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残酷"桃"太郎物語  作者: 尾崎 友美
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六.旅立ち(三)

 推薦先は有名な蘭学者が大坂で開いている私塾であった。

 控え目な門構えの前に立った太郎は、大きく息を吐きながら胸元に手を当てた。そこには、養母さとから渡されたお守り袋が入っている。


 喜八郎は既に太郎が国許を出る許可を取っており、いつでも旅立てる手筈が整っていた。

 出立の挨拶のために庄屋宅を訪れた太郎に庄屋は冷たかった。倅が投げ飛ばされて以来、太郎を大いに嫌っていた庄屋は、太郎を家に上げることも無く、形だけの激励を投げただけで奥に引っ込んでしまった。小さく溜息を吐いて太郎が表に出ると、庭木の陰から茂吉が見ていた。太郎は頭を下げた。

「出て行くそうだな」

 庭木に身を寄せたまま、茂吉は言葉を投げた。太郎はただ頷いた。

「ここのところ先生がうちによく来ておられたからな。村の者にも周知さ。せいせいすらあ」

 そう言いながらにやつく茂吉を、太郎は繁々と眺めた。太郎より年長である筈の茂吉とこんなに差があるのかと改めて驚いたのである。傍から見たら、青年が子供に難癖を付けられているようにしか映らないだろう。自分は不幸なのか。太郎はふと思った。茂吉と同じような成長過程を辿らなかった自分は不幸なのか。同じでないという事は、怯えを生ませるのか。

「なあ」茂吉は更に卑下た笑みを深めた。「先生はお前のことを、俺の親父に何と言ってたと思う?」

 太郎はすっと眼を細めてみた。茂吉の顔が強張った。たったこれだけで俺はお前を委縮させるのか――太郎は哀れだと思った。茂吉がなのか自分がなのか。とにかく哀れだと思った。

 茂吉はそれ以上何も言ってはこなかった。

 

 養母のさとだけが村落の境まで見送りに来た。太郎の手を握り愛おしそうに擦りながら、涙を溜めた瞳を向けて、「躰をいとうのですよ」と繰り返した。その時にさとは手縫いのお守り袋を渡したのである。

「それはお前の臍の緒です」さとは言った。「お前の実のお母上様も、きっと御仏の世からお前を見てくれていますからね」

 太郎が桐箱を開けると、綿の中に干からびて黒っぽく捻れた臍の緒があった。これが実母と己を繋いでいたのか――。養父母はこれまで、太郎の実母のことは殆ど語らなかった。顔も知らぬ実母の存在した証を初めて見た太郎には不思議な感覚が芽生えたが、同時にこれを大事に取っておいてくれた養母の情に感謝した。二人の母の存在がこのお守り袋にはあった。

 これだけで十分だ、と太郎は思ったのだった。


「御用ですか?」

 衣の上からお守り袋を擦っていつの間にか物思いに耽っていた太郎に、門の内側から声が掛かった。不意を突かれて言葉に詰まった太郎を、声の主は上から下まで視線を這わせ、「入門希望かな?」と言った。

「は、はい」

 太郎が小刻みに頷くと、声の主は微笑んだ。

「どうも遠くからお越しのようだな」

 そこで、太郎は自分の着物が土埃にまみれていることに気付いて顔が熱くなった。慌てて埃を叩き始めると、声の主は笑った。覗いた歯はすこぶる白かった。

「それは中でやるといい。どうぞ、ご案内しますよ」

 そう言って、声の主―― 乾( いぬい)弥三郎は太郎を招き入れた。


 弥三郎に推薦状を渡し、取次ぎを頼む間に、太郎は井戸を借りて躰を拭い、埃だらけの着物を替えた。

「話は聞いているという事だったよ」

 弥三郎はそう言うと、丁度に片付け終えた太郎の荷物を抱えて歩き出した。

「そんな、申し訳ないです」太郎が慌てて後を追うと、縁側に上がりながら「気にするな」と弥三郎は言った。

「 も( 、) も( 、)殿は住み込みなのだな。まず部屋へ案内しよう」

「・・・もも」

 太郎の呟きに弥三郎は振り返った。

「ああ、すまない。どうもすぐ気安くなってしまうのだ」弥三郎は眉根を下げた。「先生にもよく窘められるのに一向に治らん」

「そうなのですか」

「気分を害してしまわせたか」

「いいえ」太郎は笑みを含みつつ首を振った。「国許では〈桃太郎〉と呼ばれておりましたので」

「桃から生まれたのではあるまいな?」弥三郎の声は悪戯っぽかった。なるほど窘められそうだと太郎は思った。

「食べ頃の桃のような尻の間から出てきたそうです」

 再び振り返った弥三郎の眼は真ん丸だった。

「……食べ頃の桃か、それは」弥三郎はにやりとした。「旨そうだな」

「しかし、己の母御の尻をそのように言うとは、おぬし存外面白いな」

「養母がそのように申しておったのです」

「……そうか」弥三郎は神妙になった。「すまん」

 いいえ、と太郎は首を振った。先を行く弥三郎の背を見ながら、確かに気安さが先に立つが気持ちの良い方だ、と太郎は思った。奇異な眼で見られ続けた太郎にとって、初めての土地で、会ってすぐにここまで打ち解けて話せる相手ができるとは思っていなかったのである。外に出て良かった。この時ばかりは太郎も養父に感謝した。


 案内されたのは、六畳の陽当たりの良い部屋だった。隅の方に文机が一つ置いてある。弥三郎は部屋の奥に太郎の荷物を置いた。

「先生にご挨拶したいのですが」

「先生は講義をしておいでだ」弥三郎は部屋の真ん中で大の字になった。「やっぱり気持ちいいなここは」

 太郎が弥三郎の傍にきちんと正座すると、弥三郎は「崩せ崩せ」と太郎の膝を軽く叩いた。太郎は軽く頭を下げて胡坐をかいた。

「ここは丁度空いたところなのだ。塾頭になられたばかりだったのに、急に国許に戻られてな」

「塾頭殿のお部屋なのですかここは」どうりでいい部屋だ。

「私のような若輩が使わせていただくわけには――」

「この塾は」弥三郎は太郎を見上げた。「そういう序列をいちいち気にしないのだ。大切なのは学びたいという姿勢だ。肩書きがどう、という考えはこの塾では無用だ。この部屋だって、たまたま入っておられた方が塾頭になったというだけの話でな」

「そうなのですか」

「だがこの部屋はな、このように気持ちの良い場所にあるから人が集まりやすい」

 弥三郎はうんと躰を広げてみせた。

「そのうち書物で一杯になるだろうが、最低でもこれくらいは空けておいてくれ。酒を呑もうと集まる者も、昼寝しようと来る者もあるからな」

 解りました、と太郎は頷いた。

「桃は皆に好かれそうだ」弥三郎は笑んだ。「いくら新参でもちょっとは不服が顔に出そうなものだが。半分冗談だったのだがな」

「冗談だったのですか」

「半分な」弥三郎は言った。「俺はそうするつもりだからよろしくということだ。桃――と呼んでも構わんか?」

「はい、喜んで」弥三郎の呼び方には既に親しみが籠っていた。太郎は嬉しかった。

「半分だけ本気にしておきます」

 二人は笑い合った。








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