7話 外海との格差と無礼
「おお、葎!お前子持ちだったのか!ガキの割にはいい筋肉をしているな、お前は将来立派な武士になれるぞー」
『え?え?なんですか、あなた。ちょ、葎様助けて!』
浪人は背の低いドールを子供だと勘違いし、脇の下から持ち上げて軽々と天に掲げる。いきなり大男に持ち上げられたドールは、自分の身長よりも高い場所を恐れて踠くことも出来ず、葎に助けを求める。
「む?変なことを喋っているな。葎、子供にはきちんと言葉を教えにゃならんぞ。ほら、俺は浪人だ。な、み、ひ、と」
浪人はドールを抱えたまま目線を合わせ、自分の名前を覚えさせようと同じ言葉を何度もゆっくりと発音する。見かねた葎はドールを取り上げ、ゆっくりと下ろした。
「浪人、そこまでにしてやれ。先に言っとくがこいつは俺の子ではない。大陸人…ではないがこの大地でないグレイソンという場所に住んでいる、別の種族の男だ。ドールはこれでも成人して…ん?成人しているよな?」『ドール、お前何歳だ?』
『え?私は28歳ですよ』
「こいつは立派に成人している28歳…28歳?」
予想だにしない年齢に、葎は思わずドールに聞き返すように繰り返してしまう。最も、不意に出た言語ではドールに伝わらない。
「28歳だと?やっぱり子供ではないか。ていうか葎も変な言葉を喋っているな」
「少しドールと話す。待っている間はズイと遊んでてくれ」
不思議そうな顔をしながらズイと戯れているのを横目に、葎はドールと向き直す。
『ドール、28歳というのは本当か?』
『え、ええ。間違い無いです。19歳に軍に入って今は9年目なので』
なぜそんなことを聞くのだろうかと、ドールは極めて不思議そうな顔をする。対して葎は口元に手を当てて思案している。
『19歳で軍に?…ドール、グレイソン人は何年生きる?』
『ええと、多分大体60歳です。長いと70歳を超えるらしいです』
「……」
返答を聞き、より深く沈思黙考する。返答するたびにより長く考え込む葎に、ドールは何とも言えぬ焦燥感に襲われる。
「確かに体が小さい動物の寿命は短いが…同じ人間なのにそんなにも短いのか?じゃああの大陸人は?…』
『…あ、あの…葎様?』
心ここに在らずといった様子の葎に勇気を振り絞って話しかけるが、こちらを気に留めずに何かを呟いている。ドールにとっては長く感じた短い時間を置いて、葎は考えを絞り出すように言い出す。
『ドール…あの飛行艇は…グレイソンの最新の兵器か?』
『い、いいえ。もう退役していてもおかしくない古い物です』
「…そうか。20年とは、海の向こうではそんなに長いものか…じゃあジスはもう……」
まるで心臓に穴が空いたかのような空虚と不安感を募らせる葎。ブツブツと呟きながら思考の渦に巻き込まれる感覚に身を任せ、より深く思索に耽ろうとする。
ワンッワンッ!!
不意に足元からの鳴き声にハッとして意識を現実に戻す。開いていたままのはずの目が初めてそれを認識した。二足で立ち、葎の腰に擦り付きながら見つめてくるズイ。尻尾はズイの感情を表すように垂れてしまっている。
「…そうだな。まずはやるべき所からやるか。ありがとう、ズイ」
ズイを抱き上げて感謝を述べる葎。思考の出口を見失いかけていた葎を、現実に引き戻してくれた感謝を込めて背中を擦ってやる。すると、グゥーとズイの腹から音が鳴る。ズイは葎の胸に体を預け、ぐったりとしながら懇願するような目を向けている。
「腹が減っていただけか…よし、善は急げだ。待たせたな、浪人。流血樹に向かうぞ」
「ようやくか。昨日から走ったから腹が空いてしょうがねぇ」
浪人がくっきりとした腹筋を摩ると、ズイのより大きな音が鳴り響いた。
『ドール、無様な姿を見せてしまったな。長老との打ち合わせに向かおう』
『はい…あの、大丈夫ですか?』
『ああ、ちょいと想定が甘かったことを思い知った。それに最低限やるべきことがわかった。だから大丈夫だ。行くぞ』
葎はズイを腕に抱えたまま、集落への道を歩き出す。集落までの間、葎は浪人へドールや他のグレイソン人、飛行艇に関する知りうる限りの事柄を話して時間を潰した。
集落までもう少しといったところでズイを浪人へと渡す。ズイに浪人とドールが構っているの間に、息を殺し鳴りを顰めていた長老の護衛に話しかける。
「おい、そこのお前。名前は」
「か、貫弦でございます」
無意識に低くなってしまった葎の声に怯えながら返答する貫弦。葎と浪人より背も筋肉も一回り小さい貫弦は、震える声で機嫌を損ねないようにすることで必死だ。
「大方予想はついているが…俺のことを外に知らせるように命じたのは長老だな?」
「そ、それはその…はい、そうです」
貫弦は吃ってしまうたびに葎の目線が強くなっていくのを感じる。実際には、葎は話す礼儀として目を合わせているだけだが、貫弦にとっては置かれている状況による錯覚が止まらない。
「貫弦、浪人以外に俺のことを外に漏らしたか?」
「い、いいえ。下鉄保の離れにいた浪人殿に話したらすぐに走っていってしまって…他の人には話せていないです」
伝令として速さを重視していたため、貫弦は何も持っていない。もし葎が軽い気持ちで制圧しようとしたら、抵抗できずにあっさりと押さえ込まれてしまうだろう。
「お前は、なぜ長老にこの役目を与えられたのか知っているか?」
葎の質問の仕方が尋問のような淡々としたものなのも相まって、貫弦からは実際の葎の大きさよりもはるかに大きく感じる。
