第4話 はじまり
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広大な敷地を誇る王立魔導院には、それぞれの演習場付近に救護室が備えられている。
その内の一つ。
「ふぅ……まさか、こんな馬鹿馬鹿しい争いがはじまりだなんてな」
ベッドに寝かされた相手を前にして、リオンは呆れが交じるため息を盛大に吐き出す。彼が駆け付けた時には、すでに事は終わった後。当事者たちの治療も。
「リオン。たとえミア殿が君の直属の侍従であったとしても、今回については、彼女を軽視するような真似は許さないよ?」
普段からおっとりとしているノエルが、怒気を含ませてリオンを見据える。
「え? あぁ違いますよノエル様。――んー……ミア。この度はその身を挺し、ノエル様を守護したこと、まことに見事であった。褒めてつかわせる」
ノエルの誤解を解くために、あえて大仰に侍従を褒めるリオン。ただ、あまりに芝居がかっており、余計に馬鹿にしているようにしか見えないが。
「――お褒めに預かり光栄の限りにございます、リオン様。ですが、私めはこの度、ただただ己の役割を果たしたまでのこと」
ベッド上のミアもまた、主に合わせて大仰に応じるから性質が悪い。
主従ともに、内心では欠片もそんなことを思っていないのが、まるで隠れていない。
「……まったく。だからそういうやり取りが微妙に怖いんだよ、二人とも」
主従による、どこか飄々とした茶番を横に見やりながら、ノエルは愚痴る。
彼からすれば、まさに修羅場を潜ったかのようだったが、共にいたミアはすでに気にも留めていない。
ノエルとミア。
二人はガルム伯爵家に従う者らからの脅迫を受け、あまつさえ魔術による襲撃を受けた。
私的な争いに魔術を使用するのは、当然に王立魔導院では禁則だ。
――建前としては。
実際には、魔術ありきでの決闘なども魔導院では珍しくない。もっとも、あくまでも〝演習〟であると言い訳を立てるのが〝常識〟だ。
しかし、この度は違う。演習場どころか、建物内で魔術を行使した。
目撃者も多く、魔導具による感知もあったために言い訳のしようもない。
こうなっては、対象者を公に処罰しなければならなくなる。魔導院側からしても、いい迷惑だ。
「しかし――私はこのまま寝ていてもいいのでしょうか? こちらの怪我が大したことないのはあきらかですが……」
「寝てて構わないさ。相手にも体面というものがある。未熟といえども、〝貴族家の魔導士が二人掛かりで、田舎貴族の侍従相手に手も足も出なかった〟――というのは流石にな。こちらもかなりの重傷を負ったという体にしておく方が無難だ」
「いやいや! 大したことあるよ! 数か所の骨折は十分に重傷だろッ!? 思いっきり血反吐も吐いてたし! 内臓も痛めていると医務官にも言われていたじゃないか!?」
あっけらかんと話す二人を、あり得ないと断じるノエル。
実際のところ、ミアの怪我は重傷で間違いない。
右の前腕の骨折に肩の脱臼、肋骨も二本折れていた。その上、全身の打撲、裂傷などもある。
なにしろ、ノエルに向けられた不意の魔術を、ミアが文字通り身を挺して庇ったのだ。
まともに魔術――圧縮された風の塊をぶつけられ、結局は庇ったノエル諸共に吹き飛んだのだが……そのおかげで、周囲の者らも騒動に気付いた。
あっさりと吹き飛んで行った二人を見て、流石に不味いと我に返った未熟な貴族たちだったが、それこそが隙。
ノエルの無事を確認した後、即座に反撃に出る。ミアが駆ける。
血を吐きながらも、彼女は吹き飛ばされた分を取り戻すかのように一気に踏み込み、相手の二人を殴り飛ばした。
あっさり気を失った未熟者たちだったが、ミアは念のためにと、二人の膝を踏み折ることも忘れない。呻き声と悲鳴が上がったため、命に別状はないと判断した。
そこらあたりで、騒ぎに気付いた者らが駆け付け……一連の流れが露見する。
結局、ノエルを含め他の二人も、さっさと救護室へ運び込まれたため、当事者は彼女しか現場に残っておらず、関係者から色々と聴取を受けることに。
平然と受け答えをしていたミアこそが、実は一番の重傷者だと発覚するのは、散々に聴取をされた後。
言うまでもなく、周囲の者は慌ててミアを救護室へ運び、医務官を呼んだという次第。
「――ふぅ。まぁ重傷には違いないけど、ミア殿の命に別条がなかったのはなによりだよ。あんなにも短絡的に手を出して来ると分かっていれば、格好を付けて煽るんじゃなかった……ミア殿、改めて謝罪いたします。その上で――ありがとう。ミア殿は僕の命の恩人だ」
ノエルは何度目かの謝罪を口にする。同時に感謝も。
正直なところ、ノエルは想定していなかった。まさか、自分たちの望みが叶わないからといって、八つ当たりのように魔術を使って来るなど……そこまで阿呆ではないと、ある意味では相手側を信頼していた。
が、彼の信頼と期待はあっさりと覆る。
大袈裟ではなく、あの場にミアがいなければ、ノエルは命を左右する事態に陥っていた。
「どうかお止めください。私はすでに、ノエル様からの感謝も謝罪も十分に受け取っております。また、命の恩人と言われましても、あの場でのノエル様の振る舞いは正しきデイル貴族でした。命の危機があったのは、あくまでルールとマナーを知らぬ相手側の非によるものです」
