五.旅立ち(二)
太郎が養父母に呼び出されたのは、それから更に一月ほど経った頃だった。
背筋を伸ばし、折目正しく座した太郎の姿は、喜八郎の眼にも、どこに出しても恥ずかしくない青年に映った。齢十二であることを考えなければ。喜八郎は思った。そう、実年齢を考えなければ――。
「太郎よ、そなた外へ出て学ぶ気はないか」
喜八郎が静かに告げると、太郎は、そして喜八郎の隣に座っていたさとも、はっとして喜八郎を見た。
「そなた一人で学問をするには限界がある。もうこの村で、そなたのように学のある者はおらぬだろう」
そう言って、喜八郎は太郎の前に書状を差し出した。
「それは、わしの友人に用立ててもらった推薦状だ」
「そんな」さとの声が跳ねた。「太郎はまだ十二でございます。もう少し時を置いても――」
太郎に対しては己の道を考えよと諭していたさとだったが、いざそれが現実味を帯びると、掌を返すように喜八郎を非難した。
だが、喜八郎はさとを無視した。
「わしは漢方医に過ぎぬが、これからは蘭学だ。医者に限らず、立身のためには、蘭学を学ぶのがよいとわしは思う。早いうちに新しい知識を学ぶことがお前のためになる」
太郎は養父の右の瞼が細かく震えていることに気付き、喜八郎の顔を見つめた。その射抜くような視線に、喜八郎は僅かに眼を逸らした。
「太郎よ、母の申すとおり、お前を家から出すにはまだ早い事は父も解っている。お前はわしらの大事な息子だ。もう暫し傍に置いて大事にしていたい。しかし父も母も、いつお前との今生の別れが来てもおかしくない年なのだ。そんなわしらにできる事は、お前が早く立派に独り立ちし、生きていけるよう心を尽くす事なのだ」
「お前様……」この言葉にさとは感動に眼頭を熱くさせた。
一方の太郎は悲しい思いを抱いた。情に溢れた言葉を並べる最中も、喜八郎の右瞼の痙攣は収まらなかった。太郎は訊いた。
「父上、ここは私のような子供を受け入れて下さるのですか?」
「それは大丈夫だ」と即座に答えながら、喜八郎はさとに視線を走らせた。
(そうか)
太郎は養父の真意を理解したと思った。
(父上は俺を追い出したいのだ)
太郎は、喜八郎が息子の年を偽って推薦状を頼んだと確信した。それは、太郎が普通の子とは違い過ぎる、というのがこの家族の不幸だったのだと養父に断言されたようなものだった。
太郎はさとを見た。養母は夫の言葉を素直に受け取り、しきりに片袖を眼に当てている。その純粋さが、唯一太郎の救いであった。
太郎は眼の前に差し出された推薦状を見た。
喜八郎の本心はともかく、太郎にとってこれは良い機会であることには違いない。
居心地の悪い村から出て行く理由を貰ったと同時に、多くの学問を身に付け、早く己の立身が叶えば、これまで大きな愛情を持って育ててくれた養母に楽をさせてやることができる。
「父上様」桃太郎は姿勢を正した。
「そこまでお考えくださっているとは、太郎は幸せでございます。是非、お言葉に従いとうございます」
「そうか」喜八郎の右瞼の痙攣が止んだ。
このやり取りに、さとはもはや感動の涙を堪えることができず、両手で顔を覆い嗚咽した。純粋なさとには二人が腹の底で探り合いをしているなど思いも及ばないのであった。




