第2話 主従として
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サラリア離宮の庭園。
美しい花々が咲き誇り、その色と香りが訪れる者の心を包む。
庭園内には小さな石が敷き詰められた飾り道もあり、その道を含めた風景はまるで一つの絵画のような雰囲気を醸し出している。
庭師が丹精を込めて作り上げた、連なりを持った一つの作品。
その作品をゆるりと堪能できるようにと、小道の傍には屋根が白く塗られた東屋が設置されている。遠目から場を切り取った時、ガゼボで庭園を眺める貴人すらも、庭師にとっては作品の一部という計算があるのかも知れない。
そして今、白いガゼボには庭園を眺める貴人と付き従う者がいる。
レイナスとミリル。
二人きりの庭の散策は、あの日の逢瀬以降の日課となっていた。
あの日から、すっかりレイナスの御側付きとなったミリル。
レイナスがもう少し年を重ねていたならば、流石に異性の使用人を御側付きとするには反発もあったかも知れないが、今はまだ、幼いレイナスとミリルに不審な目を向けられることもない。
元々、主と年齢の近い者をという配慮にて離宮付きとなった若輩枠。礼儀作法に厳しいシャーニ離宮長は、あけすけなミリルにあまり良い顔はしていないものの、他の周囲の者からは概ね微笑ましく思われていた。未熟な面もある程度は許容されていた。
だが、ここ最近では、おっちょこちょいだった彼女が落ち着きを見せるようになったと好意的な評価も増えている。
「レイナス殿下。殿下がアリア様との婚約解消を求めているという情報は如何いたしますか?」
「どうせすぐに表に出る情報だし、別にどう扱おうが構わないよ」
「かしこまりました」
ミリルからすれば、今のレイナスとの関係性が微笑ましいなどと思う余地はない。
「あのさぁミリル。何度も言うけど、いちいち俺に確認する必要はないから。ミリルがどんな情報を〝上〟に報告しようが俺は気にしない。そもそもの話、俺が駄目だと言ったところで筒抜けだろうに……」
「いえ、これは私のケジメです。正体を知られながら生き恥を晒すことを望んでしまった以上、殿下の意に反することはできません。殿下があの日に仰ったように、私は既に終わった駒ですから」
感情の抜け落ちた、離宮の皆が知らない顔のミリル・バルボアナ男爵令嬢がそこにいた。
サラリア離宮にて、レイナス王子に二重間者として仕える者。
行儀見習いとして王宮に出仕していた少女。
レイナス王子が離宮へ移る時期と重なったため、若輩枠としてサラリア離宮付きに抜擢されたという経緯があるのだが、それらは最初から仕組まれていた人事だ。
ただ、ミリルを差し向けた者たちとしては、現時点では特別に派手な動きをするつもりもなかった。あくまで将来を有望視される第一王子の近辺に手の者を潜ませたかっただけ。
いわば先行投資。成長した王子が利用できそうなら、その懐に入り込むため、幼少期からの繋がりなり情報なりがあれば役に立つだろうという程度。
逆に言えば、デイル王国に牙を突き立てている者たちは、その程度の見込みで手の者を第一王子の離宮に滑り込ませるだけの力を持っているということでもある。
「(ま、口ではなんとでも言える。俺がそれなりの魔術を使うというのは、既にダリジャン一派に知られたという前提で考える方いいだろう。ミリルはともかくとして、直属の上役はどの程度か……彼女よりも情報は持っているだろうが……さてな)」
レイナスは知っている。デイル王国にて暗躍する者たちが、如何に強大であり抜け目がないかを。
彼はミリルの前で魔術を使用した。離宮の感知魔導具すら掻い潜る一級の術を披露して見せた。
それらの情報は当然敵側に知られたと考えている。殊勝な態度を見せるミリルの言葉など信じていない。
傍から見れば、幼い主と従者が庭園を静かに散策しているだけ。それはごく当たり前の日常の光景なのだが……レイナスとミリルの間には、穏やかならざる壁があるのが実情。特に従者側には張り詰めた緊張感がある。
「(――レイナス・アーク=デイル。年相応以上の聡明さを持ち合わせ、エーテルの素養にも恵まれた将来有望な第一王子――なんて風に聞いてたけど、あんな高度な魔術を扱えるなんて情報はなかった。少なくとも、このサラリア離宮では基礎的な魔術の訓練しか受けてない。それにダリジャン伯爵家の影響力も認識している? ……あり得ない。温室育ちの十に満たない王子が独力で辿り着く情報じゃない。彼は王室が抱えている諜報機関と繋がりがあるのでは? いや、もしかすると〝私〟と同じ? 目の前にいる彼はレイナス王子の〝影〟? 離宮に移るタイミングで入れ替わった?)」
ミリルは薄氷の上を歩いている。命惜しさにレイナスに従っているが、今の状況が組織に知られれば、彼女自身が始末されるのは火を見るよりも明らか。
故にミリルはレイナスを探る。自身の命を保証できる、組織に言い訳できるだけの価値ある情報を得ようと躍起になっている。
「(ま、精々思い悩んでくれ。ミリルが保身を優先して逡巡すればするほど、それだけ俺への対応が遅れるというものだ)」
心の内を全て見通しているというわけでもないが、ミリルが抱く葛藤や欲目はレイナスの想定内だ。
