第7話 怪人
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困惑と静寂に包まれる応接間。
一瞬の後には、そこが凄惨な現場に、刑場のごとき場に変じてしまうことを、ガルム伯爵令嬢は気付かされた。
ただ、頭の片隅には『まさか。本気でやるわけがない』という〝常識〟もある。
王立魔導院の敷地内。大貴族たるガルム伯爵家の宿舎にて、そのような変事を起こしてなんになるのか。
「――――仮面の君よ。貴公の目的は……なに?」
場に漂う〝死〟への恐怖を飲み干し、絞り出すようにしてアーシェラは問う。
たとえ身の内の獣が屈してしまったとしても、彼女は、目の前の異質なる者の、その言い分の全てを認めるわけにもいかない。
「先にもお伝えしましたが、私の目的は〝警告〟です。もうお気付きでしょうが、やろうと思えばはじめからこうできました。私は得手とする魔術を行使しましたが――〝常識〟を踏み付けるのを前提とすれば……他の者でも、似たような結果に辿り着けるでしょう。私はその事実を、デイル王国の次代を担うアーシェラ様にこそ、知っていただきたかっただけです」
リオンは特に熱もなく告げる。
誰かの書いた台本を読み上げるように。
目的はただの警告なのだと。
「……」
しかしながら、それは、アーシェラが持ち合わせる〝常識〟からすれば、到底理解できない目的。
ガルム家の者をこうも堂々と襲撃しておきながら、『では、次からは気を付けて下さい』『はい、分かりました』などとなるはずもない。あり得ない。
そして、この場には、リオンの語る異常な論理よりも、アーシェラの〝常識〟に共感を示す者の方が多い。
「リ、リオンッ! 君の行動に口を挟まない契約ではあったが……これは駄目だろ!? 一体なにをしてるんだ!!」
深い関係者であるとも、まったくの第三者であるとも言える――ノエル・バリアードが苦言を呈する。
リオンの構築した魔力の糸は、すでに彼の身にも絡みついているが……場にいるガルム家傘下の者たちと同じく、その危険性に、当人はまだ気付いていない。
ただ、ガルム伯爵令嬢の態度の変わりようと真剣さから、リオンが、なんらかの危険な魔術を行使したと察する。
栄えある王立魔導院にて、いかにも怪しい仮面姿で過ごす。
侍従への危害に対して、賠償や謝罪ではなく報復を選ぶ。
事態を収拾しようとした御令嬢の前で、道化のようなふざけた態度を取る。
ここまではまだいい。
〝常識〟からは少々はみ出ているが、ギリギリ許容範囲だとも言える。言えなくもない。相手側の寛大さに期待できる余地が、まだあった。
だが、直接的に魔術を行使しての脅迫というのは、流石に看過できない。相手が大貴族の御令嬢ともなればなおさら。
「ノエル様。先ほどから繰り返していますが、私はアーシェラ様に、ひいてはガルム伯爵家に対して、注意喚起を行った――それだけですよ?」
リオンはノエルの方へと向き直り、まるで道理の分からない幼子を相手に、噛んで含めて言い聞かせるように……ゆっくりと、丁寧に、言葉を紡ぐ。
「あぁそうかい! 注意喚起や警告だと言い張るならそれでもいいさッ! ともかく! アーシェラ様に仕掛けた魔術を解くんだ! 今すぐに! これはバリアード家との契約に基づく〝命令〟だッ!!」
ノエルは取り合わない。
もともと掴みどころのない、どうにもよく分からない人物ではあった。
それでも、ノエルは契約の縛りを含めて、リオンという人物を理解しようと努めていた。
ここに来て分からなくなる。
まるで、同じ言葉を使用するだけの、異界の住民と話をしているかのような錯覚に陥っていた。
このままダラダラと会話を続けるよりも、契約による命令で止める。
その決断は早かった。詳しい事情は後回しだと割り切る。
「……ふぅ。バリアード家との契約を持ち出されると、どうにも致し方ありませんね。分かりましたよ、ノエル様」
どこか道化染みたその仕草が、少し戻って来る。リオンは〝やれやれ〟と言わんばかりに、両手を軽く上げ、大袈裟に首を左右に振って見せる。
「――ッ!」
アーシェラだけが気付く。
リオンがノエルに向き直っている間に、彼女の身に纏わりついていた糸が解けた。まるで溶けるように消え失せる。
デイルの貴族社会で用いられる〝契約〟によって、仮面の君は、本当に魔術を解いて見せたのだ。
そして、まるで抜け道を潜るかのように、その〝命令〟の裏を突かれたことも――この場では、アーシェラだけが気付いていた。
「……ありがとう、ノエル殿。仮面の君は、貴殿との約定を果たした。……確かに、私に掛けられていた魔術は解かれたわ」
リオンと対峙するノエルに対して、もういいのだとアーシェラは告げる。これ以上、刺激するなという意味も込めて。
「え? あ、あぁ……それはよかったです。ふぅ……リオンも契約は守ってくれたのか……すまないね」
「構いません。ノエル様の命令通り、アーシェラ様に仕掛けた魔術はきちんと解きましたよ」
