第4話 炎上
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季節は移ろい、少しずつ肌に冷たい風が吹きはじめている頃。
レイナスの計画も着々と進んでいた。
物理的に人手の減ったサラリア離宮では、生活上必要な一部の区画を除き、すでにほとんどの区画、設備が閉鎖されている。
ただ、第一王子の離宮がそのような状況になっていることは、デイルの貴族社会でも特に話題にも上らない。
わざわざ公表されていないというのもあるが、貴族社会の話題は、もっぱら第二王子に偏っていた。
申し子たるルーク王子は、年明けにヴァルア離宮へと移ることになると王室庁から正式に発表があったのだが、同時に正式な婚約が決まった旨も公表されたのだ。
お相手はアリア・ローゼイン侯爵令嬢。
もちろん、貴族社会において目と耳を持つ者であれば、アリア嬢については、レイナス王子と婚約の内定まで話が進んでいたことも承知している。
本来であれば、節操がない、けしからんなどという意見も出て来そうだが……申し子となったルークには、立太子の話まで出ているため、内情はともかく、表立っての強い反発は少なかった。
誰しも、未来の王太子の不興を積極的に買いたいとは思わない。
結果からすれば、現状一人勝ち状態のローゼイン侯爵家に対しても、正面から意見をぶつけるような真似もしない。
この度の件で利を逃した者、やり込められた貴族家たちは、粛々とやり返す機を狙う。それがデイルの貴族社会での常。
表面上は静けさを保ったまま、デイル王国の時は流れゆく。
しかしながら、騒がしい情報を得てしまった者たちもいた。
他でもない、静かなる喧噪の当事者とも言える、ローゼイン侯爵家。
「――巧妙に隠されていましたが、ヒョードル・レグジーを支援していたのは、ダリジャン伯爵家の息が掛かった商家でした。ただ、金や品の流れを見る限り、件の商家は〝真っ当〟なようです。ダリジャン商会との関わりにしても、〝綺麗な取引〟のみでした」
ゼンガーの私室に設けられた応接間にて、シルトスは手にした書類に目を落としながら、そのような報告をしていた。
レイナスからローゼイン家へ出された〝課題〟。
ヒョードル・レグジーとその娘シャンテについてだ。
「――そうか。つまるところ、レイナス殿下はやはり知っておられた。デイルの実情を……」
ゼンガーはしみじみと溢し……グラスを傾け、蒸留酒をぐいと呷る。
この度の報告は、ある意味では酒がないと聞けないものだった。
ダリジャン伯爵家。
デイル王国の一貴族ではあるのだが、もはやそんな範疇には収まってはいない。
まともな商取引だけに留まらず……禁制の薬物や違法な魔導具、武器、ときには人さえも商品として取り扱い、今や国をもまたぐ商家の大連帯を、強大な組織を築いている。
『ダリジャン商会に用意できないものはない』などと囁かれるほど。
当然ながら国内にも強い影響力を及ぼし、ここ最近では、デイル王国の爵位すら商品として扱うのだという。
そして、そんなダリジャン商会の専横を、王家ですら無傷では止められなくなっている。
王家が動けば、直接的に手を出せば……デイル王国内外に大きな混乱を招くほどに、〝商会〟は各所に深く喰い込んでいた。
「あと、ヒョードル・レグジーの血縁、親戚縁者、養子縁組などについてですが、手続きや届出などに問題はなく、記録上の整合性についても、特におかしなところはなかったようです」
ゼンガーたちはレイナスから聞かされていた。
『ヒョードル・レグジーはサラリア離宮の要職にある者の子』だと。
しかし、届出や記録などを調べる限りでは、ヒョードルの父親は行政部の事務官であり、身分としては息子と同じく平民出身の一代貴族。
すでに一線を退いており、今は妻と共に王都を離れて隠棲しているとのこと。
親戚縁者にしても、離宮で任を受けている者はいない。
表向きは。
「ふん。〝商会〟が関与しているなら、届出や手続きなどどうとでもなるだろうさ。――わざわざ言及するということは、ヒョードルの出自が判明したのか?」
記録や手続きを辿っての解明が困難であるのは、ゼンガーとて承知している。
