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【04】特務の化け猫

 

 夜の帳が下りた森は酷く静かで、空には丸々と太った月が、冷ややかに空き地を照らしていた。

 今日の任務は敵国(オステリア)の諜報員が入手した、他国の情報の横取り。


 簡単な任務。

 そのはずだった――


 横たわる男達が動く気配はない。それぞれの背中や胸には、数本の刀傷が残されている。


「……あっけなかったな」


 コートの裾で刀についた血を拭い、鞘に戻せば甲高い金属音が短く鳴った。

 頭痛がして、違和感を感じた時には、口元を覆い隠す金属性のハーフマスクが不快感に濡れた。

 マスクを外すと、血が付いていた。


「……また、鼻血」


 軍服の袖で適当に血を脱ぐう。片腕で鼻を抑え、遺体を探り他国の情報書を探す。

 隊長らしい男の懐から、黒い封筒が出て来た。


「!」


 人の気配だ。

 物凄いスピードでこっちに向かって来てる。飛び退き近くの木陰に身を潜めれば、遺体が転がる空き地に四人、人影が現れた。


 オステリアの諜報員が三人。残る一人は、特務部隊の軍服を着ていた。腕には腕章。

 名無し(ネムレス)じゃないけど、その人は一人だった。隊と引き離されたのかな?


 各々が戦闘の体制を取り、攻撃のタイミングを伺っていた。


 ジリっと、諜報員の一人が腰を低くしたのを合図に、空き地に青白い閃光が散った。

 一拍の間を置いて、諜報員の男達から飛沫が上がり、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 それは、瞬き一つをする様な、一瞬の出来事だった。


 閃光の処刑人――


 まさに、その名にふさわしい戦闘だった。


「まだそこにいるよな?」


 あからさまに、処刑人さんの視線はこちらに向いていた。その視線に、殺気は感じられなかった。


 この辺り一帯に、処刑人さん以外の気配はない。

 

 ……バレてる。


 鼻血を確認すれば、すっかり止まっていた。ハーフマスクを着けるか迷う。

「水無瀬さん、こんばんは」なんて言って出て行く?

 彼はまじまじと、自分が始末していない遺体を眺めていた。


「出てくる気がないなら、こっちから出向くが?」

 

 処刑人さんが、そう声をかけて来た。

 うえぇ……。それはどっちの意味ですかぁ?

 味方として? 敵として?

 襲われても困るし、戦う意思もないんですが……。

 私は影だ。何者でもない。ここで、リクとして()()を装って……、――は、苦しいか。

 殺した痕跡を見られてる。処刑人さんの頭の中では、こちらの大凡の検討がついてそうだ。

 意地悪だなぁ。……とほほ。仕方ない。

 とりあえず制服が見えれば安心してもらえるだろう。


 ハーフマスクを着け、数本前に出る。

 空き地と森の境界。月光と影の間で、足を止めた。胸から下にかけて、制服が照らされた。


 これなら制服も見えるよね。


「……」


 処刑人さんは何かを言うことなく、一人の遺体を担ぐと姿を消した。


 安堵に胸を撫で下ろし、奪取した封筒の中身を確認する。中には、情報の書かれた紙束と一緒に、()()()が仕掛けられていた。


「……やられた」


 そう呟くも、もう遅かった。

 封筒を安全な場所へと消し去り、避難させると同時に、爆発札が燃えて目の前がホワイトアウトした。








「……ん」


 濃い鉄の匂いがした。

 ゆっくりと瞼を押し上げると、青藍の夜空が見えた。

 辺りに人の気配はない。

 手で体を支えて上体を起こすと、布の擦れる音がして、何かが落ちた。


「……」


 制服はコートごと焼け落ち、肌が露わになっていた。胸に残る四本の引っ掻き傷以外の外傷は見当たらない。

 致命傷だったのか……。

 爆破で負っただろう怪我は全部治っていた。

 膝の上には見覚えのないコートがあった。腕章には『特一』の文字。大量の血が染み付いてた。


 ……処刑人さんの、物……だったりするのかな?