「えと…それはわからないです。ここが黒の軍の領地で、葎殿が赤の軍の人だとは分かりますが…黒の軍ではなくて、周辺の村に伝えるわけはわかりません…」
貫弦は知っている限りの情報を明け渡す。既に流血樹の中に入っており、周囲の目がチラホラと増えていく。もはや諦めの境地に至っており、目に光はなく、これから待ち受ける公開処刑に臨む覚悟が出来ている。
さらに進み、港がみえる位置に長老が周りに指示出しをしているのが見える。同時に長老も葎達に気付いたようで、切り上げてこちらにむかってくる。一歩また一歩近づくたびに同伴者の顔ぶれが判別できるようになる。初めは穏やかな顔をしていた長老であるが、時間が経つにつれて表情が強張り、顔から色が失われていく。少し荒い呼吸が聞こえる頃には、顔中が脂汗でテカっている。そんな長老に対し、葎は腰にある脇差を手を掛け言い放つ。
「態度次第では、ここで切り捨てることになるが…どうする?」
「…お詫びの言葉もございません。どうか、どうかお手打ちはこの老体の首だけで。集落の皆々はこのことを知りません。わしの独断にございます。平に、平にご容赦願いたく存じます」
港から近く泥が混じる道の真ん中。そんなことにも関わらず、長老は迷いなく頭を地面につける。周囲で見ている人達は突然の出来事に理解が追いついていない様子。理解しているのは葎の同伴者達と、もう一人の長老の護衛の片割れだけだ。
「…なんだ?飯をくれって言える雰囲気じゃねえな」
…もう一人、理解していない人がいたようだ。キョロキョロし始める浪人に、察したドールはズイをけしかけることによって封じ込めることに成功した。
そんな喜劇をよそに、当事者達は一言も発さず張り詰めた雰囲気だ。数十秒もしない静かな緊迫感の中、一人が勢いよく飛び出してきた。長老の前にたち、庇うようにして葎に頭を下げたのは貫弦だ。
「実際に事を起こしたのは私です!責任は私にあります!長老はこの集落に欠かしてはいけない存在です。どうか、私の首で許してください」
「か、貫弦!何をいっておる!?」
狼狽する長老をよそに、もう一人の男が貫弦の横で頭を下げる。
「私と貫弦は一心同体。私の首も差し上げます」
「結弦まで何をいっておるのだ!お前達二人はこの集落の屋台骨、これから立ち行かなくなってしまうぞ!」
護衛が代わりに犠牲になると宣言する後ろで、考えを改めろと咎める長老。そんな叱咤にも関わらず、顔を上げた結弦の口は止まらない。
「私たち二人の首で足りませぬのなら、提案させていただきたい。貴方様は鯨を食べたことがないと氷川から聞きました。私たち二人は鯨狩りの名手。貴方様が満足するまで、鯨を捧げます。その味は必ずや貴方様の舌を満足させるものでしょう。どうか、長老とこの集落の存続をお許し願いたい!」
言い終わると再び頭を深く下げる結弦。徹頭徹尾、頭を下げ続けている貫弦は懇願しながらも一言も発しない。それはいつも話をまとめてくれる結弦への信頼によるものだ。
そんな二人に触発され、周囲の人々も膝をつき口々に許しを求める。状況はわからないながらも、集落の上役が失われそうになっていることは肌で感じたようだ。その声量は武士という役職に怯えて小さいが、この集落の主要産業に関わることから必死に懇願している。
この身を捧げんとする双子。その二人や長老を案ずる集落の人々。そして若干置いてけぼりの長老。そんな周囲の様子を静かにみていた葎は、抜き身の脇差を周りに聞こえるようにカチャッと音を立てて鞘にしまう。
「長老には命を助けてもらった恩がある、今回は見逃そう。だが、これで貸し借りは無しだ。これからはお互いに対等となり、利用し利用される立場へとなる。次に俺に敵対的な行動をしたら迷わず切り捨てる」
「!ありがたき幸せ」
長老自身もこの集落においての自分の立場は理解している。貫弦と結弦ほどに直接的な損害にならずとも、自分が失われれば経営の面での不安があった。一旦でもその危機から凌いだ事を長老は心から喜ぶ。
「ただ、昨日渡した銀塊の分はしっかり働いてもらうぞ」
「もちろんでございます。それは商人としての誇りを賭けて、精一杯の品を用意いたします」
「うむ、それでいい」
返答に満足した葎は、顔を上げてこちらを窺っている双子の護衛に向き直る。
「わかっていると思うが、見逃すのはお前達の獲ってくる鯨を見込んでのことだ。鯨がどのくらいの肉が取れるのかは知らんが、少なくともグレイソン人達の腹を満たすくらいは獲ってきてもらうからな」
「!承知いたしました。鯨は一頭で七浦が潤うほどです。この銛に誓って、必ず貴方様の納得のいく上物を獲ってきます!」
「獲ってきます!」
結弦は手に持っていた銛を掲げ、高らかに宣言する。その横で無手の貫弦は両手を挙げ、少し不恰好に同じく宣言した。
この結果は葎にとっても喜ばしいものだった。密告に釘を刺し、鯨を最低でも一頭献上され、対価さえ払えばしっかり働いてくれる敵地の集落の弱みを握ったのだ。さてこの収穫をどう活用しようかと考えていると、周囲の雰囲気にそぐわないとても明るい声が響く。
「あ!葎さまー!」
呼び声を立てながら港からやってきたのは、全身を血で染めた氷川だ。手に大きな赤黒い肉塊を持ち、見せびらかす子供のような笑顔で走り寄ってくる。そんな氷川を見て葎はある事を自覚した。
「腹が空いたな」




