第5話 人の心とは
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シャーニ離宮長。
役職の名の通り、まさに離宮の実務を取り仕切る者。
しかしながら、彼女にはもう一つの顔もあった。
ダリジャン一派、組織の手の者。それも、離宮内に間者を引き入れるまとめ役でもあった。
離宮長という立場があれば、確かに間者を引き入れるのも容易ではあっただろう。
そして、その事実をレイナスは知っていた。
デイル王国を混乱に陥れた元凶の一人として――大罪人としての刑罰の中で。
一つの記録として。
神聖暦476年。
シャーニはサラリア離宮を辞して、ルークに与えられたヴァルア離宮の離宮長の補佐役として任を受ける。
あくまで引退前の引継ぎのような扱いであり、補佐役としての任は三年ほどで終わり、その後、彼女は正式に王宮、王室庁関連の長年の奉公から身を引いた。引退だ。
しかしながら、当時のレイナスは、信頼していたシャーニの離任に癇癪を起こし、泣き喚いて引き留めようとしていたものの、その後の彼女の足跡など知らなかった。知ろうともしなかった。
大罪人として幽閉された後、記録の中に残されていた一文によって、レイナスはようやくにシャーニの死を知る。
神聖暦480年。
彼女は、王都の郊外にある自宅で遺体となって発見された。自室の執務机に突っ伏すように事切れていたという。
血を吐いた形跡、少し喉を掻いたような傷はあるものの、遺体にはそれ以外に外傷はなく、なにより、執務机の傍らに残されていていた遺書から、毒による自死だと結論付けられた。
その遺書は、自らの罪を告白するための懺悔。
王室に関わる情報や離宮での王子王女の様子の漏洩、離宮内に間者を潜入させる手引きやその監督……などなど。
王家への忠誠を裏切ってしまった、私は罪を犯したのだと遺書には記されていた。
ただ、遺書の中に組織の具体的な言及はなく、すべては弱い自分の心が悪かったという文言で締められていたという。
離宮長という要職を歴任してきた者の自死と告白。
当然に調べられる。
結果として、『幼い頃に生き別れた息子に子がおり、病を患っていた。その治療や支援を引き換えに、ダリジャン一派から協力を求められていたのだろう』――と結論付けられ、調査機関の記録として残されることになった。
罪は罪で間違いないが、その罪のはじまりは、家族を人質とした脅迫ということもあり、元・離宮長の罪は表立って公表されなかった。
これは単に死者の名誉が守られたという話ではなく、公表することによる悪影響への懸念が強いという事情も、律儀に記録として記されていた。
また、調査機関はシャーニが若かりし頃に生き別れたというヒョードル・レグジー当人とその娘シャンテを保護し、ダリジャン一派からの接触を断ち切った。
こうしてシャーニの罪は、非公式な記録にのみ残され封じられる。
もとより、彼女の告白程度でダリジャン〝商会〟をどうにかできるわけでもない。
そんな記録を、レイナスは大罪人として閲覧していた。
◆◆◆
「――シャーニ。一つだけ聞かせて欲しい」
暗闇に包まれたホールでの対峙。
レイナスは落ち着いた声色で離宮長に問う。
「他ならぬ殿下のご要望とあらば、なにも一つと言わず、いくらでも聞いてくださって構いません」
淡々と、まるでいつもと変わらぬように応じるシャーニ。
そこには、冬枯れた大樹を思わせる落ち着きがあった。
「そうか。なら、遠慮なく聞くよ」
対するレイナスも落ち着いている。ただし、その落ち着きは揺るぎない信念などに由来するものではなく、どうしようもない諦念によるもの。
「……ローゼイン侯爵家による保護では足りなかったのか?」
それは暗に、ヒョードルとシャンテ以外にも、何かしらの弱みを握られていたのか、何か他の事情があったのかという問いでもある。
〝未来〟においては、王国の調査機関に保護されたヒョードルとシャンテは、デイルの混乱を生き延びたという情報だけが残されていた。少なくとも、大罪人レイナスが処刑される頃までは生きていた。
ローゼイン侯爵家による保護という形で、レイナスはそんな〝未来〟の成果を先取りしたのだが……それでもなお、シャーニは間者として動いた。
その理由を問う。
