第3話 二重なる者
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ミリル・バルボアナ男爵令嬢。
バルボアナ家の三女であり、飛び抜けて秀でているわけでもないためか、行儀見習いとして王宮に出仕していたところ、第一王子であるレイナス殿下が離宮を与えられ、王宮を離れるという時期に重なる。
王家の離宮には、慣例として主と年齢の近い者を配する、いわゆる若年枠という採用が設けられていたのだが……それは熟達した者たちだけでなく、未熟さを残した者を含めて、つつがなく離宮を運用して見せろというのが表向きであり、裏向きとしては、単に近しい年齢の者がまったくいない環境というのは、王子や王女の生育によろしくないだろうという考えによってだ。
なにはともあれ、様々な巡り合わせによって、ミリルはレイナス王子の離宮付きに選ばれることに。
しかしながら、彼女は若年枠というのを差し引いても、未熟さが目立っていた。
サラリア離宮では、各所の先輩方に叱責されるのが日常の光景となり、ミリルはいつもなにかしらのミスを抱えているという体たらく。
さらには、同じミスを何度も繰り返すという致命的な飲み込みの悪さも露呈しており、離宮で働く者らは『ミリルが離宮を去るのも時間の問題だ』という認識を共有していたものだ。
ただ、それでも皆は、ミリルにいなくなって欲しいとまでは思わなかった。
失態や醜態は晒しに晒してたが、彼女はいつも前向きで笑顔を絶やさぬ天真爛漫さがあったからこそ。
――それらが、〝ミリル〟という若年枠の使用人への風評であり、〝ミリル〟という存在を形作るモノ。
しかし、周到に仕込んでいた〝ミリル〟という存在は決定的に壊れてしまった。
「(不味い不味い不味い――! どうすればいい? 緊急時の連絡を取る? でも……いや、シャーニ離宮長に目を付けられてしまえばどの道同じ……ッ! やはり非常事態用の連絡手段を使うしか……ッ!)」
二重間者ではあったが、実のところレイナスからミリルに対して、直接的にあれをしろこれをしろという指示などはなかった。
あくまでミリルは、『ダリジャン一派が後ろにいるのを知っている』というレイナス側の情報を開示されただけ。また、その過程で王子がすでに危険極まりない魔導士であるとも認識した。させられた。
しかしながら、それらの情報を定期報告に上乗せするにしても、二重間者となってしまった自身の安全を確保するためには、なにを、どこまで、どのように報告すればいいのか……間者としての未熟さ、経験不足から、非常事態での振る舞いに迷いが生じてしまう。
また、当人に自覚は薄いが、中途半端に〝死の局面〟を脱したが故に、逆に彼女は〝死〟への恐怖に絡め捕られた。心理的に、己の命を懸けて……という思い切った一手を選びにくくなってしまっている。
結局、そんな風に足踏みをしている間に、ミリルはレイナスが仕掛けるのを許してしまう。
シャーニが退室した後。
使用人として、てきぱきと部屋の片付けなどを行っているミリルだったが……その内心は穏やかではない。
いっそ、すべてを放り出して逃げてしまうか? ――そんな選択肢まで検討するほどには。
「……」
そんな使用人もどきを見つめるのは、主たるレイナス。
なんでもない風に振る舞っているが、ミリルの身の内に暴風が吹き荒れているのは承知していた。その上で彼もまた、表面上は何食わぬ顔で、使用人の仕事風景を眺めるのみ。
「(――動悸が早いな。あと、いつもと違って動きに無駄がない。演技をする余裕もないか……やはりミリルは密偵としては未熟のようだ。あるいはソレ込みで〝囮〟として使われていたか……さてな)」
今のレイナスには〝視える〟。ミリルの呼吸、拍動、些細な動きの重心の乱れ、普段の体の使い方との違いすらも。それらを事細かに観察している。
なによりも彼は、魔力の流動にこそ注意を払っていた。
私室にて、主と側付きの使用人が二人きり。それ自体は、誰も疑問を抱かないような日常の光景でしかない。
だが、彼女は周囲の者が思うような〝未熟ながらも天真爛漫な行儀見習いの少女〟でもない。
「(ともかく、ミリルはまだ暴挙に出るつもりはなさそうだな……)」
可能性の一つとして、レイナスはミリルがいきなり魔術で襲撃して来ることすら想定していた。
追い詰められ、自暴自棄になった未熟な密偵が極端な行動に出るのは、十分にあり得るだろうと。
魔術や魔力の扱いそのものついては、今のミリルよりも高みにいると自負するレイナスだったが、それでも彼は油断しない。
