第2話 逢瀬再び
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疑問が膨れ上がる。不安は日に日に形を変えていく。
すでに二十日以上が経過しているにもかかわらず、接触はない。使者も来ない。
「(……どうして?)」
主のベッドメイクをしながらも、ミリルの内心には疑問符が乱舞している。
緊急連絡用の符丁にミスはなかった。
次の日に手すりの裏を確認した際には、符丁を確認したという印――ミリルの符丁に重ねるように斜線の傷が付けられていた。
サラリア離宮に潜む上役には、確実に伝わっている。
その事実に、諸々の不安を抱えたままではあるが、ミリルの心は僅かに軽くなったものだ。
「(まさか……すでに切られた?)」
使者が誰かをミリルは知らされていない。当然のように上役の詳細も。
廊下ですれ違う侍女。
洗濯場の下働き。
庭師。
守衛。
雑用を言い付けられる下男。
来客として訪れる者たち。
符丁を示したのちは、すれ違う者らの一人一人に緊張感を持っていた。いつ接触があるかも分からない。
だが――なにもない。
もしや、あの緊急連絡用の符丁自体が、間抜けな密偵を炙り出すための仕掛けであり、符丁を使った時点で組織に切り捨てられたのでは?
そんなことすら思い描いてしまう。
ミリルの胸の内には乱れがあるものの、離宮の使用人、レイナスの側付きとしての表の顔は、これまでの評価を覆すほどの働きを見せている。もうできないフリは止めた。
心に余裕がないというのもあるが、離宮に潜む組織の密偵が、この異変を察知して接触して来ないかと――ミリルは一縷の望みに懸けてもいる。
ただ、そんな涙ぐましい努力が功を奏すことはない。
焦燥だけが募っていく彼女に声を掛けるのは、接触を持つのは――。
「ミリル。少し話をしよう」
先ほどまで、執務部屋にて書類に目を通していたはずのレイナスが、いつの間にか寝室の入口にいる。作業をするミリルを後ろから見ていた。
ベッドメイクの手を止め、ゆっくりと幼き主へと向き直る。
「――はい。どうなされましたか、殿下?」
不意に名を呼ばれ、心の臓がズキリと痛むほどに驚きはしたが、表向きは平静に、使用人としての態度に徹するミリル。
胸の内の混乱によってか、レイナスの接近にまるで気付けなかった点を除けば、使用人としての模範解答だったと言える。
「ふっ。どうにも〝上役〟からの指示が下りて来ないみたいだな」
「……」
使用人として整えていた顔があっさりと崩れる。一瞬で間者としての目になる。
そんなミリルを見やりながら、レイナスは特に気にせずに続ける。
「このサラリア離宮に、ミリル以外の間者が存在するのは分かっていた。末端でしかないミリルが、上役や他の間者の詳細を知らされていないだろうこともな」
「(――今さらなにを?)」
レイナスの態度、言動から、ミリルとてその辺りの事情を知られている前提で動いていた。
だからこそ、末端を突き、他の者を呼び付けようとしたんじゃないのか? ――そんな疑問が過ぎる。
「残念だが、ミリルへの使者はもう来ない」
「……」
使者が来ない。
その言葉を認識した際、ミリルは第一に思う。
『なにをした?』
警戒と不審が一段と高まると同時に、焦りがどくどくと身の内を駆け巡る。
第一王子の寝室にて、未熟な間者と異様なる王子が静かに対峙したまま。少々の沈黙が流れる。
「――――俺は……ミリルの属する組織、ダリジャン一派の構成を詳しくは知らない。だが、このサラリア離宮にいる〝上役〟とやらだけは知っていた。それこそ、ミリルが間者であるのを看破したあの時に……理解してしまったんだ」
レイナスは沈黙をそっと押しのけるように、それでいて、まるで聖堂にて罪の告解をするかのように言葉を紡ぐ。
ミリルの背景、来歴は同じだった。この過去の幻想世界もあっちと同じ。血と謀略の蠢くデイル王国。
それを知ってしまった。その意味を理解してしまったことは……レイナスからすれば、ある意味では罰の続きでもあり、この世界で新たな罪を犯したに等しい。