リオンは命令に従った。ノエルの言葉通りに。
「――ノエル殿。すまないが……これ以上はなにもしなくていい。その場からも動かないことだ。――まだ、仮面の君の話は終わっていない。そうなんだろう?」
その場に立ち尽くしたまま、力なくアーシェラは吐き出す。瞳の奥には、怒りの炎が戻って来ている。
目の前に立つ、この理不尽なる仮面の君に――改めて苛立ちが募っていく。
「アーシェラ様?」
名指しされたノエルが、思わず疑問を口にする。
魔術が解かれた。にもかかわらず、アーシェラはその場から動かない。
「……他の皆もそのまま動くな。コイツは、私以外の者への手を緩めていない……むしろ、術の密度がさらに高まっている……ッ!」
ノエルは口にした。アーシェラ様への魔術を解けと。そして、リオンはその言葉通りに動いた。まさに〝命令〟の文言だけに従った。
「リ、リオンッ!?」
「はは。今回のはただの言葉遊びですよ、ノエル様。残りの話が終われば、〝命令〟通りに魔術は解きます。すぐに終わりますので――少々お待ちを」
問い質そうとしたノエルに向けて、リオンは軽く片手を上げて制止する。
そして、改めてアーシェラの方へと視線を戻し……ゆったりとした歩調で、彼女の前へと歩み出る。
止まる。
あと一歩を踏み出し、手を伸ばせば、お互いに触れ合えるほどの距離。
対峙。相対。
仮面の君と伯爵令嬢。
上背はまだアーシェラの方が高い。視線を合わせれば、見下ろすのは彼女の方だ。
――なのに。
その心境はまるで逆。
嗤う道化。その仮面の下にある異質さに、アーシェラは吞まれつつある。
「――それで? 結局のところ、貴公はなにがしたいの?」
辛うじての虚勢。
怒りは戻って来た。それでも、アーシェラの身の内には、異質なる魔導士への恐怖が刷り込まれてしまった。
しばしの沈黙。
周囲の者らも、緊張のあまりか微動だにしない。
ようやくに理解が追い付いた。
この仮面の君は、こちらの理解が及ばない、異質な論理で動く者であり、アーシェラはそれを本気で危惧している。
下手な刺激が、命取りになり得るのだと。
「――――アーシェラ様。これで分かったでしょう?」
リオンの呟きによって、沈黙がそっと道を空ける。言葉が、染み入るように場に浸透していく。
「……なにがかしら? ふふ。その薄気味悪い仮面を選ぶ、貴公の趣味の悪さであれば、十分に理解したけれど?」
レディとしてははしたないが、アーシェラは軽口にて応じる。上位者の矜持、意地として。
「はは。ご安心ください、趣味が悪いのは、私自身も十分に自覚しておりますので……」
露出した口元に笑みが浮かぶ。リオンはここで、アーシェラへの評価を上向きに修正する。
アーシェラ・ウォル=ガルム伯爵令嬢は、窮地に陥った際にも気概を忘れず、場を跳ね返そうとする胆力を備えていた。
「私がお伝えしたいのは……結局のところ、どのような立場や常識を盾にしたところで、〝いざとなればあっさりと死ぬ〟という、ごくごく当たり前の事実です」
「……」
「――そして、〝ルーク殿下〟を巡っての派閥争いをはじめ……この先、デイル王国では必ず、こういう争いが勃発します」
仮面の君は、もう嗤っていない。
そこにいるのは、冷たい狂気を纏うナニか。
『デイルに仇なす者らを排除する』
そんな怨念に憑りつかれた――元・王子か。
◆◆◆
神聖暦479年の冬。
王太子が確実視されている、やんごとなき御方が王立魔導院へと赴かれた。
王室の慣例を考えると、まだ成人すら迎えていない年頃で、すでに立太子の儀が予定されている自体が異例なのだが、この御方については、周囲を黙らせるだけの理由もあった。
〝申し子〟
女神に愛されし証を持つ者。
特異なる異能、飛び抜けた才を持つ者をそう呼び習わすのだが、ことデイル王国においては、魔導の資質に秀でた者への尊称となっている。
王室から出た〝申し子〟というのは、貴族社会においても、民衆に対しても、象徴として分かり易いのだ。
――それが表向きの理由。
裏向きの理由は――実のところ、誰も、王になりたがらないから。
王室典範に則ると、成人済みであれば、現王の兄弟姉妹、甥や姪の方が、厳密には王位継承順位は高い。
しかし、その者らは、この先のデイル王国に暗雲が立ち込めていることを知っている。争乱の足音が聴こえている者たちだ。
だからこそ、ルーク・アーク=デイル王子が担がれたのだという。
◆◆◆
「――相変わらず、大袈裟なことだね」
黒塗りの大型馬車の中。
ゆったりと流れる窓の景色を眺め、頬杖をつきながらぼやくのは――一人の少年。
陽の光を受けて輝く、極上の金糸を束ねたかのような黄金の髪に、まるで抜けるような青空を閉じ込めたような瞳。
年の頃はまだ若いが、幼さを残しながらも、すでにくっきりと整った顔立ちであるのは一目瞭然。
ルーク王子。
まさに、その麗しき見目に違わぬ王子様だ。
