【06】来ないはずの訪問者
降りしきる雨の中、与えられていた敵国の殲滅任務が完了した。
「報告なら私がしておきますが……」
月野木さんが、心配そうに眉尻を下げて言った。
「いえ。早く終わったので自分でします。すみません」
「そうですか。大丈夫ですよ。では、予定を変えて軍へ向かいますね」
「お願いします」
結局逃げ出すなんてできなくて、私の足は真っ直ぐに部長の元へと向かってた。
これでいいんだ。きっと――
「失礼します」
執務室に入れば、書類と睨めっこしていた部長が顔を上げた。眼鏡の奥で目を丸くしてる。
「もう終わったの? まだニ日残ってるよ?」
「終わりました。……四日は取り過ぎです」
「そう? まぁ早いに越したことはないけど」
ばたばたと、窓越を打つ雨の音が強くなった。部長の話声が遠退いて、雨音に混ざって消えた。
脳裏に、耳元に。
助けを乞う声と断末魔が、蘇ってきた――
任務先。敵国側の国境を守っていたのは民間人で、構えられた銃は震えてた。
まさか、自分たちを殺しに来たのが、不死身だとは、思わなかっただろうな……。
「――くん、リクくん? おーい、聞いてる?」
その声にはっとする。
机を挟んだ先にいる部長が、手を振り、不思議そうな表情でこっちを見てた。
「……すみません」
「どうしたの、ボーとして? なにか悩みごと?」
「いえ……、ただ……雨の音、煩いなぁって……」
「雨の音? 確かに凄い音だね。ここ数日ずっと雨だし」
雨を確かめるように、部長は窓の外を一瞥して、
「任務ご苦労様。これでオステリア軍も態度を改めるといいんだけど」そう続けた。
「戦況は、いいんですか?」
「ずっと前からいいよ。本当はとっくに終戦してるはずなんだけどねぇ……。向こうがずっと意地を張ってる状況って感じかな」
「そうですか」
「君の出番はしばらくないかもね。あ、そういえば今日からだよね? 新居」
「はい。部屋、ありがとうございます」
「また住み心地どうか教えてよ。それとこれ、二課に持っていってくれる? 僕からって言えば伝わるから」
机に置かれたのは大きめの段ボール箱。両手で抱えれば問題なく持てそうだ。
「了。失礼します」
「お疲れ様ー」
段ボールは結構な重量があった。よたよたとした足取りで部屋を出る。
二課は確か、……右だった気がする。
廊下を歩いていると、向かいから人の気配がした。いつも軍内は俯いて歩く。適当に挨拶すれば問題ない。今までずっと、そうだった。
数歩先、進行先に人が立ち止まった。なんだろ?
少しだけ顔を上げて、視線を上げる。
思わず息をのむ。――処刑人さんだ。
目が合った気がするけど、きっと気のせいだ。段ボールを抱え直す。ここは軍で、私は仕事中。
軽く会釈して、処刑人さんの横を通れば、段ボールが宙に浮いた。
「どこに運ぶんだ?」
冷たい処刑人さんの声が降ってきて、慌てて段ボールを掴んで腕に引き戻す。部長の耳に入ったら大変だ!
「お伝えできません。失礼します」
その場から逃げるように走り出す。
「……そうか」と、低く短い声がした。
振り返らず、廊下を曲がり二課まで走る。きっと、私に心臓があったらバクバクと煩く飛び跳ねてる。
背後から追ってくる気配はないはないけど、相手は処刑人さんだ。
立ち止まって荒くなった息を整えるように、一息ついてから勢いよく振り返った。
処刑人さんの姿はなくて、安堵に体の力が抜けた。
二課へ荷物を届けると、足早に月野木さんの元へ向かった。
*
日常が戻ってきた、はずだった――
新居に変わって三日目。
見慣れない部屋には、初めましての家具がいて、知らない匂いがした。荷物は全て搬入されて、クローゼットには服が綺麗に収納されていた。まるで、初めからこの家にあったみたいに。
ソファに寝転がり、遠くなった天井を眺める。
「……天井、高いなぁ」
リビングの吹き抜けには天井から床までの大きなガラスがあって、曇天と、数日前から降り止まない雨が、よく見えた。
前の部屋もそうだったけど、一人で住むには、十分過ぎる広さに、どうにも落ち着かない。
リリリ…… リリリ……
端末の音だ。……どこ置いたっけ?