かつて大罪人として裁かれた彼は、幽閉の日々の中で、デイルに絡み付く数え切れぬ謀略の記録を読み続けた。いや、読まされ続けた。
自害も許されず、狂うことも許されず。
贖罪と称して積み上げられた記録の山。その中の一つに、ミリルの名も記されていた。
哀れな商家の娘が密偵に仕立て上げられ……最終的には組織の尻尾切りとして惨殺され、路地に打ち棄てられたという記録。
また、レイナスがサラリア離宮で暮らす幼い頃から、謀略の糸が張り巡らされていたという事実は、なにもそのミリルの記録だけで辿り着いたわけでもない。
他にも該当者がいた。記録として残されていた。
王家への忠誠を嘲笑うかのように。
「……ダリジャン一派の手は長い。その資金力を背景に、数多くの者らを篭絡している。例の上役にしても、結局はミリルと同じだ。屈せざるを得ない状況を作られ、組織の間者として仕立て上げられた――その背景には、確かに同情の余地はある」
ミリルの瞳を見据えながらも、レイナスのその視線はどこか遠くに置かれている。
「(なにを……? 〝上役〟のことを知っている? 本当に……?)」
訝しみながらも、ミリルはレイナスの語りから逃れられない。この話がどこへ行き着くのかを量りかねている。
「それでも、たとえ抜き差しならぬ背景があったとしても……俺はデイル王国に仇なす者を許さない。排除する。――ミリル。君には以前にもそう伝えていたが、覚えているだろうか?」
その言葉に熱はない。淡々とした口調であり、虚勢を張るため、レイナスが自らを鼓舞するために口にしているわけじゃない。それはただの〝約束〟。
「……はい。確かに、以前に殿下が仰っていたのを覚えています」
当時のミリルは気付けなかった。レイナスの言葉に込められた覚悟を。秘められた狂気を。
今は違う。目の前の王子の淡々とした語りに、えもいわれぬ怖気が走る。肌が粟立つ。
二重間者となってからの関わりの中で、ミリルは知ってしまった。
『この王子は本当にやる』――と。
同時に彼女は、静かに、それでいて僅かに腰を落とす。軸足に体重を掛ける。
デイル王国に仇なす者。
その心当たりを自覚しているからこそ。
今、この場でこの話をされた意味を……彼女は危機的な状況としてしか受け取れない。
「ん? あぁ。安心してくれというのも変だが、ミリルにも選択の余地は残すさ」
間者の静かなる臨戦態勢を察知したレイナスがそう続ける。ミリルからすれば、その言葉に安心できる材料などない。
なにより、目を凝らしてようやく気付いた。遅過ぎた。
「(――ぅッ!? ま、まさかここに来て……!?)」
魔力によって構成された極々細い糸が、周囲に張り巡らされている。すでにこの寝室はミリルにとっての死地。
初回以降は決して見せなかった、直接的な暴力がここで行使されている。
「ふっ。流石に今回は気付いたか……さて、ミリル。ここからが本題だ」
「……」
ひりつくような逢瀬再び。
ただし、今回はミリルにも多少の余裕がある。それは、目の前の王子の行動原理を多少なりとも知ったからこそ。
「(――――お、落ち着け。この王子には話が通じる……それに、こうも直接的に始末するつもりなら、とっくに実行に移していたはず。選択の余地というからには、私になにかをさせる気……?)」
静かなる圧を身に受けながらも、臨戦態勢を維持し、ミリルはある程度の冷静さを保てていた。
反撃にせよ防御にせよ逃げるにせよ……身の内で魔力を練り上げつつ、まずは王子の本題とやらを聞く姿勢を取る。
「話を聞く気があるようで助かるよ。ま、本題とは言ったものの、ようはミリルの身の振り方についてだ。先も言ったが、もう組織からの使者は来ない。なぜなら、このサラリア離宮に潜む上役自身が、組織の指示ではなく個人として動き出したからだ」
「……」
単に組織に切られたという想定こそあったが、上役が組織から指示を無視しているというのは流石に想定外だった。
