15話 葎、初めての飛行
飛行艇の修理は滞りなく進められていた。トーマスとその仲間達の腕は高く、トンテンカンと金槌を打ち鳴らしながら順調に修理されていく。
途中、葎も乗船するということで、そのための空間確保のために手直しが行われたりしたが、撃墜時に大きく抉れた空間を転用することでなんとか間に合わせた。
『葎様、体重を調べても?』
『いいが、なんのためにだ?』
『この飛行艇は旧式なので積載量に余裕がないのです』
『そうか。この天秤に乗ればいいんだな?』
『はい…800kg近く。問題なく乗れますね』
こうして、飛行艇の艦橋には玉座のような葎専用の席が確保された。座り心地は悪かったが、いっときの監督さえ務められれば良いのだ。全面ガラス張りの艦橋の中央に位置している為、外の様子が見えやすくなっている。
『早速、試運転と行くか』
『承知しました。ただ、この後浪人さんを乗せることを考えると、十数人はおいていく必要があります』
『運行に支障がない人選ならいいぞ。武器も持たないグレイソン人は対して脅威にならないからな』
そういう葎はすでに飛行艇の席についている。我が物顔…実際に葎が徴収したものだが、出航のために慌ただしくする小人達を横目に、膝の上にいるズイを撫でていた。最初は氷川か伊佐那に預けようとしたが、離れることを一切考えないキラキラとした目にやられて一緒に乗ることにしたのである。
ここ艦橋では多くの人員が手元の計器と睨み合いながら伝声管に向かって指示を出し、よくわからない装置の取手を動かすたびにチリンチリンと音が鳴っている。他の数十名はおそらくドールやトーマスから説明されたボイラー室や駆動系の部屋で動き回っているだろう。しばらく待っていると、どこからともなくゴォーと腹に響くような音が聞こえてきた。さらにシューッとそこらじゅうにある管から何かが高速で通り抜ける音がする。未知の体験をしている葎は至って落ち着いているが、ズイは何が起こるのかを全く理解しておらずキョロキョロと見渡しながら怯えている。さらにキーンと甲高い風切音が鳴り響くと、恐怖を紛らわせるように葎の鎧の内側へと避難していった。
「eiuvr!」
「dvbebi,eiuvr」
ドールの合図と同時に窓の向こうが視界が白く染まった。ブシュー!と轟音を立てながら地面へと向けて噴射されているのだ。修復され切っていない若干の隙間から蒸気が入ってきて熱いが、周りは至って平静だ。そして、葎は奇妙な感覚を覚える。まるで駕籠に揺られているような、地面に足がつかない感覚だ。まるで昔に居城で乗った昇降機のようだった。無意識に近くの物を掴み、耐えるように足腰に力が入ってしまう。
しばらく噴射音と耳が内側から押される感覚に見舞われていると、ピタッと噴射が終わる。晴れた窓の外には青空が広がっていた。少し下を見ると地面があんなに遠くに映っている。飛び降りたら骨折だけでは済まなそうな高さだ。実際に見て感じ取ってはいるが、葎は未だにこの金属の塊が浮いているとは信じられなかった。
そしてそれは野次馬の村人も同じだ。乗っている葎からは見えないが村人からは、飛行艇が雲を纏いながらゆっくりと上昇しているのが見えていた。砂浜で隠れていた艇の底は白く、波を掻き分けるための畝が並んでいた。事前に葎からおおまかな説明を受けて生き物でないことは知っているが、その畝のことも相まって神話の空飛ぶ鯨だと信じてやまない者が多い。
『ドール、あの山にある一本道が見えるな?それに沿って進んでくれ』
『承知しました』
飛行艇は回頭し、ブゥーーンと風を切る音で加速して進んでいく。実感は湧かないが、窓から見る外の景色の移り変わりが早いことから、かなりの速度が出ているとわかる。それを知って知らずか怯えるズイを撫でる。
『速度の割に快適だな』
『お褒めに預かり光栄です』
『どのくらい速く飛んでるんだ?』
『150km/h…と言ってもわからないですよね。うーん…我々が走るよりも20倍以上です』
