第27話 方向性の違い
「それでいつも通り、VR空間で集まる感じで良いの?」
彼女が提案するその言葉を聞きながら、そういえば場所についてはまだ言っていなかったな、と頭の片隅で思いつつ、気軽な口調で応える。
「いや、俺の家でやろうと思ってるけど」
その言葉を口にした瞬間、律花の肩がびくりと跳ねる。律花は、自分の体を抱きしめるように腕を回し、椅子ごと俺から距離を取った。半歩——いや、それ以上距離を取るように、体ごと後ろへと下がる。
そして向けられるのは、露骨なまでの警戒と軽蔑の混じった視線だった。
「……まさか、弱みに突け込んで、自宅に誘うなんて……」
「待て待て、違う! 誤解だから!!」
反射的に声を張り上げていた。自分でも分かるくらい必死で、取り繕う余裕なんて一切ないほどに。けれど、律花の目はびくともせず、むしろじっと値踏みするように細められていく。
「瑠璃も来る前提での話だって! ちゃんと話は通してるから!!」
言葉を重ねるたびに、彼女の疑いもどんどん深まっていくのを感じる。律花はしばらく黙って俺を見つめ、やがてふっと息を吐く。そして体ごと瑠璃の方へ向き直る。
「……今の、本当?」
「うん、本当だよ」
それを聞いた彼女は、小さく息を吐いて、警戒心を解いたように肩の力を抜く。そして、いつものように軽い調子で告げる。
「なら、行こっか」
さっきまでの鋭い視線が嘘のようにあっさりと言った。近くに置いてあったバッグに手を伸ばし、準備を始める。その変りように、俺は唖然としたまま、椅子に固定されたように座る。
「なにしているの? 行くんでしょ?」
律花にそう声を掛けられた俺は、少し項垂れかけながらも二人の背中を追うのだった。
***
家にたどり着き、そのまま自室へと通す。ドアを開けた瞬間、律花が小さく目を見開いた。
「意外と広いのね、あなたの部屋」
感心したように呟きながら、ゆっくりと中へ足を踏み入れる。あたりを見渡してから、置かれている機材の一つ一つを確かめるように見ていた。
「まぁね、一人っ子っていうのもあるかもしれないけど、一番大きな部屋を使わせてもらってる」
そう答えながら、改めて自室を見回す。たしいかに、一般的な家よりは広いだろう十畳ある部屋。ただ、生活の場というより、半分は作業場みたいなものになっていた。
パソコンの横には、小型のオーディオインターフェイス。すぐ手に届く位置にはMIDIキーボード。床には、小さなエフェクターやシンセ用のフットスイッチが転がり、窓際の本棚には、音楽理論の教本や作曲ソフトのマニュアル、そして少し古びたピアノの楽譜集が並ぶ。
「……ほんと、作るための部屋って感じね」
背後から聞こえた声に、思わず苦笑が漏れた。
「どうせ律花も同じ感じだろ?」
「……それも、そうね」
肩をすくめながら答える律花に、思わず笑みがこぼれる。すると、
「私も同じ」
瑠璃もそう呟き、くすっと肩を揺らしながら笑う。つられるように律花も笑みをこぼし、その様子を見て、瑠璃もまた口元に小さく笑みを浮かべた。
そうして始まった作曲は、これまで考えてきたことが違うからこそ、互いに刺激しあいながら、互いの発想を取り入れて、一曲の素晴らしい曲ができる。そんな、都合のいい想像をしていた時期が、俺にもありました。
「は? 湊、全然わかっていない。アレンジすること前提で考えてないでしょ、ここの部分は、絶対こうした方がいいに決まってる」
譜面を指で叩きながら、律花が容赦なく言い放つ。バシバシと画面を強く叩きつけるその手つきから、苛立っているのを感じる。
……確かに、キックのサブベース成分が居座りすぎたのは認めるよ。けど……
