【03】おでかけ
「ただいま」
軽やかな声に、のそりとソファを降りて玄関へ向かった。
「お疲れ様……です……?」
処刑人さんの手にはいつくかの紙袋。背にはリュックがあった。ここに来た時は小型のボディバッグだったはず。
リュックじゃなかった、よね?
「お待たせ。もう動いて大丈夫?」
「はい。平気です。ご心配お掛けしました」
「なら良かった。お腹減ってる?」
「あ、はい……」
「スープパスタ買って来たんだ。一緒に食べよう」
軽快な足取りで廊下を進む処刑人さんは、ダイニングテーブルに買って来た”すーぷぱすた”を取り出していく。
「お水でよかった?」
これまた紙袋から出てきた水の瓶に、「はい」と素直に返事した。キッチンからグラスを二つ取り出し、テーブルへ並べる。
「ここのパスタ美味しいんだ」
てきぱきと用意されていく夕食。
気がつけば、また処刑人さんと向かい合って座っていた。処刑人さんが用意してくれた”すーぷぱすた”は、美味しい味がした。
こんなに美味しいもの、久しぶりに食べた気がする。
昔はよく――、あれ? 何を食べてたっけ?
浮かんだ疑問に、思わず首を小さく傾げていた。
お母さんがよく作ってくれた料理があった。
大好きだったはずなのに……、それが何か思い出せない。
まあ、そんな事もあるよね。
他愛ない会話をしながらの夕食は、なんだか変な不思議な時間だった。
「ご馳走様でした」
「リク、ソース付いてる」
「へ? どっちですか?」
ティッシュを手に口元を拭うも、
「こっち向いて」
取れてはいないらしい。
処刑人さんが伸ばした手が顎に触れた。口横の頬を、骨張った親指がなぞる。
「ん、取れたよ」
「ありがとうございます」
処刑人さんは指の腹についたクリームを、ペロリと舐めとっていた。
食事の片付けも、「僕がやるよ。ゆっくりしてて」と処刑人さんがやってくれた。
キッチンとダイニングの灯りがリビングに溢れる。
リビングの電気が、最近切れて点かなくなっていたのを忘れてた。ハウスキーパーさんが来るのは明後日。その時には取り替えてもらえるはず。
ソファに膝を曲げて座ると、眠気がやって来た。どんだけ眠たいんだ……私。
処刑人さんは適当に帰るのかな。声かけなきゃ。
ああ、ダメだ眠い……。
「みな、せ……さん」
視界が閉じて、暗闇が広がった。
……、寒い……。
あ、こっちは、あったかい……。
モゾモゾと暖を求めて身じろぎすれば、ぎゅっと体が何かで絞めつけられて、包み込まれた。規則的に聞こえてくる音が耳に心地いい。
これ、なんの音だっけ?
それになんか、いい匂いする。洗剤の匂いかな?
わかんないけど、落ち着く匂いだ。頬を擦り寄せると、
上からふっと声が聞こえた。
「リク、……くすぐったいよ」
……へ?
目を覚ませば、目の前には黒い布。ペタペタと触れば、胸板ってやつだと認識した。
「ん……、おはようリク。僕の胸、気に入ったの?」
「なにかなって、確認してました。……おはようございます??」
「確認?」
処刑人さんは、ふふっと笑った。
「確認できた?」
「できました。あの……」
なんで言えばいいのか。
もじもじしてると、
「ああ。昨日、リクがソファで寝ちゃったんだけど、勝手に寝室に入るのもどうかと思って。でもまだ夜と朝は寒いでしょ? だから、一緒ならあったかいかなって」
処刑人さんが説明してくれた。
「なるほど。お気遣いありがとうございます」
「気にしなくていいよ。僕が好きでやってることだし……。もう少し、寝る?」
「お風呂、入ってきます。掛け布団お持ちしますから、そのまま寝ててください」
「ん、ありがとう」
寝室から掛け布団を抱えてリビングへ戻る。処刑人さんに布団をかけると、熱いシャワーを浴びる。
心配で、残ってくれたのかな?
