第26話 提案
放課後のチャイムが鳴っても、頭の中はまるで静まらなかった。どのタイミング、彼女に一緒に作曲しようと提案すればいいのか?そんなことをずっと考えている。
伝え方を間違えたら、今の関係が壊れてしまうかもしれない。そんな思いが胸の奥で重くのしかかり、踏み出す勇気を鈍らせていた。
自宅に着くと、俺は改めて立花の曲を聴き始める。その全てに彼女なりの工夫があった。その一曲一曲に、彼女なりの工夫が散りばめられているのが伝わる。音の選び方、フレーズの並べ方、リズムの置き方に試行錯誤の痕跡が見て取れる。
それはもちろん曲だけじゃない。サムネイルや投稿する時間帯もバラバラにして色々と試していた。それを知った瞬間、不思議と応援したい気持ちが湧き上がってくる。
けど、彼女を知らない人にとっては、関係ない。ただ、曲の良し悪しで判断するしかないんだから。そうして曲を聞き続ける中で、ふと目に入る。
(再生数に反して、コメントが多くないか?)
ふと気になって、画面をスクロールする。だがそこに並ぶ言葉のほとんどは、称賛ではなく悪意に満ちていた。中には誹謗中傷と呼べるものもある。
『ほかの人からぱくって恥ずかしくないの?』
『AIで作った曲なんじゃない?』
なんてのは甘い方で。酷いものだと、実際に酷似している曲名と、分数まで記載されている。URLまで載せないのは、コメントを削除されるのを知っているからだろう。その酷さに思わず、ぎゅっと拳を力ずよく握ってしまう。その酷さに、俺は思わず拳を強く握りしめる。心臓が早鐘のように打ちつけられ、腹の奥がぎゅっと締め付けられる。
(作曲することの大変さも、律花のことも、なにも知らないくせに……)
ぐっと歯を噛みしめて、思わず机に拳を叩き付けてしまう。
律花はいつも音楽に対して真剣だった、一緒に出掛けた楽器店での真剣な眼差しも。宇宙という未知の音から何か得ようと、一音も漏らさないように集中していたあの表情も、全部鮮明に思い出せる。
あいつは、そんな軽い気持ちでやってるんじゃない。誰よりも真剣に、音楽に向き合っているだよ!!だからこそ——こんな言葉で片付けられていい筈がない。
拳が自然とぎゅっと握りしめられ、心臓の奥が熱くなる。怒りと悔しさが渦巻き、目の奥が熱くなる。気づけば、爪が手に食い込んでいて。それを自覚した時にはもう、迷いが消えていた。
「悪い、瑠璃。気が変わった」
そう彼女に連絡をしていた。震える指先には、確かな熱が宿っていた。
***
迎えた翌日の放課後、俺達は律花をいつもの喫茶店に呼び出していた。まだ客の入っていない喫茶店は、やけに静かで、少し空気が重く感じる。
そんな中で、律花はいつもの気軽さで俺たちに話しかけてくる。けど、俺達の表情から何かを察したのだろう。顔を引き締めて、慎重な面持ちで俺たちと向かい合う。その表情をしっかりと捉え、俺は軽く息を吸ってから、言葉を吐き出す。
「律花って作曲してるでしょ?」
唐突な切り出しに、彼女は目を大きく見開く。驚きと戸惑いが混ざった表情で俺たちを見つめ、やがて観念したように力を抜き、俯いた。
「……うん。やってるよ」
短く答えた後、そっとこちらを見上げる。
「気づいてたんだ」
「うん。このアカウントでしょ?」
彼女は画面に表示されたチャンネル名を確認し、こくりと頷いた。そして、少し悲しそうに呟く。
「まぁ、私の曲は湊みたいに、誰かに届いているわけじゃないんだけどね」
そう言って、視線を落としカップの縁を指でなぞる。その指先は、ほんの少しだけ力んでいた。
「……正直、どう思った?」
静かな声だった。逃げ道を残しているようで、でも——どこかで、全部を聞く覚悟を決めている声。
言葉が、すぐには出てこない。どう伝えるのがいいのか分からなくて、一度、視線を落とす。けれど。ふと顔を上げたとき、彼女の視線とぶつかる。
