【05】機密事項
「……ん」
いつの間に寝たんだろ?
起き上がると、ベッドが軋んで鳴いた。
頭は妙にスッキリしてるのに、身体が驚くほどに気怠い。
水……、飲みたいな。喉がカラカラだ。
なんか、肌ベタベタしてる……。
隣で、もぞっと布団が動いた。
……あ。
先輩の眠る姿に、部長の恐ろしい笑顔と、眠る直前の処刑人さんとの記憶が脳裏に蘇った。布団ごと膝を抱える。
チャイムが鳴ったあの時、ドアスコープで来訪者の確認をしていれば……。
自分の選択が悪い方へ駒を進めているようで、お腹の底から深いため息が出た。
ただでさえ嘘吐いちゃったのに……。
もう部長に顔向けできない。
どうしよう……。罰則、もう受けたくない。
膝ごと頭を抱えていると、
「体調はどう? 薬は抜けた?」
寝ていたはずのしょ……、先輩がこちらを見上げていた。
「はい。抜けたみたいです」
声が掠れた。
「ありが――」
ここでお礼を言うのは、なんだ違う気がして。語尾は誤魔化しておいた。
「そう? よかったね。じゃあ、今度はピロートークしよっか?」
ピロートークがなにかは分からないけど、トークって事は、先輩のコート……、化け猫のことだよね……。
部長の顔がちゃんと見れるようにしておきたい。どうにか誤魔化して、頑張って乗り切って、ここで先輩との接点を断たないと。
その為にも、
「……あの。先にお風呂入ってきてもいいですか?」
「ああ。そうだね。行っておいで。待ってるよ」
先輩はそう言って和やかに笑った。
オーバーシャツを脱ぐと、パンツを履いてない事に気がついた。パンツ、どこ言ったんだろ。あとで忘れずに探さないと……。
ぬるめのシャワーを頭から浴びながら、胸の傷跡のことを思い出す。
記憶は朧げで、何を話したかもよく覚えてないけど、長い人差し指が、この傷をなぞったような感覚が蘇った。
……この仕事してたら、傷跡の一つや二つあってもおかしくないよね。
汗と汚れを洗い流しながら、この後の先輩とのトークをどう切り抜けるかを考える。
コートなぁ……。
なんでソファに置きっぱなしにしちゃったんだろ。でも「はい! 私が特務の化け猫です!」なんて言ってないし、まだセーフだよね?
知りません、わかりませんでまずは切り抜けよう。それが作戦一で。作戦二は――
よし。一通り考えが纏まった。
髪の水気を絞ってユニットバスを出る。寝室のクローゼットから引っ張り出した服に袖を通し、髪は濡れたままお団子にしておいた。
ふっと息を吐いて気合いを入れる。
キッチンに向かうと、ソファでくつろぐ先輩がいた。
なんか、気まずいな……。
「お待たせしました。何か飲まれます?」
冷蔵庫から水を取り出すと、
「ありがとう。僕も水もらおうかな」
先輩はいつも通りだった。
あれ、私が考え過ぎなだけかな?
先輩が私に化け猫って言ってたのは、夢?
その可能性が浮上したことで、気分はずいぶんと軽くなった。――なんだ。夢か。
グラスに水を注いでキッチンを出ると、
「おいで」
先輩がぽすぽすとソファを叩いた。
あ、そっちですか。
ん? 結局あれが夢ならなんのお話しするんだろ? コートはもういい?
あ、だから先輩はピロートークって言ったのか。
なら結局、ピロートークってなに?
すぐにわかるか。
一人納得して、リビングに向かう。
ローテーブルにグラスを置くと、
「わっ!」
腰が引かれてバランスを崩した。
背中に当たる感触はソファのそれではなくて、なんだかちょっと硬かった。
これ……、どういう状況?
「……あの」
「どうしたの?」
どうしたの? どうしたって……え?
体に回された先輩の腕は逞しくて、やんわり押しただけじゃびくともしない。背中から伝わる体温は、さっき浴びたシャワーよりずっとあったかくて……って。違う違う。
「これは一体……」
「リクが話の途中で逃げ出さないようにだよ」
「逃げないですよ。ここ私の家ですし」
「そう? うーん。まぁ確かにこの体勢だとリクの顔が見えないか。今回は隣でいいよ」
いそいそと膝から降りて、少し距離をとってソファのカウチ側に――、なんとなく正座した。
「それで?」
急な問いかけにフリーズした。
「あの……、すみません。ご質問の意味が……」
「あ、ごめんね。一個ずつの方がリクも話しやすいよね。まずは、そうだな。――リク、三日前に確実に爆死したよね?」
投げられた、ど直球に息が止まった。
夢じゃなかった……。
作戦一の決行で応戦しよう。
「そんな訳ないじゃないですか。爆死してたら私、ここにいませんよ」
「うん。だから聞いてるんだよ」
先輩の表情は揺るがなかった。
「その、確かに私は水無瀬さんのコートらしき物を回収しましたが、本当に任務中に拾っただけで……」
「でもリク、対処中に言ってたよね。バレて部長に怒られたって」
表情が顔に出る前に下を向いた。
いやいやいやいや。ほんとに? 言ったの? 私?
