5話 野生の襲撃
「仮寝床の設営は終わったようだな」
飛行艇の周りにはいくつかの布張りの天幕が作られている。飛行艇内の寝台も使える物が残っていたらしく、何人かはそっちで寝るようだ。頭を浜に突っ込むように座礁している飛行艇は、後部が浸水している。残った寝台は前部の物らしい。
『葎様は向こうに戻るのですか?』
『いや、俺はこっちで寝る。元々、集落の人間じゃないからな。あと、火を絶やさないように言い含めておけ。ここらにはお前らよりも大きい狼がいるからな』
『承知しました』
実際のところ、その狼がここに生息しているかは葎は知らない。川に流されて集落にたどり着き、正確な場所を知らないからだ。でも効果覿面のようで、ドールが伝えると慌てながら薪を集める様子が見える。
「武士さま。あたしらは集落に戻るよ。次に会うのは鯨の解体の時かな?」
「ぶしさま。さよならー」
グレイソン人の間を巡っていた子供と、グレイソン人を満腹にさせた女性は帰るようだ。どうやら親子だったらしく、手を繋いで一緒に手を振っている様子は微笑ましい。
「ああ、気をつけて帰れよ。あと、この辺に獣は出るか?」
「たくさんいるよ。木の実を食う猪、それを食う狼だね。熊は山の方へ行かない限りはいないよ」
「ありがとう、助かった」
ついでに木の実の位置と、好きにしてもいい場所を教えてもらい別れる。持っていた戦闘糧食は全て川に流されてしまい、何も持っていないため自分で探さないといけない。ドールに一言告げ、葎は自分の食糧を探しに出かける。
しばらく進み、好きにしていいと言われた場所に着く。そこには様々な植物と木の実が群生していた。戦場にいた頃では、自生していた果実が貴重な甘味だった。豊富な量があることに喜びつつ、葎は近くにある木の実を片っ端から口に放り込む。思っていたよりも腹が空いていたようで、甘酸っぱい香りと味が体に染み込んでいく。
「しまった、鍋くらいは置いていってもらったほうがよかったか」
山菜は懐に詰めていき、アクを取るための道具がないことを嘆く。この辺りは植生が豊かのようで、葎の知らない植物も多数あった。毒を回避するために知っている植物のみを収穫しながら奥の方へと進む。
小指の先よりも小さい木の実達であるが、塵も積もれば山となるように、大量に食べることで腹を満たしていく。酸っぱさに飽き、甘かった梨が恋しくなった頃、異変を感じ取る。僅かに獣臭を感じとり足を止める。警戒心を強め、周りを見渡す。遠くの木の低い位置に傷がついているのが見えた。
「…潮時だろう」
引き返そうと振り返ると、煌々と輝く二つの目と合う。すぐさまそれは葎の方へ突進し、荒い呼吸と草木を揺らす音を響かせながら距離を急速に詰めて来る。葎は迅速に後ろに背負っていた弓を取り出し、頭の上へ振り上げる。そして、追突直前に思い切り弓を振りかぶる。ゴォンと鈍い衝突音を立てて勢いよく弾き飛ばす。
ピギィーーー!!