 

 ほんとに? え? なんで戻って……あ、爆破音がしたからか。頬を撫でる冷えた空気に、ハーフマスクがない事に気がついた。


 あー、もしかしなくても顔、見られた?


 全身にぶわっと嫌な汗が吹き出した。

 落ち着こう。

 そもそも、どんな状態で気絶したんだろ。

 辺りを見渡せば、近くにはほぼ無傷の軍帽が落ちていた。首から上は爆破に巻き込まれなかったのかもしれない。だとしたら、困ったな……。

 いや、処刑人さんが部長に報告しなかったらいいのか!

 そうだ。それなら問題ない。「僕は化け猫を見た!」なんて言いふらす人じゃない。

 そう自分に言い聞かせて、立ち上がりハーフマスクを探して辺りを練り歩いたけど。


 ――ないなぁ。


 暗闇の中。どれだけ探し回っても、マスクの残骸すら見つけられなかった。




 *





「はいこれ」


 軍本部。部長の執務室。

 部長の手で、大きなデスクに置かれたのは、ひしゃげたハーフマスクだった。

 動物の口元を模した細工がなされたマスクは、無惨に焦げつき原型から大きく姿を変えている。


「……これ」

「水無瀬君が持って帰って来たよ。『化け猫も死ぬんですね』って。遺体回収希望を申し出られたけど、別部隊に任せるって言っておいたから」


 部長の声はあからさまに苛立ってた。目にかかる前髪。黒縁眼鏡の奥の瞳からは感情が読めないでいた。


 部長はトントンと、ハーフマスクを指先で軽く叩きながら、


「君、爆発に巻き込まれて? 首が飛んで胸がえぐられたように損壊してたって話だったよ?」


 そう言った。

 きっと、心臓があったら飛び跳ねてたと思う。

 後ろでに組んでた手に、汗が滲んだ。


「そ、そうですか。それはなんとも、凄惨な現場でしたね。――こちら、回収した情報です」


 へらっと笑って誤魔化す。

 右手首をくるりと回して、手にした封筒を部長に差し出せば、


「本当、便利な能力だよねぇ。どこに繋がってるのさ?」


 部長の声が、聞き慣れた軽さを取り戻した。

 このまま平穏な空気で帰れるかもしれない。なんて淡い期待を抱いた。


「イザナミ様の祠の近くの……、部屋? です」

「……何回聞いてもそれしか言わないよね、君」

「それしか言える事がなくて」


 部長は封筒の中身を確認して、満足そうに書類を戻した。


「ご苦労様。という事で、君には罰則が適用されまーす。可哀想だねぇ」

「……どうして、ですか?」

 ダメ元で聞けば、

「分かってない訳、ないよね?」


 部長はにっこり笑って言った。

 やっぱり、物凄い怒ってる……。


「……すみませんでした」

「聞こえないなぁ? ちゃあんと、君の犯した罪を、自分の口で言ってくれる?」

「任務中に、他の隊員に死亡したとして見つかった挙句、顔を見られました。……私の落ち度です」


 部長はわかりやすくため息を吐いた。


「本当だよ。化け猫は機密事項だ。水無瀬君には口外無用だって伝えたけど……。水無瀬君と会ったのは、彼が仕事で君の部屋を訪問した、一回だけだよね?」


 ビビッと肩が跳ねる。

 どうしよう? 言う? 言わない?

