22話 安否確認
「わたくし、空飛ぶ鯨を見たのは初めてなんですの。美味しいのかしら?」
食い意地の張ったことを言いながらやって来たのは、癖っ毛の赤毛を揺らしている凛だった。興味津々と言った様子で飛行艇に詰め寄ろうとしている。そしてその後ろには好奇心に満ちた目で飛行艇を眺めている葛と、警戒の色を濃くしたカガリがついて来ている。三人とも怪我をした様子はなくピンピンとしていた。
「葛、カガリ、縦ロール。無事だったんだな」
「ああ、優秀な長老のおかげでな」
「…ええ、想定してたのかと思う程にね」
「もうそれがわたくしのあだ名に決定なんですの?」
微妙な顔をした凛が進路を飛行艇から変えてこちらに変更して来た。凛は縦ロールと言う言葉の意味はわからない為それ自体に不満はない。しかし、むしろ意味がわからないからこそ不服だったのだ。
「その縦ロールというのはなんですの?」
「お前の髪型をグレイソンの言葉で表したものだ。何やら、高貴な人がする髪型だそうだ」
「はえーそうなんですの。でしたらいいですわ!揶揄されることもあるこの髪がわたくしの高貴さを示すものならば!」
凛は弾ける笑顔であっさりと受け入れた。わからないのが不満だっただけで、理由を知れば不満は無くなったのだ。むしろ、この髪型を肯定する呼ばれ方をいたく気に入ったようだ。
「それよりもあれはなんですの?美味しいんですの?」
ヨダレの音が聞こえて来そうな勢いで飛行艇のことを指差しながら聞いてくる。
「いや、見た事はあるだろ?小人達を襲いかかった時に視界に入っていたはずだが?」
一度は見た事はあるはずなのに、後ろにいる二人も含めて記憶に残っていそうな雰囲気を感じず葎は不思議に思う。
「え、そうなんですの?あの時はカガリちゃんを追いかけた事しか覚えていませんわ。その後は浪人様にボコボコにされましたし」
「そうだな。俺もだ。追いかけて、戦って、気絶したからな」
凛と葛の二人は別のことに掛かり切りになって気に留めてなかったらしい。それならと当事者である先遣隊の先頭で一直線に飛行艇へと向かっていったカガリに目をむける。カガリは幾許か表情に乏しいため、葎には覚えているのか覚えていないのかが判別しにくい。思い出そうとしているのかもわからない表情のまま葎を見て、少しの間を置いて口を開いた。
「…私はグレイソン人があいつらに見えて襲っただけ。だから、私もアレは知らない」
「そうか、誰も目に入ってなかったか。」
結局の所、捕虜全員が視界に入ってなかったようだ。もしかしたら殴打や出血の影響によって記憶が飛んだのではないかと、葎は訝しんだ。だが武士ならばあれくらいの怪我で頭に響く程度の体はしていない。やはり全員が別のことに夢中になっていただけのようだ。
「あれは飛行艇という空を飛ぶ乗り物だ。炭を燃やして鉱石を温めたら浮くらしい。詳しくはしらん」
葎はすでに何度か燃料である木炭の積み込み作業を行なった。本来は燃焼温度の高い石炭が適切らしいが流血樹で生産していた木炭は密度が高く、トーマスの判断では十分使用に耐える品質だったらしい。
「ふーん。では食べられないのですのね」
「ああ、そうだが。さっきからなんで仕切りに食べ物か聞いてくるんだ?そもそも空を飛ぶ得体の知れないものを見て腹が空くのか?」
戦場では輜重隊が襲われて補給ができずに食べ物がなくなってしまうことがままあった。そういう時には毒があるのかもわからない得体の知れないものを食い繋いでしのぐのだ。そんな状況を何度か経験した葎でも、空を飛ぶ黒い巨大な不明物体は食う気にはならない。ちょっと考えれば墓場への直行便だとわかるから。
「ええ、もちろんですことよ。動くものであれば大抵のものは食えますもの。それに…今はとてもお腹が空いてしょうがないのです!」
そういうと、凛からグゥーと大きな腹の虫が鳴った。それを恥じらいもせず堂々と空腹を主張する凛に、葎は乙女心は捨てたのだと確信した。
「昼飯を食べてからそんなに経ってないのにもう?」
「ええ!わたくし、黒田家が誇る健啖家ですもの!」
