第3話 見舞い
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王国暦475年。
レイナス・アーク=デイル王子が八歳の頃。彼のその後の生き方を変えてしまった事故……事件があった。
事件の発端は紛れもない事故。周囲の護衛や世話役たちの注意が足りていなかったという事実もあるが、それは幼い兄弟の微笑ましい競い合いからの不慮の事故だった。
レイナス王子は事故の影響で三日三晩意識が戻らないまま。何とか四日目の朝に目覚めはしたが、眠っている間に彼を取り巻く環境は大きく変わってしまっていた。
多量の魔力を一度に浴びた故にか、身の内のエーテルが乱れ、しばらくは訓練や魔法の使用ができない状態となってしまう。後遺症だ。
本来であれば、どうということもない一過性の後遺症に過ぎず、魔導士としてはままあることだ。実際のところ、そのこと自体は大きな問題ではなかった。
問題はもう一人の当事者。弟であるルーク王子。
彼のエーテルが暴走しての事故だったが、結果としてルーク王子は〝申し子〟として目覚めた。
そもそも、エーテルを扱うことができる者は一部の選ばれた者だ。
デイル王国においては、大昔に栄えたとされる古代魔導王朝の遺跡が国内に多く残るという地理的な理由と、才ある者の血を積極的に取り込んできたという積み重ねもあり、王侯貴族に出自を持つ者の多くが魔導の資質を持つ。その身に多量のエーテルを宿していると言われている。
また、平民の中からも突発的に魔導士並のエーテルを持つ者が生まれることもあり、総じて他国よりもその数は多い。
優秀な魔導士を多く輩出しているというのは、デイル王国が周辺国から頭一つ以上抜きんでている理由の一つであり、最も大きな要因だ。
ただ、そんなデイル国内の選ばれし魔導士候補たちの中でも当然に優劣はある。時に残酷なほどの差……努力では決して覆せない特別な才能というものも確かに存在する。
デイルではそのような隔絶した才を持つ者のことを、畏敬の念を込めて〝申し子〟と呼び、平民の子がひょんなことから申し子であることが発覚し、あれよあれよという間に引き立てられて出世していく……というのは、庶民の間では王道の夢物語となっているほど。
そんな申し子たちにおいても、当然にそれぞれに才の方向性に違いなどがある。ただ、今回のルーク王子は分かり易い才能を持っていた。
他者を圧倒する膨大なエーテル量の保有。
これまでは気付かれなかったが、この度、兄に良いところを見せようと、思いの外に張り切ってしまった。無茶をした。
普段は自らを傷付けない為にあったある種の本能的な蓋が、この度の無茶で外れてしまい、彼の持つ膨大なエーテルが身の内から溢れ出て……それらが周囲のエーテルと同調してしまったのだろうというのが識者たちの見解。
なにはともあれ、新たな申し子の誕生が発覚したわけだ。不慮の事故から一転して、王国にとっては望外の慶事となった。
レイナス王子が眠っている間に、弟であるルークは申し子として国中から祝福を受ける身となっていたのだ。
魔導を重要視するデイル王国において、申し子という立場は世界を一変させるほどの意味を持つ。しかも、王室から申し子が出るなど、公式な王国史の中では両手の指で数えられる程の事例しかない。
この時、ルーク王子は七歳。わずか齢七つにして、彼は立太子に相応しいほどの才を見せつけてしまったと言える。
レイナスとルークは仲の良い兄弟だったが、この一件以降、レイナスは弟への劣等感を抱くようになり、鬱屈した感情が澱のように蓄積していく。これまでと変わりなく接することにも苦痛を感じるようになり、年を追うごとに徐々に疎遠となっていく。
かつてのレイナスが辿った道。
「(ルークは決してエーテル量だけじゃなかった。申し子という立場に驕らず、日頃から勉学に励み、他者への気配りも忘れなかった。謀略に吞まれ、色に溺れて歪んでしまった俺なんかにも真摯に手を差し伸べようとしてくれていた。距離を置いた俺を、ルークは兄として尊重してくれていたというのに……。決定的に道を踏み外した後も、俺は弟への劣等感を拗らせたままのガキでしかなかった。その人格も含め、ルークは王になるに相応しい逸材だっただけなのにな)」
かつての記憶を辿りながら、当時の己の愚かさを噛み締める。反芻する。
