90・☆ワグナー邸にて
シリウスが『はしたない』大声で呼んだおかげで、作業をしていた兵士たちがいっせいに振り向いた。
もちろんジャンも。
ジャンは最初けげんそうに声の主を見たが、すぐにその人物が誰なのか気づいたようだ。
周囲の兵士たちに作業を続けるよう命じてから、小走りでシリウスたちのもとへ駆け寄ってくる。
「これはお久しぶりです、殿下。それに黒竜公どのも」
騎士の正式な礼をとり、ジャンは深々と頭を下げた。
「起礼のみで失礼を。このような場所においでになるとは、いかがなさいましたか」
「あのね、ジャン、ぼく、普通の家の子供としてアレスタに来てるんだ。だからあんまり仰々しくしないで」
「普通の家の子供……。殿下がですか」
その設定は無理があるのではないかと思ったジャンだったが、傍に立つ黒竜公を見ると、芸術家の作った彫像のように凛々しい青年が、目を閉じたままピクリと眉を動かしたので黙っていた。
おそらく、黒竜公も、同じように思っているのだろう。
それにしても「シリウス殿下のお傍にいない自分はなんの価値もない」などとものすごいことをキッパリジャンに言い切っていた本人、カイルの姿がなかった。
近くにいるのかと周囲を見渡していると、シリウスの連れていた二頭の狼のうちの一頭、赤い狼が、先端だけ白い前足で、ジャンの袖に触った。
美しい毛並みの狼で、おだやかに輝く真紅の瞳が知性を宿してジャンを見上げている。
その赤い瞳を見たとたん、ジャンはたちまち狼の正体を察した。
「カ、カイル……?!」
「バカ、名前を読んだら変装している意味がないだろ」
すかさず狼が人間の言葉で抗議したので、ジャンはその場によろめいてしまった。
由緒正しき家柄の、国中の人間に尊敬される赤竜公が、巨大な犬、いや、狼に身を変えているとは。
たしかにカッコイイし、美しい獣だったけれど、なんというか、親友がどんどん謎の領域に突っ込んでいくのが衝撃だったのだ。
困惑しているジャンが何もいえないでいる間に、シリウスが狼の背をなでた。
「でもカイル、現場についたんだし、もう元に戻ってもいいんじゃない?」
「そ、そういえばそうですね」
カイルの未熟な変身術は不安定で、気を抜くと元に戻ってしまいそうになるため、シリウスはずっとハラハラしていたのだった。
一行はジャンを連れて屋敷の物陰に移動し、そこでカイルは、あっさりと普段の姿へ戻った。
狼に変身したときと違い、元に戻るのはたやすいらしい。
元の姿に戻ったカイルを見て、シリウスが苦笑する。
「カイル」
「はい!」
完璧なスタイルの美青年の腰の辺りから、フサフサした立派な尻尾が生えていた。
名前を呼ばれ嬉しかったのか、声をかけられた途端、その尻尾があからさまに左右に揺れたので、ジャンは思わず声を出して笑いそうになった。
だが当人はまだ気づいていない。
「カイルってば、尻尾、残ってるよ」
「えっ?!」
カイルがマジメな顔で呪文を詠唱し、なんとか尻尾を消したのを見たジャンは、今度は逆に心配になった。
カイルが呪文を詠唱する場面など、誰よりもカイルと付き合いの長いジャンでも、初めて目撃した光景だったからだ。
それほどまでに難しい呪文を、もしかして、主人と出かける際に正体を隠すためだけに使っているのだろうか、と。
そこまで困難な魔法を行使するのであれば、できればもうすこし有意義な状況で使ってほしい。
今度こそカイルが元の姿に戻ったのを確認すると、シリウスは蒼い狼にも声をかけた。
「フォウルはどうする?」
「ボクはこのままでいい」
人間の言葉で返事をした狼を見ても、ジャンはもう驚かなかった。
連れている狼のうちの一頭が赤竜公なら、もう一頭の蒼い狼の正体にも大体察しがついた。
先日カイルと再会したとき、カイル自身が、他の竜人もシリウスの傍にいると教えていたせいもある。
カイルは、ふう、と息をつき、何事もなかったかのように髪を整えると、あらためてジャンを見た。
「ジャン、すまないが、もう一度現場を確認させてもらえないか。この家はシリウス様のクラスメイトの家でもあるんだ」
「それはかまわないが、この前より足の踏み場がないぞ。解体作業の真っ只中だからな。屋敷の外壁を打ち壊している途中だし、瓦礫だらけだ」
「我が君が瓦礫で怪我をされては困る。屋内の瓦礫除去は今、俺が手伝おう。証拠として残す予定の品だけ先に運び出せば残りを一掃してやる。ただし俺の所在をあからさまにするわけにもいかぬから、目立たないよう内側だけだ」
ずっと無言だったアルファが一歩前に出た。
ジャンは目を見開いてカイルを見る。
まさか黒竜公に手伝ってもらえるなど、夢にも思っていなかったのだ。
親友の驚きの視線に、カイルは軽く頷いて答える。
「アルファがやるといっているのだから、遠慮するな」
実際、アルファにとっては屋敷の瓦礫を一軒分消滅させるぐらい造作もないことだった。
まさしく朝飯前だ。
カイルのばかばかしいほどの魔力を何度も目にしてきたジャンは、黒竜公の実力もまったく疑っていなかった。
「わ、わかりました。証拠の品はすべて搬出済みです。人払いをしますので、お待ちいただけますか」
ジャンが急いで屋敷へと駆け戻っていく。
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「あーじつは、闇魔法の権威が瓦礫の除去に協力して下さることになった」
咳払いをしてから、部下の兵士たちを見渡すと、みな一様に、いまいち信用できないなあという表情だ。
ジャンは貴族とはいえ非常に気さくな性格で、部下からとても好かれていたが、あまり勤勉でない上司だたっため、仕事の面であまり信用されていなかった。
「赤竜公の紹介だから心配ない。カイルも一緒に来ている」
「赤竜公閣下がいらっしゃっているのですか!?」
目を輝かせる若い兵士たちの中には、カイルとともにウェスタリアへ赴き、失意の帰国を果たしたものもいた。
帰国の説得に失敗し、自国の守護神のようだった人物を失って、己の無力をかみ締めた日のことを思い出したのか、目に涙を浮かべている。
兵士たちの一人がおずおずと手を上げた。
「闇魔法をうかつに使用すれば危険ですし、発動の条件もかなり難しいはずです。大丈夫なのでしょうか」
闇魔法は敵味方の区別なく範囲攻撃してしまう特殊な魔法で、攻撃に晒された対象は消滅するしか道がなく、そのうえ発動条件も他の魔法に比べてずっと難易度が高かったため、アレスタではほとんど実用目的で研究されていなかった。
過去には強力な殺傷能力に魅せられ研究していた施設もあったが、ある日こつぜんと研究施設ごと消え去ってしまって以来、あとをつぐものもいない。
「大丈夫、大丈夫。まあ、巻き込まれないようオレらは下がってろって言われているから、ちょっとあっちのほうまで部隊を移動する」
適当に言って、ジャンは自分の部隊を下がらせると、離れた場所で様子を伺っていたシリウスたちに手を振って合図を送った。