「確かに大袈裟かも知れません。もとより、ルーク殿下は王宮にて暮らされていたわけですから……」
馬車の中には、王子様以外に三つの人影。その内の一つ、同じ年頃の少女が、王子のぼやきに応じる形で口を開く。
実のところ、馬車の中では何度か繰り返されたやり取り。
王子様を乗せた馬車の行き先は、栄えある王立魔導院。
その行先がどうこうではなく、この道中の状況にこそ、ルークはぼやいてしまうのだ。
「王子としての見栄も必要なんだろうけど……ヴァルア離宮から魔導院への短い道中にまで必要なんだろうか? 国内の貴族子弟に向けて、形だけの豪奢さを喧伝してもね」
ルークとて王室に籍を置く身。
王都を移動する短い旅に用意されたのは、儀礼用としての六頭立ての大型馬車だ。しかも、その前後には、同じ仕様の馬車に身替りを置いて連れ立っている。
そして、そのさらに後ろには、貨物用の馬車が三台ほど続く。
広大な敷地を誇る王立魔導院ではあるが、立地としては王都の中だ。
それに、王室に由縁のある者が過ごす邸宅も、当然の如く敷地内に準備されており、常に使用人が常駐し、その管理も手抜かりはない。
ルークからすれば、わざわざ離宮から持参するような荷物などない。
後ろに続く貨物用の馬車など、ただの飾りに過ぎないじゃないかと――そんな思いが先に立つ。
もちろん、為政者に権威が必要なのは、ルークとて重々承知している。その必要性を理解している。
しかし、王族の権威を、金や豪奢さで嵩増しして示すというやり方には、いくばくかの疑問がある。
今のデイル王国は、新興貴族や商家の富裕層などが幅を利かせるようになっているのだ。
金や豪奢さを追求するというなら、いずれは権威そのものが金で取引されるのではないか? そんな日は遠くないのでは?
漠然と、そんな懸念を抱いているのだと……ルークは向かいに座る、婚約者の少女に語る。
「権威を金に換える者たち――ですか。確かに、殿下の仰る懸念は、昨今のデイル王国の情勢を見ていると……いずれ現実のものとなってしまいそうな、そんな危機感があります」
アリア・ローゼイン侯爵令嬢。
婚約者たるルーク王子の懸念に、無難に同調する。
だが、父や叔父から聞かされているデイルの情勢として、すでにそれらが〝懸念〟では済まなくなってきているのだとか。
あくまで机上の情報ではあるが、アリアは知っていた。
そう。これから赴く王立魔導院においても、様々な思惑を持つ者らが、魔導院内の派閥争いという体で代理闘争をしているのも。
代々の貴族子弟だけでなく、新興貴族家、商売で成り上がった富裕層の平民、出自の怪しい者らの出入りまで……。
「ふぅ……正直なところを言えば、僕は魔導院で過ごすよりも……色々と他に優先すべきことがあるように思えてならない」
「……」
ルークには、すでに大局を観る者としての才が、その片鱗がある。そして、それを本人も自覚していた。
為政者が凄い魔術を使えたからどうなんだ?
〝申し子〟という、ある意味では反則技のようなモノで王太子が確実視されている。そんな王子が、今さら魔導院で魔術を学ぶ?
同年代の貴族子弟との接点を持つ、社交の場という意味があると言われても……〝王子〟という立場は、どうあっても利権争いの象徴にされるだけ。
――などなど。
ルークはそもそも、魔導院へ赴くこと自体に否定的だった。
そして、婚約者であるアリアは、そんな王子の苦悩を所々で聞かされてもいた。
「――ですが、ルーク殿下。魔導院には、普段王宮や離宮で接する者らとは、まさに一線を画す者らもいると聞き及んでおります。地方貴族の者などは特にです。普段、報告書の中だけに存在する地域の者らと――実際に言葉を交わすというのも、それはそれで、実りに通ずるような、なにかしらの意味があるのではないでしょうか?」
ただ同調、追従するだけに非ず。
アリアはルークの危うさも察している。才があるからこそ、彼は僅かな情報から、全体像のすべてを〝分かった気〟になってしまう傾向がある。
それが悪いとは言わないが、実際に自らの目と耳で確認する、肌で感じることも重要なのではないかと……アリアはそう考える。
彼女もまた、ルークと同じく〝才ある者〟の側に立つからこそ。
「実際に接する――か。確かに僕は、アリア殿が仰るように、地方貴族の者らと接する機会が極端に少ない。――魔導院では、少し意識してみようと思う」
アリアの意見に対して、ルークはしばし目を瞑っての黙考を挟む。
そして、ゆっくりと目を開き、自らに足りてない部分を素直に認める。
「その意気にございます、ルーク殿下」
和やかに流れる時間。王立魔導院までの短い道中での一幕。
ルーク・アーク=デイル。
アリア・ローゼイン。
二人はほどなくして知る。
神聖暦479年。
違う経過を辿った先にある王立魔導院。
そこには、妖しき仮面の怪人がいるのだという。
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