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8話 美味しい食事

「葎さま、見てください。採れたての肝臓ですよ!」


 氷川は手から溢れるほど巨大な肝臓を見せびらかしながら、とても興奮した様子で伝えてくる。


「こんなに大きな肝臓は見たことがないな。食べられるのか?」


 葎は大きく立派な肝臓を前に、感嘆を漏らしながら鮮度を見るために顔を近づける。すると、氷川は肝臓を庇うように葎から遠ざける。


「食べられますけど、これはダメです。丸薬用に登喜(とき)さんに見繕ってもらった状態のいい物なんです。食用は港に行けば貰えますよ」


 大事な我が子を庇うような必死な様子を見せる氷川に、葎はあっさりと諦める。


「そうか、港に行けばいいんだな?」

「そうです。ただ、登喜さんに相談してから食べてくださいね。勝手に取って行ったら在庫整理が狂ったと怒られますから。それでは僕は帰りますが、いくつかは取っておいてもらってるので食べないでくださいね」


 そう言い捲し立てた氷川は葎の返事を待たずに自分の家へ走り去っていった。薬の品質は鮮度が重要なので急ぐ理由はこの場にいる全員がわかっている。しかし先程の出来事の直後であるため、葎の機嫌を損ねてしまったかと集落の人々は戦々恐々である。そんな周りの様子に気にかけることもない葎は食欲でいっぱいだ。


「よし、聞いたな。浪人、港に行って腹ごなしだ」

「待ってました!」


 ルンルンな浪人を先頭に、一行は港へと向かう。そしてその後方では顔色のすぐれないドールの姿があった。それに気づいた葎はドールに話かける。


『ドール、どうした?腹が空きすぎて気持ち悪いのか?』

『い、いいえ違います。…あの、さっきの方が持っていたのは…その…』


 挙動不審に吃りながら、ドールは氷川が持っていた肝臓が気になっていたようだ。


『ん?鯨の肝臓がそんなに気になるのか?』

『鯨の肝臓ですか!よかった…本当によかった。その…あれが少佐の成れ果てかと思いまして』


 ドールは心底安堵したように肩の力を抜き、息を整える。葎達のやり取りが言語の壁によって理解できないため、ドールは氷川が昨日を渡された死体を無惨にも解体して見せびらかしているのかと勘違いしていた。


『しかし、肝臓なんて何に使うのです?』

『詳しくは知らないが、薬にするらしい』

『へぇー。鯨って油以外に使えるものがあるんですね』


 そんな話をしていると葎達は鯨を解体している場所、納屋場に到着する。そこには、巨大な真っ白な肉塊が砂浜に横たわっていた。大きさは葎の2倍程だろう。肉塊の周りでは数十人が忙しなく動き働いている。ある人は巨大な刃物を持って肉塊を切り裂き、ある人は切り出された肉塊を運び、ある人は肉塊をさらに細かく加工している。


「鯨っていうのは白い生き物なのか」


「…否。あれは既に皮を剥かれ、脂身が露出しているゆえ白く見えるだけのこと。真の鯨は、漆黒だ。 あそこに並ぶ黒い板……あれこそが鯨の皮。あれが鎧のごとく、巨体を包んでいたのだ」


 無愛想な物言いをした中年の男が葎に近づいてくる。その目つきは鋭く、まるで品定めをしているような視線を葎に向けている。


「あんたが流れ者の葎か?」

「ああ、そうだが。あんたは誰だ?」


 返答を聞いた男の目つきはさらに鋭く、まるで銛の鋒のように目尻を釣り上げる。


「そうか、貴様がそうか!自分は登喜という!俺の女に手を出すなら覚悟を決め…へぶぅ!?」


 何か言いがかりをつけてきた登喜は、突如後方から現れた巨大な刃物によって峰打ちされた。激突音を響かせた頭部には見事なタンコブが隆起している。世界が揺れる感覚に耐えかねた登喜は頭を抱えながら地面で悶え苦しむ。登喜を暴力でねじ伏せたのは、見覚えのある女性だった。


「登喜、武士さまに変なことを言う暇があるなら仕事をしな!」

「なにをするんだ伊佐那(いさな)!自分はこのすけこましに思い知らせてやろうと…いで!?」


 伊佐那と呼ばれた女性は、今朝もグレイソン人達に餌付けをしていた人だった。伊佐那は登喜の頭に拳で二段目のタンコブを作り上げると、葎に申し訳なさそうな顔で、血で汚れた刃物を腰の前に抱え軽くお辞儀をする。


「武士さま、変なとこを見せてすまないね。これでも普段はしっかり者なんだ。何か、お詫びの品を用意するから大目に見て欲しい」


 手に持っている巨大な出刃包丁のような物から滴っている血はもちろん鯨のものだ。しかし傍で倒れている登喜がいると、事案が発生しているかのような光景だ。


「いや、何もされていないから詫びはいらん。大方、うちの者達への炊き出しで勘違いしていたんだろう。むしろ昨日も今朝も食事を振舞ってくれたことに、何か褒美を用意しなければならんことだ」