なにしろ、彼が魔術の修練を行っていたのは、罪人として幽閉された塔の中での祈りとしてだ。当然に師となる者もいない。
呼吸に等しいほど自然に魔力を練り、その魔力を十全に操れる。強い魔術を使える。便利な術式についても数多く知っている。
八歳という年齢を考えれば、それだけでも〝申し子〟以上の異常さなのだが……謀略の陰に潜む連中を狩るのにはまだ足りない。
所詮それらは、一人で積み上げたものでしかないから。
実戦経験はなく、命を懸けた駆け引きも、集団戦での連携も、上辺の知識としてしか知らない。
いざとなっても、理屈が先行し、どうしても反応が遅れてしまうのが目に見えている。その自覚がレイナスにはある。
だからこそ、実戦を知るだろうミリルのことは最大限に警戒していたのだ。
凶悪な魔術や命の危機、冷徹なレイナスの思考、振る舞いなどを前に早々に折れてしまったが……もしも、彼女が死に物狂いで攻勢に出たとすれば、こちらも無傷では済まないかも知れない――レイナス自身はそんな風に状況を見ていた。
「(このままなにもせずに沈むほど愚かじゃないだろ? ――さぁ、諦められないなら〝次〟を選んで見せろ)」
レイナスはミリルを揺さぶるが、それは単に彼女の排除を目的としていない。あくまで次の手を打たせるための仕込み。
すべてを放り出すという暴挙には出ない。出られない。この期に及んでも、なお命と立場を惜しむのであれば――彼女に残された道は、もはや一つしかない。
ミリルに次の一手を打たせることこそが……デイルを蝕む者どもに向けての、真の意味での開戦の狼煙。
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離宮内の廊下を、いつもよりも少し足早に歩く年若い使用人。
泳がされている。選ばされている。
流石にそれらを自覚しているものの、もう彼女には打つ手がない。なにしろ、サラリア離宮の実務を取り仕切るシャーニ離宮長に不審を抱かれたのだ。
まさにレイナス王子から告げられるという最悪の形で。
これまで、ミリルは定期的に上役への報告を上げていたが、あくまでそれは、上役の使いからの接触を待つという受動的な方法によってだ。
その使者も時々で違う。
ある時は出入りの商人であり、ある時は通いの庭師見習いとして。変わり種としては、使用人の親族としてサラリア離宮を訪れて来たこともある。
使者が誰なのか、ミリルには事前に知らされない。外部の者を離宮へ出入りさせる以上、内部にも協力者がいるはずだが――それもまた、末端の彼女には伏せられていた。
「(もうのんびりと使者を待っていられない。緊急用の連絡手段を取るしか――)」
末端であり、知らされぬことの多いミリルではあったが、非常時のみに用いる連絡方法は持たされていた。無論、平時には決して使うなと厳命されていたが。
足早に歩いてたミリルが、ふと立ち止まる。ごく自然に、廊下に落ちていた埃に気付いたような体で。
そこは離宮の一階部分であり、庭園にも通じる回廊となった廊下。周囲を見渡しても、特に何の変哲もない場所にしか見えないが……彼女にとっては、緊急連絡用の符丁を示すために決められていた場所だ。
周りには誰もいない。
ミリルは何気なくしゃがみ込み、床の埃を掴むような素振りを見せる。
そのまま歩き出し、庭園へ下りるための手すりに触れる。
手に掴んだ埃を払うような仕草をしつつ、隠し持っていた小型のナイフで、手すりの裏に密かに傷を付けた。三つの線が並ぶような傷を。
それが符丁。
離宮に潜む内通者へ向けた、非常招集の印。
「(……よし。これで……)」
あとは待つだけ。そして――。
「(いかにして情報を渡し、どう立ち回るか。あの王子や後ろにいる連中の狙いは、まさに私が他の内通者と接触することのはず……裏をかくにはどうすれば……ッ!)」
ある程度の冷静さを取り戻したミリルも気付いている。レイナスの狙いが、単に自分一人を排除するだけのはずがないと。
彼が求めているのは、サラリア離宮にいる他の内通者の炙り出し。
そして、シャーニ離宮長の離任にかこつけて、発覚した内通者たちを一斉に排除するつもりなのだろう――ミリルはそう見越した。
現実にそうなってしまえば、起点が自分である以上、どこかでレイナスを出し抜かなければ、身の破滅は免れない。
視えない糸で雁字搦め。
そんな己の姿を幻視しながらも、ミリルは考える。必死に。
◆◆◆
一部の者の心情、心労に反して、サラリア離宮では穏やかな時間が流れていた。
それは風が凪いだ湖面のような穏やかさであり、少しの風が吹くだけで乱れてしまう儚いもの。