動揺しちゃダメ。この人は特務隊の一番でエリートだ。情報を聞き出すなんて、息を吐くのと同じくらい簡単なはず。
「部長に怒られたのは確かですけど。それは任務が遂行出来なかったからで……」
言えば、先輩は仕事の顔つきになっていた。
嘘はバレてないはず……きっと。
少しの間をおいて、チラと見た先輩の冷たい表情は、どこか悲しそうなものへと変化した。
「それもそうか。軍の機密事項って考えれば、リクも軽々しくは言えないよね」
沈んだ声音だった。
「いや……、あの、本当にそうじゃなくて。私はただの名無しで、機密事項とかなもくて」
「いいんだよ。僕が浅慮だったね。部長に言われたんじゃない? 『故意じゃないとはいえ、水無瀬にも罰則を与えないとなぁ』って」
「違っ、部長はそんな事一言も! 罰則は私がっ――」
……やられた。
「……う、受けるんじゃないですかね? 任務、失敗した……ので……」
苦しい言い訳に、俯いた。
膝の上にあった私の手は、大きな手に掬い取とられて、きゅっと優しく握られる。
「リク、大丈夫だよ。リクの秘密はちゃんと守るから。さっきの体調不良は、もしかして罰則で? 普通の隊員なら受けない内容だよ。酷い目に遭ったね。
――辛くなかった?」
びっくりして、思わず先輩を見ていた。目頭が熱い。辛い? 私、辛いの?
あまりにも突然の事に困惑した。
大粒の涙が溢れて、溢さないように瞬きを我慢したのに、勝手に流れた涙が顎先から落ちていく。
なんで私、……泣いてるの?
泣きたい訳じゃないのに、涙が止まらなくなった。先輩の手から自分の手を引き抜くと、シャツの襟元を引っ張って涙を必死に拭った。
「ごめ、なさ……。すぐ止めるので……」
「無理しなくていいよ」
トントンとリズムよく背中が叩かれた。それがどこか懐かしくて、余計に涙は止まらなくて。いつの間にか、先輩の胸に擦り寄って泣いてた。
先輩の心音は、――心地良い音だった。
*
大号泣の末、泣き疲れて寝ていたらしい。夜を迎えたリビングの暗がりを、窓から入る月の光が淡く照らしていた。
ローテーブルにあったはずのペアグラスも、腕章付きのコートも。先輩と一緒に消えていた。
ぼーっとソファに座ってたら、――鼻血が出た。
「……また、鼻血」
倒れる事はなくなったけど、さすがに放置出来なくなってきた。……相談してみようかな。
夜だけど、関係ないよね?
「――かしこみかしこみもまおーす」
昔覚えた祝詞を奏上し、ぱんぱんと手を二回叩いて、左手を胸に押し当てる。ぐにゃりと部屋の空間が歪んで、周りは岩肌に囲まれた洞窟へと切り替わった。
壁際に並ぶいくつもの蝋燭の明かりを頼りに、洞窟中を進む。
最奥に辿り着くと、
「イザナミ様ぁ? 起きてます?」
岩戸をどんどん叩いた。
「うるせぇ」
文句と共に、体が岩戸をすり抜けた。岩戸を叩く勢いそのままに、中へと転がり込む。玄関代わりの土間部分で、膝と手のひらを打った。
「いてて……」
井草の匂いにこたつ。部屋の奥に並ぶ障子。懐かしい雰囲気に、故郷の村に帰ってきた気分になった。なんでか、鼻の奥がつんとした。
バリッと、お煎餅の割れる音がした。
「今いいとこなんだ。邪魔すんな」
猫神様であるイザナミ様は、こたつで寝そべり、頬杖をついてテレビを見ていた。
テレビの音声に聞き耳を立てても、何を見ているのかはいまいちわからない。“いいとこ”が終わるのはいつだろう。土間にしゃがんだ。
土間から一段上がって張られた畳から、神様の領域らしくて、立ち入る事は許されていない。
それにしても――
半年ぶりに見るけど、出会った頃と何一つ変わってないなぁ。
白銀の長い髪は艶々で、神々しい金の猫目。ほっそりとした輪郭と、ひょろりとした躯体。頭には文字通りもふもふの猫耳が生えている。
死ぬまでに、あの耳か尻尾を触らせてもらいたいけど、死んでも無理なのは理解してる。時折動く耳を観察して、待った。尻尾、見えないかな?