「いいえ、足りないなどと……畏れ多いことにございます。ローゼイン侯爵家の保護については感謝に堪えません。これでようやく、シャンテも魔力欠乏症の根治治療が可能になるかと思えば……我が身には、まさに喜びと感謝しかございません」
暗闇に包まれた貴賓室の大ホールにて、シャーニの人影が深々と頭を下げる。
多少目は慣れたが、レイナスとミリルには、暗闇の中で人影が少し動いたという程度の認識でしかなかった。にもかかわらず、その所作と声色には、心からの感謝が滲み出てもいた。
間者としての演技だと言われれば、それまでなのかも知れない。
だが、レイナスは直感する。
少なくとも、シャーニが示す感謝の言葉に偽りはないと。
離宮長の為人。
彼女との直接的な関わりは、当然にレイナスがサラリア離宮を与えられてからであり、シャーニとの付き合い自体は、実のところまだそこまで長くない。
それでも、レイナスは知っている。
シャーニ離宮長が、誰より厳しい言葉を口にしながら、誰よりも細かく使用人たちの体調を気に掛けていたことを。
自らを律し、与えられた職務に一切の妥協を許さなかったことを。
かちり。
頭の中で、錠前が開くような音を聞く。
レイナスは唐突に理解が及ぶ。
「――そうか。シャーニは……はじめから、そうだったのか? シャンテの病はただの不幸に過ぎなかった? むしろ……それすらも偽装に利用したのか?」
シャンテの治療への支援。
それが、はじまりではなかったとしたら?
レイナスはシャーニに投げ掛ける。
「――私ごときに殿下のお考えの全てが分かろうはずもありません。ですが……この件については、殿下のご理解で間違いないかと存じ上げます」
「……」
あくまでも慇懃に応じるシャーニ女史。そこにはレイナスへの――第一王子への敬意がある。
同時に、幼い主の計画を逆利用し、離宮に火を放つことにも躊躇はなかった。
彼女の中では、それらがごく自然に両立している。
「……はは。俺はシャーニのことを誤解していた。――いや、違うな。俺はなにも分かっちゃいなかったんだ……すべてを知ったつもりでいきがっていただけ……くそッ!」
思わず、苦々しく吐き出してしまう。
レイナスは、自分がなにも知らなかったことに気付く。気付かされた。シャーニという人物が持つ、その覚悟の一端をまざまざと見せつけられたことによって。
まさか、大罪人としての〝未来〟で知り得た記録自体に、すでにシャーニが仕組んだ偽装が差し込まれているなどと……思いもしなかった。
「で、殿下……?」
一方、臨戦態勢を維持しつつも、二人のやり取りをほぼ傍観者として見ていたミリルには、まったく意味が分からない。
「ふぅ……どういう経緯があったのかまでは知らないが、シャーニはダリジャン一派から脅されてなんていなかった。『家族を人質に取られ、葛藤の中で苦しみ、どうしようもなく王家を裏切った哀れな離宮長』――そんな人物は、はじめから存在しなかったという話だよ」
くたびれたような口調で、レイナスはミリルに軽く説明する。
「……」
丁寧な説明にはほど遠かったが、未熟ながらもミリルとて密偵として訓練を受けた身。
〝ここは考えても無駄〟だと判断する。
この場においてはシャーニが〝敵〟。必要なのはその情報だけだと、自らの興味や好奇を切り捨てる。
「殿下。そう卑下なさらないでくださいまし。凡愚である私などからすれば、そもそもレイナス殿下が〝商会〟の存在を知っていたこと、ミリルや私の正体を看破したことについて……その慧眼、聡明さには、空恐ろしくなるほどです。まさか、成人前の王子が隠密衆の御方と独自に接触していようなどとは……誰も思い至りません」
気付きを得たレイナスと割り切ったミリル。
そんな二人を前にして、シャーニは変わらずに敬意を込めた言葉を紡ぐ。その言葉は、まさに本心からのもの。
シャーニからすれば、異常なのはレイナスの方だ。
まず、どうやって知ったのか。辿り着いたのか。
改めて、当人からは『隠密衆の協力を得ていた』と説明を受けていたが……そもそもの話、シャーニにしろミリルにしろ、その正体や背景にある情報などは、隠密衆ですら掴んでいなかったはずなのだ。
事前に情報が漏れていたなら、わざわざ幼い王子を介して暴く必要もない。粛々と粛清すればいいだけ。
