第6話 道化
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「――この度の件は、我がガルム家に非があったことを認め、正式に謝罪いたします」
そう口にする。深々と腰を折る。
所作は完璧なもの。礼法として、確かに謝意を示している。
ただし、その深い紫の瞳の奥は燃えていた。
アーシェラ・ウォル=ガルム伯爵令嬢。
纏う気配だけ見れば、まるで獰猛な捕食者の如く。とても謝罪の場に相応しいものではない。
だが、この場に立ち会う者らは、誰もそこには触れない。迂闊に触れられようものか。
「……このノエル・バリアードは、アーシェラ殿の謝罪を確かに受け取りました。今後、此度の件については、一切の言及、追及をしないと、我が家門に誓いましょう」
固い表情のまま、定型となる文言を口にし、御令嬢から謝罪を受け取るノエル。
この度の一件は、ガルム家傘下の未熟者が、どうしようもなく先走った結果であることは、彼も十分に理解していた。
ミアが重傷を負ったのは確かだが、すでに治癒術にて傷も癒えた。まったく取り返しがつかない状況というわけでもない。
正式な謝罪があるならば、それで仕舞いとしても問題はない。
――と、本来はそうなるはずだった。
今、アーシェラは獲物を前にした猛獣のような気配を纏っているが……その振る舞いについても、ノエルには心当たりがあり過ぎる。
他の者と同じく、指摘などできようはずもない。
「――バリアード家の侍従の御方についても、この度は申し訳ないことをいたしました……主に代わり、このアヴァンめが謝罪いたします」
続いて、ガルム家の侍従たるアヴァンが、被害者であるミアの前へと歩み出て、謝罪を口にする。
流石に貴族家の御令嬢が、他家の侍従に直接謝意を示すような真似はできないため、ガルム家の侍従が代わりに謝罪する。このような形を取る。
儀礼的にも、特に問題のない処理だ。
そして、主とは違いアヴァンは、内心はともかくも、見るからに平静で感情を表に出さない。その振る舞いにしても、まるで礼法の教書通り。
「そのお心遣い、まことに感謝いたします」
短くそう言い切り、両の手を体の前に重ねて揃え、ぴしりと頭を下げるミア。侍従としての返礼であり、こちらも規範の礼法通り。余計な感情が入る余地もない。
しかし、そのような礼法的には〝普通のやり取り〟でありながらも、それを見やる周囲の者らの空気は、徐々に、徐々にと重たくなっていく。
ガルム家の粗相について、アーシェラの謝罪が終われば……どうしても〝次〟の話題へと移行するのが目に見えているから。
場はガルム家の宿舎。その応接間での一幕。
礼儀としては、本来であればアーシェラ側がノエルの下を訪ねるのが筋なのだが、今のノエルがいるのは、魔導院内の狭い宿舎ということもあって、今回は舞台をガルム家側としていた。
ノエルからしてみれば、まるで猛獣の檻の中へ、自らで進んで入って行くような心持ち。
同時に、さる貴族家の契約による養子に対して、これまで以上のありありとした不審を抱く。
「――それで……ノエル殿。この度、私からも少々お訊ねしたい旨があるのだけれど……お時間をよろしいかしら?」
大貴族の御令嬢。それも十代の半ば頃という、まさに花も恥じらう麗らかなる乙女が、満面の笑顔を煌めかせて〝お願い〟を口にする。
場面だけを見れば、微笑ましい光景として映るだろう。
しかしながら、その乙女のお願いが合図だったかのように、周囲の空気は一気に張り詰める。
なんなら、場の空間そのものに、びしりと亀裂が入りそうなほどの緊張感だ。
「……はい。大丈夫です。アーシェラ殿がお聞きになりたいのは、どのようなことでしょうか?」
どうしても固さが抜けないまま、ノエルは分かり切った受け答えをする。
アーシェラ・ウォル=ガルムが聞きたいこと?
