第31話 伝えたかった想い
彼女らしさを意識しながら、音を積み上げていく。これでどうだ、と一度再生した。けれど、流れてきた旋律はどこか甘すぎた。守ってあげたくなるような可憐さが前に出てしまっている。
違う、律花は可愛いというより、芯が強くて、静かに立つだけで周囲の空気を変えるような美しさを持っている。そんな雰囲気だ。
「ここは、こうして……」
自分の考えをあえて口に出しながら整理して、コードを組み替えていく。それでも旋律はうまく噛み合わず、深いため息がこぼれた。
違うだろ。そう自分に言い聞かせる。何度も書いては消し、重ねては崩す。それを繰り返すうちに、気づけば窓の外は白みはじめ、空気の色が変わっていた。
甲高いアラームが耳を突き刺すように鳴り響き、無理やり意識を現実へ引き戻される。重たく沈んだまぶたをこすりながら、やっとの思いで身体を起こす。まだぼんやりとした頭で、朝食に手を伸ばす。
その日も、いつも通り作曲に没頭し、気づけば夜を越えて朝を迎えていた。部屋を出ると、テーブルの上にはラップに覆われた夕食がそっと置かれている。
——いつの間に置いてくれたんだろう。お母さんの気遣いに、胸の奥がじんわりと温かくなる。それを電子レンジで温めながら腕でリズムを取り、メロディーを口ずさむ。ピピッという音で、我に返り、俺は夕食を口にするのだが……。
席について、ようやく朝ごはんまで用意してくれていることに気づいた。自分の視野が狭まっていることに、母の好意を寄りかかっている自分に罪悪感が湧きあがる。その日は、結局、腹が重くなるのを感じつつも、朝食まで食べて登校した。
授業を受ける中で、不思議と睡魔が襲うことはなくて、代わりに音の世界に没頭する。視界が狭くなり、感覚が研ぎ澄まされる。けれど、その代償は、当然のようにやってくる。
「——湊、お前、話聞いてなかったな」
ふと声に呼ばれ、顔を上げる。教室中の視線がこちらに注がれていることに気づき、急に恥ずかしくなるのを感じる。自然と頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ございません、ちょっとぼーっとしてました」
「おいおい、入学して1ヶ月過ぎたからといって気が緩みすぎだろ」
軽い叱責に、所々から笑い声がこぼれる。先生も少し呆れた表情を浮かべながら、授業へ戻っていった。その間も律花が俺の方に視線を向けることない。ただ、真っ直ぐに黒板を見つめていた。
俺は項垂れつつ、「あとで瑠璃にノートを見せてもらおう」と考えていると、スマホに通知が届き、振動した。ポケットから取り出し、画面を開くと、短いメッセージが表示される。
「授業の内容は後で教えてあげる。だから、君は自分のやりたいことに集中して。僕がフォローするから」
責めるでもなく、ただ当然のように支えてくれる言葉に、胸が少しだけ締めつけられる。
「ありがとう、直樹……それと、ごめん。今週は病室に行くの難しい」
「わかってる。大切なことなんだろ」
「ああ、何よりも大切なことだよ」
文字の向こうから、彼の穏やかな笑い声が聞こえた気がした。がんばれと、背中をそっと押されているような感覚に、俺は小さくうなずき、ノートを開く。もう迷っている時間はない。もう一度、音と向き合う。
集中して楽曲を作っていく。ここはこうしたらどうか、ここにドラムを入れて……あぁ~、ちょっと違うな。頭を掻きむしりながら続ける。
電子音を入れたらどうだ? それはイメージを崩すのか。彼女らしい曲なら、現代風の曲よりも、過去の、あの頃のあの曲調の方が合うんじゃないか……そんな感じで試行錯誤を続ける。
でも、どんなに考えても、なかなかうまくいかない日もあった。机の上でただぼーっと座り、頭の中が空っぽになって、苛立ちだけが募る。うまくいかない自分が、どうしようもなく許せなくて、思わず歯を食いしばる。どうにか手だけは動かして、試すけど、全然だめで。少し鬱々とした気分に沈んでしまうこともあった。
「……くっそ」
思わず机を叩きながら、そんな声が漏れた。ドンッ——、という机から返ってくる音にすら苛立ちを隠せない。そんな神経質な自分が嫌いだった。
それでも、学校には通う。そんな、俺の様子を瑠璃が心配そうに見つめて声を掛けてくる。
「湊、無理しすぎ」
ぽつりと落ちたその声は、いつもより少しだけ低くて、静かで。責めているわけでも、止めようとしているわけでもない。ただ、心配しているのがそのまま伝わってくる。
ちらりと彼女に視線を向ける。そのまっすぐな視線から目を逸らさないようにしながら、俺は安心させるように、ふっと笑った。
「心配してくれて、ありがとう。……でもさ、ここで歩みを止めたら、きっと律花には届かないから」
その視線を受けた彼女は、どこか悲し気に、でも真っすぐと俺を見て頷いた。
「……分かった」
その声は小さいけれど、先ほどまでの迷いは消えていた。覚悟を決めたように、まっすぐこちらを見つめる。
「……なら、私も私にできることをする」
真っ直ぐに向けられるその視線に、俺はこくりと頷いた。
家に帰ってからも、キーボードに手を伸ばして作曲する。それでも、思うように曲は作れず、気分を変えるために星空の下へと足を向けた。
色んな可能性や方向性が浮かんでは消え、つい過去の一番良かったものにすがろうとする弱い自分が顔を出す。一度否定したもので、満足する?