本気で〝商会〟が動いたとなれば、手続きのごり押しや記録の改竄などはお手の物。ましてや、一代貴族の個人についての記録など、貴族家の血統証明に比べれば、もとよりそれほど厳重に管理されているわけでもないのだ。
「はい。兄上が仰るように、記録関連からは無理でしたが……ヒョードル・レグジーの記録上の両親に秘密裏に接触し、諸々の事情を聞き出すに至りました」
「直接の接触か……〝商会〟が関与する深さ次第では、少々危険な一手だな」
「――ヒョードルへの支援が〝真っ当な商家〟からのみであるのを鑑みて、そこまでの危険はないと判断しました。もちろん、危険性を理解している者らを遣わせましたが……」
「ふん。まぁいいさ。とりあえず、先にその成果を聞こう」
兄であり当主でもあるゼンガーに促され、シルトスは報告書に記された〝物語〟を語る。
ヒョードル・レグジーの生い立ち、本当の両親についてを。
記録上の両親が、彼を実の子として育てることになった経緯を。
それは、数奇なる運命に翻弄された、一人の美しい娘の物語でもあった。
だが、ローゼイン侯爵家の歩みは少々遅かった模様。
ヒョードル・レグジーに紐づく秘密を知り得たところで……動ける余地などなかったのだ。
なにしろ、サラリア離宮から火の手が上がったのは、まさにその夜のこと。
◆◆◆
燃える。
燃焼の匂いが、冷たく澄んだ空気に交じり、風に乗って運ばれて行く。
〝レイナス・アーク=デイル〟の葬送のために準備していた、サラリア離宮の焼失。
離宮に火を掛けること自体は計画通りだったのだが……。
「――ッ!」
すでに寝台で横になっていたレイナスだが、異変を感知して即座に跳び起きる。
計画外。想定外。
計画の最終段階に入ってはいたが、決行日はまだ少し先の予定だった。――にもかかわらず、離宮には火が放たれてしまった模様。
失火という単純なミスの可能性も捨てきれないが、すでに離宮内には喧噪が広がっている。遠くから怒号が聞こえる。
「レ、レイナス殿下ッ! こ、これは一体……!?」
寝室の横に設けられた、使用人用の待機部屋にいたミリルが飛び込んで来る。
彼女も混乱の渦中にあった。計画の前倒しなど、なにも聞いていなかったから。
少なくとも、その姿は事前に火災を知らされていた者の素振りではない――と、レイナスは判断した。一先ずは。実のところ、今はいちいち構っていられないというのもあった。
なにしろ、一度火が付けば、短時間で消火ができないようにと、油などの燃料を離宮内の随所に設置しているのだ。
計画に無関係なただの火災であっても、仕掛けに引火すれば結果は同じ。
火は離宮を丸ごと焼き尽くす。
「ミリル! 状況を確認するためにも、まずはシャーニと合流する! 仕掛けが作動しているなら、このまま離宮が焼失する可能性が高い! いざとなれば、このまま当初の計画を進めるッ!」
「は、はいッ!」
公的に第一王子を示す、王から下賜されたマントを寝間着の上から雑に羽織り、レイナスはミリルに指示を出す。
離宮内で計画を知る者は少ない。だが、知る者がいないわけでもない。
まだ可能性でしかないのだが、レイナスはこの時点で確信している。
『これは俺への攻撃』――だと。
「ミリル! 屋内の火災では煙などに毒が混ざっているはずだ! 煙を吸い込むと動けなくなる! 防護するから俺の付近を離れるな!」
「毒!? わ、分かりました!」
詳しい理屈までは分からぬとも、室内の火災では、直接火に焼かれることよりも、煙を吸い込み意識を失い、そのまま命を落とす危険度の方が高い。
デイル王国には、火災現場では、まず煙を寄せ付けない工夫が重要だという先人の教えが存在するのを、レイナスは知識として知っていた。
間を置かず、自身とミリルを含む範囲で、風を循環させながら見えない壁を展開するという魔術を起動。
この魔術を使用していても、火災現場で死に至る事例もあるようだが……使わないよりは遥かにマシだとレイナスは割り切る。少なくとも、燃え盛る炎の熱気を弱める効果は確実にある。
「計画遂行を考慮し、離宮の者らとの接触はなるべく避ける! 行くぞ!」
第一王子の私室を飛び出し、レイナスとミリルは火の手が上がるサラリア離宮を征く。
もともと人手が削られていることに加え、夜半という頃合いもあってか、離宮に残っている人員の動きは鈍い。