端末は見慣れないローテブルの上にあった。着信を知らせる端末を、ソファの端から眺めていたら音が途絶えた。
少しの間端末を眺めてから、折り返しの連絡を入れた。
「もしもーし」
「すみませんでした……。珍しいですね、部長が電話なんて」
「新しい部屋、喜んでくれたかなぁって思って」
「私にはもったいないくらいの部屋です。ありがとうございます」
「そう? 次の任務、まだ決まりそうにないから、ゆっくり休んで。じゃあねー」
「あの!」
「なに?」
どうして引越しを?
その言葉を、声にする勇気はなかった。
「いえ。すみません……。失礼します」
通話を終えると、端末をテーブルに残して寝室へ向かった。
やる事も、やりたい事もない。この先任務がなかったらどうしたらいいんだろ……。
辞めよう……。
考えたところで解決策なんてない。
寝たら時間は消えてく。これまた広くなったベッドに丸まって布団に潜る。
やっぱりお布団はいいな。落ち着く。
うとうとしていると、聞きなれない電子音がした。
……?
あ、……チャイムの音か。月野木さん? でも、部長さっきの電話で何も言ってなかったよね……。
目を擦り、いそいそとベットをから這い出て、遅い足取りで玄関へ向う。
内鍵を掴んで、回さずに離した。
確認しないと。
ドアスコープを覗いて、思わず後退りした。
息が止まる。なんで? どうしてここが分かったの?
制服姿だった。仕事で来たのかもしれない。なら、出ないと。でも、本当に?
お臍の上辺りが捩れるような感覚に、吐き気がした。
前は仕事だった。状況は同じ。なら、対応するべき……だよね?
鍵へと伸ばす手が震えた。この判断は合ってる?
緊張と恐怖に呼吸が浅くなる。鍵を回して、ドアノブを掴む。ゆっくりとノブを下ろすと、ドアを控えめに押し開けた。
窺う様に、ドアの隙間から訪問者を確認すると、
「やぁ、リク。三日ぶりだね」
そう言って嬉しそうに笑った処刑人さんの足が、ドアの隙間に入って、手がドアを掴んだ。
あまりの手際の良さに、喉がヒュッと鳴いた。
「お久しぶり、です。えっと……、どうして、ここが?」
少しドアを内側へ引こうとしても、ドアはびくともしなかった。
「リク、顔色が悪いよ? 大丈夫?」
ドアの隙間から体を滑り込ませる処刑人さんに、押し戻されるように廊下側へと後ずされば、
ガチャンと、処刑人さんの背後で玄関ドアが閉まった。
状況が理解できなくて、フリーズした脳が思考を放棄してて、ただただ処刑人さんを見上げるしかできなかった。
距離が近い……。処刑人さんの吐息が、前髪にかかるのがわかった。それから息苦しさに気がついて、止まっていた呼吸を再開する。
息を吸って、声をのせて吐き出した。
「あの……なんで「仕事で来たんだ。協力してくれるよね?」」
頬にひたりと手が添えられた。ぬるい体温がじわりと頬を包む。
仕事なら仕方ない。
そうだ。仕事だ。
でも、部長は?
その疑問が浮かんで、すぐに打ち消した。
聞いたら答えが返ってくる。知りたくなんてない。
「どうぞ」
処刑人さんをダイニングへと案内した。
初めて家を訪れた時同様、処刑人さんはコートのポケットら写真を取り出して、任務で追っているターゲットを探して欲しいと言った。
処刑人さんの記憶から、何人かの人の記憶を経由しターゲットを探す。
潜伏先を伝えると、処刑人さんは「ありがとう、助かったよ」と笑って颯爽と部屋を出て行った。
閉まる玄関ドア。処刑人さんはもう見えない。鍵をかけると、ふっと息が漏れ出た。
――終わった。
ソファに座り込む。
膝を抱えて、そのままズルズルと横になる。
仕事をして、処刑人さんは帰った。
それだけ。それだけなのに……。
体が震えて、指先が驚くほどに冷えていた。理解できない体の反応に戸惑って、見ないフリした。
「……任務、入らないかなぁ」
痛いくらいの静寂が部屋に戻る。
窓を打つ雨の音はもう、聞こえてこなかった。
処刑人さんの訪問から四日目の朝。
仕事の連絡もない。処刑人さんも来ない。
静かな生活に安心する反面、何もしない時間の多さに頭がおかしくなりそうだった。
このまま仕事がなくなったらどうしよう……。
不安にそう思い始めてたら、チャイムが鳴った。
スコープを覗けば、ドアの先で当然のように立つ制服姿の処刑人さんがいた。
迷いに迷った結果、玄関を開けた。
「……はい」
「やぁ、おはよう。……て、相変わらずの格好だね」
