18話 目覚めた捕虜達
体が揺さぶられる感覚で意識が浮上してくる。頬と手にはさらさらとした毛並みが、鼻には天日干しした布団のようなお日さまの香りが入ってくる。密着した肌から聞こえてくる心音は至って穏やかで、ズイはまだ眠っているようだ。
昨夜は離れた寂しさからか、帰ってくるなり情けない鳴き声を出しながら、不安を払拭させるように体を擦り寄せて離れなかった。だからこうして枕···添い寝して一緒に眠っていたのだ。
ただ、ドールには昼頃に起こすよう言っておいたはずだが、頭から離れない眠気はまだ朝だと訴えていた。何か問題が起きたのだろうかと、微睡の中、睡魔の誘惑を振り切って体を起こす。
ぼやけた視界に入ったのは、ドールではなく何やら焦った様子の氷川だった。
「どうした?もう少し寝させてくれないか」
「すみません葎さま。捕虜が暴れ出していて手がつけられないのです。仲裁して欲しくて」
「浪人もできるだろ」
「鍋で叩いても起きません」
「…わかった、行こう」
そんな為体で戦場を生き残れるのか?と心の中でぼやきつつ、ズイを優しく抱えながら氷川に現場へ案内してもらう。水平線からのそれほど高くない場所で爛々とした太陽が鬱陶しくてたまらなかった。
到着した葎が見たのは、鬼気迫る一人を3人がかり押さえつけようとしている様子。抑えようとしているのは伊佐那、葛、見覚えのない下げ髪が巻かれている女性だ。そして暴れているのは二日前に飛行艇を襲撃し、葎に射抜かれた女性であった。
「いい加減に…しな!」
「やめれくれよ本当に!葎さんが見たらヤバイだろ!」
「カガリちゃん止まってくださいまし!」
二日間寝込んでいたとは思えない勢いで長い茶髪を乱暴に振り回しながら、ある方向へ…飛行艇のある場所へ向かおうとしている。歯を食いしばり、目を血走らせながら一心不乱に進もうとしている姿は狂気的だった。
双方の力は拮抗…いや、深い足跡を残しながらジリジリと押されている。三人のうち誰か一人でも力尽きれば均衡は崩壊して侵入を許してしまうだろう。そんな面倒くさい状況を目撃した葎は深くため息をついた。
ズイをそっと地面に置き、徐に騒動の中心へと近づいていく。二日間体を洗っていないのもあるだろう、暴れて汗臭さを撒き散らしている野郎どもに向けて拳を振り上げた。
「ッ!」
「ぐふぅ」
「なんでわたくしまで!ぐえぇ」
伊佐那を除く三人を片っ端からゲンコツで沈めていった。元気そうに荒ぶっていたとはいえ、やはり病み上がりで限界であったらしく小突いたらすぐに倒れた。そして会話での事態の収拾が面倒くさくなった葎は捕虜全員を小突き回ることにした。眠気で動きが鈍くなっている葎であるが、激しい運動をして息を切らしている病人をしばくのは取るに足りないことだった。見知らぬ女性は比較的元気だったらしくすぐには気絶しなかったが、少し強めにもう一発食らわせたら静かになった。
「はぁ…た、助かったよ武士さま…はぁ」
息を切らしながら例を言ってくる伊佐那。先ほどの三人と違い汗臭くなく、むしろ直前まで調理をしていたであろう醤油のような良い香りを漂わせている。
一旦暴力で適当に事態を収めた葎は割と限界だった。眠気で瞼が開ききらず、正確な情報は聴覚と嗅覚頼りにすらなっていた。声を出すのも億劫だった葎は片手を伊佐那へ掲げ、それだけで解決したように踵を返した。その合図を伊佐那がどのように受け取ったのかも確認せずに、朧げな視界を頼りにズイへ歩み寄る。
もはや倒れるように寝転んだ葎は優しくズイを抱え、意識が沈む感覚を知覚する間もなく就寝した。
次に意識が戻ったのは昼頃。言いつけ通りに起こしにきたドールによって目覚めさせられた。一瞬、二度寝がよぎる程度に眠気が残っているが、すぐに起き上がった。
『おはよう、ドール』
『おはようございます』
