51.祝福なんてしないでくれ。
落ち着けぇ……落ち着けぇ……。
自分に暗示を掛けるように、そう繰り返しながら、凍り付いたベッドから降りてソファへ移動する。それに伴い空気が動き、微かな焦げ臭い匂いが私の鼻を通り抜けた。
本来、物が焼けた時の煤臭さは、かなりキツイ臭気だ。正しく処理をしないと、何年もその場に染みついてしまうほど。
だが、燃えた残骸が氷に閉じ込められているせいか、不快感をまるで感じないレベルにまで抑えられている。それどころか、この部屋に漂っているのは、雪の匂いに似た香りと心地良い冷気。
パタンッ……トサッ!
ヴォレーク様は扉を閉めると、私の向かい席に腰を下ろした。
「ふぅ、とりあえず……ライザ嬢。まずは……えっと、何から話そうか?」
「は、はひ……」
真正面で、はにかみ笑うヴォレーク様が……あぁ、美し過ぎて直視できない! 眩しい! よくよく考えたら、今、この部屋に二人きりだし、面と向かってお話しするなんて、実はまだ三回目よ⁉︎
返事する声が緊張で裏返ってしまったわ。恥ずかしい!
セレナちゃんと兄テレーズは、今しがた、ヴォレーク様から席を外すよう促され、この部屋を出たばっかりだ。二人が同席していると、話が全っっっ然、先に進みそうにない、との判断からだ。
両者とも、納得いかないとばかりに不満げな顔をしていたが、私からもお願いすると、態度を180度コロッと変え、素直に従ってくれた。
その、あまりの露骨さには、ヴォレーク様も流石に苦笑い。
そういえば扉が閉まる時に、兄が廊下で誰かから声を掛けられているのが見えたけど、何かあったのかしら?
「……ザ嬢……ライザ嬢?」
「へ?」
低く甘やかな声で名前を呼ばれ、ハッと現実に引き戻される。うわの空になっていた私の目の前には……ヴォレーク様の麗しいお顔! しかも、超どアップ!
「‼︎‼︎」
ち、ち、ち、近いですわーーーー!
驚きのあまり、反射的に後方へと飛び下が……ろうとしたけど、ソファの背もたれに阻まれ、背中をそこに強く打ちつけた。
その衝撃で、頭部が上を向く形になり、私の視界に黒く煤けた天井が飛び込んでくる。
「あ……」
私はゆっくりと首を元の位置に戻し、ソファから静かに立ち上がった。
「ライザ嬢?」
「ヴォレーク様、誠に申し訳ございません。邸宅内の損傷につきましては、我がフレイブ伯爵家が責任を持って弁償させて頂きます。失火の件は……わ、私自身のケジメとして、警備隊へ突き出して頂けるとありがたいのですが……」
深々と頭を下げ、伯爵令嬢としての態度で述べる。震える手は、反対の手で上からぐっと押さえ込んだ。
すると、ヴォレーク様が焦ったように声を上げる。
「いや、いいって、そんなこと! ライザ嬢は何も気にしなくていい! 警備隊なんて、とんでもない! 貴女が無事ならそれでいいんだ! と、とりあえず座ってくれ。えっと、焼失物の中で修復できそうなモノは……」
そう言って彼が辺りを見回し、魔法杖をパッと振る!