そう言いながら胸を張る凛を見て葎は納得する。そう、その栄養は頭ではなく胸へと吸われたのだと。
「まあ、食わない奴は強くならないからな。食が細いよりかは良いか。腹が空いてるなら誰からか貰えばいいだろ?」
「逃げる時には家財が優先で食べ物は持って来ていないらしいですわ」
「じゃあ食べるのは下鉄保まで我慢しろよ」
「そんな〜」
一際大きな腹の虫を鳴らしながら凛は泣き言を言う。飛行艇に乗せてやれば直ぐにでも下鉄保につくが、葎は凛のことは後回しにする。梻との約束で柊を優先し、そしてグレイソン人を安全な場所へと収納するのが先決だった。
そんなグレイソン人は集団の中央辺りで子供達と一緒に居た。明らかに保護対象として囲われているとわかる。お互いの言葉はわかっていないようだが、見た感じの関係は良好そうだ。それはその中心でトーマスといる和多流が橋渡し役を担っているからだろう。交流の中心となっている二人に話を聞く事は難しそうなので、集団の端で微笑んで見守っていた伊佐那に話しかける。
「伊佐那、無事で何よりだ」
「ええ、なんとか。ギリギリだったけどね」
「…なんというか、他に比べて荷物の量がすごいな」
伊佐那はいつもよりも大荷物だった。腹にはいつも使っている大鍋を抱え、背負い子には大量の食器がある。他の人は手荷物が一つや二つ。中には天秤棒を担いでいる人もいるが、殆どは這々の体で何も持っていなかった。
「そうさね。その点で言ったらあたしは時期が良かったね。夕飯の仕込みをしていたところでの避難だからね。おかげでせっかく作った夕飯がおじゃんだよ」
そういう伊佐那の服を見ると何か液体が染みて変色していることがわかる。夕飯を持っていく事はできず、避難の指示があってから急いでひっくり返して洗いもせずに持って来たのだろう。心なしか、伊佐那から醤油の匂いがする。
「俺もマッコウ解体の直前だったからな。仕事道具はあらかた持って来れた」
「運が良いのか悪いのかわからないっすね、親方」
列の後方から追いついて来たのだろう登喜とその弟子がやってきた。二人とも多数の刃物を持っていて、特に目立つのは背負っている長物だ。登喜は身幅の大きな槍で、弟子は鉤爪のような形をした手鉤と呼ばれる物だ。
「登喜と…名前を聞いてないな」
「あっ、自分は又平と言います。よろしくっす」
頭を下げながら挨拶をする又平。すると、背中から飛び出て頭から大きくはみ出している手鉤が、葎の兜にガキンとぶつかってしまった。幸いにも鋭い部分ではなく腹の部分が当たったことにより分厚い兜を傷つけることはなかった。攻撃の意思がないとはいえ、兜を被っている葎でなければ血が出る事態となっていたであろう。
「あっ!す、すいません!」
「こらっ又平! すまない、ちゃんと叱るんで、ご容赦を…」
「…次は容赦しないからな」
血の気の多い武士ならば切り捨て御免していてもおかしくないヘマだったが、葎はこの程度では怒らない。だが自分は気にはしないが、他の者にしていたらシャレではすまなかったのも事実。再発防止の意味も込めて、葎は少し凄みながら注意する。隣で一緒に謝っている登喜は本気で怒っているわけではないことは理解したが、又平はその限りでない。腰を曲げて頭を下げるわけにもいかず、取れてしまうと思うほどに首を曲げて頭を下げる。その様子に、葎は満足した。
「へっ、へい!すいません!」
「何やってんだいアンタら」
坊主にしている綺麗な円形の頭も相まってスッポンのようになっている又平に、伊佐那は少し笑いそうになりながら呆れていた。葎も月のように丸い頭を見て、自然と手を伸ばす。
「あの…なんですか?」
「…いや、実に見事な頭だと思って」
僧侶でもここまで綺麗に剃り上げられた頭は珍しい。葎はそれをスパーンと引っ叩きたくなる衝動をなんとか堪えた結果、下げられた頭を撫でることになったのだ。僅かにジョリジョリとする感触が面白くなってしまった葎は撫で続ける。