この場に居合わせた者で、それを知らぬ者はいない。
ノエルの応答は、まさに〝次〟への誘い水。
「お時間をありがとうノエル殿。――実は、我がガルム家が懇意にしている家の者が、二人も、この魔導院内で怪我をしたのよ。そのことについてノエル殿、ひいてはそちらの仮面の君に――ご意見を頂けないかしら?」
場の空気の重さとは裏腹に、アーシェラの可憐で獰猛な口元からは、すらすらと〝本題〟が流れ出てくる。
さらに、ノエルへの問いとしながらも、燃えるような怒りを秘めたアーシェラのその深い紫の瞳は、すでに彼の斜め後方へと固定されている。薄らと魔力まで滲む。
「そのようなことがあったのですね。まず、その方々の一日も早い快癒を心から願いましょう。――ただ、申し訳ないのですが、意見をと求められても……このノエルには、快癒を願う以外には……」
白々しいのは承知の上で、ノエルにはそう告げるしかない。
『悪いけど僕は関係ない』
丁寧に、丁重に、一線を引かせてもらう。なぜなら、ノエルは本当に知らなかったから。
まさか、あとは形式的な謝罪を受けて終わりという段になって、直接的で野蛮な報復に出るなどとは思わなかった。
『なぜに今さらそんな真似をする?』――そんな疑問しかない。
言葉を濁したままにノエルは、質問者であるアーシェラから静かに視線を外す。
『あとは当事者同士でよろしく』――というところ。
アーシェラとて、バリアード家の監督責任に思うことはあれど、ノエルを本気で追及するつもりもなかった。
当事者が誰か……それは明らかだったから。
「そう。では――そちらの仮面の君はどうかしら?」
この会談がはじまって以降、形式的な挨拶以外は、ただただ無言で控えていた仮面の君――リオン。
ただ、この場に居合わせた者らは皆、はじめから彼を注視していた。
その道化を模した仮面の笑みが、まるでガルム家を嘲笑っているようにしか見えなかった。
報復の襲撃を受けた二人ですら、
『よくもまぁ、平然とアーシェラ様の前に出て来られたな』
などと、別の意味で感心しているほど。
改めて、周囲の視線を一心に集めたリオンが口を開く。
「ノエル様に同じく、まずは怪我を負った方々の快癒を願います」
先のノエルに同じく、白々しい文言。
ただし、ノエルと違うのは、リオンの声には、欠片も気まずさの色がないこと。それはもう堂々としたもの。
「そのお心遣いに感謝いたします。怪我をした者らも……さぞや喜ぶことでしょう」
ただし、リオンのそんな態度は、アーシェラの獰猛さをさらに引き出す。
花も綻ぶ微笑ましい乙女のそれから、獣の舌なめずりのようなそれへ。
外見が中身に追い付いた模様。
「それでどうでしょう。仮面の君……リオン殿と言ったかしら? 怪我をした者の快癒を願う以外に――」
言葉の途中で、アーシェラの纏う魔力の質が変わる。膨れ上がる。
「――ッ……!」
「く……ッ……」
「ぁ……!?」
むしろ、周囲に控えていたガルム家傘下の者らが、その圧に巻き込まれて、次々に顔を歪めていく。
もはや伯爵令嬢は、魔力を、威圧を隠そうともしない。
そこはまさに獣の檻。
「――なにか思うことは?」
アーシェラは再度問う。射貫くような深い紫の瞳で。
しかしながら、それは単なる威圧ではない。
――言い分があるなら聞く。
そういう姿勢であり、同時に、ここが最後の一線だという警告だ。
上位者の器と最後通牒。その二つを示す。
「ふむ。思うことですか……」
一方、問われた側はまるで動じていない。
アーシェラの威圧など、どこ吹く風。
その仮面の道化は、目元に嫌らしい笑みを浮かべたまま。
伯爵令嬢の視線を真っ向から受けながらも、リオンはむしろ、巻き添えで苦しむノエルの方へ、ちらりと視線を向ける。
なお、正面からの巻き添えはミアも同じくなのだが、そちらは少々不快そうに眉根を寄せるだけ。視線をわずかに床に落とし、我関せずで通している。
「(――この者らは……やはり……ッ!!)」
アーシェラは確信した。
改めて己の疑念が間違いではなかったと。
先だって、未熟者を返り討ちにしたという侍従。
そして、自身の圧を受けて小動もしない、この恥知らずな道化も。
力を秘めていた。
その上で、本気で隠そうともしていない。周囲の者が気付くかどうか……試すような真似を続けていたのだと。
ここに来て、改めて確証を得る。
