第14話 排他的で不安定な無法地帯
立ち入り禁止の屋上のドアを開けることが、特別なことではなくなり、日常になりつつある。
惰性で続ける現実逃避は、いつか取り返しのつかない失態に直結するかもしれない。けれどそんな危機感は薄らぎ、徐々に麻痺していく。
原因は数年ぶりの猛暑。それだけ。ひたすらに毎日暑いから、思考が鈍くなっている。正常な判断が出来なくなっている。ただ、それだけ。
「加藤ってジュリエットだよね」
汗で滑る手のひらで、一階の自販機で買った炭酸水のペットボトルを開ける。甘ったるい清涼飲料水は、喉を潤した瞬間に汗に変わる。
「え?」
「初めて話した時から、ずっと思ってた」
貯水タンクは直射日光を遮断できるけれど、沸騰した空気までは遮ることができない。冷房器具のない屋上では、日陰に座っていても、意図せず不機嫌になってしまうほど常に暑い。
「去年の文化祭で、演劇部がロミオとジュリエットを上演してたでしょ。あの時、体育館まで見に行ったよ」
「そんなこともあったね」
安田がこの春までバトミントン部でインターハイを目指していたように、私も演劇部に熱をあげていた。
舞台に立つ緊張や高揚、好奇と期待の視線を一身に受けスポットライトに汗が流れる感傷は、引退しても忘れられない。
演劇は素敵だ。すべてを投げ打つ価値のある恋も、世界を変える挑戦も、涙なしでは語れない劇的な死もある。
現実の人生は平凡だから、足りないものを求めてのめりこんでしまう。
「すごく綺麗だったよ」
安田はスマホを片手に、照れたように鼻をかく。襟足が汗で濡れている。安田は今日も、雑誌で見かける奇抜な化粧を施している。
「派手な舞台メイクをしていたからね」
昨日頬にできてしまった小さなニキビを触りながら、私は小さく答える。
物語の中だけが、私にとってのすべて。
舞台に上がるために存分に着飾りる。舞台から降りれば、化粧を落としてすぐさまジャージに着替える。異性の目のない校内で、普段は化粧なんてしない。日常的に周囲にどうみられるかなんて、興味はない。
公演日に物語の中にどう入りこむか、それだけが関心の焦点だった。
それも、部活を引退するまでの話。大げさな表現をすれば、今ではすっかり生きる目的を失った。大切なものが心の中で燃え尽き、得体の知れない虚無感に苛まれている。鬱屈した気分を晴らす方法なんて、いくら要領がよくても分からない。
「文化祭の話し合いの時に、加藤に声かけたじゃん? その時、どこかで見た顔だなって思った」
「そんな感じには、見えなかったけど」
「演劇部の発表見てさ、感激したの。芸術って分かんないけど、台詞とか音楽とか、今まで見た映画とかの中で一番だった」
「そっか。ありがとう」
纏わりつく髪を真っ赤なシュシュで結ぶ。ストレートな褒め言葉に恥ずかしくなり、ぞんざいな口調で返事をしてしまう。安田の顔を直視することができず、施工されて久しいコンクリートの粗を探して時間を潰す。
立ち入り禁止の屋上が案外小奇麗なことも、生徒が遊びに来ないよう施錠されていることも、鍵穴にヘアピンを上手く通せば開錠出来ることも、そこを占領するのが現代的なスカートに短いギャルであることも、三年も通っていて何も知らなかった。
それなのに、煙草と麻雀ゲームを片手に、蒸し暑い屋上で時間を潰す同級生の安田は、確かに実在している。私はそれを、卒業を目前にして知ってしまった。
小説や舞台に登場する架空の話は、いつでも案外身近にある。
自分が特別な何者かになれた気がする瞬間。
勘違いだと分かっていても、
思い出の中に積み重ねていきたい。