ドールも葎と同じく夜遅くまで起きていたはずなのに、眠気を感じさせる事のない爽やかな笑みを浮かべていた。眼鏡には曇り一つなく、軍服にはシワ一つない。身支度に時間をかけているはずなのに調子がよさそうなドールが羨ましいと葎は思った。
そして手元には元気な様子のズイがこちらを見上げている。どうやら葎が起きるまで腕の中で待っていたようだ。腕に頭を擦り寄せ嬉しそうだ。
「ズイもおはよう」
「わんっ」
言葉が分かっているのかは定かでは無いが、元気よく返事をしたズイを撫でると、目を細めて葎の手の感触を堪能している。
そんなズイから視線をずらすと、正座をしている問題児たちが映る。途中で起こされた元凶である長髪の女性は感情が見えない無表情だ。すでに鎧の類いは外され、肩に深く突き刺さっていた破砕矢も摘出されて包帯でぐるぐる巻きになっており、広範囲に血が染み出していた。
同じく正座している葛は苦悶するように顔を顰め、葎と視線を合わせないようにしていた。よく見ると斬り飛ばしたはずの右手がくっついていた。握りしめられた左手と違い僅かに指が閉じ切っていないことから、まだ完治はしていないようだ。
その横に座る下げ髪が巻かれた女性はむすっとした表情で葎を睨んでいる。若干吊り目であるためキツく見えるが、それは敵意を含むものではなく何か物申したいことがあるような視線だ。他の二人と比べて線が細くて小さく見える。身体中には硬膏が塗られており、ぱっと見は白粉を塗っているように見えた。
どう見ても重症な三人であるが、なんとでも無いように正座している様子を見ると、後ろで見張っている氷川の腕の高さに葎は脱帽する思いであった。三人を観察していると、控えていたドールが話しかけてくる。
『あの葎様、あそこで座っている縦ロールの女性は…もしや高貴なお方なのでは?』
『いや、わからんが。どうしてそう思った?』
『あのドリルのような髪型は私の国では自分のステータスを象徴するものなのです。この地でもそうなのでは無いかと思った次第です』
どうやらドールの国ではこの髪型は身分の高い女性が身につける証であるらしい。葎からすると、下げ髪は癖っ毛の無い真っ直ぐな髪質が最も良いと認識していた。なので縦ロールはこの地の基準ではあまり身分の高い者がする髪型ではなかった。
「そこの縦ロール。見ない顔だが何故ここにいる?」
「…縦ロールと言うのはわたくしのことでございますの?」
きょとんとする縦ロールに葎は頷く。
「その縦ロールと言うのが何かは分かりませんが…わたくしは黒田家の娘、凛にございます!お見知りおきくださいませ!と言うより、わたくし達は既に顔を合わせておりますのよ!」
大層な身振りでそう言われても葎にはこれっぽっちも記憶になかった。この縦ロールという強烈な髪型は一度見たら忘れられない筈だが全く覚えがなかった。
「…朝に黙らせた時か?」
「いいえ、それよりもっと前に…そう!言いたいことがありますのよ!」
再び目元をキッと吊り上げ、葎を睨め付ける凛はビシッと指を差し言い放つ。
「どうして今朝はわたくしまで殴られたんですの!ただカガリちゃんを止めようとしていただけなのに!」
「…眠たかったから」
「そんな理由でぶっ叩かれたんですの!?」
ギャーギャーと文句垂れる縦ロールに辟易してもう一度寝かしつけるべきか悩むところで、後ろから声がかかる。
「よっ、おはよう」
「ああ、おはよう浪人」
片手を上げながら挨拶をする浪人は快活そうだ。今は鎧は着ておらず、いつぞやの袴一丁の姿だ。
「普段からそんな姿なのか?」
「ん?そうだが?」
「鎧はどうした?もう盗られていないだろう」
「ああ、俺は普段からこんな格好だぞ。戦もない日にも来ているお前がおかしいんだからな」
浪人の言葉に少しムッとする葎。
「いや、常在戦場の心構えというものは持っていないのか?」
「その教えは知っているし立派なものだと思うけどよ。あくまでそれはそういう気持ちでいろってだけで四六時中鎧を着ていろって訳じゃないだろ」
