第5話 静かな狂気
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「――これが〝はじまり〟でよかったのでしょうか?」
少女の声が夜の救護室に落ちる。それは誰に問い掛けるでもない、独白に近い呟き。
すでに魔導院の主要な設備は消灯している頃合い。
「はは。まさか幕開けが、こうまで突発的だとは思っていなかったが……まぁこれはこれでよしとしよう」
淡く差し込む月明りを受けながら、腰掛け窓に佇む妖しい仮面の人物が一人。
少女の独白を拾う。
夜も更けた救護室に、二人。
レイナスとミリル。
今の二人の間には、ノエルの前では抑えられている、冷たい狂気がじわりと滲む。
まるでその気配だけで、薄暗い救護室がさらに昏く沈んでいくかのよう。
「確か……『ルーク王子周辺の利権を巡り、この魔導院を舞台に各派閥間の争いが起こる』――でしたか」
無感動。まるで他人事のような棒読みで、ミアは続ける。リオンから聞かされていた今後の想定を。
「あぁ、そうだ。ただし――」
ふと窓の外へと目をやるリオン。妖しい仮面。月明かりを正面から受け、その目元の道化の笑顔がひときわ深くなったような気さえする。
「――元々の想定よりも、事態は少し前倒しで動いている」
リオンの〝記憶〟と比べると、ルークが王立魔導院へ赴く時期からして違う。
神聖暦479年の冬という予定。
それは〝かつてのレイナス〟が十二歳の頃。婚約者であるアリアを伴い、この魔導院に来たのと同じ時期だ。
少しずつ〝記憶〟とは違って来ているが……リオンは見越している。魔導院にて起こる騒動を。
〝記憶〟での王立魔導院。
そこではある時期を境に、水面下の争いなどという生易しい段階を通り過ぎてしまう。
表立っての〝演習中の事故〟や〝決闘紛いの衝突〟などが増加の一途を辿る。
そして、それが大貴族の関係者であっても、いつの間にか人知れず行方不明となる者も。
それがリオンの知る〝未来〟。
折れた心と曇った目。易きに流され堕落した、当時の〝レイナス〟は気付けなかった。
魔導院で激化する暗闘に。
いや、周囲から目を逸らし、あえて知ろうともしなかったというべきか。
何度となく忠告を受けた。苦言も呈された。強い警告さえあった。
それでも彼は視ない。聴かない。流されるままに怠惰な日々を続け、利用されるだけ利用された。
「人というのは度し難い。誰かが一線を越えるまでは、皆がその一線を守っている。行儀よくな。だが、誰かがその一線を越えてしまえば――途端に『あいつよりはマシだ』と〝安心〟してしまう」
月光を浴びながら、妖しき仮面の君は唄う。
仮面の下にあるのは、仄暗い後悔の焔。それはかつての自分が蒔いた種火の結果。
「その〝安心〟は遅効性の毒のように巡る。一人、また一人と……一線を越えることを躊躇わなくなる。珍しいことじゃなくなってしまう。行儀がよいままに狂っていく――」
「……」
この王立魔導院という場所にて、貴族子弟らは規律を守り切磋琢磨する。たとえ派閥による敵対があろうと、突き詰めれば相手側も同胞であることに違いはない。
だからこそ、皆は行儀よく争っていたのだ。
しかし、そのバランスを崩し、あえて一線を越えた者らがいた。
〝かつての世界〟には。
「――この度の件を、〝一線を越えた事例〟とするのですね?」
狂気を秘めたリオンを前に、ミアは淡々と確認を取る。
「そうだ。ガルム伯爵家ともなれば、他家からの注目もある」
偶然にせよ、餌に喰い付いたのは、それなり以上に名の知れた家の者。
「彼の家からすれば、降って湧いたような不幸ですね」
「はは。餌は撒いたが、ここまでを見越してたわけじゃない。結局は未熟者の暴走だったみたいだが……ガルム伯爵家が先に手を出したことに違いはないさ」
社交性という擬態を駆使するようにはなったが、その本質は、四年前のあの日から変わらない。それをミアも知っている。
『デイルに仇なす者を排除する』
そのための手を打つ。利用できるものは利用する。他者を巻き込むのにも躊躇はない。
「では、こちらからも〝一線を越える〟ということで?」
「ああ。どうせなら、皆で一緒に狂えばいいのさ。裏工作をする者らの思惑よりも先にな」
リオンは考えている。
王家御用達の暗部集団たる、隠密衆の一員となってからも。
失火によるサラリア離宮の大火災で、第一王子たる〝レイナス殿下〟が、齢八つという若さでお隠れになった。
第二王子にして申し子たるルーク殿下が、そのまま王太子となるのがほぼ確定した。
ルークの婚約者。将来の王妃候補者も、順当にアリア・ローゼイン侯爵令嬢が選ばれた。