「……はは。今のシャーニに褒められてもね。ま、色々と隠し事があったのは、結局のところはお互い様か。――それで? こうしてのんびりと話をしているってことは、もうシャーニの方はいいの?」
レイナスの瞳の奥に、妖しい灯火が宿る。
デイルに仇なす者らを排除する。道連れを増やす。
そう覚悟は決めていた。
にもかかわらず、彼は情けを掛けた。ミリルとシャーニに対して、組織を抜け、もう一度生き直す道を、選択肢を提示した。
それは決して間違いではないが、レイナスの旅路においては――正しくはなかった。
情けは人の為ならず……とはならない。
シャーニの一手により、レイナスはあっさりと窮地に陥ってしまう。
しかも、〝未来〟の記憶すらも、優位性を担保するわけじゃないと気付かされた。
仕切り直す。
「はい。私は……私の旅路はここで終わりにございます。諸々の差配はすでに終わっております」
「――そうか」
レイナスはシャーニの心を知らなかった。
シャーニはレイナスの異常性の底を知らなかった。
お互いの立場を考えれば、分かり合える余地もなかった。
「俺はシャーニの事情、その詳細までは知らない。だけど、その忠義には敬意を払うよ。たとえその忠義の先がダリジャン一派であったとしても……」
「ありがとうございます。殿下の御心の底はついぞ知り得ませんでしたが……第一王子という立場を捨ててでも、王国のために成し遂げたい願いを抱かれた……それ自体はとても素晴らしきことかと。まさに殿下は〝王の器〟を持つ御方であると、このシャーニが感服いたしました。そこに一切の偽りがないからこそ――残念でなりません」
それは問答の終わり。
レイナスの魔力が揺らめく。
次の瞬間。
「……ッ……!」
暗闇の中で、シャーニの体がびくりと震える。
数度の瞬きの間、彼女はその場に佇んでいたが……ついにその場に崩れ落ちる。
それは命の終わり。
◆◆◆ ◆◆◆
今は昔。
あるところに、それはそれは美しい娘がおりました。
年頃には幼馴染みと結ばれ、子も生まれて幸せな日々。
ですが、貴族様の横恋慕により、その幸せは引き裂かれます。
娘にとっては永遠とも思える日々を過ごし、ついに貴族様との離縁と相成りましたが……
貴族様の怒りの火は、娘の両親と実家の商売を焼きました。
それを運命と呼ぶなら、運命とはなんと残酷な言葉なのでしょう。
貴族様の怒りの火が、愛する夫と子に向けられたと知った娘の恐怖はどれほどだったでしょう。
そして、急ぎ駆け付けた娘が見た光景が――
大怪我をしながらも、我が子を守り抜いた夫と、血濡れの父の手の中で無事な子であった時の安堵はいかほどであったでしょう。
夫と子は、貴族様の怒りの火を潜り抜けることができました。
しかし、そこには別の貴族様の助力があったのです。
その貴族様は言いました。
『――本当にすまない。この愚か者の仕出かした蛮行については、まことに侘びのしようもない』
その貴族様は、心を怒りに支配された貴族様の上位者だったのです。
商売を通じて連帯を持っていたという間柄。
そもそも、娘の実家である卸問屋とも関わりが深い貴族様でした。
懇意にしていた卸問屋が、貴族からの理不尽な要求によって焼き払われるという蛮行を耳にした上位の貴族様が、事態を収拾するために動いてくださっていたのです。
『そもそも、既婚で子もある娘に横恋慕するなど……その時点で介入しておれば、このような事態にならなかった。親御殿にも、本当に申し訳がたたぬ……』
上位の貴族様は悔いていました。
身分の差はあれども、利を追及する商売といえども、義理と人情が介在しなければ物事は上手く回らないと、その貴族様は理解していたのです。
だからこそ、強く強く悔いました。
『……いいえ、貴族様。夫と子の命があるのは、間違いなく貴族様のおかげでございます。私には感謝しかありません』
娘は貴族様の後悔など知りません。とにもかくにも、夫と子を助けてくださったことが第一でした。いえ、それだけがすべて。
娘にとっての恩人であるその貴族様は――バウル・ダリジャン伯爵という名でした。
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