しかしながら、緊急連絡の符丁が無視されている現実があるとはいえ、レイナスの言を全面的に信じるわけでもない。
可能性としてはあり得なくもない――ミリルはその程度の認識に留める。
が、彼女のそんな認識は、冷静さは、レイナスの次の発言で一気に霧散する。
「ある程度の協力も得られているが……俺はその上役を近い内に排除する。つまり、ミリルはこのまま抜けることもできるという話だ」
「――ッ!?」
危険極まりない魔術を展開しながらも、レイナスは淡々と告げる。ミリルが想像すらしていなかった、あり得ない話を語る。
「……抜けるというのは? そ、それを引き換えに、殿下は私になにをさせたいのでしょうか?」
平静なままに応じたつもりだったが、ミリルの声は若干上ずる。どうやら自覚している以上に、それは彼女の心を揺さぶった模様。
「このサラリア離宮に関して、例の上役からは、おそらく当たり障りのない報告がなされているだけだろう。ミリルの二重間者云々も、その全容までは組織に知られていないはずだ。もちろん、ミリルがすでにそれらを組織に暴露していたというなら話は変わってくるが……今は連絡手段すらないんだろう?」
あくまで、それらは都合のいい期待でしかない。
しかし、レイナスからすれば、この先の一手によって諸々を有耶無耶にできると確信している。仮にミリルの件が組織に知られていたとしても――だ。
「……もう一度お尋ねします。――それで? 条件の代償はいかに?」
ミリルは当然の如く警戒する。
美味しそうな餌には毒が盛られているのが世の習い。自分にとって都合のいい話など、そうそうにない。
「ふっ。どうやら今の俺は、とんでもなく胡散臭いやつになっているようだな」
一方のレイナスは、特に気負いもなく軽く笑う。
ミリルに選択の余地ができたのは、彼からしても偶然の産物に過ぎず、意図したものではなかった。
想定以上に上役は思い切りがよく、動きも早かったというだけ。
「ミリル。俺が君に望むのは、このサラリア離宮の終焉に立ち会い、その後は……デイルに仇なすことなく生きるなら好きにすればいい。ま、どうしてもダリジャン一派の下へ戻るというなら、俺に始末されるのは覚悟しておいてくれ」
「…………」
ダリジャン一派から、組織から抜ける。
それは、ミリルにとっては喉から手が出るほどに願っていたこと。
だが、彼女はレイナスが語る選択肢の残酷さにも気付いている。気付かないわけがない。
まるで悪魔の取引だ。
渇いた笑いが喉の奥で漏れる。唇が微かに震える。
目の前にいる、デイル王国第一王子の形をしたナニかに対して、怒り、呆れ、諦め、嫌悪……ごちゃごちゃになった感情が胸の内から沸々と湧いてくる。
「――――ふ、ふふふ。殿下……私は組織の末端として、密偵としての生き方しか知りません。そんな私に――『好きにすればいい』? 『組織に戻るなら始末する』? ふふ。結局のところ、殿下は私に〝死ね〟という選択肢しか与えて下さらないのですね?」
胸の内の激情や言葉の重さとは裏腹に、ミリルはレイナスに向けて花も綻ぶような笑みを浮かべる。
まるで〝天真爛漫なミリル・バルボアナ嬢〟のように。
そのまま両の手をだらりと下げる。前屈み気味に少し背を丸める。一見すれば脱力したように見えるが、身の内では練り上げた魔力が解放される時を待っている。牙を剥いている。
「……悪いなミリル。俺に提示できる選択肢は、どれも修羅の道だ」
自暴自棄気味に、実力行使に打って出ようとする使用人もどきを前に、レイナスは言葉を重ねる。火に油を注ぐような真似を続ける。
「(――なにがッ! 私には……選べる選択肢なんてない……ッ!)」
組織からの連絡も途絶え、不安に苛まれている中で、得体の知れぬ王子もどきから、選べるはずもない条件を突き付けられる。
『好きに生きろ? ――馬鹿にしやがってッ!』
そんな叫びが、胸の内から溢れ出る。
もう、行くも戻るも道などない。いっそどうにでもなれ。
「……ッ!」