しばらくさすっていると、又平も葎が怒っていないことが伝わり安堵して撫でられていた又平の首が痺れて冷や汗をかいている頃、やっと追いついてきた最後尾が見えてきた。それは大きめの天秤棒を持ち疲れている様子の氷川と、その天秤棒を二つ両肩に吊り下げてピンピンしている浪人だ。
「氷川、波人。無事だったようだな。いや、氷川は死にそうだが」
「ええ…はぁ、怪我はしていませんよ…はぁ、はぁ」
「おうよ。さすがの俺もあの爆撃は死ぬからな。さっさと逃げずに氷川の手伝いをしていた時は冷や汗をかいたぜ」
「そうか、大変だったようだな。しばらくは休憩だからそれを下ろしていいぞ」
「はぁ〜助かった〜」
二人は中身を傷つけないようにそっと天秤棒を地面に下ろし、どかっと音を立てて腰も下ろした。天秤棒には大量の瓶や籠が入っていた。粘度の高い液体から、よくわからない生物、乾燥して皺くちゃな何かの植物まで多種多様なものが入っている。氷川の職業から、それは薬品か調合用の材料だとわかる。
「全部は持って来れなかったのが悔やまれます」
「こんなにあるのにか」
入っている物はどれひとつとして同じものがない。種類は数十種類、下手したら百種を超えるかもしれない。それだけ多くの種類があっても網羅できていないと知り、葎は感嘆の念を抱く。
「そうです。これでも厳選したんですよ」
「その時間のせいでギリギリだったけどな」
ぼやく浪人に氷川は苦笑する。これからの生活がかかっているとはいえ、無理を言って手伝わせたことに少し後ろめたい気持ちがあるようだ。
「ええ、ありがとうございます。このご恩は必ず返しますね」
「…まっ良いけどな。死んだほうが寝覚めが悪いし」
真正面から感謝されたことに照れたのか、波人は明後日の方を向いて返答する。若干の気まずい雰囲気を打開するべく、葎は話題を変える。
「これでも足りないなら、あとで買い足す必要があるな。何がいるんだ?」
「そうですね、薬品を持って来てしまったのであまり消毒用の酒が一本しかなくって…でも、グレイソンの皆さんが分けてくれるんです」
「ほう、ドールにねだられたが既に持っていたのか」
グレイソン人の殆ど全員が服のポケットや背負っているバッグを一杯にしていた。あの中身に氷川がもらう酒があるのだろう。
「彼らが持っている瓶はすごいですよ。反対側がはっきりと見えるほどに鮮明に見えるんです」
「へぇー。たかだか酒を保存するくらいのことで透明なのを使うのか」
この地で完全に透明な硝子を作る技術はあるが、主に使われているのは不透明なものだ。不純物を除けて作る透明な硝子は費用が高いからだ。持っているのは一部の金持ちや職人。その用途は視力を補完する眼鏡や細かい作業の為に使う拡大鏡などだ。ドールやその他のグレイソン人が使っているのを除けば、目にした回数は少ない。
「そうですね。あっ、そろそろ出発みたいです」
見れば他の人たちが続々と立ち上がり始めている。そろそろ休憩は終わりらしい。
「それじゃあ、俺は戻るか。…そうだ氷川。小人達を乗せた後に余裕があったら飛行艇に乗っていくか?」
飛行艇で運ぶ最優先はグレイソン人であるが、その次の次くらいに優先すべきは氷川だ。医療の知識を持っている氷川の価値は高いのだ。因みに二番手は長老。通信石による連絡網もあるが、葎はまだ隠し玉があると踏んでいる。
「良いんですか?それでは乗せて欲しいです。もうこれ以上持って歩いたら倒れるところでしたよ」
「俺もまた乗せてくれよ」
「浪人は村人の護衛を頼む。全員は載せられないから殆ど歩いてもらう。その間に動物か何かに襲われないよう見張っといてくれ。もちろんその荷物は受け持つ」
最終的には何度も往復して陽が落ちるまでには全員を乗せて下鉄保へと運ぶつもりだ。それでも葎は距離と時間を稼ぐために、村人達には続けて歩いて欲しいと考えていた。その間にはいくつもの動物の縄張りを通り抜けることになるだろう。怒り狂った動物達から村人達を守る戦力として浪人を置いていきたかったのだ。
「まあ、それが妥当か。部下も置いて行けないしな」
先に氷川と荷物を持った浪人を飛行艇へと向かわせ、葎はグレイソン人達の元へと向かうのだった。




