第1話 昏い夜会
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「殿下、私はどこにも行きませんから」
――嘘だ。君は去って行った。
「レイナス様。いっそ、私と共に国を出ませんか?」
――それが嘘で固められたものであったとしても、あの時の俺には救いだったよ。
「安心してお眠りください。怖い夢を見ても、ジュディはこうしてお傍におりますから……」
――ああ、そうだな。確かに君はずっと傍にいてくれた。役割を終えるまでは。
振り返ればお笑い種でしかないが、それでも、あの時の俺は本気だったんだ。
ただ君が傍にいてくれればよかった。もう他に望むものなどなかった。
俺の濁った瞳には、君しか映っていなかった。
「殿下。私が言うのもどうかと思いますが……アリア様とは、一度きちんと話をすべきです」
――はは。今思えば、君が演じていただけなのがよく分かる。本当の君は……娼婦の真似事なんて望んでいなかったんだろうさ。
なにがそうさせた?
マウクト神聖国への忠誠? デイルに潜伏してた同志のためか? それとも……まるで違う、他の理由があったのだろうか?
どうしてだろうな。
決定的に間違え、流されるだけでしかなかった〝一度目〟は、ただ諦めて受け入れたというのに……今は無性に知りたい。
望んだところで、もはやどうしょうもないと分かっているのに。
〝二度目〟になって、少し分かった気がする。
平穏な日常、親しい者らとの日々、人並みの幸せ、そして己の命……それらを擲ってでも、果たすべきナニかがあるなら――
人はどこまでも非情になれる。残酷にも残虐にもなれる。己を捨てることさえも。
人道も、倫理も、常識も、情さえも踏み潰し、果たすべき道を征く。
――さぁ、道連れだ。デイルに仇なす者らよ。
◆◆◆
「く……ッ……ば、化け物め……ッ!」
「デイルの魔導士風情が……ッ!!」
血濡れの者らの遠吠え。負け惜しみの呪詛。
月が笑う夜。暗闇を伴連れにした森の中。
荒い息遣いや怒号、うめき声以外の音はない。
森は沈黙している。
荒れ狂う魔力の衝突により、獣たちは逃げ散り、虫さえもが身を潜めていた。
「――くく。どうした? 時代遅れのデイルの魔導士相手に、ずいぶんと余裕がなさそうだが?」
嗤う。
木々を縫って差し込む月明りが、薄らと道化を模した仮面を照らす。
よく見れば、仮面には点々としたどす黒い付着物が追加されている。
ささやかでしかない光源では届かない。
夜の闇と、森の木々が覆い隠している。
周囲の惨憺たる有様を。
「こ、こんな真似をすれば……貴様とてタダでは済まんぞ……ッ!!」
隠れ潜み姿は見えない。仮面の怪人を非難する声だけが響く。
「ふっ。こんな真似をすればタダでは済まない? ははは、笑わせてくれる。貴様らとて、人の庭で好き勝手にしてきたんだ。殺される覚悟くらいはあっただろうに……くくく」
殺し殺される間柄。苦し紛れの〝敵〟からの非難など、むしろ、讃美歌のようにしか聴こえない。
特にこの仮面の君にとっては、あるはずのない二度目にして、ようやく手繰り寄せることができた機会。
仄暗い愉悦が込み上げて来る。
「ぁがッ!?」
「くッ!?」
木々の合間から、くぐもった声と共に、なにやら液体が勢いよく噴出する音がする。
すでにここは狩場だ。お互いの。
「ガイリーが殺られたッ! すでに奴の手が伸びているぞッ!! 周囲を警戒して身を守れッ!」
僅かな月明りを反射し、周囲がきらきらと光る。極々細い魔力の糸が、ふわふわと宙を漂っている。
幻想的な光景ではあるが、その糸のところどころには、赤黒い液体が付着していた。零れ落ちた命の残照がそこにある。
複数の者らが森の中に潜伏している。
堂々と姿を晒しているのは、仮面の怪人のみ。
多対一。本来であれば多勢に無勢。
しかし、多を追い詰めているのは、一の怪人という図式だ。
木々の香りに、生々しい血の臭いが混じる。
「しッ!!」