それはまるで猫科の猛獣の如く。脱力気味な姿勢から、最小の予備動作にて動く。音もなくミリルは駆ける。跳ぶ。張り巡らされた魔力の糸を避けながら、獲物へと迫る。
「ぅッ!」
ミリルの動きそのものは見えていた。にもかかわらず、レイナスの反応は遅れる。遅い。巡らせていた魔力の糸を操作する前に、至近の間合いへと踏み込まれる。
「シッ!!」
ただただ魔力を込めただけの手刀。それは魔術というほどに洗練されたものではなかったが、その体術自体は研ぎ澄まされていた。
ミリルは幼い王子の細首に向けて、致死の一撃を繰り出す。
「ぐ……ぅッ!?」
がきりと嫌な音を立て、硬質なナニかに激突したかのような感触。レイナスの首に接触するも……通らない。
あとは首を刎ね飛ばすだけのはずだった。
しかし、ミリルの手刀は通じない。貫けない。
次の瞬間。
衝突の衝撃によって王子は軽々と後ろへ吹き飛び、寝室から叩き出すことはできたが、ミリルの攻撃が有効でなかったのは明白。
電撃が走ったかのような痺れを肘ほどまでに感じながら、ミリルは咄嗟に体勢を整え――られない。次の一手は叶わない。
「ぁッ!?」
刹那。
張り巡らされていた魔力の糸が構成を変じ、紐状となってミリルの身体を覆う。拘束する。雁字搦め。
「くッ!? こ、こんなモノォォッ!!」
それが空しい抵抗だと頭では理解しながらも、ミリルは縛を解かんと魔力を振り絞る。
「ぁぁぁッッ!!」
全霊を以て引き千切ろうとするが……魔力の紐は、レイナスの魔術は微動だにしない。
手刀を弾かれた姿勢のままに、ミリルはその場に縫い付けられてしまう。
「ふぅ……まさか真正面から不意を突かれるとは……やはり実戦は違う。どうしても反応が遅れてしまうな。――ここで試せてよかった」
「ッ!」
寝室を追い出され、小ホールを挟んだ応接間まで吹き飛んで行ったレイナスが、倒れたままにこともなげにぼやく。
むくりと起き上がり、そのまま立ち上がる。
埃を払うように、ぱんぱんと自らを軽くはたく。
調子を確認するように首を振り、ゆったりと踏み出す。歩き出す。
こつり、こつり、こつり。
「――――ッ!」
己の命すら省みず、自暴自棄な勢いのままにレイナスを害そうとしたミリル。
が、その勢いは止められてしまった。
一度気勢が削がれてしまえば……身動きの取れない彼女にとって、その小さな足音は恐怖以外の何物でもない。
こつり、こつり。
逢瀬は続く。
◆◆◆ ◆◆◆
今は昔。
愛する者らと無理矢理引き離された美しい娘は、貴族様に娶られたあとも泣いて暮らしています。
貴族様はそんな娘をなだめます。
時に高価なプレゼントを。
時に風光明媚な別荘地への旅行を。
時に奇妙奇天烈なる芸の観覧を。
時に世にも珍しき美食を。
しかし、娘の哀しみは癒えることなどありません。
『本当に私を愛しているというなら、私を夫と子の下へ帰して下さい』
娘は貴族様の怒りに触れると分かっていながらも、どうしても口にしてしまいます。
その貴族様は、娘からすれば〝悪人〟でしかありませんでしたが、それでも、貴族様は娘を愛していたのでしょう。
一年、二年と年月を重ねても、貴族様は娘の癒えぬ哀しみをなんとか癒そうとしていたそうです。
たとえそのやり方が間違っていたとしても。
ですが、貴族様自身はともかく、貴族様の家族は娘をよくは思っていませんでした。
考えれば当たり前。
三年が経過しても、世継ぎを産めない平民の女などに、貴族様の家族がよい顔をするわけもありません。
結局、貴族様は周囲の声に圧され、娘と離縁させられることとなります。
貴族様は大いに嘆き悲しみましたが、娘は大いに喜びました。
『これで家族の下へ……愛する夫と子の下へ帰れる』
それがいけなかったのでしょう。
貴族様は、自分の下を去って行く娘が、煌めくような笑顔を浮かべているのを見てしまいます。
自分には決して向けられることのなかった笑顔。
娘は、ついに貴族様の怒りを買ってしまうのです。
◆◆◆ ◆◆◆