「……なんで、こんなに優しいんだろ?」
その疑問は、お湯と一緒に流れて消えた。
*
家から徒歩15分の距離にある八番街の大通りには、レンガ造りの店が立ち並び、多くの人の往来があった。
食べ物のいい匂いに、沢山の足音と人の声。
大きなガラスが張られたお店には、服や帽子、貴金属と、取り扱う商品が一目でわかるように置かれていた。
情報の多さに、何を拾えばいいかわからない。目が回りそうだった。
「……?」
するりと、指の間に何かが滑り込んだ。
ぎゅっと握られた処刑人さんの手に、混乱していた頭が落ちついた気がして、その手を握り返した。
――あの後、お風呂に入った処刑人さんと、朝食を食べに出掛けた。せっかくだからと連れられて、気がついたら八番街にいた。
普段行くところといえば近所の個人商店のみ。初めて見る店に視線は散り、慣れない人混みの中で何度も人とぶつかりそうになった。
その度に、処刑人さんが手や肩を引いて助けてくれて。仕事ができる人は何でも出来るんだなぁと、実感した。
「大丈夫?」
「はい。水無瀬さんのお陰でどうにか」
「任務の時はどうしてるの?」
「どう……、任務に集中してます」
自信はないが、部長に怒られたことは……2回しかない。仕事はちゃんと出来てるはず。多分。
それにしても、処刑人さんは人の目を惹くらしい。すれ違う多くの女性が、処刑人さんを見送るように視線を送っている。
改めて、隣にいる処刑人さんをまじまじと観察した。
身長は……、180センチくらいはありそうだ。チャコールのリネンシャツは上質で品があり、捲られた袖から覗く腕は、浮き出た血管が硬い筋肉の形に沿って這っている。細身のチノパンは脚の長さを引き立たせていた。
「どうしたの?」
パチリと合った目が気まずくて、伏目がちにして逸らした。
「……背、高いなぁって」
「……急に?」
「街行く女性が処刑人さんを見てたので」
「ああ。そういう……。リクは、――知らない人に声かけられても、ついてっちゃダメって事だよ」
突然の事に目を瞬いた。少し間をおいて、
「さすがにそれはないです」
抗議すれば、処刑人さんは楽しそうに笑っていた。
「……ごめん。ちょっと待ってて」
そう言って取り出された端末。着信があったらしい。
「はい」
突然の呼び出しにか、相手にか。処刑人さんは小さく舌打ちしてたいた。その時の顔は、初めて会った時の冷たい表情だった。
店の角で立ち止まり、壁に背を預ける。処刑人さんは少し離れた場所で誰かと通話を始めた。
街を歩く人をぼんやり眺めていると、対側にある店と店の間の路地裏に、視線が吸い込まれた。なんでか目が離せなくて、奥まで続く路地は昼間の明かるさとは裏腹に薄暗かった。
ふいに、――知らない記憶が脳裏に浮かんだ。
珍しいな。誰の記憶だろ?
記憶者は暗い路地を必死に走っているらしい。映像が揺れてる。短い呼吸音も聞こえた。
振り返った少し先。距離を置いてナイフを持った男がいた。顔は……、暗くて見えないな。この人、襲われてるのか。
じわりと体温が上がり、全身に汗が滲んでいく。呼吸が乱れ始めた。
脳と体が、本当の体験として錯覚してる?
困ったな……。
気を逸らすように他の事を考えようとしても、どうにも上手くいかない。
そのうちに、
「っ〜〜!?」
背中に激痛が走り、思わずその場に座り込んだ。女性の悲鳴が耳の奥をつんざいた。記憶者が叫んだらしい。この痛みなら納得しかない。
処刑人さんは……、まだ通話中だけど、こちらを気にしてるなぁ。どうしよう……。
今度は右の腿裏に一発、ナイフが突き立てられた。奥歯を噛み締め激痛に耐える。
頭の中では、助けを呼ぼうと女性が必死に泣き叫んでいる。おでこから頬を伝う汗を手の甲で拭う。
汗でぐっしょりと濡れたシャツが肌に張り付いていた。
どうにかして、この記憶を中断させたい。このままじゃ処刑人さんに怪しまれちゃう。
どうしたらいいんだろ?
……痛みを上書きしたら意識が逸れるかな?
