第2話 夜会の前
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神聖暦480年の冬。
〝かつての世界〟においては、ルーク王子が王立魔導院へと赴いた時期だ。
しかしながら、細部には違いがある。〝かつて〟とは異なっている。
まず、すでにルーク王子は、婚約者であるアリア嬢を伴って魔導院に在籍している。その上で、かつての世界に存在していた、もう一人の王子の姿はない。
五年ほど前に、離宮の火災に巻き込まれて……舞台上の役割を終えた。
「(――そう。まだ筋書き自体が大きく変わるほどじゃないが、〝向こう〟とは、すでに舞台上の演者に違いがある)」
せっせと演者の構成を変え、筋書きそのものを変えようとしているリオン。だが、彼には自覚もある。
〝かつての世界〟の顛末を知っているが故に、争乱そのものを止めることはできない――そんな諦め。
「(隠密衆をはじめ、憂国の士と呼べる方々も動いてはいるが……すでに手遅れだ。ダリジャン一派の要人やマウクトの尖兵をチマチマと始末したところで、デイルの腐敗や争乱の火種は、もはや留められないところまで来ている)」
哀しいかな。たとえ〝未来〟の可能性を知っていたとしても、リオンの手は、あまりにも小さくて短い。
どうしても届かない。すべてを掴み、まとめて拾い上げることなど、どうあってもできるはずがない。
「リオン様。例のフォレスト男爵令嬢ですが、やはり今期の新入で間違いないようです」
思索に耽っていたリオンの意識が、〝現実〟へと引き戻される。影のように控えていたミアからの報告。
「そうか」
軽く振り向くような素振りをしながら、短く応じるリオン。
落ち着いて見えるが、その胸の内には、様々な感情や記憶が巡る。
彼にとっては、聞きたくなかったような――それでいて、ずっと待ち望んでいたかのような報告。
「(彼女は演者のまま……ルークとは違い、時期も〝向こう〟と同じか)」
仮面の下で目を瞑り、呼吸を深く取る。
ジュディ・フォレスト男爵令嬢。
彼女が演者として舞台に上がるのであれば、リオンも演者として迎えるのみ。
「――さて。オーレス様から情報が漏れているなら、こちらにも堂々と接触してくるかも知れない」
「確認になりますが、あくまで相手側に対しては、リオン様が知っていることを知らないという扱いでよろしいのですか?」
「ああ。仮に向こうが俺が思惑を知っていたところで、表向きには知らぬ振りをしなくちゃいけないからな。こちらも同じくだ。接触するとなれば、お互いにそうするしかない」
〝この世界〟にジュディがいることは把握していた。なにしろ、彼が〝隠密衆のリオン〟となって、真っ先に調べたのがそれ。
官職を金で買い、それに付随する爵位を得たという、新興の法服貴族家の一つであるフォレスト男爵家。
その成り立ちを含めて黒い噂はあるものの、表向きには〝ごく普通の成り上がり貴族〟と認識されていたが……案の定、その裏には、ダリジャン商会との取引関係が見つかる。
『フォレスト家も〝向こう〟と同じか……』と、どこぞの元・王子が、改めて〝この世界〟の先行きに落胆したのだとか。
「承知しました。あと、こちらも念のための確認ですが……ノエル様やアーシェラ様については?」
「ノエル様については、もうどうしようもない。バリアード家の者として、ある程度は諦めてもらう。ただし、ミアは全霊を以てノエル様を守護してくれ」
すでにリオンの中では、ジュディたちとの殺し合いを前提として備えている。王立魔導院という場においては、搦め手や盤外戦術は使いにくいが、使えないわけでもない。
もっとも、怪しい仮面の君をどうにかするために、契約主であるバリアード家の者を――というのは、あまりにも見え透いた手だが。
「はい。私はノエル様の守護に徹します」
「ああ、頼んだ。ま、連中がノエル様に手を出した時点で……隠密衆の師匠方には悪いが、始末以外の選択肢はないがな」
仮面の目元こそ笑っているが、リオンの感情は〝無〟だ。淡々としたもの。
ノエル・バリアードに手を出された時点で、彼は〝リオン〟の名を捨てる。それは、こちらの都合で契約を押し付けた、バリアード家へのせめてもの誠意であり謝意だ。
そして、手を出した者らには、ただただ死を進呈するのみ。場所も立場も常識も顧みない。相手がマウクトの尖兵であるなら、それこそ加減や躊躇の必要もない。
「あと――アーシェラ様については、ある程度の情報の共有はするが、具体的な行動については干渉しない。まだ若いが、彼女はすでに〝正しきデイル貴族〟の気概がある。いざとなれば、放っておいても動くだろうさ」
「……オーレス様は?」
ミアの声が一段低くなる。
マウクト式やデイル式などという術式の枠に留まらない、魔導の真髄に迫る理。
その入口に指を掛ける程度ではあったが、リオンは辿り着いた。大罪人として幽閉されていた十余年の祈りの副産物として。
そして、定期的な〝茶会〟にて、リオンの扱う術理の一端は、オーレスの知るところとなった。
彼がマウクトの尖兵として動くなら、当然それなりに対応するまで。
ただ、オーレスはデイル貴族の常識からは少々はみ出てはいるが、今のところ、〝探求と研鑽を望む若き魔導士〟という枠を越えない。