ここまでして、ようやくに明確な〝違い〟が見えて来た。〝かつての世界〟との〝違い〟が。
一連の流れについて、ルークやその母バーバラ妃の抵抗勢力となり得た、第一王妃たるマリアベル妃殿下は、体調を崩して公の舞台から退いた。
我が子レイナスの死を受け入れられないまま、今は王宮の奥の間にて静養しているのだという。
第三、第四王妃も子を生したが、今のところは特に問題ない。バーバラ妃が、王宮の奥の間を緩やかにまとめている。
そして、証明する方法もない断片的なものではあるものの、リオンから情報を得た隠密衆らが、改めて王宮内に食い込んでいる密偵の排除に乗り出した。
少なくとも、ルークの周辺は徹底的に洗い出されているのだが……〝若かりし頃の恩義に従い、離宮長という要職に就くに至るような筋金入りの間者〟については、現在進行形で調査が進められている。
それらの過程で、隠密衆側にもそれなり以上の被害が出ているが――致し方なし。
「今さらですが、先んじて一線を踏み越えていたとしても、結局は裏工作をする者らが動き易くなるだけでは?」
その場ごとの状況に流され、迂闊に抜けられない立場となったミアが問う。合理にもとづいた、ごく当たり前の問いを。
月光を浴びていたリオンは、道化を模した仮面の視線をゆっくりと部屋へ戻す。
「――だろうな」
あっさりと認める。敵に口実を与えるに等しいことを。
「だが――こちらからも排除し易くなるだろ?」
「……」
道化の仮面が嗤う。
『盤面を先に乱しておけば、少々無茶な動きをしても目立たない』
雑な暴論に過ぎないが、リオンはそれを承知で状況を動かす。
もともと己の命や立場に執着する気などない。
すでに〝レイナス王子〟という立場と役割を一度捨てている。
今の〝リオン・バリアード〟という立場も、使いにくくなれば捨てるだけ。
もし、その過程で、道半ばで斃れたとしても――彼にとっては想定の内でしかない。
「……ふぅ。リオン様が無茶をして命を棄てるのは勝手ですが……実際にそうなれば、私はとっとと逃げますからね?」
張り詰めていた気配が僅かに緩む。一区切り。
盛大にため息を吐きながら、ミアは宣言する。リオンの狂気に最期まで付き合う気はないと。
「あぁ、もちろんだ。そうなれば、今度こそ〝新たな人生〟を用意してくれるだろうさ。――隠密衆がな」
「誰かさんに一度反故にされていますからね……そこについては、期待し過ぎないようにしておきます」
それなりの信頼はある。だが、お互いに相手に過度な期待はしていない。
リオンはデイルに仇なす者らを粛々と始末する。道連れを増やす。
ミアは淡々と目の前にある任務を果たす。次こそは自らで選ぶと誓いながら。
その前段として、盤面に乗せられたのは――ガルム伯爵家。
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王立魔導院にて一つの事件が起こる。それは噂となって、貴族子弟の間を即座に駆け巡る。
事件の発端。
それはガルム伯爵家の庇護を受けていた者らが、バリアード家の者に対して私的に魔術を行使した。
結局のところ、魔術を行使した当事者たる二人は、バリアードの侍従に重傷を負わせたものの、返り討ちに遭ったのだとか。
騒動を受け、アーシェラ・ウォル=ガルム伯爵令嬢は、責任の所在は監督を怠った我が身に、ガルム家にあるとし、各関係者に対して通達し、正式な謝罪の段取りに入った。
もちろん、それ自体も一つの大きな事件ではあったのだが……。
問題はその後。
ガルム伯爵家が騒動の収拾に取り掛かり、概ねは収束したと思われた……その最中に起こる。
バリアードの者に魔術を行使した二人――ジョージアとスネイルという名の者らが、なんと白昼堂々、魔導院内で襲撃を受けたのだ。
当の二人は、別々の場所で個別に襲われたのだが、どちらも一瞬の出来事だったようで、二人は襲撃者の姿を見ていないとのこと。
ただし、そこには明確なメッセージが残されていた。
ジョージアは右肩の脱臼。スネイルは右前腕の骨折。
さる侍従の受傷部位と同じ。
さらに、それはガルム家がバリアードに謝罪の意を表すために、ノエルへの面会の手筈を整えた直後に起きた。
誰しもが思う。
これはあきらかに報復だと。
しかし、それは王立魔導院どころか、貴族社会の常識を踏み越えた蛮行。
収拾に動いていたガルム伯爵家に、真正面から、平然と泥を塗った。
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