非常事態の混乱を鎮めるはずの、指揮系統の上位者の数も少なくなっているためだ。
また、少ない人員では、広い離宮内の状況把握にも時間が掛かってしまう。
ただし、離宮内の混乱については、皮肉なことに事前に描いていた絵図通り。まさか自分自身が、その混乱の中を駆け回る羽目になるとはレイナスも思っていなかったが――。
◆◆◆ ◆◆◆
今は昔。
貴族様の怒りを買ってしまった娘は、慟哭を抱えながら馬車にて駆けてしました。
遅まきながら、ついに娘に知らされたのです。
実家である卸問屋の商家が、父と母が、貴族様の怒りの火に焼かれてしまったことを。
流石に貴族様の家族たちも、貴族様の暴挙には驚いてしまったようです。
娘に事情を伝え、彼を止めるようにと、恥知らずにも娘に懇願したのです。
夫と子、両親との再会を心待ちにしていた娘からすれば、まさに寝耳に水。
娘は用意された馬車に乗り込み、夫と子の無事を祈りながら、怒りの火を振り撒く貴族様の下へ――。
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レイナスの目指すところは、計画を知るシャーニ離宮長の下。
だが、執務室や離宮長の私室に彼女の姿はなかった。
また、離宮内を駆けながら、この度の火災がただの事故ではないと、改めて確信していた。
計画の段取りでは、人員を減らして閉鎖された設備や居室などを、仕掛けの起点となる火元として選んでいたのだが……遠くから響く喧噪、怒声を聞く限りでは、計画通りに各所から次々に火が立ち上っている模様。
「(――計画通りなら、仕上げとなるのは貴賓室。もし、仕掛けた側が未だに離宮に留まっているとすれば……)」
内心で可能性を思い描いているものの、レイナスの足取りには迷いがない。
ただ、付き従うミリルは多少の冷静さを取り戻していた。
「で、殿下! 仮にこれが殿下への攻撃ならば、仕掛けた側が離宮に留まっているとは思えません! と、当初の計画を進めるなら、このまま私たちも離宮を離れるべきではッ!?」
迷いなく貴賓室へと向かう幼い主に、ミリルはごく当たり前の意見をぶつける。
火災で離宮を丸ごと焼き払うのだ。巻き込まれるのを恐れ、仕掛けた側は退避するのが自然。また、レイナスが仕込んでいた貴賓室からの脱出経路についても、潰されている可能性の方が高い。
今さら貴賓室へと向かう意味が分からない。灯りに引き寄せられ、自ら火中へ飛び込む虫と同じだ。
しかし、ミリルの意見を聞いてもレイナスは足を止めない。無視。沈黙のままに離宮内を駆ける。
そして、まだ仕掛けが作動していない、一見すると無事な貴賓室のホールはすぐそこ。
ここはサラリア離宮の中でもいち早く閉鎖された箇所であり、離宮内の喧騒をよそに静寂を保っている。
「(う……も、もし、ここで仕掛けが作動したら……ッ!)」
計画のあらましを知らされたミリルからすれば、細やかな装飾が施された貴賓室のその重厚な扉は、巨大な焼却炉の入口にしか見えない。
「……中にいるな」
焦るミリルをよそに、レイナスはただの見た目ではなく、魔術による感知で場を視ていた。
扉の向こう。貴賓室の大ホールには人の気配がある。待っている。
周囲に展開していた風の魔術を応用し、レイナスは視えざる風の手を使う。触れぬままに扉をそっと押す。
施錠もされていなかった扉は、いともあっさりと開く。
月明かりも差し込まない、閉め切られた貴賓室の大ホール。
暗闇の中に、溶けるように佇む人影が一つ。
しばしの沈黙。
レイナスとミリルの目が暗闇に慣れるかどうかという間。
「――――ようこそおいでくださいました。ですが、私個人としては、殿下がここへ来ないことを期待していたのですが……こればかりは仕方がありませんね」
心から残念だと言わんばかり。
心からレイナスの身を案じていたと言わんばかり。
――シャーニはそんな言葉を紡ぐ。
「やはりシャーニの仕業だったか……」
どこか諦めたように零す。
その表情までは視えないままだが、レイナスは、彼女がにこりと微笑んだ姿を幻視した。
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