諸々の経緯から、憎たらしさすら滲み出てくる主に対してはともかく、謝罪と感謝を素直に表すノエルに対しては、ミアも真面目に応じる。
ノエルの護衛はリオンからの言い付けではあったが、たとえその指示がなかったとしても、あの場面を前にすれば、ミアは彼を守っていただろう。
悪いのは例の未熟な二人であり、ひいては彼らに指示を出した者。
「――しかしだな、ミア殿……」
「あー……ノエル様。ミアがいいと言っているのですから、この件での謝罪と感謝はもう終わりにしませんか? 重傷を負って療養中の者に、言い分を押し付ける形になっていますよ?」
「ぅ……ッ!? た、確かに……言われてみれば、それもそうだな……」
引くべきところは引く。まだ若いながらも、ノエルは人としてもデイル貴族としても、それなり以上に弁えている。
実のところ、それは得難き資質でもあるのだが、本人からすれば〝当たり前のこと〟であり、特に意識もすることもなかった。
が、この度の騒動によって、ノエルも少し考えが及ぶようになる。
〝当たり前ができない〟者たちもいるのだと。
「(確かに……確かにリオンの言い分は正しいんだけど――うーん、リオンに正論を説かれると、どうしても〝お前が言うな〟って気分になるんだよなぁ……」
ちなみに、ノエルの中での〝当たり前ができない〟筆頭はリオンだったりする。
◆◆◆
「――やってくれたね」
苦々しく呟く声。
決して大きな音ではなかったが、その場に響くかのように沁みわたる。そこはかとない怒りと失望が込められた音だ。
それはガルム伯爵家が代々使用している、王立魔導院内の〝邸宅〟での一幕。
一応〝宿舎〟という扱いであるが、ノエルたちが過ごす集合住宅風とはまるで違う。広大な屋敷だ。
まさに名だたる大貴族だからこそ、魔導院の敷地内に邸宅を構えるくらいはしてみせるというもの。
「申し訳ございません、アーシェラ様……」
豪奢な調度品で飾られた応接室。深く頭を下げているのは、アーシェラにリオンの調査を進言した少年だ。
その背後では、騒動を起こした当事者で二人の未熟者が、顔を歪めながら膝をついていた。
治癒術による治療こそ済まされているが、早さを優先した治療だったため、まだ治療部位の痛みや違和感は残ったまま。
ただし、二人の顔に浮かぶのは肉体の痛みよりも敗北感。なにより主からの怒りに対する恐怖が色濃く滲み出ている。
「申し訳ない……か。謝罪の意味を理解しているの? ここからは言葉の選び方を間違えないことだね」
「ぅ……ッ」
アーシェラはソファーに深く腰掛けたまま、冷ややかに彼らを見下ろした。紫色の瞳には、欠片の温もりも宿っていない。
「――私の怒りは、君たちが負けたことでも、怪我を負わされたことでもない。魔導院の建物内で私的な魔術を行使し、よりにもよって〝ガルム伯爵家〟の名の下に暴挙に走ったことだ」
「は……はい……」
そうは言いながらも、上位者たるアーシェラは己の非も理解していた。
この一件にて、自分の指示が下位者にどう受け止められるのか……時に暴挙すら招くのだと、その危うさを学んだ。
「私はあの〝仮面〟を調べろと言ったはず。それがなぜ、ガルムの庇護にいる者が二人がかりで手を出して返り討ちに遭うの? その行動がなにを意味するか……本当に分かっているの?」
底に怒りを湛えた静かな問い掛け。そこには並の貴族を遥かに凌ぐ、〝格〟による圧が存在していた。
「ぅ……そ、それは……」
「ガルム伯爵家は、暴力でしか人を動かせぬ浅はかな家門であると――自ら喧伝して回ったようなものだ」
言葉を失い、ただただうな垂れるしかない傘下の者たち。視線を上げれない。上位者の目をまともに見ることができない。
アーシェラは、傘下にいる者らのそんな姿を見て小さく息を吐く。
苛立ちを押し殺すように視線を窓の外へと向ける。
「――アーシェラ様。この度の不始末、ガルム家としてはいかがいたしますか?」
自らで苛立ちを収めようとする主の仕草を見ながら、今後についての意見を求めるように声を掛ける。
未熟な下位者からではない。アーシェラの背後に影のように佇んでいた、ガルム家が直接召し抱えている侍従の青年から。
「……まず、魔導院側には正式にガルム家から謝罪を。この件についての魔導院側からの処罰も、実行者ではなくガルム家が引き受けるとしなさい」
アーシェラは侍従へ振り返ることもなく、淡々とそう告げる。その言葉にぴくりと反応したのは、視線を上げれない例の未熟者たち。
「承知いたしました。――それで? 例の〝仮面〟については?」
青年――アヴァンは、未熟者らの反応などは意に介さず、淡々と主に重ねて問う。
「〝仮面〟についてよりも先に、バリアード家の者への謝罪を。重傷を負ったという侍従への見舞いも手配しておきなさい」
大貴族であるガルム家が失態を犯した。これ以上の醜態を晒すわけにはいかないとアーシェラは正しく理解している。怒りと興味は後回し。
ただし――
「――それらを適切に処理した後に、改めてバリアードの者に〝仮面〟への面談を求めなさい」
「……承知いたしました」
――アーシェラは己の興味をなかったことにはしない。
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