「そうですね。私が思うのは――」
たっぷりと間を取ったリオンが、ようやくに口を開く。
仮面に覆われた視線を、ふいとアーシェラへと戻す。
「――〝まったく以て悠長なものだ〟というところでしょうか?」
それは特に気負いもない、独白のような呟き。
だが、次の瞬間。
「ッ!?」
「ぁ……!?」
「こ、これは……?」
獣の檻が壊れた。
いや、そっと扉が開けられたというべきか。
場に充満していたアーシェラの圧が、突然に解けた。
圧を感じていた者らが、思わずバランスを崩すほど。
「――――貴様……なにをした?」
いきなりのことに皆が驚いたが、一番に驚愕したのは当の本人。檻の主だ。
なぜなら、アーシェラ自身はなにも変わらない。
今も間違いなく魔力を放出し、場に圧を掛けている。
にもかかわらず、皆が知覚していた圧だけが消えた。
訝しむのは当然の反応。
事もなげに、平然と佇む道化を睨みつける。
「ははは。ガルム家の御令嬢ともあろう御方が、私ごときに教えを乞うおつもりで? 申し訳ございませんが、御令嬢の教導は、私なんぞには畏れ多くてとてもとても……どうぞご容赦のほどを」
道化らしく、おどけたように応じるリオン。腕を振っての、大袈裟なお辞儀の仕草まで。
それはまさしくアーシェラへの侮蔑。露骨なほどの。
「……いい度胸ね。その恥知らずな仮面姿を晒すだけのことはあるわ。ただの酔狂な身の程知らずではないと言うところかしら?」
むしろ、真正面からこれほどの無礼を浴びせられ、逆に冷静さを少し取り戻すアーシェラ。
魔力による圧が消えても、場には別の緊張がありありと残っている。
「お褒めにあずかり光栄の至り。――ですが、デイル王国の次代を担うガルム伯爵家の御令嬢から、そのようなお言葉を賜るなど……我が身には過ぎたる誉れにございまする」
あくまでも道化として振る舞うリオン。しかし、その言葉の裏には、当然のように含むものがある。
「ふふ。とても〝光栄〟や〝誉れ〟などとは感じられないのだけれど?」
誘われている。
それを承知でアーシェラも乗る。
言いたいことがあるなら、言うがいいとばかりに。
獣の如く、その口角が上がる。
可憐な乙女の顔に、危険な笑みが張り付いて離れない。
「いえいえ、とんでもないことにございます。大層な肩書をお持ちながらも、人を扱うことも、魔力の扱いも、立ち回りすらも、あまりお上手とは言い難い。あまつさえ、特異な状況への危機感も欠いておられる――」
慇懃に無礼を唄う道化。
流石に御嬢様の目元もピクリと反応する。取り戻した冷静さが、またもや削られていく。
「――そんな程度でしかないアーシェラ様からの賛辞であっても、喜ばしいことには変わりはありません」
ここまで来ると、もはやアーシェラよりも、周囲の者らにこそ響く。
顔色は失せ、引き攣るほどに表情が強張っている者の方が多い。
先ほどまで冷静沈着な様子を見せていたアヴァンでさえ、今は苦々しい顔を浮かべている。
「――――――ふ、ふふ……あは、はは……は、ははは……ッ……!」
あまりの無礼によってか、アーシェラの口からは笑い声が漏れる。
否、漏れていた。自身でも気づかぬ内に笑っていた。
アーシェラははじめて知る。あまりの怒りの先――そこでは、もはや笑うしかないのだと。
リオンの言動は、彼女の引いた一線を軽々と踏み越えた。
異様な緊張感に包まれた応接間には、ただただ、アーシェラの笑い声だけが響く。
腹を抱え、大口を開けて笑うという、レディとしてあるまじき姿を晒す伯爵令嬢を前にしながら、誰も動けない。誰も口を挟まない。
張本人たるリオンも、静かにその姿を見守るのみ。
「あはははッ! はは! ――くくく、ふふ……ふふふ、あはは……はぁ……ふぅ……」
徐々に笑い声が、狂騒が収まっていく。
「ふぅぅぅ…………ふふ。こんなに大笑いをしたのは、幼子の頃以来だわ」
笑い過ぎて思わず滲んできた、目元の涙を指で払いながら――アーシェラは、改めて無礼千万な道化を見やる。
「貴族様に限らずですが……感情を抑えることができてこそ、ようやくに一人前だという〝悪しき〟風潮もありますので」
先ほどまでの大仰な口調や仕草は失せ、ゆったりと落ち着いた印象が場に現れるた。
その上で、リオンはアーシェラの言葉に対して、合いの手のような応じ方をする。
