91・☆ワグナー邸にて2
アルファは瓦礫除去を手伝うため、一人で屋敷の中に入り、周囲を見渡した。
美しかったであろう建物の中は荒れ果て、破壊され、カイルが以前調査に来たときのまま、床の中央には巨大な穴が開いている。
壮絶な様子だったが、どんなに雑然とした廃墟だろうと、消しさってしまえば同じだ。
魔法を発動させようと右手を対象に向けたときだ。
「アルファ、がんばって」
背後から声をかけられたので、あわてて魔法を中止する。
「我が君、危険ですのでカイルたちと一緒に離れていてください」
「でもぼく、アルファが魔法を使うところを見るのが好きなんだ」
ニコニコと言って、アルファのすぐ横に立つ。
「ぴったりくっついてたら危なくないよね? ここで見ていてもいい?」
カイルとフォウルが心配そうにしている中、アルファはしゃがんで主に目線をあわせると、シリウスの手をとってその甲に額を当てた。
「御意。ですが、本当に離れずにいてくださいませ」
「わかった」
うなずくと、シリウスはアルファの腰の辺りに身を寄せて、これでいい? と言うようにアルファを見上げた。
アルファも笑みを返し、再び魔法を実行する。
アルファの差し出した右手の先、地面の上に影のような染みが生じた。
黒い水溜りのようなその影に、美しい銀の漣が光っている。
大きさはシリウスが両腕で円をつくったぐらいの、まさしく水溜りほどのささやかなものだ。
アルファが右手を水平に移動すると、その動きに連動して水溜りも流れるように移動する。
黒銀の漣が瓦礫のひとつに触れた。
崩壊した石膏の彫像だ。
石膏像は底なし沼に放り込まれたように、静かに、だが速やかに沈み、たちまち跡形もなく消え去ってしまった。
普通の人間ならば、闇魔法の容赦ない力を目の当たりにし、震え上がる光景だったが、シリウスは違った。
大好きなアルファが魔法を使う様子は、生まれたときから何度も目にしている。
頼もしく思うことはあっても、怖いと感じたことは一度もない。
「すごいや、アルファ!」
主の賛辞に答えるように、黒い水面は床の上を満遍なく清掃するように移動し、屋敷の中に残っていた瓦礫の山は、ホコリや塵も残さず、きれいさっぱり片付けられてしまった。
「こんなところでしょうか」
アルファが振り向いてシリウスを見ると、シリウスは落ちていた木製の馬をいつのまにか拾って手に持っていた。
「消しちゃうのがかわいそうだったから……。で、でも、すぐ足元に落ちてたから離れてないよ!」
どうやら隙を見て拾ったらしい。
アルファはシリウスを叱ったりせず、やさしく微笑むと、木彫りの馬のたてがみをなでる。
木彫りの馬と言っても、かろうじて、なんとか馬とわかる程度の稚拙な彫刻。
「貴族の屋敷に飾るには単純なつくりです。この家の誰かが作った思い出の品かもしれませんね。住人にお返しになれば、きっと喜ぶでしょう」
「うん、そうする!」
わかってもらえたことが嬉しくて、シリウスはアルファに抱きついた。
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すっかり何もなくなった屋敷の中に案内されたジャンは、結果を予想していたにもかかわらず、あっけにとられてしまっていた。
美しい大理石の床が磨かれたように輝いていて、その上には何も、ホコリすら残っていない。
ホールのまんなかに巨大な穴があいているが、この状態なら穴さえ埋めれば建物を再建することも可能に思える。
闇魔法というものは、もっとずっと制御不能の代物で、たとえば今回のように床の上のものを消そうとすれば、床ごと消えてしまうというのが普通の結果だ。
しかし黒竜公の御技は、まさしく神の所業のごとく、床にも壁にも損傷は一切なかった。
「ど、どうやったのですか……?!」
ジャンの後ろにいる騎士たちも、さっきまでの廃墟とのあまりの違いに愕然としているようだ。
「魔法を極力平面で発動させ、指向を重力面の反対方向にしぼっただけだ」
「はあ……」
わかったような、わからないような、あいまいな返事をしたジャンに、シリウスは笑みを向ける。
「みずたまりみたいなやつだよ! 物語に出てくる底なし沼みたいな。しかも動くんだ」
そういわれても、シリウスの説明では単純すぎてまったく理解できなかったジャンだが、アルファの方は主の言葉に深く感銘をうけたようだ。
「我が君は賢者であられるな。まさしくあれは異空間への底なし沼。ふれたものはもれなく飲み込まれ二度と戻らない。それだけの単純な魔法だ」
「な、なるほど。とにかくオレには未知の魔法のようですが、たいへん助かりました。数日かかる予定の作業が一瞬で済むとは。日程があまったことをどうやって上官に知られず有意義にすごすか、これからじっくり考えます」