獣は悲鳴を挙げながら近くの木に叩きつけられた。残心を解いた葎は襲ってきた獣を確認する。丸く茶色の体躯、短い足、鋭い下顎の牙。それは猪だった。体の中心を陥没させながらも凄まじい生命力でまだ生きているようだ。口から血を吐きながらもがいている。
とどめを刺すべく近づく葎。葎と比べると瓜坊のように小さいが、しっかり成熟した成体の猪だ。猪の頭に足を添えると、思い切り体重をかけて踏み抜く。草履越しに頭蓋を割る感触を感じる。足をそのままに尻尾を掴み引っ張り上げると、首から上が千切れて無くなり、ぼたぼたと血が滴り落ちる。
緑で溢れていた森林は、一気に血みどろで生臭い現場へと変わり果ててしまった。変貌させた葎は気にすることもなく、頭の中は牡丹肉のことでいっぱいだ。尻尾を肩にかけて少し小走りで帰路を辿る。
飛行艇へ帰り着いた時には陽は落ちてしまった。葎は早速、猪を調理しようと近場の焚き火に歩いていく。その焚き火に集っていたグレイソン人は蜘蛛の子を散らすように逃げていったため、調理する場所を自然と確保する。猪は帰る道中で血抜きが終わったため、脇差で解体する。解体している最中、ドールがそばまでやってきた。
『おかえりなさいませ。収穫はどうでした?』
『豊作だったよ。見ての通り、猪を獲れた』
『立派な猪ですね。しかし、葎様達と違い猪は巨大って程でもないですね』
ドールから見ると、猪は抱えるのがやっとなくらい大きいが、記憶の範疇にとどまる程度の大きさだ。そんな猪を葎は豪快にざく切りにし、皮付きのまま火で炙り始める。
『え?そのまま焼くのですか?火が通りやすいように串に刺したりとかは?』
『俺に料理は向かん。食えればいい』
葎は炙った部分を削ぎ落として、そのまま口にする。濃厚な油と血が抜けきっていない肉の味に舌鼓を打つ。続けて、同時に炙っていた山菜と共に肉を頬張る。山菜の香りが血生臭さを覆い隠し、シャキシャキとした食感が肉の柔らかさと良い強弱を生み出しており、美味い。
『ドールも食うか?』
『よろしいので?』
『その体の大きさだったら、大して減らんからいいぞ』
肉を一切れもらったドールは、生焼けでないことを確認して口に頬張る。塩もかかっていない野生的な料理であるが、久々の新鮮な肉を食べた喜びが湧き上がる。その様子を他のグレイソン人達も見ていたが、葎を恐れて遠巻きに羨ましそうに見ているだけである。そうして猪が骨だけになった頃、二人は多幸感に包まれたまま眠りに落ちるのだった。
満月が真上で輝いている中、ふと葎は眼を覚ます。潮の香り、焼け落ちた油の匂い、かすかに猪ではない獣臭。森の方には点々と光る多数の目があった。
「狼か?」
周りを見渡すと消えかかっている焚き火が一つか二つだけ。見張り役もほとんど眠りこけており、役目を果たしていない。
『ドール、起きろ』
「! gew!?」
足蹴にされて砂浜を転がるドール。乱暴に起こされ寝ぼけながら悪態を突こうとしたが、目に飛び込んできた光景により口をつぐむ。森の木から月の光の下に出てきたのは大きな狼。ドールくらいの大きさがあるだろう。8匹の群れは勢いよく、容易い獲物である寝ているグレイソン人へと駆け寄っていく。
『状況はわかったな?さっさとその寝坊助どもを飛行艇へ連れて行け!』
『は、はい!』
葎はそばにある脇差を、狼の群れに向かって思い切り投げる。回転しながら飛ぶ脇差は一直線に先頭の狼に命中し、真っ二つにする。一番槍をやられた群れは、死体に足を取られて転んだり、突然の仲間の死に困惑して足を止めている。
「おおおぉぉぉ!!!」
大声を上げながら鋼鉄の弓と矢を両手に持って群れに突貫する。狼たちは迫ってくる葎に気づくと一瞬は戸惑うかが、すぐに臨戦体勢へと変わり葎へと突撃する。すれ違う直前、狼達は連携して爪や牙で応戦する。しかし、分厚い甲冑には引っ掻き傷すら与えることなく弾かれ、自慢の爪と牙が欠けてしまう。対して、葎の突き出した矢は狼を容易く貫通する。鋼鉄の矢によって頭から背中まで串刺しにされ、狼は丸焼きの準備が整う。葎は体を回し、振り返る間際に矢に残った邪魔な死体を、すれ違った他の狼へと投げつける。