………………
だが、何も起こらなかった。室内の燃えカス達は、彼の魔法にピクリとも反応しない。
「はぁ……やはり駄目か。氷での損壊は素材が単一なら再生可能だが、炎によるものは修復が難しいみたいだな」
そう言って、今度は凍結していた花瓶に手を向ける。氷はたちまち水分子へと変わり、閉じ込められていた花がまた息を吹き返した。
「す……すごい……」
ヴォレーク様は修繕魔法まで会得しているの⁉︎
感動のあまり、思わず胸の前で手を組んでしまったが、慌てて、マナー講座で習った通りに姿勢正しく着席した。
ヴォレーク様を見つめると、どうしたって顔が緩む。それを避けようと、膝の上で重ねた両手に視線を落とし……ふと、衣服の変化に今更ながら気がついた。
「え? あ、あら? これ……私のドレスじゃない⁉︎」
選抜されたあのアイスブルーのドレスではなく、ゆったりとした見知らぬ白のドレス。そういえば、ユノに締めてもらった窮屈なコルセットもないわね。えっと……これって……。
ちらっとヴォレーク様に視線を向けると、彼は顔を赤くし、ブンブンと首を横に振る。
「ち、違う! 俺じゃない! レイが着替えさせたんだ! コルセットは身体に良くないとかなんとか言って……ライザ嬢の私物は、ちゃんとこちらで保管してあるから大丈夫だ!」
「レイ様……」
あらためて、ヴォレーク様の口から彼女の名前を聞き、また身体から温度が失われていく。
重ねた両手、上の手で下の手をぎゅっと強く握り、私はまた深く頭を下げた。
「ヴォレーク様、この婚約は……どうぞ解消して下さい」
「……は?」
「無事に妹君の手術が成功し、私は……もう必要ないでしょう? 王命の婚姻とはいえ、既に目的は達せられたわけですから……」
「ちょ……ライザ嬢?」
ヴォレーク様はなんだか戸惑っているようだが、私はそのまま話を続ける。
「連結杖で私の身体が『傷モノ』になることは、ヴォレーク様の想定内だったんですよね?」
「そ、それは……すまない。杖の片側は穿刺する為、鋭利に尖っていて、反対側は魔力粒子を流動させる為の細い管。どうしても特殊な形状の傷が残るのは分かっていた。きちんと説明もせずに、俺は……」
私は手で彼の言葉を制止し、精一杯の笑顔を作った。
「責任なんて、取らなくて結構ですわ。幸いにも、私たちの婚約は公になっておりませんもの。どうぞ気にせず、白紙撤回なさってください。好きでもない相手と、この先を一緒に過ごさなければいけないだなんて……ヴォレーク様があまりに気の毒過ぎます。私は貴方の人生を奪いたくありません。だから、どうか……レイ様と……」
「嫌だっ‼︎」
今度は、ヴォレーク様が私の言葉を強く遮った。
「『私の心は貴方のモノだ』と……そう言ってくれたじゃないか! 俺だって、同じだ! 『俺の心は貴女のモノだ!』」
「え?」
「お、俺は……見てくれはこれだが、本当は全然格好良くなんかなくて、性格もこんなんで……でもライザ嬢、貴女のことが……す、好きだから、いいとこを見せたくて、嫌われたくなくて……」
ヴォレーク様が……私のことを……好き⁇⁇
「妹がいることを伝えなかったのは、セレナがライザ嬢を大好き過ぎるからだ! 興奮して具合が悪くなるのを避ける為。貴女を生け贄だなんて思っちゃいない! ましてや殺そうだなんて、有り得ない! 何を誤解してるか知らないが、仮初なんかじゃない、婚約者は貴女だけだ! 貴女以外、考えられない! そして……誰が妹に叱られて悦ぶもんかーーーー‼︎」
「え、えっと……」
「頼むから……俺と他の誰かを……笑顔で祝福なんてしないでくれ……」
最後は泣きそうな……懇願するような声だった。
………………
………………
ヴォレーク様の怒涛の勢いに、圧倒され……ようやく、私の口から掠れた声が出た。
「それは……ほ、本当ですか?」
「本当だ」
彼のその一言で、私の両目からボロボロと大粒の涙が溢れ出し、止まらなくなってしまった。
「不安にさせてすまなかった。どうか……俺を信じて欲しい」
そう言って、ヴォレーク様が私にそっと手を伸ばしてきた。
ガシャンッ! バタバタバタバタッ‼︎
その時、急に廊下から、なにやら騒がしい音が響いてきた。
ライザの誤解を解こうと、一気に捲し立てたヴォレークでした。