 彼女はこれまでに2回も炊き出しを行なってくれている。体が半分しかないグレイソン人といえど、40人を超える人数を賄う食事量は馬鹿にならない。


「そうかい、よかったよ。ほら、あんたも謝りな」


 安堵の表情を見せた伊佐那は、頭をさすりながら起きた登喜の背中を叩いて催促する。


「いや、これは男としての矜持が…いてっ…すまなかった」


 再度、背中を叩かれて不貞腐れながら頭を下げる登喜。なお、二段重なったタンコブがお辞儀によって強調された頭は些か笑いを誘う。


「あんたを差し置いて他の男に惹かれることはないよ。ほら、仕事に戻りな…チュッ」

「!?!?!!」


しょんぼりしていた登喜だったが、伊佐那から額への口付けを貰うと顔を茹で蛸よりも赤く熱らせる。耳から蒸気を吹き出してしまいそうな勢いだ。ギクシャクしながら仕事に戻っていく愛しの人を手を振って見送ると、伊佐那は葎に向き直る。


「あと、炊き出しのことについては褒美はいらないよ。勝手にやったことだからね。腹をすかしている子供を見かけると、じっとしてらんないのさ」

「あいつらは子供では…まあ、そうか」


 葎は実際に大陸人と出会ったことがある。そのため、体が小さい種族が存在することを当たり前のように受け入れることができる。しかしその前提がない人たちにとっては、浪人や伊佐那のようにグレイソン人達を子供扱いするのも無理はないだろう。これからのことも考えて彼らはそう言う種族であることを浸透させねばならないと、葎は誓う。


「わかった、そう申し出てくれるのならありがたく頂戴しよう。だが、これからの炊き出しにはちゃんと対価を与える。これでも、あいつらをまとめ上げる身としての矜持があるからな。だから、これからもよろしく頼む」


 手を差し出す葎。


「それは、あたしとしても嬉しいねぇ。善意が報われるのは気持ちがいいもんさ」


力強く握手を返す伊佐那。その際、手についていた鯨の血が葎に付着してしまい、伊佐那はハッとする。対して葎は全く気にしていない。手に血がつくことや、握手で手が汚れることなど日常茶飯事だからだ。そんな些事よりも気になることがある。


「伊佐那、どうして口に血がついているんだ?」


 必死に葎の手を拭っている伊佐那の口元には、べっとりと血がついていた。空気に触れて鮮やかに発色した赤が、まるで口紅のように煌めいている。


「これは解体師の特権さ。獲ってきた鯨の品定めも兼ねて一番良いところを食うんだ。新鮮だから生でも食える。武士さまも食ってみるかい?」

「じゃあ、それに倣って俺も生で頂こう。それじゃあお前ら、飯の時間だ…ぞ?」


 葎が振り返った後方に長老と双子がいる…が、二人と一匹が見当たらない。周りを見渡してみると、各々は別の場所にいた。浪人は一足先に鯨肉を堪能し、ズイは地面に落ちている鯨の屑肉を拾い食いしている。そして、大人から餌付けをされて困った顔をしているドールの姿があった。


「まあ、いいか。それじゃあ鯨肉を食いに行こう」


 助けを求めるドールの視線を見なかったことにし、葎は鯨の元に着く。伊佐那と登喜との会話をしている最中にも解体は進み、今では黒い肉と白い骨が露わになっている。伊佐那は解体している人の間に割って入った。何かを話し戻ってくると、手には一口程の真っ黒な肉がある。それを差し出してくる。


「肉にしてはやけに黒いが…これは焦げているのか?」

「この鯨の肉は血の気が多くてね。その分、旨みも強いのさ」

「ほう、そうなのか」


 受け取った肉を口に放り込むと、嗅いだことのない独特の香りと濃い血の味がする。そして弾力のある食感で噛み切るのに少し力がいる。飲み込んだ後には旨みと強い獣臭が残った。


「…あんまり美味しくないな」

「あははは、正直に言うね。でもその通りさ。この鯨は生よりも火を通した方が旨い。こっちを食いな」


 そういう伊佐那の手には、溢れそうなほどに満たされた汁物がある。湯気がたちのぼるそれを受け取り、一口啜る。すると、感じるのは濃厚な脂のコクとホッとする味噌の味。一緒に受け取った箸を使い、入っている肉を頬張る。加熱された肉からは血の味は消え失せ、繊維状にホロホロと崩れながら、先ほどは獣臭で隠れていて感じ取れなかった鯨の味を噛み締める。思わず具材を一気に掻き込む。ゴボウの食感、山菜の爽やかな香り、溶けるように消える脂。気がつくと器は空になっていた。


「今まで食べてきた中で一番うまい」

「そりゃあ嬉しいね。もう一杯いるかい?」

「ああ、頼む。前線じゃ、こんな上等な料理はないからな」


 二杯目を受け取った葎は、先ほどよりは落ち着いて食べ進める。美味そうに食べる葎を見守る伊佐那は、男勝りな顔から一変、柔らかく微笑む姿は間違いなく母のそれだった。


途中、鯨の骨をズイへのおやつとして貰った。巨大な骨はかなり頑丈で割るのに苦労したが、バキンっと音を立てて流れ出る髄液を得ることに成功した。鯨のぶっとい骨を素手で追ったことから周囲からの拍手をもらう。大好物の骨髄を舐めているズイを傍に、和気藹々と話をしながら、みんなと共に食事を楽しむのだった。

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