術式の起動。収束した魔力が術となって弾ける。
見えざる風の刃が、木々の間から放出された。仮面の怪人へと。
「……ッ!」
目の前で片手を横薙ぎに振るうリオン。殺到する術を払うかのように。
事実、周囲に舞っていた魔力の糸が、束となって敵の術の軌道へと割り込む。障壁と化す。
魔力が弾けた。この度は術同士の衝突によって。
「……」
魔術を防いだ。リオンの手により、マウクト式の風の魔術は、刃どころかそよ風すらも届きはしない。
――だが、よろめく。
目元に嫌らしい笑みを浮かべたままの仮面の怪人。その肩と右脇腹には、黒く塗られたナイフが生えている。
投擲用の小型ナイフが、風の魔術に紛れて仕込まれていた。一手が届く。
「今だ! 畳みかけるッ!!」
「はァッ!!」
素養のない者には視えない。闇に塗られた森の中が、淡く色付き、幻想的な光景を作り上げている。
それは魔力の煌めき。術式の構成と起動による彩。
――血の匂いを生み出す色だ。
「……ふっ」
薄い笑みを浮かべながら、リオンは敵の魔術を迎える。
まず、軽く横へ飛び、地面から飛び出して来る土の槍を躱す。
その上で、殺到する魔術と投擲武器をも躱す。叩き落とす。
周囲に展開した糸で自らを操り人形と化し、自然法則に反した動きを見せつける。
「ごぶ……ゥッ……!」
木の裏に張り付いていた者が血反吐を吐く。その胸が貫かれている。先が肥大化し、矢じりのように変質した魔力の糸に。
それはまるで、自在に動く縄鏢の如く。
躱すだけ、防ぐだけに非ず。
木々の合間を異様な挙動で跳び回りながら、魔力で編んだ糸を操り、的確に敵の急所を貫く。
ただし、死をばら撒く操り人形もまた、無傷というわけでもない。
動く度に血が零れる。月光に照らされたその身は、すでに血に塗れている。
満身創痍と呼べるほどに。先のナイフが、おまけに過ぎないほどに。
「(くくく。まさか、こんなにも早く訪れるとはな。心残りがないと言えば嘘になるが……〝レイナス〟の清算としては、まぁキリがいいのかもな)」
仮面の怪人は嗤う。舞う。跳ぶ。――殺す。
「こ、こいつの魔力に底はないのかッ!?」
「非効率なデイル式なのに……ッ!」
「あぁッ!! こ、こんなところで……ッ!」
特務に従事するマウクトの尖兵たちは、暗い森の中を必死に駆ける。怪人の手を躱すために。怪人を殺す一手を放つために。
しかしながら、その身の内にはすでに恐怖が居座っている。
ある者は、根源たる死への恐怖を。
ある者は、任務を果たせずに終わってしまうという、使命感からの恐怖だ。
ある者は、敵である仮面の怪人の、魔導士としての不可解さ故の恐怖が。
それぞれが抱え込んだ。囚われた。
「怯むなァァッッ!! やつとて決して不死身ではない! ここで必ず始末するのだッ!! 古き同胞への誓いを忘れたかッ!?」
恐怖という闇を斬り裂くように、マウクト兵への怒号が飛ぶ。
次の瞬間。
いくつかの木々が震える。上方の枝葉が斬り裂かれ、どすどすと地に落ちて来る。
遮られていた月明かりが、ここぞとばかりに差し込む。まるで森の一部が舞台のように照らされる。
この場の指揮官にして――
「(ふぅ……やはり仕留め切れていなかったか)」
リオンは内心でぼやく。ただ、どこかで期待していた自分もいた。その自覚もある。
舞台の中心に立つのは一人の少女。
すでに額から血が垂れ、片目も塞がっている。
折れているのか、左手はだらりと垂れ下がり、右手はその肩を押さえていた。
足もふらつき、立っているのがやっとという有様。
だが――
「リオン・バリアード……ッ!! お前はここで死ねェェッッ!」
周囲の空間を歪ませるほどに荒ぶる魔力の発露。
敵意に殺意。開いている瞳の眼光は鋭い。
全身に強き意思が漲っている。
二度目のジュディ・フォレスト。
王立魔導院での再会により、二人の昏い夜会の幕が上がり――終幕へと続く。
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