり前のことであり、自身の身を守る手段でもあるのだと……第一王子は、そんなことをシャーニとミリルに語る。
「俺はルークが王太子となることも、婚約解消の件も特に思うことなどないよ。だけど、俺を擁立しようとする者らは『異母弟によって日陰者へと追いやられた哀れな第一王子』という分かり易い〝物語〟を掲げるだろう。あるいは……くだらなさ過ぎて口にしたくもない言葉へとすり替えるかだ」
愚か者らはそれを〝大義〟などと嘯く。
その結果を、かつてのデイル王国の行く末を知るレイナスの瞳の奥には、思わず冷たくも鋭い刃が宿る。
「……」
「(……こ、この〝殿下〟は……やはりどう考えてもおかしい。彼もまた〝影〟? だとしたら、本物のレイナス殿下は一体……?)」
異様なる第一王子を前に、シャーニとミリルの違和感が必死に警鐘を鳴らしている。
そんな違和感を抱く二人を前にして、冷徹なる空気を纏ったままにレイナスは命じる。この場では考える隙を与えない。
「――改めてだ、シャーニ離宮長。この度の異動に合わせ、サラリア離宮の人員を整理しろ。これはレイナスからの〝お願い〟じゃない。サラリア離宮の責任者である第一王子としての命令だ。至急、王室庁との調整に入れ」
真っ直ぐにシャーニを見据えた幼き王子は、上位者の顔でそう命じる。
「……かしこまりました。不肖シャーニ、王室庁との調整に入らせていただきます。人員の選定について、殿下からのご要望はあられるでしょうか?」
様々な疑問と困惑を飲み込み、シャーニもすぐさまに切り替える。受け入れる。まずは離宮長としての任に徹する。
「人員選定の希望か……そうだな。では、このミリルだけはサラリア離宮付きで頼もうか」
「その理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
離宮長としてのシャーニは聞かなければならない。
特定の者を名指しで残すとなれば、それ相応の理由付けが要る。加えて、年頃の侍女を王子の側へ固定することは、不要な憶測を招く恐れもある。年齢に見合わないレイナスだが、その実年齢は八つであり男子。そして、若輩枠のミリルは十三歳の女子だ。
流石に今すぐに男女の仲を疑うわけではないが、そもそもミリルを側付きにすること自体、王子の未来を考えればよろしくない。
「理由は単純だ。ミリルをルークの離宮へ行かせるわけにはいかないからだよ。――はは。こう言えばシャーニには分かるだろ?」
が、当のレイナスはあっさりと答える。そして、離宮長にはその意図も分かるはずだと。
そこにいるのは、慕っていた離宮長の離任を嘆く王子じゃない。ただただ、冷たい刃を身に宿す上位者。
その刃の切っ先は、静かにシャーニへと向けられている。
「……」
「(な!? なんてことを……ッ! よりによってシャーニ様に!)」
流石にミリルも、内心の不安を表に出すような真似はしないが……王子自らに『ルークに相応しくない人材』と断じられてしまえば、どうしようもない。表向きの使用人としても、今後の動きがさらに制限されてしまう。
そうなれば当然に間者としても動けない。上役に定期報告すらできなくなれば彼女の命運は絶たれる。そもそも、そうならないために、レイナスに命乞いをして二重間者となったのにだ。
「(く……ッ! レイナス殿下は私を排除しに掛かっている!?)」
今さらながらに、ミリルは自身の危うい立場、薄氷を踏み抜かれたが如くの状況に焦る。
だから気付かない。レイナスの言葉の真意に。その刃の向きに。
「……殿下からの人員選定の要望、確かに承りました。――ミリル。貴女もそれでよろしいですね?」
「はい。私ごときに選択権などありません。すべては離宮長や王室庁、ひいてはレイナス殿下の御差配のままに……」
シャーニが重ねて確認し、内心はともかくミリルも模範解答に徹する。
上司と部下。その時、二人の視線が僅かに交差するが……離宮長の瞳が微かに揺れていたことにも、未熟な使用人もどきは気付けなかった。
「(……ふっ。今の俺は〝答え〟を知った上でのことだが……シャーニがルーク付きへと異動になる云々については、少し考えれば分かったことだ。だが――〝もう一つ〟については、当時の俺が到底辿り着ける情報じゃなかった。だからこそ、〝過去〟とは違う流れになるはず。――俺の記憶が有効に利用できる間に、盤面を整えておかねば……)」
餌を撒く段階は過ぎた。――ここまで研いだ牙にて、レイナスはついに喰い破る構えを見せる。
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