彼女が自身の命も顧みず、馬鹿正直に全てを包み隠さず上役に明かすとは思っていない。
ミリルの立場を考えれば、本来であればそれが最良に近い手なのだが、彼女は土壇場で死の恐怖に屈し、自身の命を惜しんだ。その上、二重間者となるにしても、レイナスに条件の交渉を持ち掛けるような図太さもなかった。
密偵としては詰めの甘い未熟な二流以下。
「(次の定期連絡の際、レイナス王子の異常な魔術については情報を流す方がいい? ……い、いや、駄目だ駄目だ。私以外にもこのサラリア離宮に潜入している者はいる。王子の魔術の秘密を知ったことを知られれば、当然にその過程も追及される……ッ!)」
自問自答に自縄自縛。我が身可愛さにミリルは思い切った一歩を踏み出せない。
「(どうせ末端のミリルには組織の内情すら知らされていないだろうし、バルボアナ男爵家も所詮は使い走りでしかない。ダリジャン一派は王室に反意を持っているが、連中の気質は良くも悪くも商売人。信念や国の威信を懸けるような……利益の薄い戦なんぞに手は出さない。少なくとも、かつての世界ではそうだった。デイルが真に警戒すべきは、利益を度外視するマウクト神聖国の狂信者どもだ)」
レイナスはデイル王国の苦難の道を見てきた。その渦中で生きて、そして死んだ。
大罪人として死んだ人生において、彼は遅まきながらも、デイルを覆う謀略の糸を繰る勢力が決して一つだけではないことを知った。
違法な薬物や奴隷などの禁制品取引の元締めとして肥え太り、国内を掻き回すダリジャン一派。
デイル王国のみならず、周辺国を股に掛ける大商家を召し抱えているダリジャン伯爵家と、その息の掛かった者たち。
彼らは謀略の数々に関わり、散々にデイルを食い荒らしはしたが、武力で王室を打倒しようなどと考えていなかった。優先するのはあくまで利益。
結局、戦禍に飲まれて〝商売〟が難しくなったデイルをあっさり見限り、ダリジャン一派の主要な連中はさっさと国外へと逃れた。
デイル王国を武力によって攻めたのは別勢力。
マウクト神聖国の後ろ盾を得たギルギアス王国。
ダリジャンに狙いがあったように、マウクトにはマウクトの、ギルギアスにはギルギアスの思惑があった。デイル側とて決して一枚岩でもなかった。
つまり、それぞれの勢力なり陣営が、各個の思惑と利益を持ち寄り、デイル王国を舞台にしのぎを削っていたのだ。時に手を取り合い、時に反目しながら。
レイナスも後になってからようやく理解した。
デイルを巡る謀略の数々は、ずっと以前から脈を打っており、彼は謀略の仕上げとなる時期に巡り合ってしまったということ。
生まれた時代が悪かった。
ある意味では不運極まりない話。無論、だから仕方なかったのだと……己の愚かさを棚に上げて開き直れる話でもないが。
「ミリル。末端である君は詳しく聞かされてないかも知れないが、ダリジャン一派の〝商売〟はデイルを腐らせるものだ。いや、もう既に深い部分まで腐らせているだろう。――気が向いたら〝上〟とやらに報告しておいてくれ。『レイナス王子はダリジャン一派の商いを知っている』とな」
彼は餌を撒く。自身の命すら撒餌。敢えて敵に『お前らを認識している』と宣言する。
「殿下がそれを望むのであれば、私は従うのみです(やはり、殿下はダリジャン伯爵家を知っている……一体どこまで……?)」
致命的な弱味を握られている彼女はレイナスの言葉を受け入れるのみ。内心はどうであれ、今は表立って反抗することなどできない立場。唯々諾々と従う。それこそ表面上は従順な使用人に徹してみせる。
「ま、そうは言っても、情報の取り扱いはミリルの判断に任せるよ。君だって身の安全を確保したいだろうしね。精々〝上〟にあっさり始末されないことを祈ってる」
「…………」
レイナスは未熟な密偵など端から信用していない。今は二重間者が存在しているという事実にこそ価値があると考えており、その語る言葉に価値を見出してはいない。
事が露見して彼女が粛清されたとしても、それはそれで構わないと割り切っている。
「(俺はどうせ一度死んだ身だ。たとえ道半ばで斃れようとも、ただあるがままを受け入れるだけのこと。今さらこの過去の幻想世界で長生きする気もない)」
『デイルに仇なす者を許さない』と息巻いたところで、実のところデイル王国の状況は既に詰んでいる。
レイナスは知っている。
いかに未来の記憶があろうとも、立太子の可能性が薄い王子……しかもまだ八歳という年頃。そんな立場から、今から数年の内に謀略の全てを排除するなど不可能。
どの道負け戦となるのは承知している。
ミリルの命どころか、レイナスは自身の命にも頓着しない。彼が望むのは、如何にして道連れを増やすかという一点。
黒幕を気取る連中に一泡吹かしてやりたい気持ちは当然にあるが、今の自分にできるのは、手の届く範囲で地道に謀略の糸を斬っていくことだけ。
彼は自身とデイル王国の現状を冷静に俯瞰している。
「(ミリルがどう出ようが、ダリジャン一派からの接触はまだしばらくは先だろう。その前に動く。まずは母上の周辺だな)」
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