幕間の静かさだ。
「――殿下。サラリア離宮への来訪、レイナス殿下への面会の要望が届いております」
そう告げるのは、側付きであるミリル。
相手が誰であるのかを後回しにするというのは、つまりはそれなり以上の立場の者ということ。
「ふっ……落ち目になるのがほぼ確定したこの時期にか。そんな酔狂な御方は、一体どこの誰なんだ?」
この度の面会希望について、もはやレイナスに心当たりはない。記憶の中にある当時を思い起こしても、シャーニの離任前のこの時期に、特段に外部からの接触などはなかった。すでに〝あちら〟とは流れが変わりつつある。
「サラリア離宮への来訪を希望されているのは――ローゼイン侯爵家当主たる、ゼンガー・ローゼイン様にございます。また、殿下との会談に際しては、シャーニ離宮長の列席も求めておいでです」
まさにそれなり以上の立場の御方。ただし、この時期のレイナスに面会を求める意義については、辛うじて他者の理解が及ぶ範疇ではある。
元・婚約者の父。
今のレイナスには、それが有り得ない未来だと分かっているが、いずれは義理の親子関係となり得た相手。
婚約相手がルークへと入れ替わることについて、当主たるゼンガーが、王家側の当事者に会談を求めるというのは、デイルの貴族社会の常識としてそこまでおかしな話でもない。
ただ、レイナスの年齢を考えれば、侯爵家当主が出向いて来るのは少々大仰なきらいはある。
「(ふむ。ローゼイン侯爵が俺に――か。〝あっち〟では、ルークと共にデイル王国再興のために戦い抜いた英傑たる御仁だ。ただの挨拶というわけでもないだろうが……)」
レイナスは一つの〝未来〟へと思いを馳せる。
ローゼイン侯爵家。当主たるゼンガー・ローゼイン。
第二王子にして、混迷の中で急遽王位を継ぐこととなったルーク。そんな彼と夫婦の契りを交わした娘アリアのためというのも大きいが、ローゼイン家は腐敗と混乱、災禍に見舞われるデイル王国において、徹頭徹尾、ルークの――正統なる王家の側に立って戦い続けていた。
最終的に、ゼンガー率いるローゼイン侯爵家の有志軍が、マウクト神聖国からの援軍を国境沿いで食い止めたことが決定打となり、デイルと決戦中だった隣国ギルギアス王国は講和の道を選ばざるを得なくなった。
まさにゼンガー・ローゼインはデイル再興の立役者。
しかしながら、ゼンガー当人はもとより、参戦した有志軍の誰もが、再興するデイル王国を見ることは叶わなかった。
絶望的な戦力差の中で、有志軍は降伏も撤退も是とせず、地の利を活かして敵軍を翻弄し、最後の一兵に至るまでが凄絶なる討ち死にを果たす。
一人の生還者もいない、正真正銘の全滅という最期を迎えながらも、ゼンガー・ローゼイン侯爵は、デイルの国難を救うために値千金の時を稼いで見せたのだ。
有志軍の全滅。その報を聞いたアリア妃殿下に語る言葉はなく、遠い空を見上げながら一筋の涙を流し、静かに父たちの死を悼んだという。
「ローゼイン侯爵直々にか……ま、今の俺が拒否することなどできないお相手だ。来訪をお待ちしておりますと返事をしておいてくれ。もちろん、諸々の差配については、シャーニ離宮長に任せる」
意識が〝過去〟へと舞い戻る。
たとえ第一王子といえど、侯爵家当主の来訪を一存で断ることなどできない。レイナスにこの連絡が来た時点で、王室庁への報告もなされており、離宮長のシャーニはすでに調整に入っている。もちろん、一連の流れがあるのはレイナスも承知している。
「承知いたしました。その旨をシャーニ離宮長へと報告させていただきます」
無表情のままにミリルは応じる。離宮長からの直接ではなく、側付きの彼女を挟むのはあくまで形式的な儀礼。
間に人を挟むことで、離宮長をはじめとした関係各所が、レイナスからの直接の指示を受ける前に動いていた事実を曖昧にするため。人を介していたのだから、時間差があるのは仕方がないという建前のためだ。
背景を知らぬ者からすれば茶番に過ぎないが、それでも、皆は与えられた役割を果たす。
ぴしりと礼をしつつ退室していくミリル。まるでシャーニ離宮長を彷彿させる、一分の隙もない所作。
そこにもう〝おっちょこちょいで天真爛漫なミリル〟はいない。使用人としての完璧さが、間者としての立場を強調しているかのよう。
「(ここに来て、本格的に演技を捨てたか。なんらかの意図もありそうだが……悪いなミリル。君が選択できる道は――)」
二重なる者らの饗宴は続く。
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