少し怯えるように視線は揺れていて。けど、決して逸らすことのない彼女に、俺は正直な気持ちを伝える。
「……正直に言って、ありきたりだと思った」
息を吸い込み、緊張がほんのり胸に響き渡る。それでも、俺は続ける。
「特に最近の曲は、その傾向が強くて。曲に集中するよりも——どうしても、技術の方に目がいってしまった」
彼女は視線を伏せて、一呼吸置く。
「はっきり言っていいよ。……要するに、記憶に残らない。そんな曲ってことでしょ?」
決して逃げることを許さない、彼女の視線に俺は頷いた。
「……そうだな」
その直後。彼女は、ふっと肩の力を抜いた。天を仰ぎ、一点を見つめるその姿は、まるで、事実を受け入れようとしているかのようだった。
「……そっか」
小さく笑う。その表情には、どこか諦めの色が混じっていて。まるで、これまで目を背けていた現実を受け入れようとしているかのようだった。
「やっぱり、みんなそう思うんだね」
その言葉が、妙に軽くて。だからこそ、余計に引っかかる。何か口にしようとするけれど、彼女を励ます言葉が見当たらない。
「……やっぱり、才能ないのかな、わたし」
少しだけ目に涙を浮かべながら、ぽつりと零れたその言葉に、俺はほとんど反射のように口を開いた。
「それは違う」
少しだけ、強くなった声。それに、彼女が顔を上げて反応する。
「確かに、最近の曲は今言った通りだと思う」
でも、と続ける。
「最初の方に作ってた曲——その音には、感情を震わせるものがった」
言いながら、自然とその時の感覚を思い出し、言葉を探す。うまく言えないのがもどかしさを感じ、それでも、なんとか掬い上げる。
「まるで野原を、走ってるみたいな音だった」
彼女の目が期待するように、少しだけ揺れる。
「軽くて、自由で、まるで世界が広がったように感じる——そんな音だった。俺には、あんな音は出せないと素直に思ったよ」
沈黙が続く。短いはずなのに、やけに長く感じるなか。彼女が、じっと揺れる瞳でこちらを見つめていた。
「……それ、本当?」
その声は、疑いというより、信じていいのかどうか迷っているような、不安げな響きだった。俺は視線を逸らさず、しっかりと目に意志を込めて頷く。
「あぁ、本当だ」
その瞬間、彼女の表情がわずかに緩んだ。小さく、息を吐く。驚いたように、でもどこか安心したように微笑んだ。
やがて視線を瑠璃の方へ移して、ゆっくりと問いかける。
「瑠璃も一緒にいるってことは、同じように感じたってことだよね?」
「うん。同じ」
その純粋な瞳に、律花は静かに「そっか」と呟いた。一瞬、空気が止まったかのように沈黙が流れ。そして、覚悟を決めたようにゆっくりと俺たちの方を見る。
「……それで、こんな所に呼び出したってことは何か伝えたいことがあったんでしょ?」
いつものように力強い瞳で、俺達をまっすぐに見据える。
「うん。これは提案なんだけどさ、一緒に曲を作ってみない?」
律花は俺の目をじっと見据えたまま、少し首を傾げる。まるで俺を試すかのように、視線だけは決して逸らさない。
「それって、湊にどんなメリットがあるの?」
問いかけの声は軽く。けど、その声は鋭く響く。
「まだ、知らない音に出逢える。それに……他の人が作曲する風景は絶対に参考になる」
「……そう」
律花は小さく頷き、どこか納得したように受け入れようとする。でも、まだ俺が一番伝えたいことは口にできていない。どこか余韻に浸っているのを感じながらも、俺は言葉を紡いだ。
「それに、律花が作る曲を聴くのが、楽しみになってるっていうが一番の理由かな」
その言葉に、律花の口元がふっと緩む。短い笑みだけど、心の奥まで届くような温かさがあった。
「わかった。一緒に作曲しましょ」
その言葉は、力強く、でも柔らかさを含む眼差しとともに告げられた。小さな決意と期待が、三人の間に静かに流れるのだった。




