45.【屋上から視えたのは……】
ここから、しばし過去回を挟みます。
五年前ーー
放課後、貴族学院の屋上では、二人の学生が並んで柵に寄り掛かっていた。どことなく似た雰囲気を持つ彼らは、高等部に在籍するヴォレークとレイだ。
暦の上では春なのに、冬の寒さを残した風が、小さな渦を巻きながら吹き抜けていく。帰宅していく生徒達が、口々に『寒い、寒い』と溢す声もどこか下の方から響いてきた。
だが、ヴォレークもレイも微動だにしない。頬を撫でつける風の冷気なぞ比べ物にならない程、彼らの心は凍りついていた。
二人が溺愛するセレスティーナ嬢。彼女の手術が先日、失敗に終わった……いや、あれは紛れもなく、殺人未遂だ。
幼い少女は、なんとか一命を取り留めたものの、まだ予断を許さない状況が続いている。
本来なら学院に登校している場合ではないが、侯爵家の二人は何かと目立つ。下手に休めば、他の貴族達から変に関心を集めてしまうだろう。それを避ける為、人前では普段通りの振る舞いを演じ続けていた。
高位貴族である彼らは、けして他人に弱みを見せぬよう、幼い頃から教育されている。そのせいか、反動のように、心を許した者の前でだけは素の自分を晒け出せた。今はただ、二人とも互いの痛みを共有しているようだ。
距離感がとても近い、従姉弟同士。そんな彼らの間には、自然と恋愛感情が……これっぽっちも芽生えなかった。
レイは婚約者のテルディウスに一途であり、ヴォレークはそんな彼女を兄のように感じていたからかもしれない。
両者とも無言のまま、どれくらいの時間が経過しただろうか。ようやく、ヴォレークがくるりと向きを変えた……と思ったら、固く握った拳をいきなり鉄柵へと振り下ろした!
ガンッ!
やり場の無い怒りを込めた一発が、直線だった柵をひん曲げる。その衝撃をくらった部分から一気に周囲が氷結し、破片がパラパラと地面に飛び散った。
「おい、落ち着けヴォレーク。柵に八つ当たりするな。お前がやったら、屋上が壊れるだろ。修繕やら反省文やらは、いちいち面倒くさい」
「レイ……だけど……俺がもっと早く気づいていたら、セレナは……」
「今、セレナは魔臓の活性を抑える為に、強制的に眠らせている。状態が安定すれば、じきに目醒めるはずだと、父上が言っていた。私達は……それを信じるしかない」
「……」
レイの言葉に、ヴォレークは顔をぎゅっと顰めた。世間から美しいと評される彼の顔面が、悲痛な色に染まる。
「悪いが、己を責めているヒマはないぞ。お前にも見てもらおうか、これを……」
そう言って、彼女は制服のポケットからそっと何かを取り出した。
「?」
それは、掌サイズの宝石箱だった。ヴォレークに向けてレイが慎重に蓋を開ける。箱の中央部分に収められていたのは、透き通る緑色と赤色が混じった美しい魔石。
「随分と珍しい色の魔石だな。これは……結晶石……だよな? 妙な魔力オーラが……」
怪訝そうな顔で魔石をじっと見つめる彼に、レイが静かに頷く。
「お前の違和感は、正解だ。そしてこれが、セレナの主治医が過ちを犯した動機……」
「動機? ミュード伯爵……迷宮刑に送られる前に、監獄で亡くなったらしいが……くそっ!」
苦々しげにヴォレークがそう吐き捨てた。
セレスティーナ嬢の手術を故意に失敗しようとして捕えられた男は、取り調べにおいて『何も知らない』の一点張りだった……という報告が、グラシース侯爵家に上がっていた。
何も知らないはずがない。それなのに、深く追及がなされなかった上、みすみす彼を死なせた看守らに対して、ヴォレーク達は不信感を覚えていた。
「恐らく、口封じだろう。そして、この結晶石は……ミュード伯爵夫人の遺体から見つかった」
「……は?」
ヴォレークがレイの顔と手元の魔石を、交互に見比べる。
「一体、どういうことだ?」
「王都の郊外にある元貴族の廃屋敷で、彼女の遺体が発見されたそうだ。『風』と『火』の属性を併せ持ち、かなり魔力量の多い魔臓症患者だった、と聞いている。身体に合う逆属性魔石が見つからず、夫人は間に合わなかったのだろう。そして全身の魔力を吸い上げた魔臓は、彼女の命を奪い去り……」
「まさか……魔臓症患者の身体は……結晶化するというのか⁉︎」
「正確には、『魔臓が結晶化する』だな。十数年前、『後世の為に』と献体を申し出た方がいて、死後に解剖が行われた。その際に初めて、人体産の結晶石という存在が確認されたそうだ。だが、公にはしていない……いや、できない。必ず、悪用する人間が出てくるからな。しかも、魔臓症で亡くなられた方、全員が結晶化するわけではないらしい」
「結晶化には何かしらの条件がある、ということか?」
「あぁ。他にも、純血系貴族の身体から採れたという話も風の噂程度には耳にしているが、真実はどうだか。人体実験でもしなきゃ、正確なところなんてわからんよ」
「それは倫理的にアウトだろ。でも、そうか……伯爵夫人は……人質だったのか」
「あぁ。病で苦しむ彼女の治療を条件に、伯爵は何者かの言いなりになっていたんだろう。父上とミュード伯爵は同門だったから、私も以前から交流があった。とても仲の良いご夫婦だった。こんなことになる前に、なんで相談してくれなかったんだって、父上も母上も悔やんでいたよ」