それは悔恨の祈り。幽閉生活の果てに見出した己と向き合う時間。今のレイナスを形作る日常的な習慣。
「兄上? やはり体調が優れないのでは?」
「い、いや、大丈夫だよルーク。本当に何でもないんだ。寝過ぎで少しぼんやりしてるだけだよ」
「レイナス殿下。それを世間では体調が万全ではないというのですよ?」
「や、やっぱり兄上はまだ……ッ!?」
先触れへの返答の後、すぐさまにバーバラ妃とルークはサラリア離宮を訪れた。公式の見舞いというよりは、兄の容態を心配する弟を……バーバラ妃が我が子の意見を尊重した形だった。
「バーバラ様。貴女までルークの不安を煽らないで下さい」
「ふふ。ごめんなさい。でも、体調は本当に問題ないようですね?」
「ええ。俺としては、庭園でルークと競い合っていたかと思えば、次に気付いたら寝台の上だったというだけです。寝過ぎで少しばかり身体がぎこちないのは本当ですよ」
「え……?」
泣きそうな顔で兄と母のやり取りを見つめる男の子。
レイナスよりも、より煌めく黄金に近いさらさらの髪。
まるで青空を閉じ込めたような瞳。
その面立ちはまだまだ幼い子供のものではあるが、どちらかといえば少し薄い印象の兄とは違い、すでにくっきりと整っている顔立ちが見て取れる。
全体的に、母であるバーバラ妃の美貌を強く受け継いでいる印象のあるルーク。
「だからルーク、俺のことは気にしなくてもいい。それよりも聞いたよ。ルークは申し子だったんだってな。本当に素晴らしいことだ」
それはかつてのレイナスにはできなかったこと。寝台から体を起こし、申し子となったルーク王子の頭を撫でる。素直に弟を認め、心からの賛辞を送る。それらを分かり易く態度で表明する。
「うぅ……で、でも……僕のこの申し子の力の所為で兄上は……」
幼いながらも、ルークは自らの力の一端を知ってしまった。その恐ろしさを。
まったく悪意はなかったにもかかわらず、軽々と兄を吹き飛ばし、その意識を刈り取った。
皆が賛辞や祝福を投げ掛けてくる中、ルークは誰に言われるまでもなく、自らの持つ力の危険性を本能的に察して恐れを抱く。
「(本当に俺はガキだったんだな。まぁ、当時は年齢的にも正真正銘のガキだったから仕方ないにせよ、ルークはこんなにも分かり易く自身の力への恐れを抱いていたのに……当時の俺には、申し子としてちやほやされるルークの上っ面しか見えていなかった)」
弟が抱く恐れについても、今のレイナスは気付くことができた。関心の目を自分以外に向けて周囲を見渡せば、それはまさに一目瞭然だったのだから。
「ルーク。申し子としての力が恐ろしいなら、ちゃんと扱い方を勉強しないとな。今回は偶然の事故だ。別にルークが悪いわけじゃないさ。ま、どうしても悪者を見つけて責めたいなら、それはルークの素晴らしい才能に気付かなかった王宮の大人たちだよ。父上やバーバラ様をはじめ、いつも偉そうな宮廷魔導士や魔導学の先生たちも、今まで誰もルークが申し子だって気付かなかったんだからさ」
「あ、兄上……」
レイナスはそんなことを言ってのける。恐れを抱く弟を慰める為に。
「ふふ。言われてみれば確かにレイナス殿下の仰る通りだわ。ルーク、ごめんなさいね。私の曇った目では貴方の才を見通すことができなかったみたい」
「は、母上まで……」
「そうそう。悪いのは父上やバーバラ様だ。これから先、同じことがないように大人たちには気を引き締めてもらわないと」
「ええ。その通りだわ。王宮の皆にもちゃんと伝えないとね」
幼い弟を気遣う、同じくまだ幼い兄。そんな幼い兄の気遣いに乗り掛かる母。
「うぅ……べ、別に僕はそこまでして欲しいわけじゃないんだけど……」
流石に兄と母が軽口を叩いているのに気付き、ぎこちないながらも少し笑みを浮かべる弟。
過ぎ去ってしまい、もう取り戻すことができない苦い過去。些細だが、決して叶うことのなかったやり取りをレイナスは取り戻す。やりなおす。それがたとえ幻想の世界だとしても。
「(まだよく分からないが……もしかすると、俺はかつての後悔を払拭する為にここにいるのかもな)」
穏やかに流れる時間。それはレイナスにとっては甘く優しい味のする時間。
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