第12話 逃避行の最適解
夏の屋上はどうしようもなく蒸し暑く、きっと逃避行の最適解ではない。
けれど、どこまでも高く澄んだ夏空を独り占めできる優越感は、何にも代えがたいものがある。
「薔薇の花って、たくさんの色があるじゃん。赤だけじゃなくて、黄とか白とか黒とか。その色ごとに、花言葉の意味が変わるんだよ。加藤、知ってた?」
「聞いたことはあるかも。詳しくは思い出せないけど」
「それ、知らないのと一緒じゃん」
正確には、独り占めではなく〝ふたり占め〟。雲一つない青空を独占出来ないのは残念。それでも、変化のない空をひとりで眺めたところで、早々に飽きてしまうだろう。誰かと無駄話を繰り返して時間を潰さなければ、暑苦しい空を見上げる気にはならない。
「安田に花を持たせてあげたの。無知なふりをしてあげた、私の優しさを褒めて」
「なにそれ、変な弁明」
どんな物事だって、素晴らしい側面と辟易する側面を持ち合わせる。
安田と私は屋上に逃げこむことで、人口密度の高い教室や雑草や昆虫に足を擽られる通学路から抜け出している。その代償に、不必要に汗をかいて制服の襟を黄ばませ、日焼け止めが流れ落ちた肌を容赦なく焼く。
「オレンジは愛嬌、白は少女時代、黄色は嫉妬、青は神の祝福」
澄み渡る青空を一心に見つめ、安田が淡々と言葉を紡ぐ。
「意外と少女趣味で、夢見がちなんだね」
茶化すつもりは無く、本心だった。ぼんやりと、心の声が口から零れる。
「あとさ、色だけじゃなくて、渡す本数によっても意味が変わるんだよ」
「へえ。それは知らなかった」
貯水タンクが作り出す短い影に、アウトドアショップで買ったレジャーシートをひいた。ほんのり冷たい塗装の剥げたタンクに背を預け、ブルーのシートに並んで座りこむ。
こんなにもじめじめと蒸し暑い屋上に、何の目的もなくふらりと訪れる。
非生産的でメリットもない行為。心外だけれど、初めてではない。二度目でも三度目でもない。少なくとも両手では数えられないほど、こうして安田と無為に過ごしている。
初日にコンクリートに直接座ってスカートを汚した経験から、レジャーシートを屋上持ち込み、教室に帰る際は貯水タンクの裏に隠している。遠慮なく校舎に私物を放置する私に対し、安田は「その発想はなかった」と目を見開いていた。
「屋上にクーラー設置してくれないかな」
実現するはずもない稚拙な願望が、ぽつりと漏れた。夏の暑さに、相当に理性と思考が溶け出している。
「現実的じゃないなあ」
安田がからからと笑う。半袖のセーラー服の袖で、額に垂れる汗を拭った。
無意味に日焼けし、汗を流して制服の背中の生地を変色させながら、明瞭な目的もなく生産性のない時間を過ごしている。私も安田も、飽きもせず。
「薔薇の本数の話だけどさ」隣に座る安田が背伸びをしながら、話を続ける。
「一本だと、一目惚れ。二本だと、この世界はふたりだけ。三本だと、大好きです。四本だと、一生愛し続けます。五本だと、あなたに出会えて幸せです。六本だと、私にはあなただけ」
安田は目をつぶり、指を折って花言葉を暗唱する。
「暗記してるの?」
「授業中に花言葉の本を読んでいたら、覚えちゃった」
小さな悪戯がばれた子供のように、安田がはにかむ。シートの端に体操座りをする安田は、短いスカートから下着が見えることを気にしない。白地にピンクのイチゴ柄。
隣に座る私は正座を崩して座り、肌蹴ないよう時折スカートを調整する。
制服のスカートの着心地なんて忘れてしまいました。
リクルートスーツの履き心地も正確には思い出せません。
だけど、もう、それでいいんじゃないかと思います。
時間の流れにそれなりに流されてみれば、
漂流し続けてどこかにたどり着くことができる、はず。