惜しくも当たりはしなかったが、返り血を少し浴びた狼達には十分すぎる衝撃となり、目には恐怖の色が窺える。葎に慄いた狼達は、その牙を葎に向けることはもう無い。しかし、空腹を満たすために逃げることはない。5匹の狼は、いまだに避難していないグレイソン人へと殺到する。葎の大声で起きていたグレイソン人達であるが、襲来から一回の交戦という短時間で推移しているため、ドールの呼びかけが間に合っていない。
「おいこら!こっちに来い!」
葎が挑発しても、あからさまな死地に飛び込む狼はいない。葎は砂を掬い取るように弓を振るい、強力な散弾を放つ。砂粒が勢いよく当たってもオオカミの毛皮を貫くことはないが、目や口に入ったことにより怯ませることに成功する。その間に体を狼とグレイソン人の間に滑り込ませ向かい合う。
それからは、葎はグレイソン人を庇うことで手一杯になった。5匹の狼は数の有利を活かし連携して掻い潜ろうとしてくるため、ジリジリと後退させられていく。しかし後退するということは、護衛対象が集う飛行艇へと近づいてもいるため、次第に葎が有利になるはずだ。そして、最後の一人が飛行艇に入った時、葎は反撃に出ようとする。
いきなり生じた閃光によって、葎の視界は真っ白に染まる。夜の暗闇に慣れていた葎は網膜を焼かれる痛みに、咄嗟に目を瞑り腕を前に出す。瞬間、けたたましい音と共に体の中を衝撃波が通り抜ける感覚が襲う。砂粒とともに何か大きなものが甲冑を強く叩き、思わず尻餅を着きそうになった。衝撃がおさまった時、キーンと耳鳴りが残る。ようやく慣れた目には大きなクレーターが映った。そして手元には千切れとんだ狼の死骸がいる。
『怪我はありませんか!?』
ドールが慌てて飛行艇から駆け寄ってきた。見上げてみると、飛行艇の大砲の一つから少しの煙が出ている。
『ああ、問題ない。それよりも…集落に撃った時よりも威力が大きくないか?』
『あの時は威嚇目的で撃ったので信管…爆弾を抜いていたのです』
『そうか、すごい威力だな』
葎は胸に違和感を感じ、数度咳をする。口に溜まった不快な鉄の味を、面具をずらして吐き出す。どうやら衝撃波で肺が少しやられたようだ。
一方でドールは内心、冷や汗をかいていた。砲手の一人が大砲を葎に向けてぶっ放そうと画策していたのだ。俯角が足りなかったから良かったものの、危うく葎を吹き飛ばすところだった。葎が血を吐いているのを見て、大砲なら致命傷を負わせられるのか...と考えがよぎるとともに、血の気が引いていくのを感じる。
狼に襲われるという危険な出来事があった上で、守護者を亡き者にしようとした者の考えがわからない。ここで葎を排除できたとしても、脱出の手段もなく救援の目処も全くないというのに。能の足りない無責任な行動に腹を立て、後で処分することを決意する。
これで全ての脅威は無くなった…いや、まだ一匹だけ残っていた。その狼は焚き火のそばで何かをもしゃもしゃと食べている。葎は逃げ遅れた人か?と思ったが、その焚き火は先ほどまで自分がいた場所だと気づく。葎は狼が何かに夢中になっている隙に、そろりと近づく。葎がボリボリと食べる咀嚼音が聞こえるほど近づいても、狼はこちらに気づかない。
その狼は他の死んだ狼と比べて二回り小さく、毛並みもボサボサで痩せ細っていた。近づいたことによって何を食べているのかが確認できる。それは食べ残した猪の骨だった。いや、骨の大半は口の端から溢れている。正確には噛み砕いた後に出てくる少し黄色いドロっとした液体、骨髄を食べているようだ。
大半の骨を噛み砕いた狼は、一番太い骨である大腿骨に苦戦しているようだ。ガジガジと噛んで奮闘していると、そこでようやく狼は自分の事を観察している葎に気づく。食事の喜びで振っていた尻尾は股の間に仕舞い、精一杯歯茎を見せて威嚇している。
葎は微笑ましいものを見る優しい目で狼を見つめていた。そして徐に狼が噛み砕けなかった骨を取り、バキンと折る。狼は警戒しながらも、断面から滴り落ちそうになっている骨髄の魅力に抗えない。ちゅーちゅーと骨髄を吸っているうちに、尻尾は再び揺れ始める。
「可愛いバカは好きだ。お前は髄を食べるからズイだ」
葎は狼の頭を撫でてやる。一瞬はビクッと体を震わせたが、次第に尻尾の勢いが増していく。
それからは大砲の音を聞きつけた集落の人がやってきたり、改めて見張りの役目を徹底させたりしていた。一通りのやることを終えた葎は、ズイを抱いて横になる。ゴワゴワの毛皮と獣臭を感じながら眠りにつくのだった。