『俺からしたら10倍か。とてつもない速さだ』
葎の生活において、自分の足以上に早い移動手段はなかった。自分よりも足の速い動物は存在するが、移動手段たり得ない。馬に乗ったら明らかに遅くなり、鎧を着込んで乗った時には潰れてしまう。牛は乗れるが遅い。船という若干だけ早い乗り物もあるが、水のある場所でしか使えず限定的すぎた。こうした事情も相まって葎は未知の速度に若干怯えている。だからズイが情けなく葎の胸元で泣いていても責めたりしない。自分も怖いから。
『これが、カルデライトとやらを使ったサーマル・ポテンシャル・チャンバーの力…か』
『おや、トーマスから聞いたのですか?』
『ああ、青い鉱石を火に放り込めば浮かぶんだってな』
『そうです。正確に言うなら純度を高めて青くなった宝石ですね。そういう石が転がっているわけではなく、精錬して作り出した物を使っています』
『俺らでも作れると思うか?』
今の葎にはこの手に入れた飛行艇しか無い。そして飛行艇を増やそうと思えば、現段階では海の向こうから仕入れることしか出来ない。しかし運良く拿捕できているだけで伝手があるわけでは無いため、手に入れる方法が無い。もし自力でこの飛行艇を作ることができるのなら、前代未聞の高速部隊を編成することができる。葎は夢の為に、たった一隻の艇だけでは満足できなかった。
『…どうでしょう?カルデライトは火山でしか採取できない希少な鉱石なので生産地が限られています。それに、カルデライトを手に入れても高い精錬技術がないと使い物にならないです』
『そうか、じゃあ祖国とやらには頼めるか?』
葎達が通信石を使うように、グレイソン達にも遠くの相手と交信する術がないかと考えた。それに向こうには作る技術があるのだ。それを買い取れば自力での製造も夢ではない。
『…いえ、この飛行艇は旧式とはいえ列記とした軍艦。そう易々とは渡してくれないでしょう。それに現在では祖国との連絡手段はないので戻ることすらできないです』
『今は無理ってことだな。当面のやることが終わったら生産について考えるか』
人間の適応能力は存外高いようで、軽く雑談しているだけで未知の速度への恐怖は薄れていった。そして恐怖が薄れる頃には森の緑に墨を垂らしたような黒い点が遠めに見えてきた。浪人だ。それはドール達にも見えていたようで、徐々に高度が下がっていく。
下がっていくときの感覚もむず痒く感じる。段差から飛び降りる時にも似た感覚を覚えるが、一瞬で強い浮遊感が終わるのに対して、こっちではまるで内臓だけがずっと支えられているようだった。
降下が終わった頃、飛行艇は地面に着くことなくスレスレで対空している。
『どうして着地しないんだ?』
『元々地上での運用はしていないからです。本当の活動地は海の上ですから』
そう言われてみると飛行艇の底には橇や車輪は無く、確かにそのまま降ろすと傷付きそうである。納得していると、窓の近くまで浪人が来ていた。
「よう、直ったみたいだな。で、俺は何処に乗ればいい?」
「後ろの方で倉庫の扉が開いているはずだ。そこに乗ってくれ」
「わかった」
そう言って浪人は窓の視界から消えていった。浪人も未知の感覚で慌てふためくだろうか。それとも案外高所が怖くて子供のように泣くだろうか。そんなふうに考えてしばらく待っても何も変化を感じられない。どうしたのだろうかと思っていると、ドールが話しかけてきた。
『浪人様は乗ったようです。扉を閉めましたので村へと戻ります』
葎はグレイソン達に舐められないために表には出さないが、かなり驚いていた。浪人という完全武装の人間が乗っても、船内が全く揺れていないことに。葎は船に乗るとかなり揺れることを知っている。それこそ飛行艇と同じだけ大きな船であっても注意を払っていれば揺れに気づいていたのに。思い返せば、離陸時に感じていた振り子で揺られるような感覚は飛行時にはなかった。水のような支える物質もなく、己を支える機関だけで驚きの姿勢安定性だった。
