第11話 青天の霹靂は屋上に存在する_3
蜃気楼の舞う真夏の昼過ぎ。
三階建ての老いた校舎。その三階の端の教室。最後列の席。
「高校生活を有意義なものにするためには、机に向かって勉学励むだけでは不十分だと思います。文武両道、質実剛健。もっと学問以外にも目を向けて・・・」
高校生活における文化祭の必要性や、当該の係の重要性について、進行役が滔々と説明を続けている。
小難しい言葉を多用するくせに、肝心の重要性は明示されない。だけど、存在しないものの証明を要求するのは酷だから、誰も追求をしない。
「大げさな言い方をするなら、今後まっとうな人生を歩むにあたって、必要な経験の一つであると考えています。なぜならば・・・」
空を眺めても、雲ひとつ動かない。
進行役が文化祭の意義を説くたびに、斜め前の生徒があくびを噛み殺した。私もつられて睡魔に襲われる。眠気覚ましに、机の下でスマホをいじった。よく見る通販サイトを開き、シャツやブラウスのページをぼんやり眺めていた。
「その花柄のシャツ、結構かわいい」
二の腕を許可もなく軽く叩かれ、顔を上げる。通販サイトを散漫にスクロールしていた私の指先を、隣に座る初対面の女子が興味深げに見入っていた。
その馴れ馴れしいショートカットの女子が、安田だった。
「そのブランド好きなの?」
安田が身を乗り出して、私のスマホを覗き込む。
ふんわりと、甘ったるい香水とキシリトールのガムの匂いが鼻孔を擽る。他人の温度を感じるのも、他人のにおいが纏わりつくことも、昔から好きではない。
けれど不思議と、安田の子供じみた体温や人工的な香料に対して、不快感はなかった。
「うん。でも買ったことはないな。見るだけ」
「分かるー。そのブランドの服って奇抜過ぎて、着ていく場所に困るしね。小物とかは持ってるけど」
「小物って、財布とか?」
「そう。でも写真より安っぽいよ。値段相応って感じ」
友達のように気さくに話しかける安田に気圧されながらも、テンポよく会話は続いた。
好きなブランドや愛用している化粧品、使用頻度の高いスマホのアプリ、購買でよく購入しているアイス、新卒の国語教師の婚前旅行の行き先、最近見たB級映画の品評。
結局、文化祭の意義については最後まで一切理解できなかった。
けれど、頷くたびにピアスを揺らすギャルと案外話が合うことを知った。
それは大きな収穫だった。大げさに言うなら、今後まっとうな人生を送るにあたって。
「ねえ、これが終わったらなんかすることあるの?」
机に突っ伏し目だけをこちらに向けた安田が、思い出したように聞いた。何度も瞬く睫毛のマスカラにはダマが出来ていて、上目づかいの瞼が流行りの色で囲まれている。
「特にないけど」
本当は、この係活動の集まりが終わったら、同じクラスの唯たちと一緒にカラオケに行く予定だった。でも、なんとなく気分ではなくなった。机の下でスマホを操作し、唯に断りのメッセージを送る。
嘘をついたつもりはなかった。
「じゃあ、ちょっと付き合ってよ」
「どこに?」
「青空が見えるところ」
人差し指を天井に向け、白い歯を見せて安田が笑った。
「こんな昼間から屋上? 絶対暑いから、今日はいいや」
私は眉を顰め、小声で答える。
度の入っていない真っ赤の眼鏡が煩わしく、外してバッグのポケットに入れた。ついでに、きつく結んだポニーテールもうざったく感じ、片手でシュシュをほどく。髪を結んでいた真っ赤のシュシュを手首にはめ、長い黒髪を適当にほぐした。
黒板の前に立つ司会の女子は、なおも文化祭の意義を語っている。言い訳のように、弁明のように。飽きもせず。
「行ったことあるの?」
安田が不思議そうに、目をぱちぱちとさせて私に問いかける。
「ない」
緩やかにパーマのかかった黒髪を片手で弄びながら、私は気だるく頬杖をついて首を振る。
レンズ無しで初めて安田を見つめる。安田は不自然で人工的な化粧とともに、健康的な血色のいい笑みを持ち合わせていることに気づく。
「じゃあ、行ってみようよ。何事も経験だよ」
「えー。別に楽しくないでしょ。暑いだけ」
「経験したこともないのに、頭ごなしに否定するのはもったいないよ。予想よりも楽しいことってね、世の中に意外と多いんだよ」
安田が無邪気に破顔する。視線を窓外の青空に向け、大げさにはにかむ安田の笑顔には、潔いショートカットがよく似合う。
きっかけはいつでも緩やかに突然に。