「悪しき風潮? まるで感情を抑えることが間違っているかのように言うのね?」
アーシェラにしても、ごくごく平静な色合いの語り口にて、リオンの言葉に重ねて返す。
もう、道化ではない。ナニかが切り替わった。正面で相対している彼女は、いち早くそれに気付く。
ここからが本題なのだと直感した。
「ええ。傘下にいる者が、格下の地方貴族の者に手を出して返り討ちにあった。そして、事態を収拾するために動いている最中に、当事者が闇討ちされるという蛮行まで起きた」
「……」
それは寝る前の子に物語を語るような声。
同じ仮面。同じ立ち姿。
だが、場にいる者らもその違和感に気付き出す。
そこはかとなく漂う。仄暗いナニかが、仮面の君からじわりと滲む。
――そんな光景を幻視する。
「アーシェラ様。貴女はデイル貴族の者――それも名家の者として、傘下の者の失態について、事態の収拾のために、真っ当な動きをされていたと存じ上げております」
「わざわざ貴公に認められるまでもなく、ガルム家の名に恥じぬよう、これ以上の醜態を晒さぬようにと動いた――そう自負しているわ」
当然だと言わんばかりに、アーシェラはそう断じる。
失態はないに越したことはない。だが、人が真に試されるのは、失態の後。それを挽回しようと動く時だ。
それを彼女は正しく理解していた。己の一時の感情よりも、優先すべきことは山ほどにあるのだと。
もっとも、道化に対しての一連の怒りについては、今は横へ置き、見なかったものとする。
「ええ。だから読みやすいんですよ。これまでの慣例、常識に沿って動く者らは、次にどう動くかを、親切丁寧に教えて回っているようなもの」
「……」
リオンは知っている。デイルの貴族社会が、貴族家の者らが、いつ、どのように押せば転がるのかを。
他でもなく、我が身で経験済みだ。
そういう手を使って来る連中にとっては――〝常識〟の範疇でしか動けない者など、ただの獲物でしかない。
いとも容易く罠へと誘導され、あとは仕留められるのを待つだけ。
「確かに、恥知らずで野蛮な襲撃など想定していなかったわ。でも、それがどうしたと? 〝悪しき慣習〟を無視し、感情のままに報復合戦をしろと? わざわざそんな忠告を与えるために、貴公は我が傘下の者らを闇討ちしたとでも言いたいの? 馬鹿馬鹿しい……」
アーシェラからすれば意味が分からない。
動きが読みやすい? 次の動きを吹聴しているのと同じ?
だからどうだというのか。常識や慣例に従うのは、ある意味ではデイル貴族の義務だ。それらを無視すれば、国は成り立たない。
「私は、別にアーシェラ様の在り方を否定したいわけではありません。ただ、王立魔導院という〝揺り籠〟の中であっても、ゆめゆめ油断なさらぬように……と、そうお伝えしたかっただけです」
妖しき仮面の君は、静かにそう告げる。まるで、本心から貴女を心配しているのだと言わんばかりに。
「――ッ!?」
今。この瞬間だ。
内に秘めたる獣の如き本能が――屈してしまった。
アーシェラは、今こそ、目の前にいる仮面の少年に怖気を抱いた。
ようやくに視えた。おそらく、相手がそう仕向けた。そうしてもらわなければ、最期まで気付かなかったというのが……彼女にはどうしようもなく分かってしまった。
「――き、貴公……は……ッ……!?」
声が震える。気付いてしまった以上、もう無理だ。
彼女はその場を動けない。その深き紫の瞳には、驚愕と恐怖が混じりて宿る。
常識、慣例、立場、義務……そして、揺り籠に油断。
妖しき仮面の言い分は、まさにこの瞬間のためにあった。今の状況を示唆していた。
「? アーシェラ様……?」
主の異変に気付いたアヴァン。当然に声を掛ける。当然に主の様子を確認しようと動く――動こうとする。
「動くなアヴァンッ!! 他の者もだッ!! 誰一人として、その場から一歩も動くなァッ!!」
「ッ!?」
恐怖を噛み殺し、アーシェラは吠える。皆に警告を発する。
「――賢明なご判断です。同時に、見事な胆力でもありますね」
それは紛れもなく本心から。リオンは、アーシェラの気付きと咄嗟の行動を讃える。
妖しき仮面の少年の周囲には、この応接間には、すでに魔力によって編まれた極々細い糸が張り巡らされていた。
そして、アーシェラをはじめ、この場にいる者らの身も――すでに全身が糸に絡みつかれている。
その命を握られている。
◆◆◆