早く片づけが済んだからといって、それをそのまま上官に説明するつもりはないらしい。
ジャンの言葉に部下たちは呆れ顔だったが、それでもやはりうれしそうだ。
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シリウスはさっきよりもずっと存在感を増した床の穴に近づく。
すかさずフォウルがシリウスのすそを咥えた。
万一足を滑らせても落ちたりしないように。
穴を覗き込んだシリウスはアルファとカイルを見上げた。
「中を見てみたい」
間髪いれずに反対したのはカイルだ。
「シリウス様、中はすでに先日私が見てきました。暗い穴が途中でふさがってるだけで何もありません。危険ですのでおやめになったほうが……」
「? 何もないなら危険じゃないでしょ」
しまった、という顔になったカイルをアルファがにらむ。
同僚のうかつな発言のせいで止めにくくなった。
シリウスは穴のふちにしゃがみ、床に手を当てた。
「この床の下、空洞になってるよ すごく深くて広い。道みたいに遠くまで続いてる感じ」
これに驚いたのはジャンだけだった。
近くで感じることさえできれば、その物質の形状や根本的な構造などがシリウスには本能として理解できる。
あまりに巨大だとあいまいになってしまうし「本能で」「なんとなく雰囲気を」察するというものなので、実際に再現するとシリウス本人の主観が混じることも多かったが、基本的に間違うことはない。
竜人たちは主の能力を把握していたので驚かなかった。
「途中で塞がってるって言ったよね? それを開通させたら、さらわれた人たちの所までいけるかもよ?」
しかしこれにはジャンが首をふった。
「穴を埋める土砂の除去は、我々も、もちろん試みましたが、土砂は非常に不安定なしろものでした。下手に手を出すと穴ごと生き埋めになる可能性があったので、兵士たちの安全を考慮しあきらめることになったんです」
「じゃあぼくがやってみるよ」
「我が君」
今度はアルファがとめたが、シリウスは心配そうな黒竜に笑みを向けた。
「大丈夫。しっかり壁と天井を補強しながら土をどかせばいいんでしょう?」
「御意。ですがやはり危険もありますし、……なによりあまりお力を見せないほうが」
後半はこそこそと訴えたが、シリウスは首をふる。
「だって、もしもぼくのうちが同じような事になって、家族やアルファたちが攫われたらって思ったら放っておけないよ」
アルファたちがさらわれたら、と聞いて、ジャンは内心噴き出してしまったが、必死に表情を殺した。
カイルはジャンが笑いをこらえているのを察して軽く睨んだが黙っていた。
実際、自分たちが何者かに攫われる状況などありえないからだ。
しかし、自分の主人がそんな風に自分たちの存在を大事に思っていてくれることが何よりもうれしい。
シリウスはアルファに手を伸ばした。
「だから下に降ろしてくれる? 抱っこしてもらっておりたほうがきっと早いから」
笑いをこらえていたジャンはこの発言を聞いて顔色を変えた。
「お、お待ちください、本当に土砂を除去するおつもりですか? さきほども言いましたが危険です。土木工事の専門家にも見てもらいましたが、土砂の除去は不可能だったんです。おいカイル、お前も止めろ」
止めろと言われたカイルは戸惑ったようにジャンとシリウスをせわしなく交互に見た。
もちろんカイルだってできれば止めたいのだ。
けれど、よほどしっかりした理由がない限りシリウスの行動を止められないことも良く知っていた。
ヘタに反対して、より無茶な行動をとられてしまうより、手伝って安全を確保したほうがずっとマシだ。
「シリウス様、我々から離れずにいてくださいますよね」
「わかった」
カイルはアルファと目線を合わせて頷きあった。
「ジャン、私たちは下に降りる。お前は部下を連れて庭に出ていてくれ」
「なら俺も一緒に降りる。ここの責任者なんだぞ?」
「……」
カイルは思わず黙ってしまった。
一緒にジャンが地下に降りたら、シリウスの魔法を目撃することになる。
金色に輝く独特の発動現象は他の魔法にはないものだ。
港町サンターナで宿屋を直した件もバレるだろう。
悩んでいる間に、ジャンは部下たちを庭の片付けに向かわせ自分はさっさとロープで下に降りてしまった。
アルファの非難めいた視線を受けて、カイルはため息をついた。
しかしシリウスは笑っている。
「大丈夫だよ。カイルの友達でしょ? きっと内緒にしてくれるよ」
シリウスの言葉を聞くと、フォウルは軽く床を蹴って先に穴の中に入っていった。
穴の中の安全を確かめない限りはシリウスを地下になど入れさせられないからだ。
いきなり狼が降ってきたせいで穴の中からはジャンの悲鳴が聞こえたが、そのすぐあと、大丈夫、というように、狼のやさしいほえ声が響いた。