そんな驚きをよそに飛行艇は村へと戻っていく。先ほどとは反対向きに進んでいるため視界いっぱいの海が映っている。これほど離れているというのに見えるということは、この飛行艇はかなり高い場所を飛んでいるようだ。
『こんだけ高いところに来るのは初めてだからどのくらい高いかわからんな』
『現在は高度500m。この飛行艇ならば高度3000mはいけますよ』
『ほう、それは雲よりも高いか?』
『いえ、そこまでではありません。この旧式の船は機関出力が低いので、高高度まで行くには力不足です』
『そうなのか、じゃあその高度までどんくらい重い物を持っていけるんだ?』
『10tですかね。装備を全部下ろせば…大体30t以上でしょうか』
『さっき俺の体重を測っただろ?それ換算だといくらだ?』
『このままだったら12人、対策すれば36人以上です』
やはり葎の予想通りこの飛行艇は積載量が途轍も無い。今の葎の重さ36人分だとすると…30tは大体お米4万合。馬が300頭以上運ぶ量と同じくらい、とんでもない輸送力だ。それをこの速度で運べることを考えると、間違いなく常識をひっくり返す兵器だ。
なんとしてでも飛行艇がもっと欲しい。どうすれば量産できるかとニヤつきながら思案する葎。その様子見ていたドール達は悪鬼のように笑う葎が怖くてしょうがなかった。
耽っていると気づけばすでに流血樹近くの海上にいた。再び蒸気が噴射され窓の外が白く染まった。耳が外からの圧迫される感覚に不快感を覚える。そして着水は離陸の時よりも早く終わった。激しい揺れとバッシャーと大きな水の音に襲われながらズイを抱きしめて守っていると、次第に揺れは収まってくる。
懐かしい波に揺れる感覚に遠い記憶を思い出しながら、手筈通りにやってきた村人達を見遣る。縄を引っ掛ける村人達。万が一にでも飛行艇が逃げださないよう、念入りに巻きつけ、杭を深く水底に突き立て、埋める。一見、巨大な金属の塊に対して心許なさそうな縄であるが、小人達から見れば極太な縄である。これを引きちぎろうと無理やり動かせば構造体の方が引きちぎれてしまうこと請け合いだ。
降りると膝下くらいまで浸かる程度の深さだ。ただ、ズイとドールは溺れかねないため肩に乗せようとする。ドールは遠慮していたが、葎はズイが望んでいると言って無理やりにでも乗せた。葎の言っていた通りズイは尻尾を大きく振りながら一緒に肩に乗ったドールと戯れ合っている。微笑ましい光景を載せて、ジャブジャブと掻き分けながら陸へ戻っていく。他の小人は村人や船に乗せてもらっているようだ。
そうして陸地にズイとドールを降ろすと、大きなため息を吐いた。
『疲れましたか?』
『ああ、乗り心地は快適だったが、思いの外、張り詰めていたのかもな』
流石に歴戦の葎といえども、落ちたら即死必須の場所に晒されて気が気でなかったようだ。ドールは葎のことを地の通った生物だったのだと安堵した。
『そうでしたか。飛行手での遊覧はご満足いただけましたか?』
『満足だ。俺の予想を遥かに超える超兵器だとな』
『そういうことで行ったわけではないですけれど。まあ、御満悦のようで何よりです』
ドールと感想を話していると、飛行艇からザッバァザッバァと水を跳ね除けながら浪人がこちらに猛進してくる。
「葎ぁ!すごいな、飛行艇というのは!」
激しく興奮した様子の浪人は、フスフスと呼吸を荒くしながら問い詰める勢いで寄ってくる。そうだろうと深く頷き、葎からも飛行艇の有用さについて花咲かせようと口を開きかけるが、食い気味に話す浪人が先だった。
「あれだけの速度が出せれば、どんな要塞でもイチコロだな!」
「…そんなことには使わないからな」
浪人は飛行艇のことを巨大な破城槌だと思っているのだろうか。あまりに物理的すぎる感想に、葎の心は冷や水をぶっかけられたように冷めていった。