「……気づいた時にはもう引き返せないところまで、伯爵は足を踏み入れてしまっていたのかもな」
「そうかもしれん。それと通じるような……もう一つ、嫌な話を耳にした」
「なんだ?」
「魔臓症の手術に、使用する魔石……あれは、選別されたモノ以外では、拒絶反応が出る。加工石では不十分。人体に移植しても拒絶反応を起こしにくい、良質な天然結晶石は……」
「まさか……人間から採取していた結晶石を使用していたのか⁉︎」
「……こちらも確証はないがな」
ヴォレークの顔がさぁっと青褪める。
「何も知らずに、セレナの身体に使用するところだったのか。……でもなんで、夫人の結晶石をレイが持っているんだ?」
「……父上から……託されたのだ。ミュード伯爵夫妻の間には、息子が一人……私は彼とも面識があった。手術の日は、旧知の婚約者の家に預けられていたそうだ。父親が何をしたかも、母親がどうなったかも知らない。彼自身に罪はない。だから……」
何かを言い淀むレイに、ヴォレークが話の先を促す。
「それで?」
「……彼は……ラグナット侯爵家の養子として引き取ることになった。私の義弟になる。今は隣国で身を潜めてもらっている。落ち着いたら、母君の結晶石を渡し、何が起こったかを伝えようとは思っている」
「なっ⁉︎ ……随分と……急な話だな」
「……悪い。お前の気持ちを考えると……言い出せなかった。いずれ時が来たら、セレナにもきちんと話すさ」
「……」
複雑な感情を整理したいが為か、ヴォレークは徐に懐から魔法杖を取り出すと、無言でそれを振り、さっき破壊した柵を修復し始めた。
シュウゥゥゥゥ……
そんな彼の背中に向けて、レイが話を続ける。
「セレナを助けるには、逆属性である『火』の魔石が今後、大量に必要になってくる。とりあえず、できる限りはかき集めたが……あの強い魔力を抑えるには全く足りない。すぐに底をつくだろう」
「……そうだな」
魔法杖をそっとしまい、元よりも綺麗になった柵を撫でながら、ヴォレークが言葉を返す。
「大量の買い占めはすぐに怪しまれるだろうし、父上は立場上、表立っては動けない。『火』系の貴族家と秘密裏に協力関係を結べたらいいんだが……生憎、俺は友人が少ない」
「私もだ。ロクでもない輩ばかり擦り寄ってくるからな。今、学院に通う者の中で『火』属性の生徒は全部で五名……」
「思っていた以上に少ないな」
「で、そのうち純血系の貴族家はたった二つだけだ。高等部だとイェンゴード伯爵家……」
「あそこはダメだ。我が家の政敵。弱みを握られたら父上が失脚する」
「もう一つは中等部の……フレイブ伯爵家だな。ここの者は、学院に二名在籍している」
「二名? 兄弟か?」
「兄妹だな。今期、中等部の生徒会長になったのがフレイブ家の嫡男、テレーズ・フレイブ。会議で少しだけ話したことがあるが、ヴォレークとは違った意味で隙のない男だ。そして今春に妹君が入学したらしい……が、噂では彼とは比較にならない程度の魔力だそうだ」
「はぁ……期待はできないってことか」
落胆の色を隠そうともせず、ヴォレークは深々と溜息を吐き出した。
「俺には他に道がない。大切なセレナの為に……どんな手段を用いてでも、そのテレーズ殿と縁を結ぶしかない。彼に人工結晶石なり加工石の作成を依頼するか、フレイブ家の販売する『火』魔石を多融通してもらうか」
「お前の眼で視れば、彼が敵か味方かわかるんじゃないか?」
「そうだな」
この国では、魔力量が非常に高い者は、他者の魔力オーラを視ることができると言われている。さらに人よりも能力値の高いヴォレークは、魔力の込められた物質から様々なモノを感知することも可能だ。
「そういやレイって、水妖精の化身とかって呼ばれてんだっけ? 俺からしたら、お前の後ろに巨大クラーケンが視えるんだがな……」
「……なんか言ったか?」
「いや、何も……」
「あっ! ヴォレーク、あの子だ!」
ガンッ!
突然、ヴォレークを押し潰して、レイが柵から身を乗り出す!
彼女の指差す先には、中等部の校舎から正門へと続く石畳を歩く少女。オレンジ色の長い髪が背中で揺れている。この学院では珍しい『火』属性だと一目でわかるその風貌、ピカピカの制服を身に纏ったあの令嬢こそ、ついさっき話題に上がった人物……ライザ・フレイブ伯爵令嬢だ。
「痛ぇよ、レイ……」
そうぼやきながら顔を上げたヴォレークも、視界にライザ嬢を捉え……次の瞬間、彼の瞳が驚きで大きく開かれる。
「あ、あれは……あんなの、とんでもない……」
「なんだ。やっぱり噂通り、大したことないのか」
「違う、そうじゃない! なんなんだ⁉︎ 手枷、足枷を付けた状態で……コレか⁉︎」
「ん? ヴォレーク、お前の眼には何が視えているんだ?」
「き……強大な……炎の翼を持つ戦乙女だ……だが、その四肢には枷と鎖が付いている。恐らく、あの少女は、なんらかの魔力制御アイテムを身につけているんだろう。全てを解放したら……一体、どんなことになるのか……」
ヴォレークが喜びで、ぶるっと身震いをする。未だかつて見たことのない美しい『火』の魔力オーラ……そして、同時に燃え上がる希望の灯火。
大切なセレスティーナ嬢を死の淵から救える女神が、すぐそこにいるのだ。
「たしかに比較にならないな……あんな桁違いな魔力は……」