「なんの用だ?」
“いいとこ”が終わったらしい。
いそいそと上体を起こしたイザナミ様がこちらを向いた。
「最近、鼻血がでるんです。誰かの記憶も勝手に流れたりして……」
なにかを言うことはなく、イザナミ様の手が広げられた。その指が小指から順に曲げられていく。
恐怖を感じる間も無く――
グシャッ
何かが潰れる音がして、視界が赤く染まり上がって視界が閉ざされた。
何も見えない。何も出来ない。何も感じない。
ただ、意識だけが残ってた。
……意識も、このまま消えたらいいのに。
「……っ」
すぐ様呼吸や視界が回復した。
苦しい。肺が空気を求めて、短い呼吸を繰り返していくそれに、肩が上下した。
自分の体を確認するように両の手のひらを見る。……ちゃんと、動いてる。
腕や脚、胴体を見て触る。感覚はちゃんとあって、井草の匂いが鼻腔をくすぐり、お煎餅の齧る音が聞こえた。
動きに合わせて、長い垂れ落ちてきた。纏めていた生乾きの髪は解けて、イザナミ様の髪みたいに、艶々になってた。
「……なに、したんですか?」
憑き物が落ちたような。ずっと頭にかかっていた靄が晴れたような。身体が軽くなったような。そんな感覚だった。
「お前の貧弱な頭をリセットしてやったんだ。感謝しろ」
「……これでもう鼻血も、知らない記憶も見ないです?」
「用は済んだろ。さっさと去ね」
「一個だけ! あの、私の心臓は美味しくなりましたか?」
「この短期間でなるか。寝言は寝て言え。じゃあな」
イザナミ様が手を振った。
瞬きもしない間に、自分の家にいた。
「……はぁ。相変わらず話ができない神様だ……」
ガックリと肩を落とすも、これで鼻血とはさよならだ。
……お腹減ったな。
キッチンに向かうと、――チャイムが鳴った。
あ! 今日仕事!?
玄関へ向かい鍵を開けてドアノブを握る。手が止まった。ドアスコープを覗くと、予想通りの人が立っていた。
「はぁい」
訪問者は月野木さんだった。
黒の三揃えのスーツを着こなす彼の眉尻はこれでもかって位に下がってる。
「すみません。少し早く到着してしまいまして……」
「あ、そうだったんですね。よかった。すぐ準備します。中でお待ちください」
月野木さんには玄関で待ってもらって、急いで制服に着替えていく。
「今日の任務は、なんですか?」
コートを羽織り、髪をまとめる。
「本日は国境を守るオステリア軍の殲滅です」
「了」
「あちらはだいぶ疲弊してきています。最新の武器を導入したようですが、リクさんにとっては取るに足らない技術でしょう」
「そうなんですか?」
「ええ。詳しくはまた移動中にお伝えしますね」
軍帽を被り、玄関で編み上げブーツを履く。準備は万全。
「お待たせしました」
「滅相もございません」
「時間あるんですよね? ご飯食べてなくて……」
「商店に寄りますね」
「お願いします。……あれ?」
下駄箱に鍵がない。
……あ、先輩か。
ドアポストを覗けば、猫のキーホルダーがついた鍵が入っていた。
「珍しいですね。誰かがお泊まりに?」
「え?! あ、その……」
「あ。すみません。プライベートな事でしたね。そういえば、三厨部長から伝言を承っております」
部長の名前に、鍵を閉める手が止まりかけた。
「なんでしょうか?」
「『任務頑張ってるご褒美に、今よりいい部屋を用意したよ』との事です。引越しの手配は、本日から着任する任務が終わる迄には終了予定です。お帰りはご新居にお送りさせて頂きます」
引越し……?
軍に入って、この部屋を与えられて初めての事だった。任務以外は殆ど家にいる。部長もそれを知ってる。欲しい物もないし、特務部隊には階級もない。
その言い分はわかるのに、
――部長は、先輩がこの部屋を訪れてたことを、知ってたの?
「ご新居は新築アパートで、最新のデザイナーズ物件のようですよ」
「前から、決まってたんですか?」
「手続き等が駆け足だったので、そんな事もないですが。部長はよく、リクさんが頑張ってるから、『何かしてあげたい』とは言ってました。鍵、頂きますね」
月野木さんが手を差し出す。
「……そう、ですか」
猫のキーホルダーが、彼の手の上で鍵と擦れ合って、シャリッと乾いた音を立てた。
部長は、知ってたのかな……?
全てを捨てて逃げ出したいと、――初めてそう思った。