やってみよう。
背面で手首を返す。いつも通りにナイフを取り出し握りしめる。
一回で、確実に。
手首を地面に押し当てる。息を大きく吸って止め、ナイフで手首を一突きした。
ゴッと刃先が舗装タイルに当たる感覚が、刀身越しに伝わった。
「っ〜〜〜ぅ」
視界が涙で滲んだ。新たな痛みに歯を食いしばる。意識が飛びそうな程の痛みに、――プツン、と記憶が途切れてくれた。体を叱咤し、ナイフを握り直すとその場から消し去った。
数秒の間を置いて、指先から手のひら、手首へと、肌をなぞられる感覚にホッと胸を撫で下ろす。
傷の再生が始まった証拠だ。
視界の端で、処刑人さんが端末のボタンを押していた。
処刑人さんの通話が終わってしまった!
処刑人さんは人混みを縫ってこちらに駆け寄ってくる。手首の痛みはまだ落ち着かない。
間に合って、早く……! 私の体、頑張れ!
「待たせてごめ……リク?! 顔が真っ青だ! それに汗も……。どうしたの!? 話せる?」
処刑人さんは膝を折りしゃがむと、額や鼻先に滲んだ汗をトントンとハンカチで拭ってくれた。
「平気です。……ちょっと、人酔いしたみたいで。すみません」
「謝らなくていいよ。家に帰ろうか」
処刑人さんの指が、瞼に溜まった涙を拭っていく。
「いえ、そこまでじゃないので。大丈夫です」
「本当に? 無理してない?」
「はい。ご心配おかけしました」
差し出された手は、――右手だった。
私の右手首は、無事に再生しただろうか……。
左手で手首を触れば、さらりと指先が肌を滑った。
「リク?」
「もう、……大丈夫みたいです。ありがとうございます」
そう言って、処刑人さんの手を取った。
力強く引かれた手に、体が引き上がる。引かれた勢いにバランスを崩し、ぽふんと処刑人さんの胸に飛び込んだ。
「すみません」
「いいよ」
一歩下がって、体勢を立て直した。
余韻の様に残る、背中と太ももの痛みには気が付かないふりをした。
ふと感じた視線。
「……どう、されました?」
処刑人さんが、私の左手をまじまじと見つめていた。
「リクの手、小さくて可愛いなと思って」
どこか優艶に笑った処刑人さんは、私の手に指を絡めた。
「あ。電話、大丈夫でした?」
「ああ。問題ないよ。ねぇ、少し早いけどお昼にしない?」
「はい」
処刑人さんおすすめのレストランは、どれもこれも美味しそうなご飯ばかりだった。どれも選べなくて、お店おすすめの日替わりランチを二人で頼んだ。
前菜にスープ、サラダとパスタが次々にテーブルに並んで、いい香りが食欲をそそった。
「そういえばリク、”特務隊の化け猫”に会ったことある?」
その名前に、パスタが喉に詰まって咳き込んで、慌てて水で押し流した。
「大丈夫?!」
「けほっ……。すみません。平気です」
まさか処刑人さんからその名前が出てくるなんて、思ってもなかった。
「ないです。ただの噂ですよね?」
「僕もそうだと思ってたけど、さっきの電話の相手が化け猫を見たって言うから」
どゆこと?
「……それ、最近のお話しですか?」
「先週の死体回収任務で見かけたそうだよ」
「へぇ……。そうなんですね」
自分でも驚くほど、気のない返事だった。
サラダをフォークでつついてると、また処刑人さんの端末が鳴った。
「……」
ディスプレイを見る処刑人さんの顔から表情が抜け落ちた。どっちが、本当なんだろ。
「ごめん」
「いえ」
席を立つ処刑人さんを見送り、食事を再開した。
処刑人さんは案外すぐに戻ってきて、
「リクごめん。任務の招集だ、行かないと。誘っておいて、ごめんね……」
そう言った。
「気にしないでください。私も一緒にお店でますね」
お会計を済ませて店を出る。
大通りは、相変わらず行多くの人々で賑わってて、本当にこの国は戦争をしてるのかな? と不思議な気分になった。
処刑人さんと別れて、戻って来たアパート。
ドアを閉めて鍵をかけると、ふぅと自然と息がこぼれた。人が多いところは、ちょっと苦手かもしれない。知らなかったな。
夜の任務まではまだ時間がある。
汗かいたし、シャワー浴びよ……。
誰かの記憶でかいた汗の余韻を流そうと、脱衣室にいけば、
「あ……」
洗濯籠には、処刑人さんの服が入ったままだった。