 言ったらどうなるんだろ……。考えたら、呼吸が上擦って、息が詰まった。


「……はい」


 やってしまった……。

 じとり。部長の湿った視線がチクチクして、いたたまれない。


「そぅ。ならいいね。これからも、未来永劫接点は持たない。軍でも会わないように、最新の注意を払ってよね。死人君」


 部長の声は弾んでた。


「了! ……あの……質問、いいですか?」

「許可しましょう」

「罰則って……その……」


 言えば、部長はわざとらしく困り顔を作った。


「可哀想だけど、君の思ってる通りだよ。これ以上トラウマが増えないといいんだけど……。地下でうきうきの天音が待ってるよ」

「……了」


 天音さんの顔を思い浮かべるだけで、寒気がした。

 涙を飲んで敬礼し、部長の執務室を出る。

 長い廊下を俯いて歩く。地下へ向かう足取りは、自分でも驚くほどに遅かった。







「リクちゃーん! 待ってたわぁ」


 地下に作られた研究所に入ると、天音さんが両手を広げて駆け寄って、ぎゅっと抱擁された。甘い匂いが薬品の匂いに混ざって、――吐き気がした。


 天音さんの体は温かいのに、体は条件反射のように震えていた。天音さんへの恐怖が、体の芯まで染み込んでるんだと気付かされた。


 研究室は、相変わらず殺風景で、真っ白で、いるだけで頭がおかしくなりそう。早く帰りたいな。


「久しぶりねぇ。相変わらずお人形さんみたいで可愛いぃぃぃ。こんなに可愛い子で実験できるなんて、ふふ。最高のご褒美をありがとう。リクちゃん」


 天音さんは頬を紅潮させ、どこか興奮気味に言った。


「今回は……、なんですか?」

 声が震えた。

「んふふ、安心して。今回は研究中の薬の実験よ。試したい薬が七種類あるの。他の被験者で、既にある程度のデータは取れてるけど、問題が起きたらすぐに殺してあげるから、安心して」


 殺されたところで、薬剤が命の危機に達しないとリセットされない。

 足がすくむ。胸の前で、不安に両手を握った。


 天音さんは蕩けるような笑顔を浮かべて、注射の準備を始めた。滅菌トレーに、外された注射器の保護カバーが落とされた。



 死ねない地獄への、合図のようだった――




  *





 気がつけば、家にいた。

 三種目の薬までの記憶はあるけど、その後の記憶がない。どうやって帰って来たんだろ……?


 天音さんに打たれた薬がまだ残ってるのか、いやに体が火照って仕方ない。


 最後はなんの試験薬って言ってたっけ? 