浪人からの反論に口を開こうとする葎だったが、考えてみればそもそも戦のない日というものを経験したことがないと気づく。初陣を果たしてからは前線を離れたことがなく、今のように鎧を脱いでも問題ないような状況に身を置いたことがなかった。
自分の常識がずれていたことへの衝撃を感じつつも、先ほどまで騒いでいた縦ロールが静かなことに気付く。そちらに目を向けると、凛は目を大きく開きながら浪人のことを見つめている。そこに至って葎は気付く。この三人の並びで、葎がまだ素顔を見たことがないのは浪人がボコした弓兵だけだということに。大方、自分の事を甚振った浪人のことが恐ろしいのだろうと、当たりを付けた葎は凛の事を浪人に任せることにした。
「浪人、そこの縦ロール…下げ髪を巻いている女をお前に任せる」
「あん?なんだって俺が」
「俺が相手だとうるさいんだ。浪人が相手だったら静かになるみたいだし、ボコした責任をとって面倒を見てもらおうか」
体をわなわなと震わせながら浪人のことを凝視している縦ロールを見て、浪人ならば御することができるだろうと葎は考える。
「んなことで?それって俺の部下になるってことか?」
「まあ、それでもいい」
「それならビシバシと鍛えることにするか。お前、名前は?」
「は、はひ。黒田家の娘、凛にございます。お凛とお呼びくださいまし」
顔を赤くしながら返答する縦ロール。おそらくボコされたことによる怒りが頭の中を駆け巡っているのだろう。
縦ロールを押し付けた葎は本題へと向き直る。未だに無表情のまま言葉を発しないカガリと呼ばれた女性へと話しかける。
「どうして朝っぱらから暴れていたんだ?」
「…貴方の後ろにいる小鬼と連中を殺そうとしただけ。そいつらは殺すべきよ」
言葉を発して現れた感情は怨念と呼べるほどのドス黒い恨み。ギラついた視線に晒されたドールは思わず足を一歩後ろへ引いてしまう。
「小鬼って大陸人のことか。だが、ドールとその連中は大陸人ではない」
「…そんな訳ない。そんなにも体の小さい人間は大陸人に違いないわ」
二度も押さえつけた葎がいるから動かないが、少しでも離れたらなりふり構わずにドールを襲ってしまいそうな雰囲気を醸し出している。
「よく見てみろ。確かに俺らより体は小さいが、ドールは大陸人よりも体が大きい」
「……確かにそうね。私の半分もある」
長く見つめた末に、カガリは納得してくれたようだ。幾分かドールへ向けられる視線は和らいだものの、それでも隠しきれない嫌悪感を放っている。
葎にはカガリが何故それほどまでに大陸人を目の敵にしているのかは知らない。たとえ親の仇だったとしても、葎にとってただの捕虜であるカガリよりも技術的な価値が計り知れないドールたちグレイソン人の方が重要だ。まさか黒の軍への返還が罷り通るわけもないので、これ以上何か問題を起こせば処分するつもりでいた。捕虜達がまだ生きられるのは、いま殺してもなんの名誉にも誉にもならないからだ。
「でだ、葛。さっきから黙っているが、何か言うことはあるか?」
「いや、あの、その。俺はちゃんと止めようとしていましたよね?」
「ああ、そうだな。だから、葛には捕虜のまとめ役を務めてもらう」
「ええっ!何で!?」
「この面子だとまともなのが葛しかいないからだ」
捕虜という立場であるのに葎へと楯突く縦ロール、一旦は納得したそうだがいつグレイソン人達へ爆発するかもわからない狂人、そして捕虜としての立場を理解しつつ同じ捕虜が暴走しようとしたところをしっかりと止めようとした葛。消去法によって一番まともな葛が抜擢されたのだ。
「どうしてこんなことに…」
「あと逃げようとしても無駄だぞ。昨日の夜に輜重隊は壊滅した。壊滅した部隊の生き残りがノコノコと逃げ延びて受け入れらるかね?誉的に」
「…どうしてこんなことに??」
「やっぱこいつダセェな」
「うるへぃ!」
辛辣な浪人の言葉へやるせない気持ちをぶつける葛だった。