「……相手の出方次第だな。彼やベリエル家がマウクトと繋がっているのは間違いないだろうが、どういう協力体制なのかがよく分からない。もし、情報の横流し程度の関係であれば、こちらからは動かない方がいいだろう」
〝茶会〟でのリオンに対するオーレスの振る舞いは、まさに上位者から教練を授かる者のそれ。
魔導士として高度な技を持つといえど、オーレスから見れば、リオンは契約養子というだけの、年下の平民でしかない。
にもかかわらず、オーレスに仄暗い羨望や侮蔑的な視線はない。高位魔導士への敬意が滲み出ているのみ。
どうにも判断に迷うところ。
「……承知しました」
ただし、ミアの警戒は強い。彼の正体や精神性云々ではなく、物理的な危機として。
なにしろオーレスは、魔導士であると同時に近接戦闘をも得手としている。彼がその気になって踏み込めば、守護が間に合わないのだ。
「一先ずはこんなところか。新入の者らについても、まずは様子見とする。何事もなければいいんだが……」
そう口にしながら、誰よりもリオン自身が思っていない。
何事もなく済むはずはない。
◆◆◆
王立魔導院において、修了者を祝うという出口側の式典こそあるが、新入りを歓迎するような入口側の式典はない。
新入の者は、考査の結果に応じて各課程に振り分けられるというだけ。
ただ、本来は淡々と進むはずの考査に、少々のどよめきが起きた。
代々の積み重ねが薄い新興貴族家は、初級課程の人材を用意するのが精々――それが基本的な共通認識だったのだが……
「……君は上級課程だ」
「はい。ありがとうございます」
どよめく。
上級課程に振り分けられること自体は珍しくもない。幼い頃から英才教育を受けている大貴族家の者などは、ほとんどがそうなる。
が、この度の上級判定は新興貴族家に所縁のある者。しかも、契約による養子が続いている。すでに〝一派〟と呼べるほどの数。
「――次、ジュディ・フォレスト」
「ええ、お願いします」
周囲の騒めき具合が増す。
「あれが〝本命〟か」
「フォレスト男爵家。新興の成り上がり者の分際で……」
「金で才ある者をかき集めたか。品位を欠くことを恥とも思わない……まったくもって嘆かわしい限りね」
騒めきの多くは侮蔑。どこか興醒めしたような雰囲気すら漂っている。
自領からの人材流出を嫌う地方貴族家が、契約による養子で魔導院の〝徴兵〟を有耶無耶にするというのは、デイルの貴族社会では長らく見過ごされてきた。
ただし、その一方で、契約養子を用意する貴族家にしても、それが恥ずべき行為だという自認もあったものだ。
が、徐々にそういった〝暗黙の了解と恥〟という概念は消えつつある。新興貴族家に利用される形で。
艶のある深い緑の髪を揺らし、その整った顔に微笑みを浮かべた少女が、考査を行う儀式台の前へと進み出る。
「では、両手を台座の術式に……」
台の表面にはびっしりと術式が刻まれている。魔力の制御や魔導の理解を量る術式だ。
歩み出た少女は、言われるままにそっと両手を差し出す。
「……ゆっくりと術式に魔力を流しなさい」
「はい、承知しました」
その紅い虹彩を監督官に向けながら、フォレスト家の御令嬢は軽やかな笑みを浮かべたままに指示に従う。魔力をゆっくりと練り上げる。
刻まれた渦巻き状の紋様が、外側から中心へと円を描くように光を帯びていく。その光が、徐々に淡いものから濃いものへと移ろう。
「こ、これは……」
監督官である壮年の男。彼の眉根がぴくりと反応する。
微笑みを浮かべた少女の魔力は止まらない。目を刺すほどに濃くなる光と共に、円を描く紋様は半分以上が光を纏っている。
「……ふん。嘆かわしい限りだ」
「ああ、まさか新参の成り上がり者が――」
周囲からは、驚きと落胆にも似た嘆きが漏れる。
考査はある意味では単純明快。
台座に刻まれた術式に魔力を流すだけ。
ただし、ただ魔力を流すだけで術式は反応しない。刻まれた術式の意味を解し、指示通りに魔力を変容させねばならない。
術式の外周を埋められなければ初級、内周に差し掛かれば下級という具合で、魔導士としての力量を大まかに量る。
光が紋様の半分を越えたならば――
「……ジュディ・フォレスト嬢。君は特級だ」
――上級よりも上。魔導院での必修課程が撤廃され、一年間の在籍さえあれば修了扱いとなり、その後はいつでも魔導院を去る自由が与えられる。
ここ最近では、申し子たるルーク王子が該当するのみ。
「そうですか。ありがとうございます」
数年に一人という結果を示しながらも、ふわりと笑顔を見せるだけ。ジュディ自身は特に気にする風でもない。
本人からすれば、これが当然の結果だと知っていたから。
周囲の驚きや侮蔑なども意に介さない。
「(――さて、手っ取り早く耳目は集めた。これで、誰も私たちを無視できまい)」
微笑みの裏。
『成り上がり者が、他の貴族子弟を圧倒する実力を示す』
そこにある狙いは同じ。いや、この場合は〝かつてのジュディたち〟を真似たというべきか。
どこぞの元・王子。
『仮面を被った奇抜な恥知らずの平民』
無理矢理に他者の視界に映り、無視できなくする。
こうして、ジュディ・フォレスト〝一派〟は、王立魔導院という舞台へと上がる。
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