そう言った処刑人さんの足元には、大きめの紙袋と、リュックがあった。
慌ててドアノブを引くけど、この人に敵うはずもなく、ガンッと音を立てて、処刑人さんのブーツをドアが挟んだ。
「しばらく会わない間に冷たくなったね、リク。僕、なにか嫌われることでもした?」
「……その、なんと言いますか……。そういう訳ではなくてですね……」
言葉に詰まる。あからさまに眉尻を下げた処刑人さんに、心が痛んだ。
「今は人と会のを、その……禁止されていると言いますか……」
「へぇ、それって誰の指示で? 三厨部長? それとも、――他の誰か?」
「ええと……」
「部長なら大丈夫だよ。ちゃんと話したから」
「え? 部長と、話したんですか?」
ドアノブ掴む手の力が緩んだその瞬間、玄関ドアが大きく開いて、
「わ! ちょっ……先輩!?」
腰を捕まれ足が浮いた。頭に天井が迫る。
「大人しくしてて。落としたくない」
片腕で軽々と私を抱き上げた処刑人さんは、空いている方の手でリュックを肩にかけ、紙袋を掴むと廊下を抜けていく。
玄関のドアが閉まる音が、遅れて聞こえた。
「前に来た時も思ったんだけど、……改めて見ても、すごい部屋だね」
ダイニングテーブルに紙袋を置く処刑人さんは、部屋を見渡しながら、リュックを床に下ろした。
「あ、ちゃんと後でテーブル拭くから」
「そこは気にしてないです。なんで、こうなったんですか?」
「え? そう? なんで? って。だってリク、全然入れてくれないから?」
質問を質問で返された。
「リクって軽いよね。ちゃんとご飯食べてる?」
「……食べてます。……とりあえず、降ろして欲しいです」
ようやく降ろしてもらえた。んだけど、処刑人さんはコートを脱ぐと、テキパキと紙袋の中身を取り出し、キッチンに並べ始めてしまった。
「あの……、さっきの話し」
「ん? ああ、部長の件? 話したよ。リク急に引越してたでしょ。そんな事出来るの、一人しかいないからね」
「そう、だったんですか……」
……私の先日の葛藤とか、今日の攻防戦とか、なんだったんだろ。ぎゅっと、シャツの裾を握った。
「リク、パンケーキ好き?」
「パンケーキ、ですか?」
知らない単語にたじろぐ。
パン……ケーキ? ケーキだから、甘いのかな?
「好きです」多分。
「よかった。一緒に食べたくて材料買ってきたんだ。出来るまで待ってて」
そう言って、処刑人さんはにっこりと笑った。
「あ……、はい」
ソファに座って脚を抱える。
処刑人さんの話は、本当?
辞めよう。もうどっちでもいい。疲れるだけだし、確かめる勇気もない。
膝におでこをつけて丸まる。静かな部屋に、人の居る音がする。変なの。
でも、……嫌いじゃないかもしれない。
調理の音が止まった。
「リク、できたよ」
ダイニングに向かうと、テーブルには見たことない料理が並んでた。
処刑人さんと向かい合って座った。
「召し上がれ」
「……いただきます」
久しぶりに食べるちゃんとした食事。
パンケーキは茶色くて、丸くて、卵焼きとベーコンが乗ってて。処刑人さんの食べ方を真似して食べた。
ちょっと甘い……。でも、しょっぱい。
不思議な味が口の中に広がった。美味しい。
「人と食べるご飯、好きなんだよね。一人で食べる時より美味しい気がするんだ。リクは?」
その言葉に、フォークを持つ手が止まった。
そんな事、考えたことなかった。このご飯が美味しいのも、パスタやケーキが美味しいのも、処刑人さんと食べたから?
「良くわからないですけど……嫌いじゃない、です」
「なら、また一緒に食べてくれる?」
また、一緒に……?
「嫌?」
「いえ……」
嫌じゃない。むしろ、嬉しいのかもしれない。
よく分からない、知らない感情が怖かった。
「そろそろ行くよ。ありがとね」
「任務ですか?」
「うん」
いいなぁ……。
玄関まで見送る。処刑人さんはコートを羽織ると、振り返った。
「またね、リク」
「はい」
処刑人さんは満足そうに笑って手を振った。
ガチャン、と玄関のドアが閉まる。
鍵をかけて、リビングに戻った。
片付けられたキッチン。
洗われた食器。
――また、って。
またがあるんだ。
次はいつだろう……。
明日? 明後日?
……また考えてる。
いつだって別にいいでしょ。
人の音がしない部屋は、なんだかちょっと落ち着かなかった。
お読み下さりありがとうございます。
次の更新はまた下旬になりそうです。気長にお付き合い頂けたら幸いです。