(それじゃ、だめだろ……)
そう呟き、俺は再び音に向き合う。リズムに、ピアノの音に、バイオリンに、一音ずつ試しながら、自分が作りたい方向性を確認する。
イメージだけは広がるのに、手はなかなか進まない。それでもと、とにかく自分の感情を紙に描き出した。 ここが気に食わない。ここをこうすると、うまくいくけど、全体の雰囲気に合わせない。じゃあ活かすとしたら?
そんな風に、自分の感情を言語化して、試して、感性で否定する。 試して否定して、試して否定する——それを延々に繰り返して、気づけば朝になっている。
一日一日は確実に過ぎていく。律花がこのチームを去るまで残っている日数まであと19日。提出しなければならない3曲の期限は残り10日にまで迫っていた。律花の作業を考えるなら、あと、3日で曲を作らないといけない。
そんな、早る気持ちを抱きながら、作曲して、項垂れる——そんな日々を、ただ繰り返した。
(……やっぱり俺にはできないのかな?)
上手に奏でることもできず、過去の成功例にすがろうとする。そんな不甲斐ない自分に、涙が止めどなく溢れてくる。どうして俺には律花のようなアレンジの発想も、瑠璃のようなセンスもないんだろう……。それがすごく、悔しい。
今から瑠璃に頼んだ方が……そんな弱い自分も出てくる。でも諦めたくないから、認めたくないから、俺は作曲に向き合うんだ。
泣きながら歯を食いしばりながら作った曲は、確かに律花らしい旋律を描いている。いつもならこれで良いと思うのに、どこか違和感が残る。心の奥で「これじゃない」と囁かれる。悔しくて。思わず服の裾をぎゅっと力強く握る。
何が違う。旋律は律花らしいのに、心にすっと入ってこない。強く弾くときの抑揚が足りないのか?リズムの呼吸が合っていないのか?それとも……頭の中で一音ずつ、フレーズごとに再生して確かめる。
確かにこれは彼女らしい曲だ。だけど、そこに俺が伝えたい想いが入っていない。そこで、ふと何かが弾けるような音がした。同時に、これまで、律花と交わしてきた会話や、笑いあった日々がふと蘇ってくる。
「その……さっきはごめん。結構ひどいこと言ったりして」
そういって、少し肩を落とし、申し訳なさそうに頭を下げる彼女。
「あなたって、意外に繊細よね」
くすくすと楽しそうに笑う姿。
「普段は頼りないのに、クリエイターとしては頼りになる」
「褒めてめてる?」
「うん、褒めてる」
そういって信頼を向けてくれた彼女の表情。そんな彼女に抱いた想いを宿すように俺は作曲に向き合った。怒った表情の鋭さも、氷のように酷く冷めた視線も、花のようにぱっと咲いた笑顔も、控えめにくすくすと笑う愛らしい仕草。その全てを、この曲の旋律に落とし込む。
たった一人、思いを伝えたい彼女に対して向けた曲。俺の想いまで組み込んだその曲を。全力で奏でる。心の奥まで届けるように、一つ一つの音に、想いを込めた。
指先と胸の鼓動が完全に一体となり、曲が形を成していくのを感じる中、二日間が過ぎ、月曜日の朝を迎えた。俺は、まだ薄暗い時間に家を下り、母さんに告げる。
「ごめん、今日学校休む」
母さんは俺の表情をじっと見つめ、ふっと笑う。
「いいわよ。父さんには私から伝えておくわ」
何も言わず、そう信頼してくれるのがなにより嬉しかった。自分の決断を否定せず、そのまま受け入れてくれることが。自分の想いを理解してくれる人がいることが、嬉しかった。
……そっか。俺が彼女に対して一番伝えたいのは、それなんだ。信頼と頼もしさ。何より、俺が律花を必要としていること。その想いを、この曲に全部込めたい。
そうして、フレーズを何度も組み換え、旋律の微妙な強弱やテンポの揺れを修正する。その試行錯誤を経て、午後15時半。ちょうど学校が終わる頃に完成した。
指先に残る疲労感と胸の高鳴りを感じつつ、俺は瑠璃に連絡する。
「瑠璃、律花の引き留め頼んだ!」
「りょーかい!」
彼女が快く了承してくれる。俺は手早くシャワーを浴び、制服に急いで着替える。鞄はいらない。俺は必要な物だけ持って、学校へと駆け出した。