 開始前に説明してた気がする……。

 自白剤、痛み止め、幻覚剤に、毒もあった気がするけど、……ダメだ。頭がぼーっとする。


 制服と下着を脱ぎ捨て、冷や水を頭から浴びた。

 気持ちいい……。これでマシになるかな。

 お風呂から出て、体を拭くのもそこそこに、オーバーシャツに袖を通す。


 脱衣室から廊下へ出ると、脚の力が抜けた。どちゃっと音がして、膝や膝に痛みが滲む。廊下の床が冷たくて、頬を押し当てた。


 視界の端に寝室のドアが見えた。


 息が上がって、視界が涙で滲む。冷水を浴びたのが裏目に出たのか、体の火照りは治る気配がなかった。


 寝よう。


 そうしたらきっとよくなってる。そう思うのに、どうにも上手く体に力が入らない。

 ……もう廊下でいいか。

 諦めて体の力を抜くと、


 ビーーーーっとチャイムが鳴った。

 ……なんでこんな時に。


「く……うっ……」


 どうにか立ち上がり、壁に体を預ける。脚ががくがくする。

 チャイムが鳴れば出る。

 すっかり染みついた習慣を無視するなんて頭は、どこにもなかった。


 どうにか玄関まで到達しドアを開けると、ヒュッと喉が空気を切って鳴いた。


 ――処刑人さんだ。


 切れ長の目を大きく見開いた処刑人さんのそれは、まるで幽霊でも見たんじゃないかってくらい驚いてた。 


 あ、無理。


「リク!?」


 脚の力が抜けて、転びそうになるのを処刑人さんが抱きとめてくれた。軍服から、嗅ぎ慣れた洗剤の香りがする。


 ふっと、処刑人さんの息が首筋を撫でた。

 言い表せない感覚が身体を駆け抜けて、


「っ〜〜〜!!」


 未知の感覚に怖くなって、処刑人さんを押し退け廊下に尻餅をついた。固まってる処刑人さんの背後で、玄関が閉まった。


「す、すみません。ちょっと、体がおかしくて……。びっくりして、それで……」


 手を目一杯に伸ばして、こっちに来ないでと全身で意思表示する。目尻に溜まる涙が頬を伝った。

 処刑人さんは、なんだか難しい顔をしてこっちを見下ろしてる。怒ったのかな。帰ってくれるかな。


「……もしかしてリク。薬飲んだり、誰かに打たれたりした?」


 的確な質問だった。


「し、しました。その、なんの薬か……覚えてなくて」

 処刑人さんは何かを考える素振りをして、

「それ、もしかして催淫剤とか、媚薬系じゃないかな? 間違えて飲んだとは、考えにくいけど……。何があったの?」


 催淫剤?

 訓練生時代に飲んだ記憶がある。確証はないけど、そう言われてみれば、身体の症状からして合致する気がする。


 訓練ではこんな感じじゃなかったから、天音さんがめちゃくちゃ改良したんだろう。


「それな気がします。……助かりました。原因がわかれば()()出来ます。ありがとう、ございます」

「対処って、……どうするつもりなの?」


 処刑人さんが玄関でしゃがんだ。目線が近くなった。


「どう……? えと、訓練生の時に、習いました」


 捕虜になった時の事を想定して行われた訓練の内容は、朧げだけど覚えてる。


「ふぅん? ねぇ、リク。僕はどうしても君に聞きたいことがあって来たんだ。ソファにかかってるコート、僕のだよね?」


 見えもしない背後を確認するように、視線が滑った。

 廊下からリビングへは一直線で繋がってる。ドアを閉めてなければ、玄関からソファは丸見えだ。


 なんてめざとい人なんだ……。


 いや、落ち着いて。ここからさすがに腕章の字までは見えない。……きっと。

 これは誘導尋問だ。


「やっぱり、そうでした? 任務先で見つけて拾ったんです。腕章があったので、処刑人さんのかなぁって、思っ……て……」


 膝の上で頬杖をついた処刑人さんの目が、弧を描いて笑った。

 恐怖に体がすくむ。

 なんでだろ? 任務先での死闘より怖い……。


「へぇ。リクって僕のこと、本当はそうやって呼んでたんだ?」

「へ? ……あ、ちが……」

「つい最近、名無し(ネムレス)の特務隊員が爆発に巻き込まれて死んだんだ。その子、顔が半壊してたけど、どうにもリクにそっくりでね。何かの間違いだって、別人だって。確かめたくて、縋る気持ちでここに来たんだけど」


 処刑人さんが、……近づいてくる。

 逃げられない。


「ねぇ、どうして生きてるの? 確実に死んでたよね? ――化け猫ちゃん?」


「ひゃうっ!?」


 処刑人さんの指先が、内腿をなぞり上げた。


「はぁーあ。こんな事なら、部長に報告なんてするんじゃなかったな……」


 冷めた表情と声音で処刑人さんが呟いた。


「ねぇ、リク。俺もさ、ちゃんと軍で習ったんだ。だから手伝ってあげるよ。リクの言う()()ってやつ」


 そろりと、骨ばった指が頬を包む。

 どんどんと距離が狭まってく。


「そうしたら教えてくれるよね? 君の秘密」


 耳元で囁かれた声に、声にならない悲鳴が背中を駆け上がった。


 目と鼻の先に迫る群青の瞳は、まるで獲物を見つけた狼みたいで。緊張と困惑に唾を飲み込んだ喉が鳴った。


『これからも未来永劫接点はなし。軍でも会わないように、最新の注意を払ってよ。死人君』


 耳元では、部長の声がこだましていた。


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