「律花こそアレンジ優先で、聴いてくれる人のこと考えてないでしょ? こことか、情緒死んでるから!」
言い返した瞬間、律花の表情がわずかに歪む。ぐっと、何かを飲み込むみたいに。悔しそうな表情をする。そうしてきっと俺を睨み付け。
「あんたこそ、気分優先で作って、音が渋滞してるからね。ほら、ココとか!!」
「……っ」
的確に譜面を指さして指摘してくる。痛った、マジで。今のは完全に胸に突き刺ささりましたわ!! ぐっと悔しさから歯を噛みしめ、睨み返す。
「律花の方こそ、正解を求めすぎなんだよ! 無難にまとまりすぎて、教科書通りの音になってるから」
「……へえ、それ言っちゃうんだ」
空気が一気に冷え込んだのを感じる。律花の視線が、冗談じゃなく鋭くなる。その視線は俺を射殺さんとばかりに、強く俺を睨み付ける。そうして、気付けば、ほとんど口論になっていた。
作曲家なんてものは、自分の中に明確な像を持つ生き物だ。自分の感性こそが拠り所で、それに疑いを持った瞬間、音は途端に輪郭を失う。だから、心のどこかで「自分が正しい」と信じている。譲れないものがあるからこそ、対立は避けられない。
「二人とも、落ち着いて。少し、ヒートアップしすぎ」
『瑠璃は黙ってて!』
反射的に言った言葉が重なり、空気を震わせる。
「……分かった」
半ば叫ぶように放った言葉に、瑠璃がしょんぼりと悲しそうに視線を落とす。床を見つめながら、肩をすくめるようにして、瑠璃は身を縮こまらせた。
その悲しげな姿に、さすがに冷静になっていく。それは律花も同じようだった。
「あの……ごめん、ルナ。止めようとしてくれたのに、言い過ぎた」
「ううん。口を挟んだ私がいけない。悪いのは、わたし」
「……そんなことないわ。瑠璃が止めてくれたおかげで冷静になれたんだし」
それでも、瑠璃の表情が晴れることはない。どうしようかと焦るように辺りを見渡し、律花と目が合う。一瞬の沈黙。そして、言葉にしないまま、視線だけで会話する。
(……あんた、何でもする覚悟ある?)
(……えっ、急になんだ? 今はそれどころじゃ?)
(じゃあ、現状解決するなら、何でもする覚悟ある?)
真っ直ぐな視線に思わず息を呑む。俺は戸惑いながらも、小さく、けれどはっきりと頷く。それを確認して、律花が瑠璃に視線を合わせるように小さくしゃがんだ。
「瑠璃、ごめんね。さすがに周りが見えてなかったし、酷い言葉もいった。その……お詫びになるかは分からないけど、私と湊にできることならなんでもするから、許してくれない?」
その声音は、いつものような柔らかさを含んでいる。ほんの少し潤んだ瞳が、まっすぐ瑠璃を見つめると。瑠璃はぱちりと瞬きをして、それからゆっくりと俺の方を見る。
「ほんと?」
まっすぐに、純粋な瞳で、俺の顔を覗き込んでくる。
「えっ……うん」
一瞬だけ戸惑いながらも、しっかりと頷く。その答えを聞いて、瑠璃はうっすらと口元に笑みを浮かべた。
「わかった、許す」
その一言に、張り詰めていたものが一気にほどけた。思わず息を吐き、俺たちは揃って肩の力を抜くのだった。
それからは互いに言葉に整理して、伝えることになった。勿論言葉にすると口論になるので、基本は紙に修正点を書き、気持ちを整理してから。という独自のルールが出来た。
「それじゃ、そろそろ門限があるから、今日は帰るわね」
律花がそう言って立ち上がり、瑠璃も同じようにその言葉にのって、帰宅する。
「またね」
「うん、また明日」
短い言葉を残して、二人が玄関から帰る。ゆっくりと閉まっていく扉を見届け、俺は自室に戻った。いつも通りの見慣れた筈なのに、妙に、静かだった。
ついさっきまでの喧騒が、嘘みたいに遠く感じ、少し寂しい気持ちが込み上げてくるのだった。




